待ち時間のビター

 先に座った茂樹くんの隣に腰を下ろして、送られてきた下書きの内容を確認する。

「『スイートラジオの店員です。レビューを拝見して驚きました。そのレビューの件について詳しくお聞かせください。お話は個別メッセージでお願いします。可能なら店長に謝罪させます』……本当にいいの?」

「いいよ、僕は普通に謝るつもりだし」

 ふぅん、と言いながらそれをコピーして、星一つのレビューが並ぶ求人サイトの全ての返信欄にペーストして、ところどころ文体を変えつつ送信した。

「送ったよ」

「あとは向こうが来るのを待つだけ。あの人たちを僕らの側につけられればたぶん全容が明らかになる」

「そうだね」

 返信元のレビューを今見返してみても酷評っぷりには驚いてしまう。独断専行なところはあれど、それ以上にいい面も持ち合わせているのにな……と思いながらスマートフォンの電源を落とした。

「ところで、一緒に住む話ってどうなってる?」

「スイートラジオの居住スペースを片付ければ普通に住めると思うよ」

「うん、ありがと」

 付き合い始めて三日後から始まった同棲計画は一週間経たずして大まかな目途が立ち始めている。この調子であと一か月、二か月もすれば一緒に住み始めることになりそうだ。部屋に置いてある家具はどうしようか、たぶんダイニングテーブルとベッドは業者に引き取ってもらうことになるはずだから考えなくてもいいけれど、ラジオは限定品だから流石に捨てようにもいかない。まあ、茂樹くんと一緒に使えばいいだろう。一駅間、二キロ弱の旅は五分もかからず、仁方駅に到着したほぼ満員の電車は茂樹くんと私だけを吐き出してさっさと竹原方面へと行ってしまった。


「そういえばさ、初詣行ってないね」

「確かに、どこに行く?」

「潮原神社……とか? スイートラジオからも近いし、割と大きいし」

「そうだね」

 そう言いながら改札を抜け、そのまま別れるはずだった予定を変更。そのまま県道に出て、潮原神社へと足を進めた。段々と昼に近付いて人出が多くなり、朝は静かだった仁方の街も少し賑やかになっている。商店街入り口近くの橋を渡って、入り口とは反対方向に少し進めば、商店や住宅が並ぶ隙間にまるで異世界のような雰囲気を醸し出す真赤な鳥居が姿を現した。

「うーん、やっぱりここ凄い場所にあるよね」

「もともと帝国海軍の造船所と港があって、海軍に関係が深い所なんだ。こことかそれをよく表してる」

 茂樹くんが指差したのは鳥居の脚に刻まれている、錨の上に小さく桜が乗った紋章。その手の話にはあまり詳しくないが、錨で海軍だということはわかった。

「へえ、そうなんだ……」

 鳥居を潜り、拝殿に伸びる階段を上り始める。

「「ここ、潮原神社で定着してるけど、実は『鎮守』潮原って言うんだよ。金偏に真(まこと)の『鎮』に『守』」」

「へえ……なんで鎮守なの?」

 雲一つなく柔らかい冬の日差しが照り付ける空の下、彼にはまだまだこの神社に関する豆知識があるようで、立て板に水を流すように語り出した。

「さっきも言ったみたいに海軍にゆかりがあってね、鎮守府っていう司令部が昔呉にあって、そこの人たちや造船所の人たちが武運戦勝や安全を祈願したんだって」

「なるほど、鎮守府から取ってるんだね」

 そう話しているうちに、手水舎(ちょうずや)の瓦屋根が目に飛び込んでくる。瓦の丸い部分にも錨のマークがあしらわれていた。階段を上り切り、人の多い手水舎で手を清めて参道の左側にできている参拝者の列に混ざる。


「なあタツヤ、作法って二礼三拍手一礼……で合ってるよな?」

「……は? お前何言ってんだ、拍手が多いぞ?」

「え、じゃあ一回だけでよかった?」

「二回だよ馬鹿野郎」

 前にいる高校生らしき二人組がそう言いながら笑った。最近の子はこの年でも参拝作法を知らないのか……と考えてしまう自分に改めて老けていることを実感させられる。ふと横に立つ茂樹くんに目をやってみると、彼はスマートフォンをカメラのように持って拝殿に並ぶ参拝者の列や小さな灯籠、冷たそうな冬空を写真に収めていた。


「ほら、そろそろだよ」

「そうだね」

 茂樹くんはそう言うとカメラと化したスマートフォンを振り回す手を止め、ポケットにしまう。前で作法を間違えそうになっていた青年たちもちゃんと参拝を済ませてようやく私たちの番が回ってきた。十の位を普通の漢数字にしたら『一一円』、すなわち『いい縁』になると昔何かのテレビ番組でやっていたのを思い出して、私は財布から十一円を取り出し賽銭箱に投げ入れる。ちゃりん、という軽い金属同士が当たる音が箱の中で響いた。

 二人で鈴緒(すずお)を握って三回鳴らし、間違いの無いように心の中で確認しながら参拝の作法をなぞっていく。礼を二回、柏手を二回。そして今年一年間の一番大きなお願いを繰り返し唱え、頃合いを見て最後に一度礼をした。

「茂樹くんは何をお願いしたの?」


「スイートラジオの事と……あ、それだけだね。優花さんは何をお願いした?」

 参拝者の列の横を歩きながら私は再びカメラを振り回しだした茂樹くんに尋ねてみる。彼はいくらか写真を撮った後にそう答え、訊き返してきた。

「んー、秘密?」

「聞いておいて教えないなんてずるいよ」

 私の返しに納得がいかない様子の茂樹くんは不満気な顔をしながらそう言ってくる。私はちょっと遊んでやろうと言う悪戯心に従い少し早く階段を下りて

「茂樹くんと、年を取っておじいちゃん、おばあちゃんになってもずっと一緒にいたいな……って」

 と、後ろにいる彼に振り返り、後に「ま、冗談だけど」と言うのも忘れずに、少し漫画のようなわざとらしい口調で言った。彼は「何面白いこと言ってるんですか」と呆れたように言ってきたが、その顔は嬉しそうにしている。私も冗談といったが、あれが本心だった。

「じゃあ、また」

「うん、またね」

 来た道を辿り、スイートラジオの前で別れる。一月の三日と四日は店もMARテックも休みだから、どこに行く必要もない。茂樹くんに教えてもらったカレーでも作りながら部屋を片付けようと心に決めて、元日とは思えない忙しさからゆったりとした正月休みに向かって行った。


 日本全国の会社たちが動き始めて少し経った一月九日、昼休憩手前で思考力判断力が衰えつつあった私のデスクの上にあるスマートフォンが震える。ご都合主義的展開と

言いたくなるほどにタイミングが一致した昼休憩のチャイムに誘われて、スマートフォンと財布、弁当を持ち社員食堂へと向かった。

「えーと、どれどれ。『メッセージ失礼します。レビューを書いた魚村という者です。あなたは何がしたいのですか?』……ほうほう、割と怖いねえ」

 通知のポップアップをタップしてジャンプしたのは求人サイトの個人チャット。ユーザー名『ウオムラチサト』という人から個人宛にダイレクトメッセージが届いていた。何がしたいか、と聞かれても返事に困る。全ての真意は茂樹くんしか知らないから、とりあえずそれっぽいことを言ってみようかと思い『あなたと店長に和解してほしいのです』と打ち込んだ。

「いや……あまり良くないか?」

 冷めた弁当を咀嚼しながら正月休みで鈍り、まだまだ回復し切っていない脳でそう判断し、一度全部消してから『私は店長の話を聞きましたが、魚村さん側のお話は一度も聞いたことがないのでお伺いしたいです』と送信する。二分もしないうちに返信が来て、スマートフォンが震えた。

『メッセージで話すより提示したい資料もあるので直接話した方が良いと思います。次の日曜日のお昼にくろがね通り商店街の『Molybdän-415(モリブデン415)』でいかがでしょうか』

 魚村さんからは直接会うことを求める本文とモリブデン-415の周辺地図が送られてくる。「よっしゃ」と私は小さく声を漏らしてしまった。

『今度の日曜日、お昼からですね』

 私はそう返信してから茂樹くんに『一人確保』と送り、食堂を出る前にココアを頼む。茂樹くんの策略が完璧だったのか、私の返信の仕方が上手かったのか、どちらがこの成功に起因しているのかはわからないが、何故かとても気分が上がっていた。


「うぅ……うえ……」

 ココアと空の弁当片手にオフィスに戻ると、中島さんが胸元を抑えながら俯いている。彼女の顔は土気色になっていて、見るからにしてしんどそうだ。

「中島さん大丈夫? どうしたの?」

「いや、さっき食べてきたカツ丼が大変なくらい脂っこかっただけです……うぇ……」

 年始からインターンで営業部にやってきた眞田(まきた)くんが自分の机から彼女を心配そうに眺めて、少ししてからこちらにやってきた。

「中島先輩、大丈夫ですか? 一体どこで食べてきたんです……?」

「ああ、しゃば豚(しゃばとん)のミニかつ丼。天かす付きで……」

「魔境じゃないですか、そんなの誰も食べようとしませんよ」

 眞田くんは大きな溜息を吐きながらやれやれと掌を上に向けて言う。中島さんはしんどそうな顔をにへらと崩し「そういえば眞田くん。エクセルの処理はわかる?」と話を逸らそうと奮闘しだした。

「中島先輩のハンドブックのおかげで何となくはわかるようになってきました……ってそれよりもですね!」

「なによ」

「早く吐いてきた方がいいんじゃないですか? そうでもしないと明日以降が地獄になりますよ? 太るリスクもありますから、今のうちが吉です」

「わ、わかったわかった……」

 中島さんは眞田くんに言われてふらふらとした足取りでトイレの方へ歩いていく。眞田くんは体重を左右に揺らしながら強くオフィスのドアを閉めた彼女を心配そうに見ていた。


「う……ふう……」

 十数分後、中島さんは顔を真っ青にして、タオルで手を拭きながら戻ってくる。再び仕事に取り掛かった彼女だったが、額には玉のような汗が滲んでいた。手で握られっぱなしになっていたタオルで何度も何度もそれを拭きながら仕事をこなしている。


 終業のチャイムが鳴る手前でさっさと帰り支度をする周りの社員と一緒にタイムカードを切って、「おつかれさまでしたー」といいながらオフィスを出て行った。日の落ち切った国道三十一号線を行き交う車のヘッドライトと人家の明かりを頼りに水尻駅に向けて進む。ちょうど私たちがプラットホームに辿り着いたとき、「まもなく列車が参ります」と聞き慣れた自動放送が響き、電車は冷たい空気と夜の闇をかき分けながらホームに滑り込んできた。

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