残された者と、希望
苛烈な音楽と主に、大樹は目を覚ました。
好きなアニメの歌で、いつも気分よく目覚めていた大樹だったが、気分など、よくなるはずがなかった。
朝食のために居間へと向かうが、食欲などなかった。朝早く仕事に行っている母親が作り置きした朝食がテーブルの上に置いてあった。大樹の弟は、もうすでにテーブルにつき食べていた。
大樹も、惰性で手をつける。
小学生ながらしっかり者の弟はそんな兄に気をかけながらも、ニュースを見ていた。
大樹はテレビに目を向けなかったが、台本を読むニュースキャスターの声が、耳に入ってくる。
曰く、先日どこかでちょっとした津波があり、行方不明者がでたと。
波によって、行方不明に、なったと。
察しのいい弟が、慌ててテレビを消すが、大樹は、ただ黙って目の前のものを口に運んでいた。
そのまま大樹は一言も話さず食べ終え、食器を片付け、自分の部屋に戻った。
さっさと登校の支度をし、家の外にでる。東の空で照る太陽が、嫌になるほどまぶしかった。
学校への道を歩く大樹。
いつもの道を進み、いつものタバコ屋の前を通り、いつもの交差点を曲がり、いつもの坂を下り、そして、いつも、水菜と会う場所にたどり着く。
しかし、そこに水菜はいない。
いつまでたっても、水菜は来ない。
四日前、水菜が海に落ちた、あの後。
海上保安庁による捜索が行われたが、当然のように、水菜は見つからなかった。
生存は絶望的だと、俯く大樹たちに警察はそう告げた。
# # # #
いつもは騒がしいクラスも、今日は閑静としていた。
たった一日で終わってしまった修学旅行に不満気な者も他のクラスにはいたが、大樹のクラスでは、誰も、なにも言えないでいた。
大樹は、静かに座っているクラスメイトの横を通り、目的の人物の前に立った。
「佐々木」
「桜木……」
暗い表情の友人を、優一は心配そうに見ていた。
大樹は俯きながら、重く口を開く。
「あいつは……なんなんだ」
「あいつって……」
「決まってんだろ。あのクソ女のことだ」
優一の優柔な様子に、思わず語尾が強くなってしまう大樹。
クラス内の生徒が、みなチラリと二人を見ていたが、大樹は気づきもしなかった。
「お前、あいつのこと知ってんだろ。佐藤も、お前のことを知っている様子だった」
優一を見つめる大樹のその瞳は、闇のように黒く、深海のように暗い。
「なんなんだ、あいつは」
「……昔の、友達だよ」
優一は思わず、視線を落とし、大樹から目をそらしてしまう。
「なんで、てめえの友達が水菜を殺すんだよ」
「……わからない」
「あ?」
その煮え切らない答えに、大樹の怒りが漏れ出る。
気が付いたら、大樹は優一の胸倉をつかみあげていた。
「ダイちゃん!!」と、そばまで来ていたゆづるが叫んだが、大樹の耳には入らなかった。
「とぼけんじゃねえ。あいつはお前の名前だしてたんだぞ。どう考えてもお前が関係して」
「わかんないんだよ!!」
その叫びに、教室の誰もが驚いた。
優一が、こんな声を出すところなど、誰もみたことがなかったからだ。大樹も驚いて、思わず固まってしまう。
「わかんないんだ……僕にも、わかんないんだよ……」
うつむき、蚊の鳴くような声でそうつぶやく優一の姿は、普段の堂々とした姿からは想像できない、か細い存在に見えた。
そんな優一に、大樹は何も言えず、悪態をつき手を放すと、そのまま教室を出て行く。授業なんて、受ける気分にはならなかった。
ゆづるが呼び止めた気がするが、大樹は聞こえなかった。
聞こうとも、しなかった。
# # # #
教室を出た大樹はあてもなく歩いていた。途中、教師や生徒の保護者らしき人とすれ違ったが、すべて無視した。
気が付いたら旧校舎へと続く並木道を歩いていた。
不愉快な夏の日差しを、青く茂った木の葉が遮り、心地よい風が流れている。
そんな場所でも、大樹の心が晴れることはなかった。
あの日からずっと、頭のなかがぐちゃぐちゃに書き乱れている。
水菜を殺した相羽や、守れなかった大樹自身に対する怒り、後悔、悲しみ、悔しさ。
そんな思いが四六時中頭の中を駆け回り、大樹の心を重くしていた。
なんでこんなことになったのか。なんで水菜が死ななくてはならなかったのか。なんで守れなかったのか。なんで、なんでなんでなんで。
「なんで………」
小さく、声から弱音が洩れる。
「では、彼女に会わせてあげますよ」
唐突だった。
前から、その声が聞こえた。
聞き覚えのある声だった。
忘れもしない、無機質で無感情な、その声。
震えながら、大樹は顔を上げた。
そんなバカな。そんなはずないと、心のなかで思いながら。
目の前に、いつのまにかそいつは立っていた。
肩まで伸ばした、茶色の髪。小柄な身長に、幼い顔立ち。そしてなによりも、何の感情も読み取れない、停止したその表情。
相羽愛が、水菜を殺した女が、そこにいた。
海に落ちたはずだった。水菜と同様に、捜索され、発見されなかったはずだった。
死んだ、はずなのに。
「……なんなんだよ」
だが、大樹にとって、そんなことはどうでもよかった。
目の前に、水菜を殺したやつがいる。
水菜を殺しておいて、のうのうと生きているやつがいる。
その事実が、大樹の怒りを爆発させた。
「なんだんだよ、お前は!!」
目の前の仇に向かって、大樹はがむしゃらに走った。
ぐちゃぐちゃになった脳みそが、こいつだけは許すなと叫んでいた。
ただ乱雑に拳を振りかぶる大樹。
しかし、大樹がその拳を放つ前に、相羽は大樹の顎を蹴り上げた。
突然下からやってきた衝撃に、大樹は反応すらできなかった。
なにがなんだかわからないうちに、相羽の足刀が大樹の水落を貫く。
肺の空気が一気に吐き出され、胃液が逆流しそうになる。
そして間髪入れず、体がくの字に折れ曲がった大樹の顔面に相羽は回し蹴りを叩きこんだ。
顔が横に吹き飛び、大樹の身体はそのまま地面に倒れこむ。
まだ残っている腹部と顔面の痛みにもがきながらも、なんとか立ち上がろうとする大樹の身体を、相羽の足が地面に打ち付けた。
「じゃあ、死んで下さい」
無慈悲な宣告と共に、ナイフを構える相羽。
逃れようともがいても、そのか細い足からは信じられないほどの力で、大樹は動くことすらできない。
「ざ、っけんな、クソッ」
水菜の仇が目の前にいるのに、大樹はなにもできない。
なにもできないまま、殺されそうとしていた。
「くそ、クソっ、ちくしょう……!」
その事実に、耐えがたい屈辱と、悔しさが止まらなかった。
涙が、止まらなかった。
そして、その悪魔は、無慈悲に、残酷に、なんの躊躇もなく、その刃を、振り下ろした。
そして、
ガキッ、と、金属の砕ける音が、響いた。
見ると、相羽の持っていたナイフが砕けていた。
そして、振り下ろされたはずのナイフと大樹の間に、奇妙なものがあった。
それは、緑色に発光する、円形だった。コンパスで書いたようにきれいな光の円の中には、複雑な模様が張り巡らされており、大樹を守るように宙に浮かんでいた。
その非現実的な円に、 しかし大樹は心当たりがあった。それは、創作の中でしかみたことのないもの。
「まほう、じん……?」
「すみません。その子を死なせるわけにはいかないんです」
近くから、声が聞こえた。
顔を動かして、大樹は声が聞こえた方を見る。
そこには、ひとりの女性がいた。
美しい女性だった。大樹がこれまで会った中の、誰よりも。
腰まで伸ばした、淡い青色の髪。白い肌に真っ白なワンピースを着るその姿は、まるで青空を見ているようだった。
見たことのない女性だった。
だが、なぜか大樹の記憶は見覚えがあると言っていた。
そして、ふと思い出す。さきほど、校舎にいた見知らぬ女性。
見覚えもなく、どうでもいいと思っていたため深く考えずに生徒の親だと思っていた女性だった。
「どちら様でしょうか」
相変わらず無機質な顔のまま、相羽が突然現れた女性に聞いた。
凍えるように冷たい顔だったが、女性は朗らかに微笑んでいた。
「あなたが、その力を手に入れた世界からやってきた者です」
大樹には会話の意味はわからなかった。
ただ、相羽には伝わったようだった。
「なぜ私の邪魔をするのです」
「言ったでしょう。その子に死なれては困ると」
二人は、互いに見つめ合ったままじっとしていた。
すると、どこからか声が聞こえた。
「さ、佐々木?」
耳をすませば、それは優一とゆづるが大樹を探している声だとわかった。
「……来てしまわれたか」
それに、相羽も気が付いたようだ。
大樹から足をどけ、優一の声が聞こえた方向から離れるように後ろに下がった。
「仕方ありません。いったん、引くとします」
「な、ふざ、っけんな……逃げんのか……!?」
悪態をつく大樹だったが、いまだに痛みで体が満足に動かず、立ち上がるにもよろよろとふらついてしまっていた。
「大丈夫ですよ」
相羽は、変わらず、無機質で、無感情で、冷たい表情で、そういった。
「今度は、殺しますから」
その言葉と共に、相羽の姿が一瞬で消えた。
そこには吹く風に流れる木の葉しかなく、相羽の姿はあとかたもなく消えていた。
「ま、て。くっそ、クソッ……!!」
二度も、逃がしてしまった。
その事実に、大樹は打ちひしがれてしまう。
「桜木、大樹さん、ですね?」
まだ残っていた女性がそう呼びかけたが、大樹は答えなかった。
ただ黙って、うずくまっている。
「……いいですか、聞いてください」
そう女性が言うが、大樹は半分も耳にはいっていなかっただろう。
しかし、
「飯田水菜は、生きています」
その言葉に、耳を疑った。
顔をあげ振り向き、女性の方を見る。
凛とした雰囲気を漂わせ、この世の者とは思えない美しさをもつ、その女性は、大樹の顔を見つめ、静かに言った。
「飯田水菜は海に落ちたあと、この世界とは別の世界へと漂流したのです」
その美しい口から出る言葉は、大樹の想像を超えるものだった。
冗談のようなセリフに、しかしその女性には、言葉に真実味を持たせる力を持っていた。
「あんた、いったい……」
思わず口から漏れ出たその疑問に、女性は、堂々と答えた。
「私の名はミレーナ。私共の世界、ラメールで、神をやっている者です」
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