漁師の街 サーラット
寝心地は、最悪だった。
昨日と同じ船の上ではあったが、客船のただし号と違い、この漁船の大きさはせいぜい大型バス二台分程度。睡眠スペースも一つしかなく、ベッドなんてものはなかった。そのため水菜はボロボロのソファの上で寝た。
ただ、寝心地に反して、ベッドに倒れこんだ瞬間、水菜は熟睡していた。それほど疲れていたのだろう。
目が覚め、近くの梯子を上がると、外は相変わらず海の上だった。
操舵室のような部屋から見える景色は、見渡す限りの青い海だ。これだけ見れば、ここが地球ではない、なんて思わないだろう。
ただし、少し窓から乗り出し後ろをみれば、船に引っ張られている巨大ヘビが見えてしまう。
地球では考えられない生き物。曰く、魔物というらしい。
「よう、おきたか」
そばで声がかけられ振り向けば、アインが操縦席で舵を切っていた。
少し青のかかった黒髪で、白のTシャツに黒の短パンと、バカみたいにラフな格好をしたその青年は、水菜を拾った、この船の持ち主だ。
「お、おはようございます、アインさん」
そう言いながら、水菜は操縦席の方へ近づく。
ハンドルのような舵にいくつかのレバーがある。漁船のようだが、白く塗装されたこの船は木船らしく、ところどころ塗料がはがれている。
帆もなく、スクリューでもついているのかと思い「これってなにで動いてるんですか?」と聞くと、アインは真顔で「ん? 魔法だけど」と答えた。
なんだか、頭が痛くなる。
魔物と魔法があるこの世界は、当然、地球などではない。ラメールという、いわゆる異世界と呼ばれるものらしい。
修学旅行の最中に船上で同級生に襲われ、波に流されていたところをこの青年に助けてもらった水菜だったが、ここが地球ではないと知ったとき、水菜は超取り乱した。それはもう、ひどく。
だが、それも当然のことであろう。なにせ異世界だ。無人島とはわけが違う。
ただ、幸いなのは無人島と違い、言葉の通じる人間がいたことだろう。
さんざん取り乱した後、アインに事の顛末を話した水菜。
自分でも話していて奇天烈な話だったが、アインは「なるほどな」とだけいいあっさり納得した。奇天烈な世界に住んでいるだけあって、やはり奇天烈なことには慣れているのだろうか。
「とりあえずこんな場所で話すのもなんだろう」ということになり、今アインが住む町へ向かっているところだった。
そして現在。しばらく海を眺めていると、船内で間抜けな音が響く。音源は、水菜の腹の中だ。
昨日あったばかりの人間の前で思いっきり鳴らしてしまい、思わず顔が赤くなる水菜。
「そろそろ飯にすっか」
察してくれたアインは、そういうと操縦席から離れ、梯子で下の部屋へと潜っていってしまう。普通に舵を離しているのだが、大丈夫なのだろうかと思っている間に、アインは戻ってきた。
「そういや、ミズナのいたとこに魔物はいないんだっけか」
「はい、まあ魔物とは違う生き物はいましたけど」
アインの話では、地球での動物のような言葉はなく、代わりにこの世界では魔物と呼ばれる生き物が世界各地に生息しているらしい。
そして、この世界の人々はその魔物を食べて生きているのだとか。
それを聞き、水菜は魔の物を食べるなんて腹を壊しそうだと呑気に思った。
「じゃ、これも食ったことないってことか」
そういうアインの手には、ぐでんと伸びた四足の小さな生き物が握られていた。茶色い皮膚で、おおきなネズミほどの大きさのそれは、形だけで言えば頭部と腹部があるカエルのようだった。
正直、気持ち悪かった。食べたくないと、心の底から思った。
だがそんな水菜をさておき、アインは嬉しそうに支度を始めている。
カエルみたいなのと一緒に持ってきた四角い箱に網状の土台を載せ、さらにその上に水の入った鍋を置いた。
そして、箱の側面にある丸い紋章のようなものに手を触れると、唐突に箱の上部に火が灯った。
その火で、鍋の水を熱している。
「ストロッグは直火焼きが定番なんだが、俺としてはお湯で茹でて塩をかけたほうが好きなんだよなぁ」
沸騰したお湯にカエルモドキを七・八匹入れながら、すごいいい笑顔でそういうアインに、いらないとはとてもじゃないが言えなかった。
「と、ところで、その火も魔法でつけたんですか?」
「ああ、そうだよ。まあ、正確に言えばこれは魔法具なんだが」
「魔法、具?」
「魔法が組み込まれた道具のこと。まあ、魔法を知らないんじゃあ知ってるわけないよな」
曰く、この世界には魔素という名の成分が空気中にあるのだという。人々はそれを体内に取り入れることで、魔力を生成し蓄えるのだそう。
そして、体内の魔力をエネルギーに変換し外に放出する法を魔法というらしい。
「んで、その魔法が組み込まれたのが魔法具。魔力を流すだけで魔法が使えて、こうやって飯も作れる優れもんだ」
「ほれ」と、茹で上がったカエルモドキを渡される水菜。茹でたてホカホカのはずなのだが、それほど熱くはない。
だが、その見た目と、ぷにぷにとした触感は、やはり食欲をそそられないものだった。
「カブってかぶりついてみろ。堕ちるぜ」
そんなこと言うアインは、カエルモドキの頭を嚙み千切り、心底幸せそうな顔をしていた。
その顔を見ると、本当に美味しいのでは、と思えてしまう。
意を決して、カエルモドキの、腕を少し食べる水菜。いきなり頭から食べる勇気はなかった。
そして、口に入れた瞬間。中で感動が起こる。
「美味しい……!」
すかさず、カエルモドキにかぶりつく水菜。
プリっとした触感の中に、柔らかい肉と旨味汁のようなものが隠れており、それが口の中に一気に広がった。
触感だけで例えるならば、餃子の皮に包まれたササミだろうか。そのグロテスクな外見からは想像もつかないほどに美味だった。
腹を空かせていたこともあってか、あっという間に二匹、三匹と食べてしまう水菜。
アインも満足そうに食べていた。
しばらくし、腹いっぱいになった水菜の胃が消化をし終えた頃、操縦席のアインが、前方を指さした。
そこには陸地があり、山に囲まれた町があるのが見えた。
「見えたぞ、あれが漁師の街、サーラットだ」
# # # #
いくつもある漁船の間に、船は泊まった。
桟橋の出っ張りに船を泊めておくための縄を括り付けているアインをよこに、船を降り立つ水菜。
あたりは普通の港のようだった。普通といっても、文化レベルが違うため映画の中でしかみたことのない場所だったが、土地自体に異常なものは見受けられなかった。
異常は、やはり町ゆく人々やものにあった。
その広い港には、多くの人々がいた。鎧やら、ローブやらを平然と着て歩く者も居れば、なにやら白色の小さな生き物が大量に入った網を担いでいる者や、網の代わりに大剣を担いでいる者。
さらには、荷車を引っ張る、体毛のない灰色の熊のような生き物や、たてがみの赤い馬のような生き物。そして「きゅい」という言葉に視線を落とせば、海から桟橋に這い上ってきた、背中にヒレがついた青い猫みたいな生き物がいた。
それこそ、本当に映画の中でしかみれない光景だった。
その光景に、改めて異世界に来たことを水菜は実感する。
「ローゼン! おいローゼン! こっち来てくれ」
後ろでアインがそう叫んだ。その声に、港の奥で他の人と話していた金髪の男の子が反応した。
「やあアイン! もう帰りかい?」
駆け寄ってきた少年は、水菜を見てキョトンとしていた。
「あれ、見たことない子だけど、アインの彼女?」
「バカ、そんなんじゃねえよ」
見た感じ中学生ほどの少年だった。作業着のような服を着ており、胸には「サーラット・カンパニー」と書かれていた。見たことのない文字だったが、なぜか意味は理解できたのだ。
「オレはローゼン。サーラット・カンパニーの見習いさ。君は?」
「えっと、水菜です」
「ミズナ? 変わった名前だね。よろしく!」
そう言って、ローゼンは手を出した。水菜が手を握ると、ブンブンと元気よく振っていた。
「ミズナはなんでアインと一緒にいたんだい?」
「えっと、海を漂流していてところを助けてもらって……」
「漂流!? なにがあったの?」
当然そう聞いてくるローゼンに、どう水菜が答えようか迷っていたところ、アインから助け船が出される。
「それよりローゼン。こいつの査定頼む」
「あー、りょーかい。ってわお、またドデカいの獲ってきたねえ」
アインに呼ばれたローゼンは、さっさとそっちへ行ってしまう。アインの船に繋がれた巨大へびを見て、ローゼンは感嘆の声を上げていた。どうやら、あのでかさはこの世界でも珍しいようだ。
「あと、いまからちょっと用事あるから、査定終わったら適当に運びだしといてくれ」
「ん? いいけど、どこいくの」
「ちっとログんとこにな」
そんな会話のあと、アインは水菜の横を通りすぎ、「ついてこい」とだけ言って歩き出す。
がやがやとにぎわう港を抜け、石造の建物が並ぶ大通りを歩く。
大通りにも人は多く、そこかしこで人がざわめきあっている。通りすがりに、多くの人がアインに声をかけており、ついでに後ろにいる水菜を何者か問いただしていた。
「騒がしいだろ」
知り合いを適当にあしらいながら、前を歩くアインがそう聞いてきた。
「ま、まあ」
「ミズナの世界じゃあ普通か?」
「いや、だいぶにぎわっているほうだと、思います」
水菜がそういうと、アインは「そらそうだ。サーラットはこの国で一番騒がしい町だからな」と笑っていた。
「ここにいるやつらはほとんどがバカか能天気だからな。毎日うたげやさわげだよ」
ふと見ると、樽を台にし腕相撲大会なんてものをしているのが目に入った。筋骨隆々の男たちがひしめき合っている。
「ど、どこに向かってるんですか?」
思わずそう聞く水菜。
するとアインは、少し笑って言った。
「バカでも能天気でもないやつのとこ」
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