第五話 隠神



 縮地ノ術とは――

 半身に構え、左足を一歩前に出した姿勢で前方に倒れ込む。

 その瞬間、後ろの右足を素早く前足の踵に打ちつけて加速をつけ、一気に距離を詰めるという体術である。


 予備動作がないため、相手には動き出しの拍子タイミングがつかみにくい。この業で相手の懐に入れば短刀でも仕留めることができるだろう。


「これが空心流の奥伝でございますか?」


 若干の不審を覚えて一馬がいった。確かに難しい業だが秘伝というほどではない。

 江戸剣壇で無類の強さを誇った父の空心流には奥義がある。

 その実態はわからぬが一馬は一度だけ目撃したことがあるのだ。



 二年前――

 辰峰の地に流れ着く前のこと。

 旅の剣客親子は脇街道で野盗に襲われた。

 その一人が槍遣いで、柄の長さが二間、刃長が一尺という尋常ならぬ長槍であった。

 帯には鎧通ししか差さぬ徹山の、これは圧倒的に不利な戦いと一馬には思えたのだが――


 野盗の槍の切っ先が届くか届かないかの微妙な距離を保ったまま、徹山は鎧通しを抜いた。

 刹那――

 野盗が倒れたのある。

 父がなにをしたのか一馬にはわからなかった。

 六尺(約180センチ)を超える野盗の大兵の体の陰に隠れて父がいかなる業を駆使したのか見えなかったのだ。

 野盗は息絶えていた。

 一馬は父に訊いた。

 父・徹山は短くこたえた。


隠神おんしんを遣った」




   第六話につづく

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