第八章『近づくなにか NIGHT RAIDER』
眠ったらしいアンゲリカを病院に運んだ。
看護婦がベッドに寝かせた瞬間、目を開ける。
「……――――よう」
ほんの少し逡巡してから声をかけた。
「病院だ。あまりにも体調悪いんでな。無理しすぎだ」
「そう、ですか」
アンゲリカは潤んだ目でぶつぶつと言葉を発する。
「模様を――見ていました。暗い所に線が現れて、渦を巻いて、模様ができて渦巻きで、ぐるぐるぐるぐる」
うわ言だろうか、下手に返事をせずしたいようにさせる。
「渦が喋ります。何かを話しかけて来るんです。るりらるりらるりら。模様が渦になって、渦が言葉になって……」
「共感覚ってやつかな」
適当に返事をするとなぜか安心したらしく再び瞼を閉じた。不思議と呼吸もやや安定している。
その渦巻く模様の世界でも見ているのだろう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
記者会見から四日過ぎた。アンゲリカは意識を浮き沈みさせたまま。四十度近くの熱にうなされている。
医師によると何らかの脳炎に似た症状のようだ。昨日のCTの結果。
「脳の海馬体から前頭葉にかけて、数か所に腫瘍らしき影ができています。何かは特定できませんが――――」
「何が起きているんだアイツに」
軽い苛立ちを覚えながら病院を出ると、足元に紙飛行機。
広げると、例の怪コードである。
「こんな所まで……!」
紙切れを握りつぶす剣次。
病院のロビーではX獣に関するニュースを患者たちが見ていた。
紅殻町から東北地方へと飛んでいるらしい。自衛隊は静観している。
それもそうだ。攻撃を加えれば耐性を身につける上にコピーして反撃してくる怪獣にどう攻撃しろというのか。
『下降する円と株価』のところで目線を外すと、
「やっはーっ」
柱の影に、小さな体。金髪のボブカット。
平行アンゲリカだった。
「『私』、風邪ひいていると聞いてますけど? 大丈夫ですか?」
場所に似合わない笑顔。いや、アンゲリカだっていつも笑顔だった。
今は違う。
「――――何の用だ」
苛立ちからつっけどんな口調になってしまうが相手は気にも留めない。
「いやそろそろ剣次サンの部屋から荷物も引き払うのでご挨拶に」
「……アレか」
再びニュース画面に目をやる、今はX獣の空撮映像だ。
「自衛隊のお偉いさん方と合流することになったんですよ。泊まる場所も用意されました。今までありがとうございました」
ぺこりと頭を下げる。その姿を見ると脳裏に浮かぶアンゲリカの姿。
そういえば、アンゲリカが倒れたのは平行アンゲリカが現れてからだ。
「お前、――――何が目的だ?」
「なんでしょねっ?」
不思議そうな顔をして首を傾げる平行アンゲリカ。
「お前が現れてから、アンゲリカは倒れた。死ぬ可能性だってある」
「……ほ? それで?」
「反対にお前はアンゲリカの名で自衛隊に取り入ってどんどん勢力を伸ばしている。これでX獣を退治すればお前の地位は完璧だ」
「ほうほう?」
「そしてお前がアンゲリカとして成りあがっていくと邪魔になって来るのは本物のアンゲリカだ。しかし本物のアンゲリカは明日死ぬかもしれない。……あまつさえ――――」
先ほどの紙片を取り出して勢いよく見せつけた。
「こんなストーカーじみた精神攻撃であいつを追い詰める!」
「えー……それは私関係ありませんが?」
「……え、そうなの?」
あっさりと否定されて勢いが抜けた剣次。じゃあこの紙片の正体は何だ。
「まあいいですよ。――――それで? そこからどんな結論を?」
「お前は、本当はこの世界のあいつに成り変わるつもりじゃないのか?」
「はぁあ? 何それ面白いですね――っ」
一瞬呆けた後に大笑いを始めた平行アンゲリカ。腹を抱えている。
剣次としては気勢がそがれてしまった。外してしまったらしい。
「はーずーれー、ざーんーねーんーでーしーたー」
バカにするように大笑いされると恥ずかしくなってくる。こそこそと背中を丸めて逃げることにした。
背後から煽るように平行アンゲリカが続ける。
「他にも考え付いたら教えてくださいね――っ。私は何時でも連絡待ってますよ――っ」
平行アンゲリカの声を無視してバス停へと向かう剣次。
途中、病院の関係者たちとすれ違う。
歩く寝間着の子ども。付き添いの看護師。語らう松葉杖の女性。病室を見上げる男。
眺めながら道を渡りバス停に着いた。次は十分後らしい。
道の向かいが病院の前庭だった。あの患者たちが一人、また一人と病院内に帰っていく。
――――――一人だけ男が残った。男はそのまま病院の駐輪場へと歩いて行く。
感じる違和感。あそこにいたのは患者か看護婦ばかりだと思ったが、なぜ今の男は私服だっただろうか。男が見上げていた視線の先の病室は――――――――――――アンゲリカの部屋。
嫌な予感がして走った。道路を横切って駐車場へとたどり着く。ここからもアンゲリカの部屋が見える。男の手には紙飛行機があった。
「おい」
剣次が男の首根っこを掴んでフェンスに押し付けた。
「何をしている。あの病室の入院患者に何の用だ」
男は無表情だ。ただ視線だけを上の病室の窓へと向けている。紙を奪い取る。
「あの紙を投げ込んでんのはお前か? 答えろよ」
男の目玉だけがぐるんと剣次に向いた。その眼腔内は、紫と茶色のマーブル。
ぎょっとして身を引く剣次。男が静かに呟く。
「X獣、まタ、来るぞ」
途端に男の目玉が盛り上がる。目だけではなく、耳、鼻、口、から紫と茶色のマーブル模様をしたナニかが垂れ下がり、液状となって地面に落ちた。
男の身体は急に弛緩し、膝から崩れ落ちる。紫と茶色のマーブル液はスーパーボールのように纏まって――異様に早い尺取運動で、傍の排水溝に消えた。
男の身体を再び起こすが無反応だ。呼吸をしているから死んではいない。
「それより、今のは――?」
と突如、背後から強烈な閃光。背後からだというのにその明るさに思わず目を覆う。すぐに視力は回復したが、振り返って驚愕する。
「な? X獣……!」
空でX獣が羽ばたいていた。確かX獣は東北地方に移動したはずではないのか。
「まさか……もう一体!?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
自衛隊の車両で移送される平行アンゲリカ。車内ではTV速報が流れていた。
「何が起こっているんだ?」
自衛隊幹部が不安そうな声をあげた。平行アンゲリカはいたって冷静に、
「戦っても勝ち目はありません。今まで通り不干渉でお願いしますね。ただし避難は迅速に」
頷くと端末で連絡を取り始める自衛隊幹部。平行アンゲリカはうつむき顔を隠すと―――――にやりと笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます