二章 異世界の歓迎

異世界の法-1

 水菜は、外の喧騒で目が覚めた。


 思っていたよりもふかふかのベッドから起き上がり、近くの窓から外を見る。


 日差しをまんべんなく部屋に招き入れる窓の外。そこは年季の入った石造建築の建物の街並みで、正面には大きな港にいくつもの船、そこを行き交う大勢の人々。そして、広大な海が視界いっぱいに広がっていた。


 日本では映画でしか見ないような珍しい風景だが、それだけならまだ常識の範囲内の光景だ。


 だが、外を見た水菜は思わず頭を抱えた。


 なんか蟹がいた。すげえでかい蟹が、縄に繋がれ、それを毛のない熊みたいなのが引きずり運んでいた。


 さらによく見れば甲冑やらローブを着ている冗談みたいな恰好をした連中も見え、中には加えている葉巻に手から火を出してつけている者もいた。


「きゅい」


 さらに、このまえに見たひれのついた猫みたいな生き物が、窓の花台にちょこんと座り、なにかを要求するように水菜をじっと見つめていた。

 

「……まあ、夢じゃあないよね」


 この摩訶不思議な世界の名はラメール。


 水菜がいた世界とは別の、いわゆる異世界というやつだ。ひょんなことから同級生に海に突き落とされ、この世界へと流れついてしまったのだ。


 仕方なく、水菜はアインからもらった小魚を一匹あげると、その猫? はもう要はないと言わんばかりにそれを咥えどこかへ行ってしまう。


 ふと、下から水菜を呼ぶアインの声が聞こえた。


 今が何時か気になったが、この部屋の時計は何故か十二時を指したままピクリとも動かないため、諦めてさっさと着替え部屋を出た。


 階段を降りると、散らかったリビングの台所でアインが料理をしていた。ふわふわと香ばしい匂いが部屋に充満している。


「やっと起きたか」

「おはようございます、アインさん」


 その匂いに従うように、木目調のテーブルに座る水菜。「いま何時ですか?」と聞くと、アインはこちらを振り向かずに「八時」と答えた。


 八時。水菜にしては遅い起床だ。それだけ、疲れていたということだろう。


「時計あっただろ? それとも時間の感覚も違うのか?」

「いえ、それは大丈夫だと思いますけど、あの時計壊れてますよ? 十二時から動かなかったんですもん」

「バカ。魔力流さずに時計が動くかよ。昨日教えただろ、魔法具は魔力を流さないと動かないって」


 魔法具。魔法が織り込まれた道具。


 水菜がこの世界に来てまだ三日目だが、いくつか分かったことがある。どうやらこの世界では家電の代わりに魔法具が使われているようだ。


 いまアインが使っている台所のコンロや、この部屋の灯りも、すべて魔力で動いているのだ。


「でも私、魔力なんてないですよ」


 そう言う水菜の前に、アインは作っていた料理を置いて棚の方へ向かった。


 料理は、なんか、鮎っぽい奴を焼いただけだった。ただの塩焼きである。


「…まあ、美味しいですけど」


 一人暮らしの男の料理ってのは、異世界に行っても変わらないようだ。


「ほれ、これつけてみろ」


 と、アインが水菜に渡したのは筒状のものだった。見た感じ、懐中電灯のようだ。


 「ここを触るだけでいい」とアインが指差した、腹部にある紋章のようなものを触れる。


 その瞬間。


 なにか、体のなにかが、動いた。


 それがなにかは、明確にはわからない。


 ただ、全身にあったなにかがうごめき、手から外に出ていった感覚だけは理解できた。


 そして、気がついたら懐中電灯からは灯りが出ていた。


「魔力はちゃんとあるみたいだな」


 驚いてる水菜の横で、当然のように頷くアイン。


 この懐中電灯が魔法具なら、水菜の魔力を使って灯りがついたことになる。


 いま、水菜の体内で蠢いたもの。


 それこそが、魔力。


「そんな、でも、こんなのいままで一度も…」


 地球には魔法なんてない。いや、仮にもしあったとしても、少なくとも水菜には魔法や魔力なんてもの縁も縁もなかった。


 見知らぬ感覚をいつの間にか覚えていた自らの体に、水菜は不安と動揺に苛まれる


「まあ、ミズナの世界に魔素がないからなんだろうが…その辺りも含めて、あとで説明するよ」

「あとで…? なにかするんですか?」 

「ああ、お前も早く外出る準備しろ。釣りに行くぞ」

「釣り…?」


# # # #


 青。


 青い空に、青い海。視界一面を、青が彩っていた。


 ゴオゴオと鳴きながら走る船のデッキで、水菜は心地よい風に吹かれ長い黒髪をたなびかせている。


 白い塗料でコーティングされた帆のない木船に乗り、水菜はいま大海の真っただ中にいる。


 水菜には目的がある。


 元の世界へと帰ることだ。


 そのためには、手がかりとされる『異世界から召喚する魔法』を探さなければならない。


 すぐにでも探しに行きたかった水菜だったが、アインはそれに反対した。


「ミズナは、まだこの世界を知らなすぎる」


 詩的な表現に聞こえるが、実際に水菜はこのラメールという世界の常識などまったくない。今朝の魔法具のことだってそうだ。


「先に言っておくが、その異世界召喚魔法を探しに行く旅には、オレもついていく。ミズナ一人で行かせるわけにもいかないしな」


 水菜は、船に乗る前にアインが言っていた言葉を思い出す。


「だけど、魔法も知らない人間に旅をさせるわけにはいかない。それに行くとしたら準備も必要になってくる。いますぐ行くわけにはいかないんだよ」


 一か月。


 サーラットの町で一か月過ごすことが、アインが言った水菜が旅に行く条件の一つだった。


 そして、もう一つの条件は。


「ミズナには、魔法を覚えてもらう」


 船のデッキに立ち、アインは目の前の水菜にそう言った。


 アインが操縦席から離れているため、いま船は動いていない。波に少し揺れているが、海上でこの地点にとどまっている。水菜が見ていた限りでは錨を降ろしていた様子はなかったのだが、これも魔法の力なんだろうか。


「魔法を、ですか?」

「そう、ミズナに魔力があることはわかったしな」


 魔法。


 ゲームやアニメとかではよく聞く、おなじみの単語だ。水菜も小さい頃にアニメを見て魔法少女に憧れていた。魔法のステッキなんかも買った覚えがあるし、ヒーローベルトをつけた大樹と戦いごっごなんかをしたことも覚えている。


 ただ、そんなのはやはり小さい頃の話で、いまになって魔法だなんて言われても胡散臭い印象しか受けない。


 魔物だとか魔法具だとか、常識外れなものを見てきた水菜だったが、魔法の存在にはどうしても違和感を覚える。


「そもそも、魔法ってなんなんです」


 そんな水菜にとって、それは当然の疑問だった。だがそれに答えたのは、アインではなかった。


「体内にある魔力、それを別のエネルギーに変え放出する法。それが魔法だよ」


 横からの声に振り向くと、白衣姿に白髪の男、ログが木箱に座っていた。侍女のグレイシアの姿は見えない。今日は店番をしているらしい。


 ログの説明は、以前アインから聞いたものだ。


 この世界には魔素という成分が空気中にただよっており、それが体内に取り込まれることによって魔力が生成される。


 そしてそれを魔力とは別の形でこの世界に放出することこそ、魔法だと。


「魔力ってのは、結構いい加減なエネルギーでね。変換次第では炎にも雷にも出来るんだ」


 まさに魔法のようなエネルギー。


 エネルギーの変換、というのがどういったものなのか水菜にはわからないが、風力発電や火力発電を人の身で行うようなものなのだろうか、と水菜は考える。


「まあ、言葉で説明するより、実際に見てもらったほうが早いか」


 そう言ってログは、両手を前に出し、手のひらを迎え合わせた。


「『雷よ』、エレス」


 ログがそう唱えると、空を囲んだ手の中で、眩い光が迸った。


 バチバチと細かな破裂音を流すその光は、水菜の知る稲妻そのものだった。


「基本魔法の一つ、雷魔法の、最も初歩的な魔法だよ」


 手のひらで雷がはじくその光景は、不自然で不安定で、幻想的なものだった。


「魔法を使うときに、重要な点が二つある」


 パッ、と手をふって、あっさり雷を消してしまうログ。


「一つは魔力、これは言うまでもないね」

「もう一つは?」

「呪文だよ」


 またも、聞きなれないようでなじみのあるような言葉が出てきた。


 呪文というと、魔法使いが魔法を使うときにぶつぶつというアレだろうか。


「魔力を別エネルギーに変換するための言葉式、それが呪文。これがないと魔力を魔法として使うことができないんだ」


 ようは、魔力を魔法として使うための物だろう。


 例えば先ほども言った風力発電。あれは風の力でモーターを回し、電力に変える。この場合、魔力が風力で、それを呪文というモーターを介して魔法という電力に変える、ということなのだろうかと、水菜は自分なりに飲み込みやすいように考えてみる。


「まあ簡単な魔法だと、慣れれば呪文を唱えずとも出せるようになるけど」


 といい、今度は何の詠唱もなしで雷を手のひらに起こした。


 なんの前触れもなく唐突に稲妻が迸ったため、少々驚いてしまう水菜。


「でも、もっと高度な魔法を使うとなると長い呪文を詠唱しないといけなくなる」

「高度な魔法?」

「そう、ちょっと見せてあげるよ。アイン!」

「おう、ちょうどかかったところだ」


 振り向くと、隣にいたアインがいつの間にか船のヘリに立ち、海に釣り糸を垂らしていた。釣り糸はピンと張っており、その先に何かがいることを示していた。


 なにをしているんだろう、と水菜が見ていると、「ふんっ!」という声と共に、アインは釣り竿を大きく振り抜く。


「はっはー! こいつぁ大物だぜ!!」


 妙にテンションの高い声で釣竿を引っ張っている。釣竿はたわみ、アインが立っている地点には相当な負荷がかかっているはずだが、なにかあるのか船が沈む気配はない。


 そして「オラァ!」とアインは軽い雄叫びと共に、釣竿を天高く振り上げた。


 それとともに、船に衝撃が走る。アインが引き上げたなにかが起こした水柱のせいだ。


 グラグラと揺れる船の上で、水菜は水柱と共に現れたそれを見た。


 モグラだった。赤とピンクという彩りをした、グロテスクなモグラ。全長五メートルはある、でかいモグラ。そのくせして瞳は妙につぶらできれいな、モグラ。


「…………ぬぉおおおおおおおおおお!!??」


 熊の倍以上ある巨大生物を目の前にして、思わず悲鳴を上げる水菜。「キャー」とかではなく「ぬぉお」という女子力の欠片もない悲鳴だった。


「ちょ、アインさん! なんすかこれ、なんすかこれ!?」

「エモラ。すりつぶして食うとうまいぞ」

「そういうこと聞いてんじゃないんですよ!」


 慌てふためく水菜がアインにすり寄っているが、アインはごちそうを見る目をしているだけで、なにもしようとしない。


 巨大モグラ・エモラは、そんな自分を釣り上げた不届き者たちをつぶらな瞳で睨んでいる。


「大丈夫、まあ見てな」


 と、そんな巨大モグラの前に、白衣姿で白髪の男、ログが出てきた。


 船に向かって、太く爪のついた腕を振り上げるエモラ。


 それに対し、ログは一言、呟いた。


「『我が矛となり、我が敵を撃て』、イオゼリア」


 その瞬間、横に広げていたログの右手の平で、雷が瞬く。


 その姿は、一つの槍。


 先ほどの小さな雷など比にならないほどの電光が、壮絶な破裂音とともに槍を形成していた。


 それを握り、ログは標的に向け、放つ。


 雷の槍は、水菜の目では捕えきれないほどの速度で撃ち込まれ、エモラの胸元に直撃する。爆音と共に雷の槍はエモラを撃ち抜き、風穴を開けた。


 断末魔を上げることもなく、海へと倒れこむエモラ。大量の水しぶきと波の揺れが船に降りかかった。


「これが雷魔法の、まあ中級ってところかな。他にももっと長い詠唱が必要な魔法もあるけど、とりあえずはこんなもんでいいだろう」


 平然と説明するログだが、水菜は唖然としており、「え、も、かみ、ちょ、え」としか言えてない。


 衝撃的だった。


 もう常識外とかそんなレベルではなかった。


 巨大モグラもそうだが、実際にこの目で見ても信じがたいものだった。


 魔法。異世界の法。


 あんな巨大な生物を一撃で葬る力。


 いままで数々の訳の分からないことが周りで起こり、だんだん感覚が麻痺してきた水菜だが、こればかりは度肝を抜いた。


「じゃあ、ミズナ。やってみるか」

「は、はあ!? なに言ってんですか、無理無理無理に決まってるでしょうあんなの!?」


 そのバカみたいなアインの台詞に、水菜はようやく茫然から戻ってこられた。


 いまだに信じがたく思っていると言うのに、自分がやるなんて言われてじゃあやりますと受け入れられるわけがない。


「バカ。いきなりアレをやれなんて言わねえよ。まずは簡単な魔法からだ」

「な、なんだ。まあ、そうですよね……」


 その言葉にホッとする水菜。


 簡単な魔法というと、さっきログがやっていたやつだろうか、と水菜は考える。正直、手の中で電気が起こるのも怖いが、さっきの槍に比べれな全然マシである。


 だが、これから魔法を覚えていくとなると、いずれ今みたいな魔法を使う時が来るだろう。魔物なんて生き物がいる危険な場所にいる以上、その時が来る可能性が大いにある。


 そんなこと、今の水菜は考えもしなかったが。

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