星を食む

梨水文香

第1話・星子

ずっと未玖が好きだった。だけど私は未玖には釣り合わないと思ってた。私はどうしようもなく平凡で、平凡以下で、だから未玖みたいな凄い人には似合わないと思ってた。未玖がどれだけ私を愛してくれてたって、私は未玖を純粋にはもう愛せなかった。いつまでも制服姿のままでいられれば、子供のままでいられれば、また違ったのかもしれない。でも私達は大人になってしまった。私は勉強もスポーツもできない、その場凌ぎがちょっと上手いだけの私のままで、対する未玖は才能を生かして学者になった。未玖の事が眩しかった。羨ましかった。——妬ましかった。ずっと未玖の事が好きなのに、私をみじめに感じさせる未玖の事がずっとずっと嫌いだった。

「未玖、お帰り。ご飯できてるよ」

「星子……ただいま」

疲れ切った様子の未玖は二日ぶりの帰宅だ。出て行った時と同じ服。目の下のクマが濃いから、また寝ずに籠って、それで同僚か誰かに帰れって蹴りだされたんだと思う。ご飯何、とふらふら私に近寄って来る未玖に、今日はポトフ、と告げる。お疲れ様を労わるにはこういう料理が良いと思ったのだ。

「味見」

「はいはい。熱いからね」

「ん……ん。美味しい」

ソーセージをひとかけら口に運んであげると、未玖はほんのり笑顔を顔に乗せた。着替えておいでよ、もうすぐだからね。言えば、未玖はうんと頷いて自分の部屋に引っ込んだ。

ルームシェア、じゃない。私が居候だ。この部屋は未玖が借りてる部屋で、広々とした2LDKである。私と、未玖の部屋があって、程よい距離感で私達は暮らす事が出来ている。お家賃は折半、じゃない。生活費とかは、入れてるけど。殆ど未玖持ちだ。未玖は私に贈り物をするのも好きで、私はありがとうと笑うけど、その度に笑顔が引き攣っていないか不安になる。私は未玖の恋人だけど、対等、じゃない。これじゃあ付属物みたい。みじめ、みじめ。

「星子、ビール飲んでいいー?」

「冷えてるよー」

「あーありがとう……愛してる……」

旦那かよ、妻かよ、女同士で。わらっちゃう。

「私も愛してるよー」

お皿とか持ってって、頼めば、未玖はちゃんとフォークも一緒に持って行ってくれる。星子も飲む?聞いてくれるけど、私は明日も朝からお仕事だよ。未玖はどうなんだろう。いつも通りなら、明日はまるまる一日眠ってる筈だけど。不定期で、でも安定した仕事をしてる未玖。派遣で事務の私。分不相応の暮らし、私は未玖のおこぼれでこの生活をしている。

「持っていきますよー」

コンロの火を消して、鍋を持ってテーブルに向かう。未玖が置いておいてくれた鍋敷きの上に鍋を乗せて、蓋を開ける。ふんわりと湯気が立って、コンソメの匂いが部屋に満ちた。

「美味しそう。いただきます」

「はい、召し上がれ」

私達は良い恋人同士だろう、この十年近く、喧嘩もしたけど、きちんとその度に仲直りをして一緒に過ごしてこれた。けど。でも。

このまま。私、未玖のおまけのままで。

「美味しい」

未玖の声にはっとする。違う。私は未玖が好きだから、それでも好きだからここにいるのに。未玖のおこぼれだって、いつか、並び立てたらって。そのために、頑張って行こうって。馬鹿な事ばかり考えて。今日の私はおかしい。

喧嘩して、仲直り、したじゃない。

「星子」

「なに?お代わりは自分で取ってよね」

「星を見よう」

行こう、未玖はいきなり立ち上がって私の腕を引いた。何、言っても未玖は聞かない。部屋の電気を消して、ベランダに出る。

「見える?あれがオリオン座なのはわかるでしょ」

「それしか見えないよ」

東京の空はネオンに眩しい。私は目も悪いし、部屋の電気を消したくらいじゃろくに星は見れない。

学生の頃、未玖とは沢山星を見た。天文部だった、出会ったのはあの埃っぽい教室だった。まだ二人して制服を着ていた。短いスカートの私と、膝の隠れるスカートにタイツまで履いてた未玖。真面目で、お堅くて、優等生で。それで誰より綺麗だった。星なんて別にたいして好きじゃなかった。名前が星子だから、入りたい部活も無かったから、適当に楽そうな所を選んだだけ。でも、未玖がいたから、辞めなかった。未玖が、好きだったから。

「見えるだけでも綺麗だよ」

好き、だった、から。

「だめなの?」

言葉は自然に零れ出た。今まで未玖と過ごして来た色んな景色が思い浮かんだ。こんな空は綺麗じゃない。だけど未玖と見るから綺麗に見える。その事を忘れたくない。ずっと憶えていたい。未玖と特別になれた事を後悔なんてしたくない。未玖と、まだ一緒にいたい。

「やっぱりだめなの?未玖」

「……星子」

未玖の声はいつも通りだった。いつも通り、前と同じ。

――それはだめだよ星子。

「ねえ、やっぱり結婚しようって言ってくれないの?」

「できない事をしようとは言えないよ……」

「できなくないじゃん。色々、やりようはあるでしょ?」

家族にはなれるじゃん、私が言ったところで、未玖は頷いてはくれない。可哀そうなものでも、見るような目で、私を見る。

「お願い、ちゃんと、未玖のものにして。じゃないと私、いつまでもみじめだよ……」

「星子、それは」

諭すみたいに言わないでよ。思うのに声にはならない。唇はきつく噛み締めた。

「それは、きっと私達が結婚しても。星子はいつまでもみじめなままだよ」

――みじめ。

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