時のフレーバー

 湯気をふわふわとあげながら奇麗な艶を見せるパックご飯の上に白菜の和え物を乗せ、口の中に運ぶ。しゃきしゃきとした白菜の食感が広がった。

「……ほんとにどうしよ」

 眠たくなってしまうほどの暇な四時間が今から始まる。寝てしまえば確実に出社時刻に間に合わないし、かといって特段趣味の無い私に四時間家で過ごせなどという苦行をするなて土台無理だ。小さな絶望と焦りに頭を抱えるをよそに、ラジオからは交代した名前も聞いたことがない様なお笑い芸人のパーソナリティーが楽しげに話している。

「あ、そういえば……」

 ふと、茂樹くんと私が学生だった時に話したことを思い出した。彼は確か朝の四時過ぎには起きていたはずだ。私の暇つぶしに付き合わせるのも申し訳ないと思ったが、こうするしかない。私は充電残量が三十%を切ったスマートフォンを手に取ってメッセージアプリを開いた。


『昨日は酔いつぶれてしまって申し訳ありません』

 なんというか、茂樹くんらしいメッセージがトークルームの選択画面に一段目立って浮き上がっている。私は「ゆるす」と目を見開いて言う猫のスタンプと『おきてる?』と一つ打ち込んで送信した。一分も経たずして既読が付き

『起きてますよ』

 と返信が来た。私は大喜びでベッドの上に飛び乗ると、充電コードをスマートフォンに突き刺して『暇ならお話ししよう!』と送って彼の返答を待った。この嬉しさの理由がなんなのかは正直よくわかっていない。

 『いいですよ』と彼から飛んできたのはその直後の事。私は中島さんが和徳にやっていたように、彼に昨日のことを話した。

『昨日ね、製造ラインが壊れちゃってね』

『どうしたんです?』

『原因が破壊工作だったのよ』

『えぇ……月曜停止魔ですか?』

『知ってるんだ。でもうちの後輩曰く話題の月曜停止魔とはいろいろ違うって』

『僕の彼に対する意見を述べてもいいですか?』

 彼がそう送信し、私は『いいよ』と返してベッドに倒れ込む。充電コードが引っ張られ、スマートフォンが手から滑り落ちそうになった。

『私の調べだと彼がラインを停止させた後も部品の供給量は変わっていないんです。そこで一つ仮説ができました。彼が生産ラインを停止させるのは他の企業に利益をもたらすためなのではないでしょうか? まあ僕の勝手な憶測ですが』

『ちなみにMARテックが停止したことで儲かる企業ってあるの?』

『MARテックが生産している部品は他の企業にも十分な在庫がないものばかりですね』

 彼はネットの海にあるデータを調べていたのだろう。数分の間が開いてから返信が飛んできた。

『となるとやっぱり奴じゃないんだ』

『そうなりますね』

『そういや、和徳に彼女ができたって知ってる?』

『初耳です。で、お相手は誰なんですか?』

『意外と冷静だ』

 その一言と共にいつか流行ったアニメキャラが大仰に驚くスタンプを添える。茂樹くんは『まあ和徳のことですから彼女さんともうまくやっていけるでしょう。どんな方なんですか?』と興味あり気な質問を寄越してきた。

『後輩のミリオタちゃん』

『ミリオタさんとくっついたのなら和徳は安泰でしょう。僕は万年独り身ですがね』

『ねね、ジェラシー感じちゃう? 感じるよね?』

 彼の返答になぜか悪戯心を刺激され、ほんのり眠たいことも相まって普段の癖である文章を見返すことも忘れて勢いで送信してしまう。今すぐにでも首を掻っ切ってやりたい位の後悔とキャラクターが完全に崩壊した一文が、倒れてきた数年分の書類入り段ボールの如く私にのしかかった。

『ええ、嫉妬を超えた何かを感じます。あと二か月で魔法が使えちゃいますからね』

『なんで魔法が使えるの?』

『まぁ知らないほうがいい世界ってものです』

『はえぇ』

 一旦LINEからブラウザーに切り替えて検索窓に『三十歳 まほう』とまで入力すると『三十歳 魔法使い』と出てくる。それをタップし、表示された結果を見て私は思わず「ふぁ」と小さく声をあげてしまう。一番上に出てきたのは『三十歳まで童貞で本当に魔法が使えるようになってしまいました』というライトノベルじみた映画のタイトル。そこで全てを察してしまった。

「あーあーあー、そういうこと……」

 唐突に火照り出した頭を体ごとごろごろさせ、さっきまでの事を全力で忘れようとする。しかし衝撃的なものというのは記憶にはっきり残ってしまうもので、もう新しい知識の一つでいいやと割り切った。

『魔法使いって、茂樹くんそうだったんだ……なんか意外』

『なんせ僕は人から嫌われるのが得意技ですからね』

 奥のラジオはまだお笑い芸人が仕切っていて、「四時半を回りましたが~」とパーソナリティー二人がこの後の番組の放送予定を喋っている。私は茂樹くんが送ってきた闇の深すぎる一言にどう反応したらいいのかわからず、『へぇ』だとか『ほう』と文章を作っては消し、作っては消しを繰り返していた。

『こうして対応するのも面倒くさいような発言をよくしますし、偉そうなことを言う割には何もできません。しかも本当に何もできない人に対しても失礼なことを言うわけですから、かなりタチが悪いです』

 私がどう返そうか悩んでいる間も彼は止まることなくメッセージを送信し続ける。

『それに嫌われるのがうますぎたせいで誰からも守られずにいじめられました。他の人に話しかけても誰からも相手にされませんでしたしね』

 手で打ち込んでいるとは思えない速さで連続して送信されるメッセージにようやくまとまった言葉は『確かにそうね』という一言。

『だから私は勉強をしまくったわけです』

『そりゃまたどうして?』

『最強の頭脳を持てば人は皆いずれ私に平伏するからです』

『えらく物騒なことを言うね』

『これが普段通りの私なので』

 彼のメッセージが小さな効果音と共に送られた。私の頭はもう限界を迎えかけ、ほんのりと意識が揺らいでいる。

『そうだ、今日出社前にスイートラジオに来てくれますか? まあ、七時くらいに』

『別に大丈夫だけど、どうして?』

『渡したいものがあるので』

『わかった。じゃあ一個お願いしてもいい?』

『なんですか?』

『六時半に通話で起こして』

 私はそうとだけ送りつけてラジオの電源も落とさずに布団に潜り込む。やはり朝四時から活動するのはかなり厳しかった。枕元で小さくスマートフォンが揺れる音を聞きながら、私は小さな眠りに落ちて行った。




「……ん、あぁ……ねむぃ」

 私の頭上でスマートフォンがいつもの着信音を鳴らしながらぶるぶると震えている。画面には『茂樹くん』と発信先の名前が浮かんでいた。私はすぐにそれを手に取って画面を横にスワイプする。

「優花さん、おはようございます。約一時間半、よく眠れましたか?」

「うん、おかげさまでね」

「それは良かったです。では、七時過ぎにスイートラジオにお願いしますね」

「ん、わかった。あとありがと」

「どういたしまして。では」

 彼はそう言うとさっさと電話を切ってしまった。「早く準備でもしろ」と言いたいのだろうか。でも彼を待たせるわけにもいかないから、私は布団から起き上がって下着とワイシャツを身に着けてまだ少しふらつく足で洗面所へと向かった。最低でも六時五十分に家を出なくては間に合わない。大急ぎで洗顔と保湿、歯磨きを済ませ、時間も少ないので簡単に化粧をしてハンガーラックの前に立った。そしてそこからスーツのジャケットとパンツ、分厚めのコートを手に取って着る。

「あ、そだそだ。時計も入れないと」

 いつの間にかベッドから落とされて床に這いつくばっている社用鞄を拾い上げ、中身を確認してから一番上に渡し損ねていたボストークを乗せて優しく撫でた。

 点けっぱなしだったラジオの電源を切って時計を見てみると、六時五十分ちょうどを指している。

「お、予定通り」

 そう小さく呟いて、私は玄関を出た。冬の明け方独特の痛い様な寒さに手と耳が冷やされる。なるべく大きな音をたてないようにゆっくりと鉄の階段を下りて路地に出た。弱い追い風に押されるように通りに出ると、スイートラジオに向かう県道二六一号線はまだ薄暗く、朝焼け前の澄んだ紫色の光に包まれていた。

「そういや、さっきの通話……ふふ」

 恋人みたいだったな、という感想を心に秘めて、今日こそはちゃんと渡すんだと意気込み、真冬に近付く仁方の町をゆっくりと歩く。横断歩道と車道の信号が青になったとき、荷台に建材を満載したトラックが赤いテールランプを光らせながら私を追い抜いて行った。

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