第2話・未玖

星子は名前についてるくらいだからって理由で星が好きで、だから天文部に入って来た。星子とはその頃からの付き合いで、結局もう十年近く「付き合い」を続けてる。一年後輩だった星子は今年二十五になって、星子曰く「普通のOLとして普通に働いている」、らしい。働く事に普通なんて無いわと私が言ったら、それは確かに未玖みたいな仕事してれば普通になんて働けないけどね、と笑って返された。私は宇宙工学の研究をしている。だけどそれがなんだっていう話だ。職業に貴賤は無い、星子は今の会社の前はキャバクラで働いていて、それを随分引け目に思ってるみたいだった。「だって私女の人しかだめなのに」。男を相手にする職業を、星子は引け目に感じている。綺麗だったのに、美しかったのに、星子は店を辞めて「やっと」事務職に就いて「ほっとした」。「未玖に釣り合う私になれたかな」。そんな風に笑うあなたは美しくも綺麗でも可愛くも無いと思った。だけど星子が好きだった。十年近く、好きなままだった。

「結婚したいの」

未玖のものになりたいの。

星子はずっと、つまらない事ばかり気にしている。私と自分を比べて、みじめだ、と感じているようだった。

「どんな形でもいいの。未玖の、お嫁さんに、なれればいいの。二人でウエディングドレスを着たいの。エンゲージリングが欲しいの。結婚指輪をしたいの。未玖の姓を名乗りたいの」

「星子。あのね」

「だめなんて言わないで。ねえ、お願いだから」

その懇願に、私はそれでも拒絶を示した。星子は癇癪を起していろんなものを私に投げつけて、そして三日家出した。友達の所に泊まってれば、そう思ったけど、星子は私にはよくわからないような、それでも一晩を過ごせる所で三日の間の夜を過ごしたらしい。ネットカフェ、ファミリーレストラン、スーパー銭湯。星子は生きる術を知っている。強かな人だ。そう思う私を、星子は、燃えるような目つきで見つめていた。私はきっと、星子の理想の私では無い。

君は普通とは違うから。よく言われる事だ。君は特別だよ。よく言われる事なのだ。星子にも言われる。未玖は普通とは違うから、未玖は特別、未玖は凄いね。私にそう言う時の星子は、なにも、綺麗じゃなかった。私はそういう星子の事を愛してはいなかった。星子は、どうして自分を損なうような考え方をするのだろう。星子は私が好きな人だ。ずっとずっと星子が好き。だけど、星子は、私を嫌う。私を好きでいる。揺れている。縋っている。突き放して、戻って来る。不安定な星子。その様は、それでも、愛らしかった。

「ただいま」

星子は帰って来て、お風呂に入って、一晩眠ると、どうにも形だけでも私のお嫁さんになる事にしたらしかった。毎日ご飯を作って待っていてくれたり、家事も私がやる前に全部してしまって、だけどそれは家政婦と変わらない、私は思った。私は星子を愛してるし、星子を幸せにしたいと思ってもいる。だけど、でも、星子は、こういう事を望んでいるのだと思うと、私には無理だと思ってしまった。私に星子の事を幸せにしてあげる事はできない。そういう考え方は、違う、わかっている、わかっているのに、私は、星子を、いつの間にか下に見ていたのかもしれないと思った時、もうおしまいにするべきだとちゃんと考えたのだ。

考えたのに、私は星子を手放せない。星子が私の側にいてくれるから、どうしても、出ていって、別れて、と言う事が出来ない。甘えている。愚かな恋だ。星子と、きっと、あの頃――制服を着ていた頃は、幸せな恋をしていたのに。

二度目の問答の果てに、星子は、静かに泣いた。そして諦めた。家事も、ご飯を作る事も、気が向いた時だけにするようになった。私も、気が向いた時にはしている。家は少し汚くなったし、外食も増えた。だけど、別に、それでいいと思っている。会話は減った。だけど二人で星を眺める時間は増えた。寄り添う時間が多くなった。それだけで、私は。

「ねえ、みじめなの、一生。……背負ってね」

この子は私の隣でずっとずっとずっとそうやって生きて行くのだ。そして私は星子を解放してなんてやれないのだ。

愚かしい。

隣に座る星子の足先を見る。きゅっと握られた指から、ふっと力が抜けた。星子は泣いていた。私にその涙を拭う資格は無い。だけどキスをする強引さは持っていた。星子の唇を食んで、私は、どうして私達は恋に狂う事すらできなかったのだろうと、そればかりを思っていた。

馬鹿に慣れればよかったのにね、お互いに。囁いた声は、届いただろうか。星子の唇には、うっすらと歯型がついてしまっていた。

ごめんねと言えない私の事を、星子は何と思うだろう。私は、どうなのだろう。自分勝手な私を、許してほしいと、思うべきなんだけど。星子、それでもね、私は、あなたが愛しているあなたを愛していたんだよ、そう伝える事ができないのだった。

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星を食む 梨水文香 @FumikaNasihmizu

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