聖夜のチョコチップ
一番大きなクリスマスイルミネーションから少し離れたベンチの上に座る私たちは、昼には空になるはずだった弁当を鞄にしまう。中の具はかなり冷めていて、正直あまりおいしくはなかった。
「弁当も食べ終わりましたし、クリスマスツリーでも見て帰りますか?」
「いや……もうちょっと話してたいんだけど、いい?」
「別に問題はないですけど……話題は?」
一瞬立ち上がろうとした茂樹くんはすとん、とその場にまた腰を下ろし、私に聞いてくる。
「サンタクロースからなんでももらえるとしたら、何が欲しい?」
茂樹くんはぷっと小さく吹き出し、「またまた突飛な話ですね」と言って、僕ならな……と小さく呟きながら考えるような仕草を見せた。
「なんか、結構気になるっていうか?」
「うーん、僕はそろそろ『幸せ』ってのが欲しいですね」
「幸せ……?」
「ええ、幸せに過ごせる余生が欲しいです。ヒシマキは不可解な要求をしてくるし、それ以外にもきついことが多いので……日本人男性の平均よりも五割増しくらいのストレスを喰らっている自信があります」
「あはは、ストレスフルなんだね」
彼の話し方が妙に面白くて思わず笑いながら答えてしまう。ほんの少しばかり彼の表情がむっとしたものになった気もしたが、気にしないようにした。
「じゃあ、優花さんは何が欲しいんですか?」
「うーん、なんだろうな……家族、とか?」
「優花さん……本気ですか?」
真面目に回答した私に茂樹くんは半笑い、必死に笑うのを堪えている様子で聞いてきた。ストレスフルなんだ、と笑った時の彼の気持ちがなんとなくわかってしまう気がした。
「ちょ、なんで笑うのさ」
「家族って自分の努力でなんとかなるじゃないですか」
「まあそうだけど、私もこんな奴だからさぁ……」
「『こんな奴』と言うのは僕から見ても否定できませんね……」
「え、ちょっとそれ酷くない? お世辞でも「そうは思わないな~」とか言ってほしかったんだけど!?」
「あはは、それはすみません」
「ま、いいんだけどさ」
なぜか二人の話が可笑しく感じられて、思わず笑い声をあげてしまう。どうやらそれは彼も一緒だったようで、今まで見せられたことのない『純粋な』笑顔が見えた。
「話、もう終わっちゃった」
私は頭の上で手を組んで背伸びをしながらそう呟く。一日の疲れか、それともずっとベンチに座っていたからか、ほんの少しばかり私の身体が悲鳴を上げた。
「じゃあ、こういう話題はどうでしょう。この前ケーキを作っていて思ったことがあるんです。苦労して作ったケーキを食べるときのおいしさに、作るときの苦労は入っているのでしょうか」
「自分で作ってない限りそこのおいしさは半減するんじゃない?」
「ですよね」
茂樹くんはまあ当たり前だよね、という表情を浮かべながら私にそう言う。イルミネーションの色が薄い緑から海を思わせる深い青へと移り変わった。
「なんで分かってることを聞いたの」
「優花さんならどう答えるかな、と思いまして」
「それならもっとひねって答えればよかったなあ」
私は彼からそう聞いて、ふっと出た笑い声と一緒に呟く。茂樹くんは「なんですかその不思議な笑みは」とでも言いたげに苦笑して訊いた。
「どんな風にですか?」
「作った時にその人がケーキのために費やした労力は、美味しくなるっていう形で残ると思うの。つまりそれが全く同じケーキなら、買っても自分で作っても同じようにおいしくて、同じようにぜい肉が付くだけ……とか?」
「ほう、なるほど」
彼はそうとだけ言うと、すっと空を見上げる。その目は何かを憂いているような色を浮かべ、水晶のように夜空の星を映していた。
「それにしても、奇麗ですね」
茂樹くんが始まりかけた沈黙を破る。
「イルミネーション? すごく奇麗だよね」
「ただ視界に入ってその綺麗さを嫉妬で打ち消してくる冬のカップル達が気に入りませんね」
「いや、暗黒面過ぎない?」
「はは、確かにそうですね」
彼はカラカラと軽い笑い声をあげて私と反対側を向いた。笑いを抑えようとしているようだが、収めきれずにふるふると肩が震えている。
「まあ私たちも遠目から見ればどう見えるかはわかんないからね」
「そうですね……言われてみれば人と人との関係というものは遠目から見れば分からないものなのかもしれません」
「ってか人間関係なんてみんなそんなもんでしょ」
「そうでしたね」
彼は再び空を見上げて私にそう返した。
「そういえば、なんでカップルに嫉妬してるの? 誰とも付き合ったことがないから?」
「結構言いますね……でも違います。人は知らぬ間に反目し、知らぬ間に破壊と略奪と退化、そして争いを繰り返しているもの……というのが僕の人に対するイメージです。ですが、カップルはそこから抜け出しにかかっていける。それが僕の嫉妬の原因です」
「反目……確かにそうかも。でもそこから抜け出せているカップルばかりかというとそういうわけでもないでしょ」
「まあそうですけどね……」
声からほんの少し不機嫌そうな、諦めの感情が感じられる。ずっとイルミネーションを眺めていた目を茂樹くんの方に向けてみると、彼は足元に視線を落としていた。
「私は茂樹くんの世界観が間違ってるとは思えない。でも、茂樹くんがそんな風な世界観を持ってるのは、ほとんどこれまでの壮絶な人生のせいなのかもしれない……とは思える」
「壮絶な人生……否定はしません」
「茂樹くんは試練を与えられすぎてると思う。全て一人でクリアしても、まだ次の試練が与えられる。ずっとひとりぼっちでいるって、辛くない?」
「……何が言いたいんですか?」
茂樹くんは顔を上げてこちらを見ると、不思議そうな表情を浮かべて尋ねてくる。これでもわかってくれないのか、と少々もどかしい感覚を覚えながら更に言葉を重ねた。
「人生ってさ、もっと楽に生きても良いと思うんだ。隣にいてくれる人に半分肩代わりしてもらっても、バチは当たらないと思うよ」
「……隣にいてくれる人がいたらどれほど嬉しいか」
「こんなことを言うのは不誠実かもしれないし、過去にいじめを黙認してた身として虫が良すぎるのは分かってる。あのさ、でも……でも、信用してくれないかもしれないけどさ……」
一気に差し切ってやろうと思っても物の核心に近付くたびに段々と言葉がまとまらなくなって、ついに紡ぎ出そうとした言葉は綻び、編み進められない編み物のように崩れていく。出ない言葉は涙となって溢れそうになり、私は思わず俯いて顔を抑えた。おそらく顔は真っ赤になっていただろう。崩れそうになる感情の箍(たが)を必死に抑えて落ち着くのを待つが、どうにも収まる気配がない。
「早く言ってくれませんかね。言わないなら代わりに……代わりに……その……なんでしょうね」
茂樹くんは吃りながらそう話し始める。普段の彼にある余裕は全く感じられず、心なしか声が震えているようにも聞こえた。すっと、俯きがちでも聞こえるほど大きく息を吸う音が聞こえて、茂樹くんが口を開く。
「優花さん、茶化すことはないと思いますけど、茶化さずに聞いてください。僕は貴女に隣にいてほしい。貴女と一緒に、この世界を歩いて行きたい。だから優花さん、僕の隣にいてくれませんか」
「……なぁんだ、わかってたんだ」
私はそう言って、微かに潤む茂樹くんの方に顔を向けた。手から離れた目尻から一筋、頬に涙が伝っている。
「何泣いてるんですか……」
「だって、言おうとしたのに言葉はまとまんないし、そうやって君に言そうやって言われてパニックになってるんだもん!」
「あそこまで言われて相手が自分と同じことを思っていないと思うようでは鈍感すぎますよ」
「そうだね…… うん。私は茂樹くんの隣にいてあげる。だから、茂樹くんも私の隣にいて」
「はい、わかりました……でも、そういうのは涙を拭いてからにしてくださいね」
茂樹くんの両手が私の頬に伸び、目元に上がるにつれて濡れた感覚が消えていく。彼の手は温かく、十数年ぶりに人の温かさを感じたような気がして拭かれたはずの涙が更に溢れてくる。
「ああ……もっと泣いちゃったらどうしようもないじゃないですか……」
茂樹くんは優しい笑みを浮かべながら流れ続ける涙を拭い続けた。それでもなお決壊した涙腺はとめどなく涙を流し、私は言葉にできない衝動に駆られて彼の胸元に飛び込む。彼の手は温かいのに、体は上着のせいか少し冷たかった。
「ほら、もう泣かないでくださいよ……」
「もう身内なんだからさ、ほら、その敬語やめてよ……それと……」
唐突過ぎる展開にたじろぐ彼にそう言ってやる。
「うん、わかった」
茂樹くんは頭の上でそう囁くと、背中に手を回して柔く私を抱きしめた。
「へへ、ありがと」
泣いて乱れていた呼吸も落ち着いて、段々と抱きしめられているのが心地よく感じてくる。人の温もりで溢れた涙は、人の温もりで収まった。
「……そろそろいいかな?」
「まだやだ。もうちょっとだけ」
「わかったよ」
茂樹くんの身体に包まれて、真冬だというのに温かさを感じる。周りではたくさんの人が話しているはずなのに私の耳には微かな彼の心臓の音と、私が洟を啜る音だけが響いていた。
「茂樹くん、今何時?」
「僕の時計では十一時だね。そろそろ帰る?」
「そうだね」
私は茂樹くんから離れて立ち上がる。後に彼も立ち上がって私の手を握った。街灯の光を銀色の時計が反射する。
「あ、ボストークつけてくれてたんだ」
「うん。大切に使ってる」
柔らかくなった口調とどんどんと増える表情のバリエーションに「表情筋はちゃんと機能するんだ」と思ってしまい笑いそうになるが、ここで笑っては雰囲気をぶち壊しかねないなと必死に吹き出すのを堪えた。クリスマス・イブももう終わりかけ、もう少しすれば子供たちにはサンタクロースがやってくる。そして十何年前にやってきた切り一度も来なかった彼は今日、他の子たちよりも早くよい子の私に『家族』という大きなプレゼントをくれた。家族になるのはいつか、はたまたならぬままなのかはわからないのだが。
「じゃあ、行こっか」
茂樹くんに手を引かれ、商店街からスイートラジオへとつながる道をゆっくりと歩く。その間に彼はいろいろなことを話してくれた。後田にいきなり聞かれてどう答えようか大焦りしたこと、取材の後にシルバー・コーストの二人から発破を掛けられたこと、ケーキの美味しさの話は心理テストのようなものだったこと、それでよい結果じゃなかったら諦めようと思っていたこと。全部のことを面白可笑しく話すものだから、つられて私も笑ってしまう。中島さんが和徳と話していた時の感覚はこういうものだったんだなと認識させられた。
「なんだか名残惜しい気もするけど、また土曜日にね」
話している内に私たちはシャッターの閉まったスイートラジオに辿り着く。本当はもっと一緒にいたいけれど、時間も時間で明日は仕事だ。名残惜しさをぐっと飲みこんでそう言い離れた。
「おやすみ」
「うん。おやすみ」
手を振って店の横にある細い通路に入っていく茂樹くんを見送ってから、私もいつもの帰り道を辿る。信号に引っかかって見上げた空はいつになく奇麗に見えた。
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