第九章『戦の前 SUNRISE』

「アンゲリカっ」

 急いで病院に駆け込んだ剣次。既にロビーは避難する人々で一杯だ。かき分けながら階段を上がっていく。

 ぐらり、と大きな地響きがしたX獣が地上に降りたらしい。足音が聞こえてくる。

 ――――ズン!

 足踏みでガラスが一斉に割れた。人々は身をかがめて身を守る。

 アンゲリカの病室の階に上がるとX獣の背中が見えた。目の前を鞭のようにしなる尻尾が揺れている。よく見ると二又に分かれていた。

 再び足踏みによる衝撃。上階にいるので拡大されている。思わず足を取られ転んでしまった。

「あ……さっき来てた方」

 顔を上げると目の前に看護婦がいた。剣次と同じように這いつくばっている。

「アンゲリカはっ?」

「そ、それが……いなくて」

「……は?」

 思わず威圧的に返してしまった。看護婦が委縮してしまう。

「ほ、ホントに……気づいたらいなくて……さ、さっきまでは一緒だったんです! 目を放してなんていないんです! あたしの視力は一・五です!」

 途中から看護婦の言い訳など聞いていない。病室に走り込んだ。

 剣次が見たのは散乱した見舞いの花瓶と、果物、そして空っぽのベッド。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 病院から離れた公園。

 出現したX獣の足音が響く。が遠くなっていく、離れていくらしい。

 誰もいない公園にふらふらと女が一人歩いてきた。貫頭衣で裸足のまま、腕には点滴を無理矢理引きはがした跡。血が滴っている。

 女、アンゲリカは木製ベンチに崩れ落ちるようにドカリと座り込んだ。

 大きく息を吐いて、目の上に腕を置いて苦し気な呼吸をする。

 そんなアンゲリカの前に立つ人影。こんどは男だ。

「――――来ましたねぇ」

 背中をくの字に曲げて男の方を向いた。男の顔は逆光で隠れてよく見えない、

「まだだいぶ辛いですが……かなり『慣れまし』た。それで、持ってきてくれたのでしょう?」

 男が両手を差し出す。乗せられているのはUSB、データディスク、紙束。

「もうちょっとまとめて欲しかったです」

 男がうつむく。その瞳は紫と茶色のマーブル模様。

「モう。時間は、少なイ。マニあうのか?」

「――――私だけでは無理です。文系ですし」

 アンゲリカは懐をまさぐってスマホを取り出すと男に投げ渡した。

「鳴ったら『私』のいるところに来てください。終わらせます」

 頷く男。向きを変えるとゆっくりと歩み去った。

 後に残されたアンゲリカ。ベンチに寝転がるとぐうと腹が鳴った。

「……お腹がすきました」


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 夜の寺。リビング代わりの本堂で岩魚と対面する。

「それで結局見つからなかったのですか」

「まあ、そっすわ」

「警察は?」

「一応」

「で、この時間ですか」

 置時計に目をやる岩魚坊主。

「まあ、彼女のことです。何の連絡もよこさないままということは無いでしょう。ひとまずは帰りなさい。それとも泊っていきますか?」

「……すんません。そうさせてもらいます」

 よろしい。と岩魚は立ちあがりTVの電源を入れた。ニュースをやっている。

『都内に出現した生物は、自衛隊による避難及び誘導により臨海副都心……』

 現在のX獣の様子が映る。大空で旋回を続けている。

「飛んでるだけで、暴れねえっすね」

「まあ暴れない方がよいのですが。それにしてもこの件に関して四川さんが全くのノータッチというのも気にかかりますね。あの人は今何を――――」

 緊急速報がニュースに割り込んできた。スタジオが一瞬騒然とする。

 しかし、すぐに落ち着きを取り戻すとキャスターが一息ついて読みあげた。

『先週と昨日出現した生物と同一種と思われる生物が、米国ウィスコンシン州マディソン近郊に――――』

「――――三体目、っすね」

 米国からの中継映像に剣次が呟く。五大湖の一つ、ミシガン湖を大波を立てて横断する巨大な鼠のような生物。周囲を米軍のヘリが跳ぶ。

「攻撃しないんすか」

「日本の情報が行っているのでしょう。それよりも――――」

 この事態に対する日本の対策本部にて記者にコメントを求められる女性。

 フラッシュを遮りながら屋内に入っていくのは平行アンゲリカだ。

「彼女が偽物。本物は病院から失踪中とは……信じがたいですが」

「でも、それが本当なんだ」

 うつむいて、静かに語る剣次。それを横目に岩魚は片眉をあげた。

「今日の所はこんなものにしましょう。素麺でも作りますから食べて寝なさい」

 岩魚がTVを消して台所の方に歩いていく。残された剣次は障子を開け放ち庭に降りた。

 この寺の庭では大葉が自生している。元は持ち込まれたらしいが今や完全に野生化し大量増殖しているのだ。

 二三枚千切り取って素麺に入れようと思った。

 靴下を脱ぎ裸足になって庭に降り立ち群生地を探して辺りを見回した剣次が目を細めて――――見咎めた人影に一言。

「……何やってんだお前」

 アンゲリカが両手いっぱいに紙を抱えながらコソコソ歩いていた。

 貫頭衣で。スリッパのままで。

「あーっ、剣次サンだーっ! 紙でよく見えないんですけどねっ! 声でわかりますよーっ! やっはっさーっ!」

 スリッパをペタペタさせながら近づいてくるアンゲリカ。どうやら回復しているらしい。服を着ろよと剣次は思った。

「いやずっと腹減ってたしっ、財布もないしっ、金なし暇なし甲斐性なし、結構毛だらけ猫灰だらけ私はみんなに申し訳っ、みたいなっ。そんなわけで私は」

「わかったもういい黙れ」

 さほど重要そうな話でもなさそうなので黙らせた。それよりも、

「――――何で、病院を飛び出したんだ?」

 質問する剣次の顔を見て、神妙そうな調子でアンゲリカは両手を差し出した。

「これまだ持ってますっ? 受け取ったのでしょうっ?」

 アンゲリカの両手に抱えられているのは、あの紙飛行機の山。



 庭での大騒ぎに岩魚がやって来てそこでまたひと悶着あったりしたがそれはそれ、本堂にアンゲリカを迎え入れ皆で揃って素麺をすすりながら紙をよくよく確認した。

 よく見るとそれは見覚えのある紙。あのストーカー男が投げていた。

「……なんなんだこれ?」

「まだ何とも言えない所なんですがねっ」

 アンゲリカはそう言いながら折り紙を広げていく。

「情報コードですね。内容はどれも似たようなものですが」

 岩魚も紙切れを眺めて言う。確かに中身はすべて同じ一とゼロの羅列。何かのプログラムだろうか。

「X獣……」

「そうです剣次サン。私はこれを解読しなければなりませんっ」

「そうは言うけどお前にできるのか? それに体調は?」

「体は元気花マルっ、――――それにあの高熱も必要でしたっ」

「……それってどういう?」

 いつの間にかアンゲリカがTVをつけていた、アメリカのX獣の続報。五大湖畔の工場地帯を襲撃している。

 ミルウォーキーに避難命令が出された。

 やはり日本のX獣とは見た目が違う。

 皮を剥がれたネズミのような姿。それに手足には小さな水かきがついている。

「どういうことだ? X獣は複数いるのか?」

「アナザー私も言っていたでしょうっ。X獣は種族全体で情報を共有するのですっ。米国ではあの姿が最適解だったのでしょうねっ」

 あれもまたX獣。個体名は『フェルノス』だそうです。

 とアンゲリカはまた聞きのような曖昧な表現をした。そのことに小さな違和感を感じつつ別の質問を重ねる。

「自衛隊にいる『お前』は――どうする気だろうな。X獣退治が目的なんだろう?」

「準備しているんでしょう――――怪獣退治のねっ」

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