最終章『つながり NEXUS』 

 マイクのスイッチをオフにし卓上に置く。

「……なぜ、どうやって。一人でDNA変異分析なんて出来るわけが」

 魂が抜けたように立ち尽くす平行アンゲリカ。

「一人なら。……しかし『私』、平行宇宙から来たのは自分だけだとお思いで?」

「いや、平行宇宙間の移動なんて、石がないと……」

「そうですっ。石かもしくは『X小体の元の細菌』でもないとですっ」

 ステップを踏むように足元の赤い液溜まりで跳ねるとアンゲリカは人差し指で自分の頭を指さした。

「今の私の頭には――――『X小体の元の細菌』をモデルにしたナノマシンが詰まっていますっ」

「……は?」

「今の私は、無限に近い平行世界の私たちとリンクしていますっ」

 平行アンゲリカと出会った頃から発症した謎の高熱。

 レントゲンに映った謎の脳腫瘍。

 それはナノマシンがアンゲリカの脳内に取り付いて、インターフェイスを構築する間の拒否反応。

 構築が終了した後、アンゲリカの脳はナノマシンを介して他の平行宇宙の自分と繋がった。

 ――――無限に連なる自分との巨大ネットワーク。

 フルで使えばゲノム解析ですら一瞬で終了する。

「ただ、正直他世界の私と折り合いつけるの大変でしたよ。しょーもない私もいたしっ、自分の暗黒面を見せられているようでこれがホントの痛しかゆしっ」

 ああ疲れたといった風情でため息をつくアンゲリカ。

 平行アンゲリカがうなだれる。

「……そっか、『私』たちが、ですか」

 ゆっくりと、机にもたれかかる。床の赤い血だまりを見て、それから顔に手を添えた。涙が頬を伝っていく。

「どうしたものでしょう――――」

 流れる涙をぬぐう。しかし後から後から流れる雫。

「全部終わって……たった一人、残ってしまいましたよぅ」

「一人じゃないですよ」

 いつの間にか、小屋の扉が開いていた。誰かが部屋にいる。

「……ヨ、お」

 真田剣次だ。ただ動きがぎこちない。

「ひサシぶり、と言うべきだ、ナ」

 その不審な様子に涙も止まってしまった平行アンゲリカ。

「あー、わからンか。その、急造デ、インターフェイスが、安定しナクて」

 剣次の目の中で、紫と茶色のマーブル模様が揺らめいた。

「髪、切ったンダな。あの貞子みたいなストレートロングから。まあそっちノがいい」

「……なんで、前の髪型のこと」

 短髪のアンゲリカの、不思議そうな声。しかし何かに気が付いた。


「今剣次サンの身体を、私の脳内のナノマシンと同じものがインターフェイスを形作っています。その人格は人間。――――あなたの世界の住人で」

 あなたの世界からのお迎えです。

 平行アンゲリカの顔が歪み勢いよく、剣次の胸に倒れこむ。

「何で!? 崩壊する地球も見たし、何度試しても、そっちの世界に戻れなかったのに――――」

「……あー、それは、だナ」

「あなたの世界の住人たちは全員別の異次元空間に飛んでいたそうです。ほらあなたの話題にもいたでしょう。黒の巨人と、――――銀の巨人」

 地球が崩壊する寸前で、銀の巨人は再び地球に現れたらしい。巨人は黒の巨人と同質の次元跳躍能力で全人類を、あらゆる平行宇宙と関わりのない異次元に転送した。

「その……結局、銀の巨人の正体って……?」

「さあ……? 便宜上『天から降りて来た者たちグリッター』とだけ呼ばれています」

 安住の地を得た人類は、ただ一人はぐれたアンゲリカを探すためX獣の分析から開発したナノマシンを使用した。

 しかし、人間そのものを送るのは無理だったので意識のみを送り込んだ。

「平行宇宙を絶えず飛び回るあなたを見つけるまでこんなに時間が……って、いいかげんに離れてくださいよっ」

 顔を近づけ、見つめ合っていた二人を引きはがすアンゲリカ。

「じゃあ、そろそろ剣次サンに体を返してくださいっ」

 剣次ががくりとうつむくと、顔や目や鼻からマーブル模様の液体が滑り出た。

 平行アンゲリカの掌にぽたりと落ちる。ゴムマリ状に丸くなる。

「私の脳内インターフェイスによりますと、そのゴムボールはアナザー私を連れ戻しに来たんですよね?」

 ナノマシン同士を融合してフルに能力を使えば、彼女は元の世界の人類のもとへとジャンプできる。

 その一回のジャンプでナノマシンは焼き切れて、使用不能になるが、

「……どうします? 異次元世界とやらがどんな場所かはわかりませんが?」

 平行アンゲリカは掌のゴムマリを眺めた後、大きく息を吸い込んで、

「―――もちろん! 行きますとも!」

 二ッと笑い合う、鏡像の二人。

「さすが私、カッコいいですねっ」

「……んん? う、がぁ」

 剣次が寝起きみたいな声を上げて起き上がった。

「何だ? 何がどうなった?」

「剣次サン今回いいところありませんねぇ」

 平行アンゲリカの掌のナノマシン群が輝き始める。

 形を変えて、螺旋を描いていく。

 彼女の身体に沿って、くるくると巻き上がっていく。

 まるで光の羽衣のよう。

「……迷惑かけました」

「いいですよっ。いろいろ中々ない体験でしたっ」

 全身が光に包み込まれる。その中で平行アンゲリカがくすりと笑った。

「……いろいろ見て来た平行宇宙の私の中で、あなたが一番騒がしいですよ」

「んむっ!?」

 アンゲリカの顔が変な風に歪んだ。

「フフ、もっと上品になりましょうね。――――さよならっ」

 光の粒子に包まれたかと思うと、少々の風を巻き起こし、彼女は消えた。

 この宇宙から。

「……俺にはどっちも変わらんがな」

「な~にほざいてんですか、とっとと帰りますよ剣次サンっ」

「え……? あの状況で?」

 小屋の外ではネクストとX獣群が壮大な怪獣プロレスを展開していた。通信してきた四川の言う事にはネクストが電磁場を操作し発生させたスーパーセルで自衛隊も近寄れないのだとか。

「さー、この中抜けて帰りますよっ! 徒歩でっ!」

 車なんぞ既に吹っ飛ばされてスクラップになっていた。

「え? 歩き……?」


 結局、危険域を超えた辺りで待機していた自衛隊に捕まった。

 しかし、四川あたりが機転を利かせたのかすぐに貸し切りバスで帰れることになった。ちなみにネクスト対X獣軍団の戦闘は一時間ほどで決着がついたらしい。

 決まり手はネクストの広範囲毒ガス攻撃。毒というのは成分などの組成の幅が非常に広く、例えX獣に毒耐性があったとしても初見の毒なら普通に死んでしまうらしい。

 そんな顛末を聞きながらバスに揺られる。既に夜。夜景が瞬く。

「じゃあ、お前や俺の頭の中のナノマシンは全て破壊されたのか?」

「そ、全ナノマシンがアナザー私を異次元に送り込むのに使われたからですねっ。残骸は後日排出されるでしょうっ。糞便でっ」

 もう、平行世界の誰とも繋がってはいない。

 あの短髪のアンゲリカは、無事に仲間たちの元へ行けただろうか。

「……剣次サン、あのマーブルナノマシンが入ってた時の記憶はどうです?」

「あ? まあ、寝起きの夢みたいな感じでな」

「じゃあ何が起きていたのかの説明はいりませんねっ」

「そうだな。……ああ、いや。聴きたいことが一つだけ」

「? なんですかねっ? なんでもどうぞっ」

「俺のナノマシンの人格ってのは誰だったんだろうな?」

「はぁ? ……わかりませんでしたか?」

 肩を竦めて呆れて物も言えないといった風情のアンゲリカ。

「悪いかよ。わからんもんはわからねえ」

「じゃあ、わからないままでいてくださいバーカっ」

「……なんだお前、そりゃ」

 剣次が何か言いかけた時、アンゲリカが思い出したようにポツリと、

「そうだ。剣次サン。ストレートロングってどう思います?」

「あ? そうだな日本人形か貞子みたいで気色悪いかな」

「ですよね――っ!」

 そこから話題はとりとめもない雑談へと逸れて行く。

 二人が映る夜の車窓。幾つもの明かりが過ぎ去っていく。

 ――――そのどれもが、自らの照らし出す世界を抱えながら。






『終わり』

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