二章『眼Q UNKNOWN』

 夜になった。

 おおかたの人は船で寝て、一部のモノ好き(アンゲリカだ。怖いと言いつつ好奇心に負けた)が灯台で寝ている。

 剣次けんじはさんざん迷って灯台で眠ることにした。

 自分だって好奇心の男である。

 寝袋を広げながら考える。

 実感がわかない。ひょっとしたらここで人が死んでいるかもしれないというのに。命の危機が迫っているような気がまるでしない。赤の他人だからか、痕跡がないからか。

「なんか落ち着かないな……」

 灯台の冷蔵庫からもってきた牛乳ビンをくるくるともてあそぶ。ビンの表面は茶色く汚れていて見つけたのはいいものの飲む気がしなかった。

「もったいないけど。まあいいか」

 えーいっ、と窓をあけてビンを外に放り出した。

 ビンは放物線を描き海のほうに飛んで闇の中に消える。

 次の瞬間、外を閃光が走り一瞬目がくらんだ。

「灯台の光、復旧したのか」

 たしか発電機は生きていたので船の燃料を補給して動かすとか誰かが言っていた。

 再び、目の前を光が横切る。

 光に目が慣れてしまえば周期的に回る光で視界が広がるものだ。

 波間をぷかぷか沖に流れる牛乳ビンも見えた。

「けっこう飛んだな……ん」

 ビンの付近に変なものが見えた。

 波とは違う光の照り返し、ヌメヌメしていて粘液で覆われた白濁した球体が見えた気がした。

「……なんだ」

 光が通り過ぎたことで暗くなり見えなくなったが、あれは眼球ではないのだろうか。

 もう一度、見えないか。今度こそはっきりと。

 あの真っ黒な海の中に―――――。

 再び光が通る。

 なにもない。ただ波に揺られるビンがあるのみ。

「気のせいか」

 視線をそらしかけた時、ひときわ大きな波にビンがどろりと飲み込まれるのが視界の端に移った。目を再び外に向ける。

 穴が開いてもいないのに、二度と浮かんでこなかった。

「…………………寝よう」

 寝袋の中にもぞもぞと入り込んだ。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 次の日から本格的に調査が始まった。

 剣次は船の上で機材を運んでは黒い海に落としたり引き上げたりしている。具体的に何をしているのかは知らないが、何かの役には立っているのだと思いたい。

 アンゲリカは小さな体で甲板やら船室やらを走り回り、カメラで写真を撮りまくっている。昨日の夜は一番泣いて騒いだくせに一番ぐっすり寝ていたのも彼女だった。

 どうにも彼女には人に愛される天性の素養があるようで船で唯一の外人であるにも関わらず壁を作らずむしろ周りの人間が寄っていくという状態である。

 うらやましい。

 仕事がひと段落したらしく船室で休んでいるように言われた。

「それってやんわりと追い払われたんじゃないですか」

「うるせえ」

 船室内にいたアンゲリカと二人で置いてあるモニターを眺めている。

 モニターに映るのはひたすら黒い世界。ときおり泡が見える。

 退屈だ。

「えー、退屈だ。とか思ってそうな剣次サンのために説明しますと。これは無人探査艇で深海を撮影しているんです。深海探査ってのはわりと毎回新種生物が見つかりますからねー。退屈なんて言ったら怒られちゃいますよ」

「……思ってねえよ」

 ライトで映し出される深海はやはり黒いままで展開したマニピュレータ以外なにも映らない。

「…………」

 深度千メートルを通過する。

「なにも出ないぞ」

 正直な感想を述べた。がその時。

「なにか映りました!」

 画面にモスグリーンの大きなものが映りこんだ。

「寄せてみます」

 アンゲリカが操作盤をいじり探査艇を平行に移動させる。

 かなり大きい。質感はぶよぶよとしていて胎動する様子はまるで心臓のようだった。さらに画面が移動する。

 ライトが曇ったガラス玉のような物体を映しだすと、ソレがこちらを認識した。

 ぎろり、とこちらを睨みつけ光る瞳孔がきゅうと閉まる。

 これは、眼球か?

「なんだこいつは」

 大丈夫なのか、とアンゲリカに視線を送るが不安そうに首を傾げられるだけであった。

 画面端から、ドクロのような頭をした魚が現れる。

 口をアゴが外れたのかと思うほど大きく開けて、

 バキン! とマニピュレーターを噛み砕いた。

「おい、大丈夫なのか!」

 ドクロ魚はその機械の腕を数回くわえると去っていく。

「たしかに危険そーですね。浮上させます」

 画面はゆっくり上昇していくが、カメラは次々と集まってくる異形の生物たちを映し出していた。

 段違いのサイズのミジンコ、ヒレの生えたエビ、触手を垂らしたエイ。

 そして最後に苔色のカタマリが画面をも巻き込む水流をだしながら上昇していった。

『……け――くれ。誰か……いないか――』

 突如、甲板から助けを呼ぶ内線が入る。

 剣次は我に返ったように立ち上がり甲板に飛び出した。

「大丈夫かっ! ――……何これ」

 いつのまにか船を黒い霧が覆っていた。

 異様に黒く、それに硫黄かススのようなにおいが立ち込め、ノドにべったりと煙が張り付くような感覚がする。

 水蒸気になった油が漂うようなこの感じは、

「光化学スモッグ……」

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