第二章『思春期の少女の鬱屈 DISCOMFORT』

 受験直前の高校の授業は形だけのものになっている。

 うわついている。

 そこそこにノートを取りながら姫百合塔香ひめゆりとうかは思う。

 騒がしいわけではない。ただ一体になっていないのだ。

 例えば、前の席のヤツは単語帳を開いている。隣のクズは堂々と塾のテキストを広げている。

 後ろの子は寝ていた。昨日は遅くまで塾だったらしい。

 先生もしゃべるだけで誰にも質問をしない。

 この教室にはみんなの時間はない。個人の時がそれぞれ適当に流れている。まともなのは自分だけである。

 それに気づいた時、ひどく頭が重く感じた。


 そうして無意味に学校が終わる。

 後ろで寝ていた子が話しかけてきた。

「塔香はどこ行くんだっけ?」

「前も言ったでしょ、私は就職。関係ないの」

「そうだっけ? いいよねえ楽そうで。私なんかまた塾で小テストだよ、嫌んなるわあ」

 単語帳をぱらぱらとめくりだす。それで何か覚えられるようには見えないが。ただ自分の苦労をアピールしている。

 おそらく私の進路には微塵も興味がないのだろう。この話題に持っていくためのとっかかりにしただけだ。

 それからその子は延々と受験がどんなに辛いか、努力と成績の伸びがいかに比例しないかを説明していた。

 どうでもいい。

 どうせ人間なんて口を開けば愚痴か自慢。

 黙ってろ。

 あえて拒絶はしないが不愉快だ。

 頭が重い。

 融けた鉄を耳穴から流し込まれているようにどんどんと重くなっていく。頭が沈んでいく。赤熱する。

 その子と並んで教室を出る。廊下を歩き学校の正門まで行ったところで、集団で立っている生徒たちが見えた。

 その子と同じ塾に通うグループである。

 その子は「じゃあ」と短く言い足早に集団に入っていく。すぐに集団に溶け込み同化して区別できなくなった。

 塔香は一人きりで道を歩く。

 町を夕焼けの光が照らす。

 真紅の光に熱せられ、体が発熱したように火照りだす。

 熱は上に登り頭を熱する。鉄の温度は上昇する。ぐつぐつと煮えていく。

 みっしりと詰まった鉄は溶けて流れ出す。

 滅多やたらに熱を光に変換しながら灼ける。

 酸素の反応に融ける。

「……重い」

 頭の中がぐらぐらと流動する感覚と共に帰宅する。


 一人きりの家の扉を開けた瞬間スマホが震えた。

 電話だ。最近クラスメイトとはラインでの事務連絡のみ。通話してくる者となるとそれ以外の人だ。

「おお塔香、聞こえるか? オレじゃ。須田じゃ。ビッグフッドの頭皮が手に入ったんじゃが買わんか?」

 通話口の向こうから中学時代の友達の声がする。相変わらず話が唐突で主張は勝手だ。正直その性格はあまり嫌いだ。けれど離れ離れになった今では彼女のそんなところも好ましく思うようになっていた。

「いるかそんなもん」

「はっ。ならええわい。じゃあな」

 通話を切ろうとする須田を慌てて呼び止める。

「ね、少し話さない。悩み事とか今なら聞いてあげるよ」

 気になって自分の嫌いな話題をあえてふってみた。これで彼女がクラスメイトのようにみっともなく愚痴りだしたら私はどうなるのだろう。幻滅するか、ひょっとしたらこの場で激怒するかもしれない。

「なんじゃ気持ち悪い。生貝でも食ったんか」

「いや、べつに」

 辛辣な返し。でもどこか心地良い。

「クラスの人たちはさっぱり話にならなくてさ……」

 不平不満をありったけ話した。自分は今クラスメイトと同じことをしているのだと思うと少し自己嫌悪。

「塔香、お前はもうちィと空気読め」

 彼女にだけは言われたくなかった。

「そりゃただ周りと噛みあっとらんだけじゃ。一人じゃ思うとるんがテメーだけと思うな。そいつらは言わんだけじゃ。テメーと違ってな。テメーが一番みっともないわい」

 そう須田は彼女らしからぬ正論で塔香に応えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る