旅の始まり

 大樹は、家までの帰宅路を歩いていた。


 空では日が沈みかけ、ちょうど、一日で最も美しいと言われるマジックアワーだった。


 しかし、やはり大樹の心の中はまだくぐもっていた。


 なにせ世界を救え、ときた。


 水菜を助けに行きたい気持ちは本物だが、あまりにも荷が重すぎた。


 浮かない顔で道を歩く大樹が公園の前に通る。すると、そこからすすり泣く声が聞こえてきた。


 公園のブランコに座りながら、誰かが俯いているのが見えた。


 ピンク色のランドセルを背負った可愛らしい服のその少女に、大樹は覚えがあった。


「奈乃葉?」

「……だいき」


 昔なじみのお兄さんを呼び捨てにする小生意気な少女は、水菜の妹、奈乃葉だ。


 感情表現に乏しく、何考えているかわからない少女はいま、涙ぐんでいた。


 理由は、言わなくてもわかることだ。


「だいき、お姉ちゃんが、お姉ちゃんが……」


 いつも大人ぶって、なにがあっても顔色一つ変えずませた態度をとっていた少女が、年相応に、泣いていた。


 無理もない。家族が一人、死んだと聞かされたのだから。


 この人気のいない公園にいたのは、泣いているところを誰かに見られたくなかったからか。


 泣かないように我慢していたようだったが、とても抑えきれていなかった。


 とても、耐えられるものではなかったのだろう。


「……大丈夫だ」


 大樹は、そんな少女を抱きかかえる。


 頭をなで、落ち着かせる。


「大丈夫。水菜は、死んでなんかいない」

「だいき……」


 そう、言ってやる。


 安心させるために、泣かせないために。


「ほんとう?」


 胸の中で、震えた声がそう聞いてきた。

 

「ああ。絶対に、連れ戻してやる」


 だから待ってろ、と、胸の中の少女に、言い聞かせた。


 心の中のもやは、もう晴れていた。


# # # #



 夜。


 星々が空で瞬き、町の明かりも消え始めた深夜。大樹は、鞄に荷物を詰めていた。


 着替えや食料など、必要最低限な物。


 用意し終えると、家族へ向けた手紙を一枚机に置き、大樹は部屋を出る。


 寝静まった家族を起こさぬよう、ゆっくりと玄関へ向かう大樹。


 靴を履き替え、ドアの取っ手に手をつけたとき、玄関の電球が大樹を照らしだした。


 恐る恐る後ろを振り向くと、そこには電灯のスイッチに手をかけながら仁王立ちする女性がいた。


 黒髪に髪を短く切った女性。


 大樹の母親、奏子だった。


「こんな時間に、どこ行く気だ?」


 不機嫌な様子で、そう問いかける奏子。


「……コンビニ」

「嘘つけ。そんな旅に行くような恰好でコンビニいくやつがあるか」


 当然の指摘を受け、なにも言い返せない大樹。


「……水ちゃん関連かい?」


 図星をつかれ、大樹は思わず顔に出してしまう。


 それを見て、奏子はため息をついた。


「まさか、あの子を探しに行くとかいいだすんじゃないだろうね」

「な、なんで知って」

「あんたの考えることくらい、すぐわかるさ」


 さすが、母親といったところか。完全に的中された大樹は、しかし、


「ごめん、わかってる。無茶だってことくらい」


 異世界云々をいうわけにはいかない。


 だが、ここで引き止められるわけにはもっといかない。


「でも、行かなきゃならないんだ。絶対に、逃げちゃダメなんだ」


 真剣な目で、母親を見る大樹。


 奏子はそんな息子を見て、深く、深くため息を吐いた。


「昨日までのあんたがそんなこと言い出したら引っ叩いてたんだけどね……」


 昨日までの大樹の目は、いわば、死人の目だった。


 奏子も母親として、心配していた。


 本当に、死んでしまうんじゃないかというほどに。


 しかし、いまは違った。


 まっすぐで、覚悟を決めた目だった。


「あてはあるんでしょうね」


 その言葉に、力強く頷く大樹。


「じゃあ、行ってきなさい。その代わり、絶対水ちゃんを連れて帰んなさいよ」


 母親のエールに、大樹は顔をほころばせた。


「ありがとう……! 行ってきます!」


 そして、大樹は扉を開ける。


 夜の道を走り、指定された場所へ向かう。


 いつもの道を進み、いつものタバコ屋の前を通り、いつもの交差点を曲がり、いつもの坂を下り、走る。


 いつものように、水菜とこの道を歩くために。


 指定された場所には、ミレーナの他にも優一とゆづるの姿が見えた。


「お前ら、来たのかよ」


 学校で別れるときに来るなといったはずなのに、と大樹が呆れるが、二人は笑っていた。


「なっちゃんが困ってるのに、ここで待ってるわけにはいかないじゃん!!」

「飯田くんを迎えに行くのに、桜木にだけかっこいい思いさせるわけにはいかないしね」


 「それに……」と、優一は明後日の方向に顔を向けた。


 見ると、その方向には見覚えのある少女が座っていた。


 金髪の長い髪に、耳には真珠を模したピアス。そして、それだけで人ひとりを殺せそうな、禍々しい目つきの少女。


「佐藤、美咲?」


 想定外の人物に、戸惑う大樹。


 その目つきににらまれ、割と怯えてもいる。


「その異世界とやらに、愛が関わってるって聞いたからな」

「僕が言ったんだ。そしたらついてくって」


 やはり、優一と佐藤美咲には関わりがあったみたいだ。


 そして、相羽愛とも。


「……あとで詳しく話してもらうからな」


 そのことが気になった大樹だったが、美咲が一緒についてくるのは心強かった。


 美咲の戦闘能力は、大樹も見ている。


 大樹が手も足も出なかったあの相羽をも相手取っていた女だ。


 正直、異世界に向けて大樹達三人では心もとなかったが、彼女が加わればある程度の戦力になるだろう。


「っつうか、お前ら親になんて言ったんだ」


 大樹の場合は、母親からして変わった人だったため許してもらえたが、他の人は違うだろう。とくに、ゆづるの家庭は厳しかったはずだ。


「「抜け出してきた」」

「親いねえ」

「……そ、そうか」


 ツッコミたかったが、とてもツッコめない事情の人がいたので、我慢する大樹。


「準備は、整いましたか」


 そう声をかけるミレーナの足元には、二メートルほどの光る例の魔方陣が地面に横たわっていた。


「では、この魔方陣の上にお乗りください」


 大樹達は、息をのむ。


 いよいよ、異世界へと行くのだ。


 意を決し、魔方陣の入る大樹。それに続き、優一、美咲と入っていく。


 ゆづるはためらっていたものの、深呼吸したあと、「えいっ!」とジャンプで入り込む。


「いまからあなた方を召喚するのはジェバロンという国で、彼らの召喚の儀に割り込み、あなた方を送ります」


 さらっと割り込むとか不安定なことを言う女神に、大樹は少し不安になる。


「そして、飯田水菜さんがいるのは、サーラットと呼ばれる、漁業の町です。あなた方が出会えるのを、陰ながら見守っております」


 サーラット。


 それが、大樹達が目指すべき町。


 水菜がいる町だ。


「それでは、参ります」


 エレーナが、長々と呪文をつづる。


 それにつられ、辺りの景色が歪むのが分かった。


 これから、長い間帰れなくなるだろう。


 一年、いやおそらくもっと、下手したら、数十年。


 でも、


「絶対に、帰る」


 必ず、水菜を連れて。


 そして、エレーナが何かを唱えた後、視界が、光に包まれる。


 地が足から離れ、全身を浮遊感が襲う。





 気が付くと、足が地についており、大樹達は薄暗い洞窟の中にいた。


 周りを、甲冑姿の人間が取り囲み、その中心で祈りを捧げるように座りこんでいる少女がいた。


 皆一様に、現れた大樹達を驚いた様子で見ている。


「あなたが、勇者様ですか?」


 少女が、そう問う。


 そして、大樹は力強く答える。


「ああ。世界を、救いにきた」


 さあ、いよいよ、物語の始まりだ。

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