第三章『天に空いた廃棄孔 SKY HOLE』
真夜中は喉が渇く。
むっくりと起き上がり、台所で蛇口をひねり飲む。
隣の部屋から女の黄色い声がする。連れ込みでもしたのか。
まあ、どうでもいいか。と万年床に寝転んだ。
天井を眺めていると板と板の隙間から小人が現れた。
「貴方に恋人はいないのですか?」
丁重に、だがずけずけと小人は聞いてくる。
「……そもそも友達は? 親兄弟は? 仕事仲間は?」
枕元には読まずに放置した新聞。さらに何日も電源を入れていないPC。仕事は辞めた。親とは音信不通。
「寂しく……ないのですか? 人とつながりたいとは?」
つながりは疲れる。頭が重くなる。
小人は顎に手を当て、うーんと唸った。
「貴方は人を避けていながらその手の人間特有の世界に対する無差別な悪意がない。かと言って諦めもない。空っぽで透明。貴方の心を例えるなら……そう、ガラスだ」
小人はなにかを握りこむような仕草をすると、握った手を隣の部屋にむけてゆっくりと開いた。
『えっ』
『あ……ひあああああああ――――っ』
隣から男の悲鳴。少し遅れて女の悲鳴が聞こえた。
窓の割れる音に続き、鈍い衝撃音が響く。
「ふむ、予想外。素晴らしい」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
後ろの席の子が欠席していた。
恋人の住む部屋から飛び降りて意識不明の重体らしい。
現場も自分の家と近い。というより自分のマンションの部屋の二つ隣である。
ショックだった。
「飛び降りって、なんであの子がそんなことするのよ」
「知らないよ。あいつが勝手にやったんだろ」
放課後、塔香が彼女の塾仲間に詰め寄ると相手は戸惑った顔をしながらそう言った。
「そうじゃくて、原因は? なにか……」
「知らないよ」
群れていた中の一人が言う。
「死んだわけじゃないし。一般入試には間に合わないだろうけど、治ったら浪人でも就職でも勝手にやるだろ」
そう言い残し彼らは塾に行ってしまった。
その足取りは普段と変わりなく一人欠けていることなど、それこそどうでもいいらしい。
愕然とした。
彼らは仲間だというのに一人一人の価値は塵芥なのだ。
いや仲間ですら────。
ないのか。
「信じらんない。そんなことって」
複雑な気分で彼らの背中をにらみつけていると、
「ん?」
空が異様だ。
雲一つない青空だ。その青空になにかある。
細く、赤い線が稲妻のように走っていた。
「なにアレ……?」
糸のような線はみるみるうちに空一面に広がっていき稲妻というよりは充血した眼球のようになる。
塔香に限らず、空を見上げた町の住人すべてが共通してその現象に同様の見解を覚えた。
「割れたガラスみたいな……ひび割れ?」
瞬間、空が砕けた。
割れた裂け目から見える空間は見たこともないような毒々しい赤色をしていた。その中で、巨大な影が動く。
大きな影はパネルのように砕けた空の破片を散らし飛ばしながら天空の亀裂より這い出てくる。
見た目は葉巻型。横にはヒレのようなものが波打っている。クラゲのように透明で透き通った体表には光点が並び、ネオンサインのように明滅を続けている。
空から宇宙船でも降りてきたようだった。
『ZYEEEEEEE―――』
奇妙な音を発しながら先端を下に向ける。
その先端は巨木が軋むような音とともに、花のように割れた。開いた裂け目が赤く輝く。まるで獲物をむさぼり食った跡の獣の血に染まる口の如くてらてらと輝く。
「これは……」
その瞬間、横の車がぎしぎし軋みだすと宙に浮いた。
そのまま上空へ口の中へと吸い込まれていく。
車だけに留まらない。軋みながら吸い上げられる。
樹木が、ブロック塀が、ポストが、家屋が、塾生が。
しがみつく力のない物から順番に吸い込まれていく。
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