第5話
その姿を見つけた時、わたしはとうとう泣きだしてしまいました。隠れる事も忘れていちもくさんに駆け寄るわたしに、ルビーも、他の少女たちも気付いたようでした。
「ルビー!」
「サファイア!?」
けれどそれよりもルビーの元に行きたくてわたしは足を動かしました。飛びかかるようにしてルビーに抱き着くと、ルビーは私を抱きしめ返してくれました。けれどそれも一瞬、他の少女たちから逃げるようにわたしはルビーに手を引かれ、二人でずっとずっと走りました。ようやくルビーが足を止めた頃にはわたしはもうへとへとで、その場に座り込んでしまいました。ルビーが周囲を警戒しながら、サファイア、わたしを青い顔で見下ろしました。
「あなた何をしてるの、みんなあなたを探してるわ。もう少女じゃないって――」
「やめて!」
わたしは遮るように叫び、そしてルビーの手を縋るように握りました。ルビーの手はいつも通りに温かくて、けれどこの体温すら、わたしは忘れてしまうのです。
「ねえルビー、あなた真っ赤な女の子よ。他の誰でもないわ。あなただけ、あなただけが真っ赤なの。わたしそんなあなたの事が好きよ。……だけどわたし少女じゃなくなったらあなたを忘れてしまう」
わたしはもう少女ではありません。神さまがそう言いました。ここは、ここはクレイドルです。神さまの管理する少女の揺り籠、わたしたちはみんなで夢を見ているだけで、夢から醒めれば少女の思い出を全てここに置いて、大人にならなくてはなりません。わたしにはそれが耐えがたい。いつかきっと大人になる、そんな事ずっとわかっていました。いつかママと会えなくなるのが寂しいわ、そう言った日だってあります。けれどこんなに、引き裂かれる程に辛いものだなんて思ってなかった。わたしはルビーを忘れたくない。ルビーの全部を憶えていたい。ルビーの隣に、あり続けたい。それだけなのに、それは絶対に叶わないのです。
「ルビー、わたし夢から醒めたくない。あなたとずっと一緒にいたいのに……!」
「サファイア」
ルビーがぺたんと座り込んで、わたしの頬に手を添えました。ルビーの手に導かれて、ほんの少し上を向いた顔、その唇に、ルビーの唇が重なりました。キスは一瞬のようで永遠のようで、けれど多分、二秒くらい。わたしたちには、もうそんな時間しか残されて無かったのです。
「ルビー……?」
「……泣かないで。笑ってるあなたが好きよ」
ルビーはその指でわたしの流した涙を拭いました。わたしたちは、約束なんてできませんでした。忘れないとも、また会おうとも言えないまま。
「あなたみんなのうちのひとりなんかじゃない、私にとってはたった一人の」
伸ばした手は、光を透かしていました。
眩しくて目を瞬かせていたら、かつん、ヒールが床を鳴らす音がして、柔らかい印象の女の人がこちらを見下ろしていた。
「――おはようございます、気分はどうですか?」
「わかりません……私、なんで泣いてるかな」
女の人は白衣のポケットからハンカチを取り出して私に貸してくれて、私が泣き止む頃にはお母さんがベッドに来てくれた。ちょっと寝ているうちにお母さんは少し年をとったみたいで、あなた七年もここで眠っていたのよ、とほんの少し涙混じりに私を抱きしめた。
私はお母さんが持って来てくれた服に着替えて手続きを済ませて、その日の内にクレイドルを出る事になった。クレイドルの門を出て、タクシーに乗り込む時、ほんの少し袖が引かれるような、そんな感覚がして立ち止まった。どうしたの、お母さんに聞かれて、私は答えに困る。私は夢を見ていた。それは知っている。地球の女の子はそうして少女の時間を過ごすのだ。だけど私は、どんな夢を見ていたのだろう。幸せな夢は、見れたのだろうか。
「お母さん、私、クレイドルに大切なものを忘れて来たのかもしれない……」
「……少女はみんなそうなのよ」
お母さんはそう言って笑って、行きましょう、私を促した。私は結局タクシーに乗って、振り返らずに七年ぶりに家に帰った。だけどずっと、クレイドルの事が気になっていて。私は女にしては珍しく学校に入り直して大学まで出て、医師免許を取るとクレイドルに医者として、今度は少女たちを管理する側としてその施設に戻った。
今日はその初勤務日で、かつん、あの日聞いたようなヒールの音を響かせて私は歩いていた。クレイドルには女の職員しかいない。少女を預かるのだから当然だ。地球の人口は年々減っているけれど、それでも少女の眠るクレイドルはとても広い。少女の数も相当の数だった。それに合わせて、クレイドルには職員もそれなりの数がいる。同僚の顔と名前なんて十人憶えたら偉いわよ、と先輩には言われたけれど、たとえきりが無いのだとしてもできるだけ憶えていきたいと思っていた。
ずっと何かを探している気分だった。まるで自分が欠けてしまっているようで、その欠片を探しているような、そんな感覚がずっとある。私はだから、知らないものを知る事が好きだった。私を一時でも埋めてくれるようだったから。だけど何も、誰も、私の空虚を埋めてはくれなかった。私には何かが足りない。それがわかってるのに、何が足りないのかはわからない。ずっとずっと、そんな調子で。だからなのか、私はいつだって寂しかった。誰かに隣にいてほしい。そう思い続けている。いるだけで、誰にも隣には来てほしくない、そうも思っていた。
私の隣は、たった一人、あの子だけの。――だけどあの子って誰?そういう風に、私の思考は止まる。鈍い頭痛を伴って、あの涙にまみれた朝を思い出す。私はどうして泣いていたのだろう。何を――誰を求めているんだろう。いつになったら、諦められるのか。そんな事を考えながら、歩いている時だった。
目に入ったのは揺れる赤だった。長い髪を結う赤いリボン。私は赤い色がなんでか好きで、いつだって目で追ってしまう。思わず伸ばした手が、誰かの髪に触れた。
「あ」
「え?」
通り過ぎようとしていた、同僚なのだろう、女性が立ち止まる。ナースなのは服装でわかった。初対面の人に無礼な事をしてしまった、私は慌てて手を引っ込めた。
「その、ごめんなさい。ええと、素敵な色ね」
「ありがとう。昔からなんでか好きなの……嫌だ大丈夫?あなた泣いてるわ」
え、私は驚いて目元に手をやった。なんでだか、まったくわからないのに、あの日と同じように涙が零れて仕方が無かった。
「ごめんなさい、わからないけど……わからないけど、なんだかとても、嬉しい気がして」
声を出す事もままならない程、私の涙は溢れていった。そんな私を抱き寄せて、そのナースは泣かないで、と優しく私の涙を指で拭ってくれた。
「私もなんだか、あなたには笑っていてほしいわ。ねえ自己紹介しましょう、私諏訪桃香っていうの。あなたは?」
「……南佐波」
綺麗な名前ね、そのナースは――桃香は言って、これからよろしく、と笑ってくれた。それは花が綻ぶような、そうでなければ星の零れるような、少女めいた笑顔だった。
クレイドル 梨水文香 @FumikaNasihmizu
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