第八章『まるで透明になったみたい YOUR BEAT』
「ゲハハ、ゲェハハハハハ……ゲハハハハハハァッ!」
理性を感じさせない笑い声を上げながら角の巨人が何度も足を振り下ろす。
殴られ吹き飛ばされたダメージで動けないアッシュめがけて。一撃受けるたびにアッシュの体から何かが折れる音がした。
「おい! そんな、なんで。当たれよ、当たれよ!」
剣次は巨人の気を逸らそうと石を投げる。大声を上げる。
猪や六脚トカゲは釣られて剣次に攻撃をしかけているがそれらは全て剣次の体をすり抜ける。
なぜか、アッシュだけが傷ついてく。
彼だけが怪物たちが干渉しうる存在のようだった。
「クっソッ野郎がっ!」
剣次は地面を蹴った。アッシュの元へ向かう。
「ウガェ? チェ、ゲバラァ!」
角の巨人が憤怒の声を漏らし、剣次を殴りつける。
だがそれは剣次にとって何の意味もない。ワイシャツに染み一つ付けることもなかった。
「アッシュ!?」
仰向けに倒れ伏すアッシュを抱える。
肩、手足、首、頭部、両足。どこを見ても無事な場所はなかった。あちこち肉が裂け服に血が滲み、骨があるはずの場所はぐにゃりと歪む。
「マイ……僕……このくらい」
「喋るな!」
驚くべきことだがアッシュにはまだ意識があった。口を開く度に血が垂れるが、意識があるということはまだ助かる。
きっと病院に行けば―――――、
「ウブルぅふウブルぅふ――――」
「ふしゅる、ふしゅる」
「ゲバハ、ゲハハハハハハハハ!」
だが逃げようとする剣次たちに立ち塞がる怪物たち。
彼らの攻撃は剣次には届かない。だがアッシュには届く。
アッシュを守りながら逃げ切ることができるとは自信をもって断言できなかった。
「大丈夫だよ、マイ」
腕の中でアッシュが何か言っている。
「大丈夫、マイ。僕に全部任せて」
「任せられるわけねえだろうか!」
思わず怒鳴った時、異変に気が付く。
「なんだ、この匂い」
やけに甘ったるい香りが辺りに満ちていた。
正月の神社で飲んだ甘酒に似ている。匂いだけで酔いそうな――――――――いや、この香りは、桜か?
「さあて、吉野流心操術、とくとその眼で……と言いたいところだが」
眼があるのか怪しい奴もいるなあ。
公園内に突如として降ってきた声。次の瞬間、雪のように降って来たのは煙幕のような密度の桜の花弁だった。
気化したマスタードガスを連想した剣次はとっさに口元を袖で覆う。
「影に暗闇、虚無には虚像だ。全部任せろだなんてお前みたいなガキには万年早ぇ」
怪物たちが辺りに満ちた花弁に戸惑うように辺りを見回す。
「…………」
「…………」
「…………」
互いに目を合わせ数秒沈黙した後、
「「「グガラシャゴンッ!」」」
共食いを始めた。
「今のうちだ。とっとと行け」
若い男の声がした。
どこから現れたのか、気づけば隣に着流しの男がいた。
誰だ? と警戒した時、腕の中でアッシュが目を見開く。
「ミツキ……?」
ミツキと呼ばれた男は返事をする代わりに煙管をくわえた。
「え、あの……なんで」
「俺に質問するな」
突き放すようにミツキは言った。アッシュは捨てられた子犬みたいな顔をする。
「俺だってわかってねえんだ。このイカれた世界のことも。とにかくお前は疑うな。疑うと俺は消えちまう」
「それって、どういう……?」
「いいから質問するなって。それよりお前、俺に驚きすぎて傷のこと忘れてたろ? 自分の体よく見てみろ」
「え? あ?」
さっきからやけに流暢に喋るなと思っていたら、先ほどまで瀕死だったはずのアッシュの傷が癒えている。
折れた骨も、裂けた肉も、すべて元通りになっていた。
「立てるな? ならとっとと逃げろ」
「ミツキは……?」
「さあな」
肩をすくめるとミツキは乱闘する怪獣たちの中に入っていった。濃霧の中にミツキの姿が徐々に消えていく。
自分の足で立ったアッシュはその後を追おうとする。剣次は慌てて止めた。
「行かないでよ! マイが!」
「知らねえよ。俺はな」
桜吹雪の中から声だけが届く。
「だから、知ってるやつに聞けばいいんじゃねえか?」
それを最後に、ミツキは消えた。
「何だあいつ。勝手に出てきて勝手に消えたぞ」
あの男はミツキ。
アッシュと同じ桜戦線に所属しておりリーダーをやっている。
その説明を聞いても剣次には何が何だかさっぱりだった。
怪獣たちがアッシュにだけ触れられることも。
傷ついたアッシュが一瞬で完治したことも。
突然現れたミツキとやら。
行方知れずのマイ。
「説明が欲しいのはこっちだっつーの」
何となく気分が悪い。
尻の座りが悪いといった方がいいか。
不気味な、何か起こりそうという
当の本丸が見えてこない。
『アッシュ』。そして『マイ』
とりあえずこの二人が事件の中心だろうか。
「いいや。とにかく逃げるぞ。アッシュ」
「真田さん。あれ」
「あ? あ!」
公園の端に座り込むようにして、放心している者がいた。
見慣れた制服姿の女子高生。
「姫百合さん?」
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