説教のクーベルチュール
店の前にずらりと並んだ行列を捌き続けること一時間、気が付けば正午も過ぎて時計の針は一時に差し掛かろうとしていた。
「茂樹くん、注文個数やばくない?」
私は大きく背を伸ばしながら茂樹くんに話しかける。長時間同じ体勢でいるデスクワークでもないのに背骨がパキパキと悲鳴を上げた。
「まぁいつもの事です」
「いつもの事って凄いね……でもどうしてそんなに在庫がいっぱいあるの?」
「大半のチョコレートは先代の頃と違って厨房にある機械を使って作っているんですよ。僕は必要な材料を機械に入れて時間を設定するだけ。それに先代が考案したレシピは全て機械化できるんです。恐らくこうなることを予見していたんでしょうね」
「予見ねぇ……なるほど」
先代は先代で茂樹くんと似たようなところがあるのかと思うと、師匠と弟子とはこうも似るものなのかと少しばかり感心してしまう。
「『将来的には機械である程度はできるようになるだろうが、奴らは全てのデータを教えないと満足に動いてくれないだろう』と、先代は言っていましたね」
「へぇ……つまりプログラムってこと?」
「恐らくその認識で間違いないと思います」
彼はそう言うとカウンターの下に置かれた小さな缶を手に取って、中からチョコレートを一欠片拾い上げて口に放り込んだ。
「ねえ、私にもちょうだい」
「ええ、もちろん」
「ありがとうね」
彼に差し出された缶を受け取り、中から一欠片取り出して口に含む。
「あ、昨日食べたやつじゃない……なんか少し甘い?」
「これは世間一般に言う『ビター』ではなく『スイート』と呼ばれるものです。カカオバターとカカオマス、砂糖だけで作っているので一番カカオ豆の味を感じられる……そうです。私はビターの方が好みなんですけどね」
「へぇ、そうなんだ」
水飲み鳥のように首を上下させて彼の話を聞き、手に持った缶から一つ、また一つとチョコレートを取り出しては口に投げる。
「優花さん?そんなに食べていると食べた分の材料費を天引きしますよ?」
「え、やだ。だってこれ商品にならなかったから個人で食べて有効活用しようってやつでしょ?」
「ぐうの音も出ませんね……でもこれも考えに考えて捻出した材料費で作られていますから、今手を止めないと本当に天引きしちゃいますよ?」
茂樹くんがすっとこちらに手を伸ばすと私ががっちりと手でホールドしていた缶は呆気なく奪い取られる。
「あー! 私のチョコが……」
「『私の』ではありません。『店の』チョコレートです」
「むぅ……」
「食べたいなら自費で買ってください」
そう言って彼は一粒取り出すと口に投げ込んでから蓋を閉めてカウンターの中に置いた。
「それよりも優花さん、そんなにお腹が空いているならお昼買ってきましょうか? 私ももう少ししたら一旦休憩の札を立てて買いに行こうと思っていたので」
「え、じゃああれ買ってきてよ、油淋鶏(ユーリンチー)のやつ」
「わかりました。では行ってきますのでバックヤードで待っていてください」
そして彼はバックヤードへと向かい、エプロンの代わりに財布を持って「じゃあ、行ってきますね」と言って店の外へと出て行った。
「あ、野菜多くないやつって言うの忘れた……」
大事なことを言い忘れてしまっていたが、「彼なら大丈夫だろう」と勝手に信じて私は彼に言われたようにバックヤードに戻ってネットニュースを眺めていた。
不意に見つけたニュースの見出しをタップする。スマートフォンの画面には大きく『中国政府、欧米諸国より巨額の賠償請求――(時事)』と少し見づらそうな明朝体が踊り、その下には件の国家主席の写真と細かな本文が並んでいる。
『二〇一九年末から猛威を振るったCOVID-19(新型コロナウィルス)による『コロナ禍』と呼ばれる一連の社会生活や経済活動への重篤な被害が収束して一年。前事務局長を更迭した世界保健機構(WHO)は新型コロナの発生源を中国と断定し、その結果欧米諸国は中国政府に対して続々と賠償金を請求し出した。』
「そろそろ中国もやばいかも……」
パンデミックが終結してから私たちの生活は以前と何ら変わりない物になった。しかし、世界の情勢は"大きく"変化した。国家間の関係や、主要エネルギーも、何もかもが。
――カランコロン
入口に付けられたベルが茂樹くんの帰りを知らせ、まもなくしてバックヤードに彼の声が響く。
「お待たせしました。頼まれたもの買ってきましたよ」
「あ、ありがとう!」
そうして彼が手に持っていたエコバッグから拾い上げて渡された紙の容器に巻かれたフィルムには『野菜たっぷり!油淋鶏弁当』と印字されている。
「え……野菜多い方にしたの!?」
「何かまずかったですか?注文通りでなかったのであれば申し訳ありませんが……」
彼はそう言いながら手のエコバッグを机の上に置いて中からサラダとおにぎりを取り出す。
「だってこれ!油淋鶏弁当語ってる癖にサラダがメインじゃん!」
「優花さん……ほんとに食生活どうなってるんですか?逆によくそれでそのスタイルを維持できてますよね」
ため息交じりにそう呟きながら「そんな与太話は置いておいて」と手を差し出してきた。
「あ、ちょっと待ってね」
私はそう言ってショルダーバッグから財布を取り出すと、そこから五〇〇円玉といくらかの十円玉を取り出し茂樹くんに渡す。
「あ、五〇〇円で大丈夫です。私も間違えて買ってきてしまったので」
すると彼はそう言って十円玉を四枚私の掌に戻した。
「じゃあ、はい」
「ちょうど頂きました。じゃあ、早いうちに食べちゃいましょうか」
「そうだね」
そう言って茂樹くんと私は向かい合って互いの弁当を口に運び出した。
ただひたすらに二人が咀嚼する音だけが響く。
「あ、あのさ……このお店って不思議な見た目してるよね……」
そう思わず声を零してしまう。
「いや、確かに傍目から見ればそうかもしれませんが……どうしていきなり?」
「いやー、ね?ちょっと気になったから……」
茂樹くんがこちらに何とも言えない不思議そうな、困惑の色が少し伺えるような目を向けてきた。咄嗟に発された言葉は後味悪く吃って(どもって)しまい、さらに訝し気な表情になってしまう。
「……優花さん、カセットテープってわかりますか?」
こほん、と小さく少々重苦しくなった空気を咳と共に払いのけた彼は丁度食べ終えたサラダを摘まんでいた箸を置いて私に聞いてきた。
「カセットテープって……昔のだよね?」
「そうですね。今はメモリカードのウォークマンももとはカセットテープを再生するポータプルプレイヤーだったんですよ」
「なるほど。まぁ今と昔は違う、と」
うんうんと頷きながら彼の説明を自分なりに咀嚼してみる。
「で、ウォークマンの機能に合わせてラジオを聴いたり、カセットに録音したりできるのがこのラジカセ……正しく言えば『ラジオカセットテープレコーダー』です。名前が全てを物語っていますね」
「それで、スイートラジオはこのラジカセをモデルにして作っているってことなんだね」
「そうですね。建基法の関係でアンテナはつけられませんでしたが……」
さっきまで意気揚々とラジカセだのカセットテープが云々と語っていたのに、妙なタイミングで落ち込む彼を見て思わず小さく笑いが込み上げる。
「ふふっ、かわいいね」
「かわいい……ですか?私からすればシンプルでかっこいいと思うのですが」
「えっ!?あー……わ、私はシンプルでかわいらしいと思うんだけど」
一瞬素っ頓狂な声と一緒に流れるように溢れ出しそうになった「ラジカセじゃないって!」という言葉を必死に抑え込んで、彼の話に合うように返答した。認識の違いでこれほど驚いたのは三十年生きていて初めてだろう。小さく横を見やると茂樹くんは何かを小さく呟きながら考え込むような仕草を見せていた。
「どうしたの?」
「いやぁ、なんでかわいらしいと思うのかなと考えていまして……そういえば優花さんは陽の者でしたね」
「陽の者……?」
「ただ過ごしていればなんとなく友達ができて、なんとなく遊んでいられるような人の事です」
要するに茂樹くんは私の事をいわゆる『陽キャ』という人種だと思っているのか?
「いや、そんな訳……」
「あるんですよね。優花さんは解ってないようですけどね……」
小さく溜息を吐くように言った彼は一度逸らした目をこちらに戻す。さっきまでの柔らかい雰囲気はどこへやら、目の奥には現在進行形で風雨に晒されてすぐさま消えてしまいそうな薄い光だけが残っている。
「わっ……私だってイメージアップ頑張ったんだよ!?」
「僕はイメージアップを図っても全て裏目に出てしまいましたよ?それが陰の者の宿命ってやつなんですよ」
「は……?」
そのままの勢いで「何言ってるの?」とまで続けてしまいそうになるが寸で何とか堪えた。
「イメージアップが報われるのが陽の側、報われないのが陰の側です」
「でもさ……」
だんだんと彼の周りに鬱々としたオーラが漂い始め、実際にはある訳がないのになぜか不思議な湿度が感じられるようになってくる。少しばかり反論しようと思ったが思い当たる節々が多すぎて何も言えなくなってしまう。
「少し待っていてください」
彼はそう言うと勢いよく椅子から立ち上がってバックヤードを出て行く。ドアを閉めるときの勢いが強すぎて、必要以上に刺激しすぎたのではと心配になってしまう。
「ちょっと……なんだろうなぁ……」
ちょうどさっき彼が通って行ったドアを眺めてから天井のライトに目を向けて床にぽつりと零した。
そしてバックヤードに戻ってきた彼の手には小さな小箱が二つ。一方はとてもかわいらしくデザインされており、もう一方はお世辞にも奇麗ともかわいいとも言えないデザインをしていた。
「優花さんは直感で選んでくださいね」
「直感……?」
「この二つのチョコレート、優花さんならどちらを選びますか?」
「私は……こっちかな」
私はそう言いながらかわいらしいデザインの箱を選ぶ。茂樹くんがそれを開けると中には小さな割れチョコのようなものが入っていた。
「では、食べてみてください」
彼に促されてそれを私の口の中へと放り込んでやる。いたって普通の、強いて言うならスーパーやコンビニで売られているような何の捻りもないチョコレートの味がする。
「うん、普通においしい」
「そうですか。では、優花さんが選ばなかったチョコレートはどうでしょう」
茂樹くんはそう言いながら私が選ばなかった方――おしゃれとは言い難いデザインの箱を開ける。そこにはアルミホイルに包まれたチョコレートが入っていた。
「では、食べてみてください」
私はそのアルミホイルに包まれたチョコレートを拾い上げると口にまた放り込む。滑らかな口どけと濃厚な甘みが味蕾を、芳醇な香りが鼻腔を刺激した。
「さっきのと比べてどうでしょうか?」
「こっちの方が美味しい……」
「そうですか。優花さんはチョコレートを、唯一与えられている情報である視覚で選びましたね。当然です、誰だってデザインの良い方を選ぶと思います。ですが、外側の箱と内側のチョコレートは別物です」
「つまり……どういうこと?」
「陽の者は、外面を強化する傾向があるんです。もし外面があれば、内面を強化するでしょう。ですが、陰の者はたいてい内面を強化します。もしかすると、外面を強化できないのかもしれないですね……だからイメージアップしたつもりでも友達ができないんです。おわかりいただけましたか?」
「なるほど……?」
なんだかよくわからなかったけれど、要するに『陰キャと陽キャの違い』とやらの説明をしてくれたのだろう。彼は説明に使ったチョコレートの箱を再度手に戻すと
「あ、昼食のゴミはそこのゴミ箱に入れておいてください」
そう言ってまたバックヤードから出て行った。私は自分の彼の弁当の容器を手に取ってゴミ箱に投げ入れる。そしてもう一度元の場所に腰掛けると、スマートフォンのロックを解除し、再びニュース本文の続きを眺めた。
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