死に装束で闊歩せよ

梨水文香

第1話

レース。

白いブラウスはレースで縁どられたとっておき。ボタンも白で、つやつやした貝で出来ている。スカートは白いフレアスカート。ちょんと足首が出るくらいがちょうどいい。お化粧は控えめに。リップだけ、明るいピンク。わたしと摩弥の、お気に入り。

深夜わたしは家を出て、鍵をかけたらその鍵をぽいと玄関の前に落とした。「いってきます」は誰に言うでもなく、誰かに向けるでもなく、ただ文字で書くとしたなら「逝って来ます」。

わたしは摩弥と、旅に出る。

「待った?」

摩弥は白いワンピースを着ていた。何度かデートで見た事がある。膝丈の、黒いボタンが、ダルメシアンみたいでかわいい開襟のシャツワンピース。リップはやっぱり、わたしとおんなじ、ピンク色。

「待ってない」

「良かった。もう行く?何か食べてく」

「食べてこ。最後の晩餐」

「なにそれ」

「世界の終わりに乾杯しようよ」

「なにそれ!」

わたしたちは笑いながらかつこつヒールを鳴らして歩く。白い、白いわたしたちは、夜の街にぼんやり浮かぶ月みたい。実際は、ネオンのすべてに、消えるけど。

摩弥は肌が白くて、きれいな耳の形をしていて、それが映える黒髪のボブヘアーがすごくかわいい。声はちょっと低くて、でも身長も低いから、王子さまにはなりそこなった、よく言う。だけど、みんな摩弥に恋をしたし、摩弥はみんなを好いていた。なりそこなったのは、わたしの方。ミルクティみたいな薄茶の髪も、ブラウンシュガーのような目も、摩弥より小さな体も、白い肌も。お人形みたい、お姫さまみたい、言われてきた。そのたんびに笑って、そんな事ない、ありがと、しつこいよって、言ってきたけど。わたしは、摩弥の、王子さまになるって決めたんだ。ガラスの靴も、ティアラもドレスも、なんにもいらない。摩弥の手を引ける強い腕があれば、それでいい。

「最後の晩餐って、何食べたい?お肉?ハンバーグ、好きでしょ」

「摩弥は、甘いのがいいでしょ。パンケーキ、ワッフル、パフェ、ケーキ?」

「ファミレスにしよっか」

摩弥の手がわたしの手の甲にこつんと触れる。わたしは、すっと摩弥の腕に懐いて、自然に手を繋いだ。おんなどうし、恋をしてしまえば、手を繋ぐにも演技が必要だ。

ファミリーレストランに入って、わたしは目玉焼きの乗ったハンバーグを、摩弥は苺のパンケーキを注文する。それから、ドリンクバー。わたしはアイスティーで、摩弥はオレンジジュースを取って来て、細いストローをさして少しずつ吸い上げる。ストローは、赤と白の縞模様で、白い部分に、ピンクの口紅がついてしまった。あとで直そう、お手洗いで、ひっそり、準備をし直そう。

一緒に、ハンバーグと、パンケーキが運ばれて来た。わたしも摩弥も、ナイフとフォークを手に取って、いただきます、挨拶をする。きちんと、躾けられたから、わたしも摩弥も、手を合わせる。わたしと摩弥は、育った環境が似ているから、価値観が近い。踏み込めば、金銭感覚が似ている。だから、擦れない。ぴったり、滑らかに、撫でるように、わたしたちは付き合ってこれた。

ぷち、音を立てて、ナイフを刺した黄身が崩れて、ハンバーグを包む。ソースをたっぷりつけて、一口頬張る。薄く延ばされた、ハンバーグは、どこでだって美味しいから好き。摩弥も、カットされた苺と一緒にパンケーキを頬張って、幸せそうに目を細くしていた。

「ソース、ついてるよ」

「どっち?芽依から見て、右?左?」

「左側」

摩弥は、細い指で口端についた苺のソースを拭って、その指を少しだけ迷って舐めた。いけないね、笑うので、いけないわ、わたしも笑った。悪い子に、なりましょう。そういうつもりで、ここにいる。

摩弥の小さな耳に、真赤なピアスがついているのを見つけて、どうしたの、それ、と尋ねてみる。摩弥は、最後にしてみたかったの、と髪を耳にかけて、小さな石を見せてくれた。柘榴石。こぶりな、光の加減だと黒く見えるような、雫型のピアスだった。

「いいな」

わたしが、ぽつり、呟くと、摩弥は、芽依は、だめ、と、言った。

「芽依は、体に穴を空けたら、だめ」

なんにも、傷の無い、芽依でいて。摩弥の言葉に、わたしは、つまらなくなって、摩弥のつま先を蹴飛ばした。

すっかり食べて、わたしたちは電車に乗った。疲れているふうのおんなのひと、やけに楽しげなおとこのひとたち、ミニスカートの学生の向かいには、男の子。ふたり寄り添って、手を繋いで、揺られている。

摩弥が、こつ、と、わたしの手の甲に、手をぶつけてきた。だから、わたしは、目を閉じて、摩弥に寄りかかって、手を握る。寝たふりは、上手なの。でもやけに息が、苦しくて、胸が大きく動いてしまう。わたし、女優じゃないから、やっぱり下手。摩弥は、ぎゅうと、わたしの手を掴んで、離さず、電車に揺られていた。

電車を降りて、潮風の吹く街に降りれば、もうすっかり夜中だった。

いちども、だれにも、声をかけられなかったのは、きっとヒールのおかげだと思う。わたしたちは、まだ高校生だけれど、きっとずっと大人に見えただろう。

わたしたちはかつこつと音を鳴らして舗装された道路を歩いた。車なんて一台もいないから、真暗闇の道だ。ぽつりぽつりと電灯があったけれど、星の光が良く見えた。

「芽衣、見て、神社がある」

摩弥が見つけた神社は、海辺に、ぽつんと、ちいさなお社を持っていた。わたしたちは、お社の前で立ち止まって、神様にさよならをした。わたしたちは、神様の所には、行けない。どんな神様も、仏様も、マリア様だって、わたしたちを拾わない。わたしたちは、罪人になる。ふたりきり、手を繋いで、どこまでも、どこまでも、償いの道を歩いていく。

砂浜に降りると、わたしたちはヒールを脱いだ。歩きにくくて仕方なかったのだ。片手に靴を、もう片方の手を繋いで、波の飛沫のかかるような海辺を歩く。夜の、黒くて、冷たい海。きっと痛くて、苦しくて、辛いと思う。わたしは、髪を結っていたリボンを解いた。そのリボンで、摩弥とわたしの、手首を結ぶ。

「いこ」

一歩、波に、足を踏み入れる。刺すみたいに、切り裂くみたいに、冷たい。摩弥が、遅れて一歩をついてきて、そして、わたしを抱きしめた。

「だめだよ」

キスをする。最後のキスだ、わかってしまった。摩弥、いやよ、わたしひとりになりたくない。唇も、体も、いらないわ。ただ、恋人と呼べる距離だけ、このままで。

リボンがほどける。きっと、かわいく結んでしまったから。

摩弥が、わたしを、突き放した。

「芽依はさ、死んだら、だめだよ」

ざん、波の音がする。わたしは、摩弥の手を力の限り引いて、抱きしめた。ひとりで、なんて、許さない。わたしと、一緒じゃなきゃ、こんな海には置いて行かないわ。一緒じゃないなら、わたしたちは、ひとりきりに、なるしかない。たったひとり、これから先も、生きていく。

「かえろっか」

波打ち際に、二人倒れ込んで、最後のハグ。お別れが済んだら、帰らなくちゃならない。びしょびしょのまま、二人でさいしょの電車に乗って、来た道を戻った。あさごはんにも、寄らずに、駅で別れる。じゃあね、ばいばい。またねの言えない、お別れを済ませた。

おうちに帰って、玄関ですぐさま叱られた。お父さんは、かんかん、お母さんは、さめざめ、泣いている。いつまで子供のつもりなんだ、お父さんが言うから、わたしが、もう大人よ、一緒になるひとくらい選べるわ、言い返すと、殴るみたいにぶたれた。飛んだわたしと、お母さんの悲鳴。お手伝いさんの、止める声。カアカア鳴いてる、鳥の群れみたい。

「あのこ以外なんていらないわ」

わたしが呟くと、お父さんは、もういい、反省しなさい、ぴしゃりと玄関を閉めた。あのこ以外いらないのよ。何度も、何度も繰り返した。あのこだけだわ、あのこと死ぬわ、あのこじゃなきゃいやよ、一滴も涙なんて出なかった。ただ、ただ、もう、摩弥の名前を呼べない事が、さみしくて仕方が無かった。

卒業式が、もう近い。摩弥はもうすぐ、お嫁に行くし、わたしも、遠く無く、お婿を貰う。そうして、ばらばら、昔の話にされて、わたしたちは、今生きているのに、恋を昔の話にされて、過去の、いっときの過ちにされて、はなればなれに、もう二度と、会えやしない。

ねえわたしたち、あそこで、人魚姫になれればずっと良かった。摩弥は酷い、わたしはすっかり、あなたに胸を刺されるつもりでいたのに。短剣を、握らせて、この手で動かしてやればよかった。波の冷たさを思い出しながら、わたしはぼんやり、摩弥の名前を仕舞い込んだ。ああ、さよならね、わたしは、お父さんの怒鳴り声でも、お母さんの涙でも、これっぽっちだって悲しくはならなかったのに、急に何故だか寂しくなった。きっと摩弥が、どこかでわたしにさよならをしている。さよなら、だから、わたしは、わたしたちは、心の中で繰り返した。大好き。大好きよ。永遠になれないわたしを、あなたを、許してね。

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死に装束で闊歩せよ 梨水文香 @FumikaNasihmizu

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