進むべき僅かな光へ

 その店は建物が並ぶにぎわった町から少し離れた丘の、古びた階段を上った場所にあった。


 石造建築で、二階建ての白い家。少し年季の入ったその家には綺麗な看板がついており、そこには『魔法具屋アキオス』と書かれていた。やはり見慣れない文字だったが、感覚で読むことができた。


 不思議な感覚だったが、異世界へ来た影響なのだろうか。


 そして、そんな家の石畳でできた玄関口で、メイド姿の少女が箒を掃いていた。


 少女はアイン達に気が付くと、掃除をやめ、表情を一切変えないままお辞儀をした。


「いらっしゃいませ、アイン様」

「よっすグレイシア。ログいる?」


 少女は薄いエメラルドグリーンの髪を揺らしながら顔を上げた。そして、表情を微動だにしないまま「はい、マスターなら中にいらっしゃいます」と答え、扉を開けアイン達を中に入れた。


 「さんきゅー」といいながらずかずかと入っていくアイン。水菜も「お、おじゃまします」と後についていく。


 薄暗い明かりが照らす店の中では、左右の壁を覆いつくす戸棚に見たことのない奇怪な道具がずらっと並べられていた。箱型や筒型のものもあれば剣や矢、防具や、中には植木鉢のようなものも見られた。


そして、店の奥にあるカウンターの奥で、白衣姿の青年が座っていた。


 真っ白な髪に、丸い眼鏡をかけたその青年は、カウンターに置かれた金づちのようなものをいじっていたようだが、アインに気が付くと作業を中断した。


「アイン、もう帰ってきたのか」

「まあ、ちょっといろいろあってな。なにしてたんだ?」


 アインにそう聞かれた白衣の青年は、カウンターにあった件の金づちを手に取った。


「いやなに、グラーズの親方にネイルハンマーの修理を頼まれてな」

「おいおいまたかよ。あのおっさん一仕事終えるたびに壊してねえか?」

「必要以上に強く叩きすぎなんだろう。で、その子はいったい?」


 アインの後ろにいた水菜を見て、ログはそう聞いてきたため、水菜は慌てて前に出る。


「は、はじめまして。水菜です」

「はじめまして。僕はログ・アキオス。ここの店主をやってる」


 軽く頭を下げると、ログは微笑んでそう言った。優一とまではいかないが、なかなかのイケメンスマイルだった。大樹が見たら歯ぎしりはするであろうほどの。


「この子はグレイシア、僕の従者だ」

「グレイシアです。初めまして、ミズナ様」


 従者ということは、本物のメイドなのだろうか。ログの握手に答えながら、そんなことを考え、ちらりとグレイシアのほうを見る。いつの間にかログの横に立っていた少女は、相変わらずの無表情だった。


「でまあ、話ってのは察しの通りこのミズナのことなんだが」


 そう切り出し、アインは水菜から聞いた話を二人に語った。


「なるほど、異世界漂流者か」


 相変わらず奇天烈な話だったが、やはりログもあっさりのみこんだ。


「アインさんの時も思ったんですけど、あんま驚かないですね。そんなに珍しい話じゃないんですか」

「いや、実際珍しい事象ではあるよ。ただ、異世界からの漂流者ってのは歴史的に見たら意外といるんだ」


 ログの話だと、昔から別の世界から漂流してきた人間というのは、何人かいるらしい。数十年に一度あるかないかという程度で、ログ自身も異世界人を見たのは初めてとのことだ。


「どうやらこの世界と君たちの世界は繋がりが深いようで、漂流者の他にも前世の記憶を持っているという人も稀にいたりするんだ」

「輪廻転生、ってやつですか」


 水菜が呟いた単語にアイン達は首をかしげていた。


 輪廻転生。仏教の言葉で、ようは死者の魂が新たな生命として生まれ変わることだ。


 その魂自体が異世界へとやってきて、その世界の人間として生まれ変わったものがその前世の記憶を持つ者なのだろうと、水菜は考えた。


 まあ、半分は大樹から聞いた話を組み合わせただけだったのだが、前世の記憶持ちという事例がある以上、間違いとも言い切れないだろう。


「ともあれ、異世界から来た人は私の他にもたくさんいるってことですね」

「まあ、歴史的に見ればって話だけどね」


 この際、それはどうでもよかった。


 重要なのは、水菜の他にもこの世界へやってきた地球人がいる、という事実だ。


 その事実は、水菜の心に大きな安心感をもたらした。


 この見知らぬ世界に、自分と同じ人がいるというのは、ホッとするものだ。


 それに、それだけ地球からやってきた人間がいるなら、帰る方法も案外早く見つかりそうだ。


「ただ」


 が、そんな水菜の安直な考えは、すぐに砕かれることになる。


「この世界にやってきた異世界人が、元の世界に戻ったという事例は、いままでない」


 それは、水菜にとって死刑宣告も同然だった。


 歴史的に見れば、多くの人間がこの世界へとやってきている。


 それは、裏を返せば歴史を重ねても彼らが元の世界に戻ることはできなかったことを意味している。


「そん、な。一人も、ですか?」

「あぁ、誰一人として、元の世界に帰ることは出来なかったそうだ」


 ふと、水菜の脳裏にいままでの出来事が思い起こされる。


 記憶が、思い出が、頭のなかで再生される。


 一樹と喧嘩したこと。菜乃葉とお菓子を作ったこと。ゆづると買い物にいったこと。優一と学校で話したこと。


 そして、大樹と、京と、三人で、海に行ったこと。


 そのすべてが、砕かれた思いだった。


 そのすべてが、二度と手に入らないと言われたのだ。


 思わず、膝が崩れてしまう。


 言葉が、出なかった。なにか喋ろうとするが、声がでなかった。


 水菜の目頭が、じわじわと熱くなった。


 そもそも、まだ十七歳の少女が、こんな見知らぬ土地に捨てられ、わけのわからない生き物に囲まれ、何も感じないはずがなかったのだ。


 なんとか押し殺していた気持ちが、あふれ出す。


 不安が、爆発する。


 気が付けば、涙がこぼれていた。そしたらもう、止めることなどできなかった。


 いつまでも流れる涙を止めようともせず、水菜の視界が、世界が、希望が、歪む。


「おい」


 水菜の肩に、誰かが手を置いた。


 水菜が顔を上げれば、目の前にはアインの顔があった。


 その青色の瞳が、水菜の目をまっすぐ見ていた。


「いいか? ゆっくり息を吸え」


 言われるがまま、水菜は嗚咽の止まらない喉をなんとか止め、息を深く吸い、吐く。


 たった一回の深呼吸だったが、気持ちを落ち着かせることができた。


 涙を留めることができた。


「落ち着いたか?」


 こくりと、うなずく水菜。


「よし。じゃあその涙は、元の世界に帰ったときにとっておけ」


 「え」と、声を漏らす水菜に、アインはまっすぐ目を見たままいう。


「帰りたいんだろ?」


 その声には、力強さがあった。信頼できる、力があった。


 水菜は、頷く。強く。固く。


「じゃあ、絶対帰るぞ」


 水菜も、まっすぐアインの目を見た。


 視界はもう、歪んでいなかった。


# # # #


「じゃあ、実際問題どうするかって話だが」


 水菜がしっかりと落ち着きを取り戻すと、ログがそう切り出した。


「実は最近、異世界の人間をこちらの世界に召喚する魔法の話を聞いたんだ」


 その言葉は水菜にとって寝耳に水だったろう。


「召喚するって、地球の人をこっちに呼び寄せるんですか?」

「ああ。僕も詳しく聞いたわけじゃないからわからないが、なんでも魔人との戦いのための戦士を召喚するためらしい」


 理由を聞いて、ますます首をかしげる水菜。


「なんでわざわざ別の世界の人を呼ぶんです?」


 それは当然の疑問だった。戦士ならこちらにいくらでもいるだろうし、実際、港や町には鎧やら武器やらを装備した屈強な男たちが多くいるのを水菜は見た。正直、地球の人よりも断然役にたつだろうと水菜は思った。


「なんでも、お告げがあったんだと」

「お告げ?」

「そう、神のお告げ」


 地球では聞きなれない言葉だった。


 水菜は一般的な日本人同様、さほど神を信じていない。神のお告げと言われても、眉唾にしか思えない。


「それによると、『異世界から召喚されし勇者が、世界の滅びを食い止めん』、とかなんとか」

「世界の滅びって…」

「最近、魔物の被害が多くてな。そんで有名な預言者が『世界が危機に晒される』とか言うもんだから、みんな不安になってんだよ」


 聞いてもやはり胡散臭いものだったが、これは水菜にとっては朗報だった。


「でも、異世界から呼び寄せる魔法があるってことは……」

「逆に、あっちの世界へ戻る魔法もあるかもしれない」


 僅かな希望が、確かに見えた。


 八方ふさがりだと思っていたが、確かな道があったのだ。見てわかるほどの、険しい道のりが。


 あとは、前を向いて歩くだけだ。


 水菜は心に、深く決意する。


 必ず、みんなのところへ戻る、と。

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