十章『集結 STANDBY』

 午後十時の池袋。

 暗闇の都市。

 つい先日まで絢爛たる光を発していた夜を知らぬ街はまるで一瞬にして滅びてしまったような静けさに包まれていた。

 電気の供給が遮断された街に時折発砲音が響いている。

 やがてビルの影からぬっと、


 —―――爛々と輝く円盤が現れた。


 電波獣『レイラニ』である。

 全長三十七メートルの巨体でありながらまるで綿毛のようにふわりふわりと浮遊し暗闇を遊泳する。

 怪獣は灰色のクラゲにも似た笠から垂れる短い触手を揺らしながら夜の街を移動し続けていた。

 その周囲には数機の武装ヘリが旋回を続けているが時折射撃を行う以外に手を出す様子はない。なぜなら彼らにはこの怪獣を倒しうる決定打がないからだ。

 絶対的攻撃力を持つ電磁砲攻撃機レールガンシップイーロアス英雄号』は既に堕ちた。

 怪獣もそのことを理解しているからか周りを飛び回るうるさい羽虫を一々撃ち落とそうとは考えはしないらしい。目的もなく浮遊しているように見える。

 既に狙われていることにも気づかずに。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 真っ暗な街。だけどあたしにはまだ明るすぎる。

 放棄されて久しい商店の隅っこに閉じこもり、膝を抱えて真田鉈根さなだなたねは思った。

 レイラニの発する光も、自衛隊の投光器も先天性白皮症である彼女には明るすぎた。極端に明かりに弱い身体を守るために彼女の身体には他の仲間の誰よりも厳重な装備が施されている。

 これさえ着ていれば日中も日差しの下に出られるが嫌いなものは嫌いだ。

 光は嫌いだ。

 外も嫌いだ。

「それでも、やることはやらないと……」

 ブツブツと呟きながら服に装着されている機械のツマミを弄り波動を放出しし続ける。先ほどからそれを繰り返す。

 放出された波動は空間に作用し、空気の薄い地点、濃い地点、大気圧を把握する。池袋一帯を静かに制圧している微細波動によりここにいる生命体、起こっている現象をざっくりと感じ取ることができる。

 視力もほぼない彼女にとってこれは周りを探り理解する生活手段でもあった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 騒乱を遠くからじっと観察している男がいた。

 そこは都電荒川線の線路である。自衛隊によって既に退避命令が出ているので電車に轢かれるようなことはない。

(それでも、あまり居たくない場所だな)

 普通は線路上には立ってはいけないというルールがあるのだ。

 ルールは守りたい。

 ルールなのだから。

 深編笠を被り蓑で体を覆っているという何よりも前時代的な格好をしておきながら男、真田一矢さなだかずやはそんなことを思っていた。

一矢かずや、配置には着きましたか?』

 突如、耳元でささやかれるような声が聞こえてくる。

「ああ、目標地点には立っているよ。大方そっちの事情も把握した」

鉈根なたね……いるよ』

『こちら鞘香さやか。問題なし』

弓絵ゆみえだ。勢子セコの雑魚散らしもほぼ終了したと言っている』

 彼らは互いに全く別の地点にいながらまるで隣に立っているかのような精度で会話ができる。彼らの間だけで通じる特殊波長を飛ばし合って対話しているのだ。いわゆるモールス信号などの既存の信号とは全く別物なのでたとえレイラニに探知されても意味がわかるはずもない。

「さて、整地は終わったってところかな……」

 彼ら四人が現在いる位置を上空から見ると、ちょうどレイラニと自衛隊の戦闘地帯を四方に囲むように配置されているのがわかるだろう。

 そう、彼らは単純にレーダーとしての――――、



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「電波獣『レイラニ』が浮上を開始した。射程範囲に入るぞ」

 ビル群に囲まれた路地の一つ。屋台が立ち並ぶ路上でリモコン型の機械を弄りながら真田鞘香さなださやかはそう報告した。

 実際言語を発しているのではなく特殊な波長を飛ばしているのだがそれよりも目を引くのはその服装。女でありながら関東軍の軍服に身を包む姿は時代錯誤で町からかなり浮いていた。

「お疲れ様~鞘香ちゃん」

 唐突に気の抜けた声が鞘香に投げかけられた。

 面倒くさそうに鞘香がそちらに目を向けると真田刀樹さなだとうきが歩いてくるところだった。

 十八歳の少年でありながら雰囲気はひどく老成していて、ブランド物でソツなくまとめた現代風のファッションをしておりながら声の抑揚や所作の一つ一つが実年齢と剥離しておりなんともアンバランスな印象を相手に抱かせる。

刀樹とうき、それはどこで拾ってきた」

 鋭く威圧的な目を細めて、鞘香は睨みつけた。

「ああ、この服? そこで適当に見繕ってきたんだ。ほら、僕らってあんまりこういうお洒落な町って来ないじゃない。着てみたら気に入っちゃった」

 ぶつけられる圧にもどこ吹く風で答える。

「今まで着てた作務衣は?」

「代わりに店に置いてきた」

「…………仕事をしろ。勢子セコとしての」

 鞘香を含めたレーダー役の四人はレイラニの捕捉にリソースのほぼ全てを割いているのでそれ以外についてはあまり把握できない。レイラニ以外は精々『どこ』に『何人程度』いるかがわかるくらいだ。

 そのために刀樹たち勢子セコがいる。

 作戦遂行にあたって邪魔な自衛隊たちを引き付け、可能なら始末する役目だ。

「って言ってもね。僕の場合は動く必要もないからねェ」

 ゆらり、と刀樹の背後から人型の影が首をもたげた。

「この子たちに任せてるからね」

 刀樹の背後に立つソレは一見ただの女性に見えた。

 中世風のドレスを着た金髪の乙女。だがスカートの裾からちらりと見えたものは明らかにミミズの尾。よくみれば指には水かきがついている。

 さらにマンホールの蓋を吹き飛ばしてもう一匹。

 テラテラとナメクジのような光沢のあるワニが現れた。通常と違うのは左右の腹の位置から五本ずつ足が生えていることである。

「このあたり一帯は彼らが守っているから安心さ」

 刀樹の手に握られているのは雫の滴る小瓶。彼のポケットにはソレがはち切れんばかりに納められていた。

 彼は人好きのする微笑みを浮かべ鞘香に手を伸ばす。

「ね? 役目なんて彼らに任せて僕らはそこの店でタコ焼きでも……」

「そうか。なら安心だ。だからお前は黙って立ってろ」

 鞘香はその手を無情に払った。



見張り役ムカエマッテ真田一矢さなだかずや……男、免疫不全症候群

見張り役ムカエマッテ真田鉈根さなだなたね……女、先天性白皮症

見張り役ムカエマッテ真田鞘香さなださやか……女、???

《装備》『アグドマギ』……見張り役に共通の通信装置。とある音波星人の技術の流用



勢子セコ真田刀樹さなだとうき……男、人為的に発生させた解離性同一性障害

《装備》特殊瓶『ヂイヌ』……いわゆる怪獣カプセル。試験管などの小型の容器に怪獣を封じ使役する。武器と言うより技術。



【ウェールズの乙女】……カプセル怪獣。人間に擬態するワームの一種。足を除けば人と見分けがつかない。なお歯、爪に毒腺あり。ウェールズ地水系で発見。

【多摩の青鰐】……カプセル怪獣。多摩川上流で発見。品種改良され家畜化されている。体組織を液状化させ体をゲル状に変化させ音もなく近寄り不意打ちを行う。最新の研究では宇宙怪獣である可能性が浮上している



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 今や誰もいない高層ビルの屋上。

 真っ暗になった街を遥かな下にその空間ではただアンテナが風に揺れていた。

 どこかから常に聞こえる銃撃音に混じってドォン、と火薬が炸裂するような音が響く。

 次の瞬間、誰もいないはずの屋上に一つの人影が現れた。

 西洋風の甲冑をまとった男である。

 転落防止の欄干を乗り越えて男は悠々と中に入って来る。ちょうど最高点になるところで着地したので下の地面を蹴りぬいた時のような轟音は発生しない。

 男はジャンプで四十階もの高さを飛んできたのだ。

「…………」

 男は辺りを見回しながらふらふらと屋上を歩き回る。

 その動きはどこか電波の受信しやすい場所を探すアンテナを思わせた。

 何かを探すように辺りを見回していた男はある地点で顔をあげる。

「……ここだな」



鉄砲撃ちブッパ真田盾則さなだたてのり……男、健常者。梨矛とは夫婦

《装備》『タテ』……とある甲冑星人の甲冑。全身に超振動をまとわせ、その振動部位同士を打ち付けて衝撃波を発生させ更に体の末端から指向性衝撃波として放出できる



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 時を同じくして池袋駅前広場。

 数分前まで自衛隊地上班がうろついていたこの場所は既に無人になっていた。

 いや、一人だけ立っている者がいる。

 裃を着た女性である。体の軸のしっかりした凛としたたたずまいから武家の奥方を連想させる。

 彼女の名は真田梨矛さなだりほこという。

 その傍らには巨大な機械が立っていた。

 見た目は地面をボーリングするための掘削機に似ている。

 ただし似ているだけで通常のボーリングマシンとは違い絶えず蒸気を吹き出しながら無数のピストンが上下している。さらに表面にはなにやら古代文字じみた紋様が描かれており遺跡から出土した文化財のようにも見える。

「こちらの準備は完了していますよ。ねえ、あなたもそうでしょう。盾則たてのり……」

 どこかへ向けてメッセージを送る梨矛。

 その傍らで機械がより一層蒸気を噴出して――――、



鉄砲撃ちブッパ真田梨矛さなだりほこ……女、特異な遺伝形質を持つ。盾則とは夫婦

《装備》『テクリケヤシ』……広範囲に継続して強力な低周波を放つ。主に地面に打ち込む形で使われる。とある反重力宇宙人の技術。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ここは戦場のどこか。

「自衛隊の排除は順調に進行中、把握された人影の内、七割の除去を確認済み」

「そうか」

「『タテ』、『テクリケヤシ』。ともに配置完了しました。作戦の発動待ちです」

「そうか。んで、ヤツに動きは?」

「サンシャイン通り周辺を少しずつ移動、警戒行動かと思われます。周囲に数機の武装ヘリが飛んでいますが作戦の障害にはならないかと」

「相手は宇宙怪獣だ。目を放してたスキに大気圏外に逃げられるなんてことはないようにしろよ」

見張り役ムカエマッテが戦闘範囲外にて警戒しています」

「だろうな……」

 二人の人物が会話していた。

 一人は小柄な老人。至る所に深いシワが刻まれているがその眼は異様に光っていて老いを感じさせない。その姿は数百年生き抜いた老獪な狼を連想させた。

「……――――カカカ」

 なにかが軋むような特徴的な笑い声。

 背負った村田銃を持ち上げて数発空砲を放つ。

「楽しいな弓絵ゆみえ。場の流れは俺様たちにある」

「始まる前からはしゃぐのはどうかと思います。頭目シカリ、いえ、銃造じゅうぞうさま」

 背後に立つ女性が浮足立つ老人を咎めた。

 色あせた帝国陸軍の制服を着た女性である。大学生くらいの年頃と思われる。芯の強そうな黒髪を肩口で揃えている。

 老人には弓絵。と呼ばれていた。

 彼女は笛を唇に当て時折吹いているが、その笛が音色を奏でることはない。

 その笛は音がしないのだ。

 ではその笛で何をしているのかは見た目で当てられる者はいないだろう。

「盾則と梨矛に連絡しろ。――――出番だ。とな」

「了解」

 弓絵が一際大きく、笛に空気を送り込んだ。



見張り役ムカエマッテ真田弓絵さなだゆみえ……女、甲状腺異常。自他ともに認めるいわゆる『勤勉な無能』であり殆どの決定権を他者(主に銃造)に託し自身は補佐に徹する

《装備》『アクドマギ』……『見張り役』の共通装備


頭目シカリ真田銃造さなだじゅうぞう……男、健常者。盾則の父

《装備》『村田銃』……ただの猟銃



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 屋上に立つ甲冑を着た男。真田盾則さなだたてのりの雰囲気が変わった。

「…………」

 溢れんばかりの闘気を発しながら構えを取る。

 姿の見えない敵と相対しているがごとく、一歩、右足を踏み出す。左足を左後方へずりり、と移動させる。同時に腰を落とし両の腕を腰に添える。


 ――――ビイイイイイイイン!


 レイラニが発していたのと似た音が鎧から発せられていた。

 大気が歪み、陽炎のごとく姿がブレる。

 盾則はその状態から勢いよく右の拳を放った。


 ――――ド!


 鈍い音が大気中に響き渡る。

 その拳より放出された衝撃波は街中に拡散していきそして――――



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 全長三十メートルを超える怪獣。レイラニが池袋の街並みを観光でも楽しむかのように浮遊していた時――――――突然、隣のビルが爆ぜた。

「…………ガピッ」

 そのビルは真ん中程からぽっきりと割れ、そのまま砕け散りビル一個分というガレキの大質量が怪獣に襲い掛かった。

「ガッ、ガピガガガガガガガガッ!」

 コンクリと鉄筋による雪崩が降り注ぐ。

 その物量に抗うことは出来ずに地面へと叩き落されていく。

 次の瞬間、レイラニが落下していく先の道路が爆竹でも仕込まれているかのように次々と爆裂した。

「ギッ!?」

 爆風に吹き飛ばされ、放置されていた車を押し潰しながらごろごろと道路を転がっていく。そしてその巨体を追いかけるように連鎖爆発が起こる。

 気づけば街全体が地震でも起きているかのようにぐらつきだし、街中あちらこちらで下水管が破裂し水柱が吹きあがった。

 爆発はもはや地面や建築物を媒介とすることなく空間そのものにも発生している。

 見えない爆弾による空爆が行われているかのように大気が急激に膨張しレイラニを滅茶苦茶に攻撃した。

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