第七話 無双のその先

「なにもいきなり蹴らなくたって……」


 採取した薬草で傷の手当をしながらさわがいった。

 親子二人暮らしの庵のなかは質素で、壁の棚には徹山が焼いた陶器がずらりと並んでいる。


空心流くうしんりゅうの極意は空なる心……だそうだ」


 二の腕に包帯を巻かれながら一馬はぼそりとつぶやく。


「空なる心……?」


「おれには気負いがあった。早く上達して奥義にたどりつきたい。父上のような無双の剣客になりたい……そんな焦りや力みを父上は見抜いたからこそ、厳しい叱責をくださったのだ」


「無双の剣客になったとして……」


 さわはそこで言葉を切った。

 刹那、沈黙がわだかまる。

 一馬はさわの瞳をみた。

 いいたいことはわかっている。無双の剣客になったとしてなにになるのか。


「…………」


 一馬は三角布に通した己の右腕をみた。


「そこから先はわからん。でも、いったん志した道はあきらめたくない」


 一馬は立ちあがると壁際の棚に足を向けた。さわもその隣に並んで徹山の陶器の見事さを愛でる。


「きれい」


 さわがそのひとつを手にとって感嘆の声を漏らす。


「かの宮本武蔵も書画骨董をよくしたという。一流に通ずれば、別の境地も開けるものとおれは思っている」


「……そうだといいけど」


 一馬はさわの口ぶりが気になっていた。なにかをいいたそうだが、いえないでいるようだ。


「……わかっている。おれはまだまだ未熟な剣士だ。一流にはほど遠いし、ヘタすれば無駄飯ぐらいの凡夫で終わる生涯だってありうる」


「……もういかなくちゃ」


 気まずい空気にいたたまれなくなったのか、さわは葛籠を担ぐと庵の外にでた。

 陽は西に傾き、空が曇天につつまれている。この雲行きだと今宵は雨になるだろう。

 一馬はふと、父のことが気になった。確か雨具は持っていかなかったはずだ。


蓑笠みのかさを貸そうか」


 曇天をにらみながらさわにいう。


「大丈夫。山だし娘の足は速いから」


 さわが自嘲気味にぺろりと舌をだす。


「かたじけない。世話になった」


「……さっきのことだけど」


 去り際にさわが振り向いていった。


「心を空にすることなんてできるのかしら?」




   第八話につづく

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る