料理のチョコエッグ
スマートフォンがブルブルと充電器の上で震え、ナイトテーブルにもその振動が伝播して私の意識を段々と覚醒させていく。そして画面を覗いて電話の発信者を見たとき、私はぎょっとした。
「……茂樹くん!?」
私は急いでチェックマークと『応答』が書かれたアイコンをタップしてベットに横になりながら彼の電話を取る。電話口の茂樹くんはかなり待たされていたようで、ほんの少し不機嫌そうな声になっていた。
「……優花さん。昨日の夜に送ったメッセージ、見てませんでしたか? 昼前に行く、と言っていたはずなのですが」
「あー、ごめん! 本当にごめん!」
「あと、ずっとスイートラジオで出る準備をしているんですが、家の場所を教えてくれませんか?」
「マップのスクショ送るから! メッセ見てなくて本当にごめん!」
「じゃあ、僕は切りますね。どうせ優花さんのことですしまだ布団の中でしょう? 早いうちに着替えておいた方が得策かと思いますよ。僕だって一応男子ですし」
「わかった、準備しとく」
私はそう答えて電話を切ると、すぐにマップを開き自宅周辺のスクリーンショットを送信する。そして急いでパジャマから部屋着に着替えて見当たる危ないものは全て片付け、一通り茂樹くんを迎え入れる準備を済ませた。
約十分後、部屋のインターホンが鳴って茂樹くんの「優花さん、山です」という声が聞こえてくる。私はドアを開けて彼を部屋に招き入れた。
「はい、待たせてごめんね」
「待たされるのはいつものことなので慣れっこですよ、じゃあ早速……」
「どうしたの?」
靴を脱いでダイニングテーブルの上に材料が入っているであろう紙袋を置いてこちらを向いた瞬間、何故か茂樹くんは硬直する。私が理由を訊いてみても彼は一向に答えようとせず、こちらに抗議とも取れる眼差しを向けた。
「……服」
「服?」
「だから……」
ようやく発された一つの単語は私にとって全く意味が理解できない物で、さらに尋ね返すと彼の吃りが更に激しくなる。先ほどの抗議の眼差しは次第に何かを指し示すようなものに変わり、それは私の肩回りに向けられた。
「あー、これか。別にキャミだし気にしないで」
「いや、気にす……なんでもないです」
「どうしたの? いつになく様子が変だけど……まあ今日はお願いね」
彼に異常に気にされて料理を失敗されても困るから少し右側に偏った緩めのトレーナーのずれを整えてストラップが見えないようにしてみる。少しマシになると思ったが、逆に両方見えるようになってしまって、直さないほうが絶対に良かったと確信した。茂樹くんが食材を持って台所へ避難しようとしているのを見ながらそっと元の状態に戻して彼の後に付いて行く。なんだか、彼の弱みを見つけてしまったような気がした。
「優花さん、肉に火を通すときはどうしますか?」
台所に立って肉の塊が数個入ったポリ袋を取り出しながらそう訊いてくる。てっきり料理のコツとやらを最初から教えてくれるのかと思いきや、想像の斜め上を吐いてくる質問をされて少し驚いた。
「え、強火でガッ! って焼くとかそういう感じ?」
「聞き方が悪かった……野菜炒めはどのくらいの火加減で炒めますか?」
「強火から中火で普段はやってるけど……」
私がそう答えると、彼は何か納得したような表情を見せると「あー、たぶん料理が面倒くさい原因はそれですね」と言って話を続ける。
「どういうこと?」
「家庭用のコンロや鍋で火を通すときに強火を使っていい場合はほとんどありません。弱火から中部で加熱しないと焦げてしまいますし、強火で炒めれば食材から水分が出てベシャベシャになります。ですから、まず中火と弱火で日を通すことを肝に銘じてください」
「うん、わかった」
彼の言葉に軽く頷きながら私は彼の横に立って手渡された野菜を洗いながらそう応えた。その後も茂樹くんは野菜炒めを作りながら私が知らない料理の基本の『キ』から全てをていねい教えてくれる。そしてちょうどそれが終わった頃、彼は「冷蔵庫、開けていいですか?」と尋ねてきた。私が頷くと、彼は冷蔵庫から野菜と肉を取り出し調理台にカレーのルウと一緒に置く。
「じゃあ、さっき教えたことを元にカレーを作ってみてください。説明書はちゃんと読んでくださいね」
彼はそう言うとダイニングテーブルの椅子に座り、「僕は何も助けませんよ」といった様子で本を読みだした。教えてもらったことを丁寧にやれば大丈夫だろうと言い聞かせてキッチンに向き直る。
「……よし、やってみるっきゃない!」
私はそう呟き、最初は野菜を手にかけた。よくある三種の野菜を適当に切り分けてすでに分けたまま詰められていた肉をサラダ油を引いた鍋に入れて適当に炒める。ルウのパックには『玉ねぎがしんなりとするまで』と書かれているので、適当に
頃合いを見て計量カップに入れた水を二杯。沸騰してから十五分となっていて、待ち時間が面倒だが近くにはいい話し相手がいる。私はぐるぐると鍋の中の野菜と肉を混ぜ、沸騰してから本を読む茂樹くんに話しかけた。
「茂樹くんってどんなラジオ使ってるの?」
「サウンド・エンジニアリングというメーカーですね」
サウンド・エンジニアリングといえば数年前に一部がうちの会社の傘下になった会社で、今になって優れた機能が再評価されつつある企業。私の同僚にも元サウンド・エンジニアリングの社員が数人いる。
「実はね……うちのラジオ、非売品なんだ」
「え!?」
本を読んでいた彼は顔を上げてこちらを心底不思議そうな目で見てきた。どうやら信じられない様子で、「なぜそんな物……?」と尋ねてくる。
「うちの会社で試験的に作った超高性能機種……らしいんだけど、今の工業技術じゃ手作業になるから大量生産ができなくて、結局試験的に作った数台を会社内の成績優秀者に贈呈した……らしい」
彼は『非売品』と言った時には廉価機種の失敗機だとでも思ったのだろう。だが『超高性能』と聞いた瞬間に目の輝きが最高潮に達していた。
「とんでもなくいいものじゃないですか……! つけてみてもいいですか!?」
茂樹くんは興奮交じりにそう言って、私が「いいよ」と言うとすぐにラジオの音量を上げ、造形を見てさらに興奮している。
「ぱっと見た感じメインが八十ミリ、サブが五十ミリ……さすがサウリングのスピーカー……それにMARテックの高精度増幅同調回路……最強じゃあないですか!」
「あと、ノイズ抑制と仮想立体音響もついてるみたい」
「そこまで付いてるんですか……!? 恐ろしいですね」
椅子に戻ってもなお興奮冷めやらぬ茂樹くんの声と、ラジオから流れる韓流歌姫の声が部屋に響いた。話している内に設定していたスマートフォンのタイマーが鳴り、私は火を止めてルウを入れる。アク取りを忘れていたが、それを茂樹くんに伝えると「アクもうまみの一つですからね」と言われたのでまあいいや、とそのままにしておいた。また電源を入れて弱火でルウを溶かしながら再び煮込む。十分が過ぎたあたりで火を止め、完成。
「おいしい。これなら普通に料理できるでしょうね」
茂樹くんは出来上がったことを察知してかこちらに近付いて、私が渡したスプーンで一口食べて頷きながらそう言った。自分でも一口味見して、自分でもこれくらいの物は作れるのかと少しばかり驚いてしまう。今日から数日の夕食には困らなさそうだ。
「ありがとうね」
「じゃあ、僕はこれで」
茂樹くんは私への料理指南を終えるとすぐに荷物をまとめ、アパートを出て行った。彼を玄関先で見送ってから今日使った調理器具一式を洗っていると、ズボンのポケットに入れていたスマートフォンが震える。
「『今日はお力になれて何よりでした。今後もまた何かあれば教えます。ただ、服装だけは気を付けてくださいね』……って、やっぱり気にしちゃうか。気を付けないとな」
通知のサムネイルを見るだけで茂樹くんとわかるようなかしこまった文とそれに似合わないような服装の話。堅物かと思っていたが、やっぱりちょっと変わった普通の人なんだよな、と改めて実感させら、思わずくすっと笑ってしまった。
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