Ⅰ-Ex フライディ・アレストドラマ
挨拶のチョコボール
MARテックの生産ラインが停止させられて四日が経った日の朝、始業開始のチャイムと同時に外客用の電話が鳴った。営業部室にいる人間は全員電話の主が『奴』だということを理解していたので、「お前が行けよ」と無言で擦り付け合っている。
だいたい一分が経っただろう。まだ止まることを知らない電話のコールと、互いに擦り付け合っている営業部員たちにイラっとして、軽く机を叩いてから
「私が行きます」
と言って外客用の電話の前に立った。周囲の同僚たちはもう安心したような表情を浮かべていて、イラつきがさらに増してしまう。電話に当たりたい気分だったが流石にまずいので、録音ボタンを力いっぱい押して受話器を取った。
「大変お待たせいたしました。MARテック広島の小林です」
「取るのが遅すぎるんだよ! ……それよりもラインの回復作業、大変ご苦労なことだ。回復したらまたやってやるから楽しみにしておけよ」
加工に加工を重ねたような気味の悪い低い声が私の片耳に響く。それは記憶に新しすぎる声。そう、『自称』月曜停止魔本人の声だった。電話の相手はそうとだけ言い残すとすぐに電話を切ってしまう。私は大きく溜息を吐いてから受話器を置き、「やっぱり、奴だったか?」と尋ねてくる金森課長に
「ええ! 犯人からの電話でした!」
と、ほんの少し語気を強めて言った。面倒ごとを徹底的に嫌うのは社会人として不味いのは私でさえわかっている。でも朝一から、ましてや大変な状況だというのに、こんな醜態を晒されては不愉快極まりなかった。
「うん……そうか、近くにいるかもしれんな……」
「そうですね、とりあえず警察には通報しておきます。それよりも、逆探知装置はちゃんと動いてましたか?」
小さく、だが周りの人間に聞こえるくらいの声量で呟いた金森課長に中島さんが話しかける。課長は「ああ、たぶん大丈夫だ」と小さく呟いた後に
「警察に通報、頼んだぞ」
と言って、さっさと上階にある社長室へと駆けて行った。中島さんは自分のデスクに戻って一旦付箋紙に何かを書き込んでから、受話器を取って以前警察に渡されていた番号にかける。
「あ、お世話になっております。MARテック広島のものですが…… はい。電話は……数分前に。それで逆探知の方は……はい。ありがとうございます。よろしくお願いします」
「逆探知しっかり効いてました。警察にもデータが行ってるらしいので、捕まるのは時間の問題ですね」
彼女は受話器を置くと、ふうと一息ついて私にそう言う。
「へぇ、よかった」
取引先に送信するメールの下書きを確認しながら適当に相槌を打った。どうやら犯人は自分から深い深い、自力では抜け出せないような墓穴を掘ってくれたようだ。
「小林先輩、なんか機嫌悪いですか? チョコレートいります?」
「ああ、ちょっとね。まあ……そういう日というか、なんというか」
「あ、なるほど……」
私の答えにどうやら納得したようで、彼女はそれ以上何も聞いては来なかった。渡されたチョコレートはありがたく受け取って口に放り込む。茂樹くんのチョコレートで舌が肥えてしまっていないか心配だったが、どうやら大丈夫だったようだ。
「うーん、やっぱ……飲んどくか」
私は小さく呟いてから、鞄から水筒と小さなポーチに入った痛み止めを取り出し、それを飲み込む。月おきに不便な体になるのは本当に面倒くさいな、と思いつつ増幅する痛みと格闘しながら再び取引先に送信するメールの確認作業を始めた。
そして十一時、私たちMARテック社員にとって嬉しすぎる連絡が届いた。
「犯人が捕まったそうだ! 逆探知と防犯カメラの記録から割り出せたらしい!」
社長が大急ぎで階段を駆け降りそう言った時、営業部室にわっと歓声が上がる。金森課長に至っては特に何もしていないはずなのに天井を見上げて洟を啜っていた。
「中島さんの見立て通りだったのかな?」
「さあ、それはわからないですね……」
彼女は表情すら変えることなくパソコンの画面とにらめっこしながらキーボードを叩いている。私はペットボトルに入った水を一口飲んで、少し前に上から渡されていたライン回復後の営業予定を眺めていた。
社員食堂にある二年前に導入された自社特製の映像付きラジオ用特大モニター近くのテーブルには大勢の社員が集まり、昼の情報番組『ニュース125』が流れるその画面に犯人逮捕のニュースが写るのを今か今かと待っていた。十二月初めにしてはきつい冷え込みに耐えるためか、モニター前に集まる同僚たちは皆手にコーヒーや紅茶の紙コップを、そして私も温かい蕎麦の椀を摑んでいる。
「今週月曜日、呉市内の電子部品メーカー『MARテック』に侵入し製造ラインを破壊、停止させた疑いで、五十三歳、無職の男が広島県警に逮捕されました」
そうキャスターが告げ、テロップが写ったとき、社員たちは「おおっ」と歓声を上げ、更に画面を注視した。社長の言葉に半信半疑だった人たちもこれで信じただろう。私の横では中島さんが「私が功労者」と言わんばかりににニコニコとしている。
「棚本潔(たなもときよし)容疑者は一日、呉市内の電子部品メーカー、『MARテック』に侵入し製造ラインを破壊、停止させたとしてきょう、器物損壊及び威力業務妨害、脅迫、恐喝の疑いで逮捕されました。警察の調べに対し棚本容疑者は「MARテックと競合した結果経営していた工場が潰れた腹いせでやった」と供述し、容疑を認めているとのことです。また、当初は『月曜停止魔』を名乗る連続器物損壊犯の犯行と思われていましたが、警察の捜査により無関係であることが判明しました」
キャスターは手元に置かれた台本を読み、その横には『逮捕・連行される棚本容疑者(53)』と小さく文字が浮かんでいた。モニター前のギャラリーの一人の工員が
「待ってこいつ俺の家の近くで顔見たことあるぞ!?」
と声をあげ、周りの事務員や他の工員たちが「え、マジ?」「やばいじゃん」とどよめいている。しかしニュースが終わると彼らはすぐに散り散りとなり、食道スタッフに料理を注文したり、日当たりのよい角へ行って談笑するいつもの光景に戻った。私はまだ隣で誇らし気な表情をしている中島さんに小さく拍手を贈ってから、さっきまで温かかった蕎麦をすする。ほんの少し冷めた蕎麦は、勝利の味がした。
昼食も程々にして、まだ休憩から戻ろうとしない社員を横目に見つつ中島さんと営業部のオフィスに戻って私はスマートフォンの画面を点ける。LINEのアイコンの上に浮かんだ一つの通知は茂樹くんからのものだった。
『さっきネットニュースで知りましたが、犯人逮捕されたみたいですね』
『そうだね、たぶんあっちから電話をかけてきたのが墓穴だったみたい』
『とんだお間抜けさんですね……』
数分前に送信されたメッセージに返答すると、すぐに既読と返信が来る。たぶん彼も家で昼ご飯を食べている頃合なのだろう。これと言って彼に話すこともなかったからこちらは適当に切り上げて、「やっぱり、月曜停止魔とは無関係でしたね」と話す中島さんとの話に切り替えた。
「やっぱり関係なかったね……じゃあ奴は何を目的に動いてるんだろ」
「競合会社に雇われている、産業スパイならぬ産業テロリストじゃないかって話もありますけどね……」
「まぁたぶん、そんなところだろうね」
不思議な表情を浮かべながらチョコレートをぽいぽいと口に投げ入れる彼女の横顔を見ながらそう返す。
「何はともあれ、私の推理も当たってましたし万々歳ですよ」
「動機までほぼ一緒だったもんね、すごいよ」
「競合相手に負けたからって腹いせに犯罪をするような輩がMARテック(うち)に勝つだなんて百……いや千年は早いです! いや……万年でも言い過ぎではないかも……?」
「あはは、そうだね。あんな奴が私たちになんて勝てっこないよ」
自信満々に語り切るのかと思えば途端にリズムが悪くなる彼女のきめ台詞に堪え切れず、私は笑いながらそう言った。時計は昼休みが終わる三分前を示し、オフィスには再び活気が戻ったような気がした。
「ラインの修繕、完了しました!」
溝口チーフがオフィスにいる金森課長にそう伝えたのは終業時刻ギリギリの時間。どうやら試運転が始まったようで、階下のラインは数日ぶりに轟音を上げながら動き出す。次の週初めにはまた忙しくなるだろうな、と思いつつ帰り支度を始める周りの社員と一緒にタイムカードを切り「お疲れさまでした」と言って中島さんとオフィスを出た。
「頑張って直してくれた工員さんたちに「ありがとう」って言いたくなりますね。ほんとにすごいです」
ラインを一望できる窓を覗きながら中島さんはそう呟く。
「そうだね、じゃあやっちゃう?」
「え?」
「ラインの修繕お疲れ様です! 本当にありがとうございました!」
困惑する中島さんをよそに、私はライン側にある窓を一つ開けて叫んだ。階下は一瞬驚きの表情を浮かべる人が大半を占めていたが、私の存在に気付いてくれたようで「どういたしまして!」「来週から忙しくなるからそっちも頑張ってくれよ!」と返してくれた。
「ラインの修繕ありがとうございました! 精一杯頑張らせてもらいます!」
中島さんも後に続いて私の横からそう叫んだ。高い彼女の声がラインと私の耳に強く反響する。階下からは再び「よっしゃ!」「頑張れ!」と声援が上がった。ふと後ろを振り返ってみると、笑顔の社長が立っている。もしかして咎められるかと思ったが、彼は「コミュニケーションは報連相(ほうれんそう)よりも大事だからな」と小さく言って、営業部のオフィスに入って行った。
「いやぁ、びっくりしました。いきなりあんなことするなんて」
「私もびっくりしてるよ。なんであんなことしたんだろ?」
「私に聞かれてもわかりませんよ……」
「あはは、だよね」
会社から最寄りの水尻駅に向かう国道三十一号線を南に向かいながら話す。妙な爽快感と海から吹き込む優しい風が蓄積されていたであろう一週間分の疲労を一瞬で飛ばしてくれたような気がした。
いつものように中島さんと別れて、いつものように家に帰って、夕食や風呂の諸事を済ませてベッドに飛び込む。ナイトテーブルの上に置かれたスマートフォンがぶるっと震え、私はそれを手に取って画面を覗き込んだ。
『お昼に聞き損ねていましたが、料理の件いつにしますか?』
茂樹くんからはそう飾り気も顔文字もない今どき珍しいメッセージが送られてくる。ああ、そういえばそんな話もしていたなと思い出し、『じゃあ、明日にでもお願いしようかな』と返信して、楽しみに揺れる心を落ち着けてから部屋の電気を落とした。
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