月下の語らい

――――綺麗すぎる海を見ると思い出す。あのやけに暑かった夏の日々のことを。


焼き尽くさんばかりに熱されたアスファルト、鼻に漂う潮の香、小さな港に並べられた小舟、そして、元気に笑っている子供達と、それを見守っている男性の姿を。


水菜、大樹、京、そして――――



「ブァックションッッ!!」



乙女チックに物思いにふけっていた水菜は、乙女とは程遠いくしゃみを豪快に響かせた。夜の甲板に、白けた空気が漂う。


「……」

「な、なによ、その顔」


なんともいえぬ顔で大樹を、鼻をすすりながら水菜は顔を赤くそめて睨みつける。


「いやぁ、なんというか。もっとこう、オンナノコらしいくしゃみは出来ないのかと……」

「……あんた、何幻想見てんのよ。もしかしてアイドルはトイレに行かないとか思ってる口?」

「いやさ。今更お前にオトメなことなんて無茶な注文は言わないけどさ、お前もヒト科のメスならもっとこう、あるじゃん」

「なに言ってんのかよくわかんないけどとりあえず殴られたいってこと?」


そういうところだよなあ、と言った大樹の腹部に見事なストレートが突き刺さった。「おぶへぁ!」と間抜けな音を出してうずくまる馬鹿が一人。


現在、水菜達がいるのは客船ただし号の後ろの甲板だ。


面積三〇平方メートルもなさそうなプールがある甲板の裏手、階段を下りたところにある、教室の半分ほどの広さの場所に、水菜達は手すりにもたれかかっていた。


消灯時間はとうに過ぎている。夜間のプール遊びを防止するためか、その場に唯一あった電灯も影を潜めており、水菜達を照らすのは、天空を彩る自然のイルミネーションのみだ。


ゆづる達を二人きりにさせた後、本当は影から見守るのぞきみする予定だったが、ゆづるに満面の笑みでブッコロスゾと言われたので(ヤンデレ気質アリ)仕方なく退散したわけである。別に部屋に戻ってもよかったのだが、どうせ暇だろうからとここに居る次第である。


「そういえばさ」

「ちょ、おま、これマジできついって……」

「来月、ケイちゃんと会うんだよね」


いまだうずくまっている大樹に言葉を無視して、水菜は言葉を続けた。


その言葉に大樹は目を丸くして、


「え、お前ら連絡取り合ってたの?」

「逆にアンタは連絡先知らなの?」


呆れたような目を向けてくる水菜に対し、大樹はいやいやと首を横に振りながら、


「小一のころにあっち行ったんだぜ? 連絡先とか知りようがねえだろ」


携帯は中三のころにようやく買ってもらった大樹としては、小学一年のころに分かれた友人との連絡手段など、無いに等しかった。


「兄さんが住所知ってたから、そこに手紙送ったの」

「おお、このご時世に文通とは……」

「いや? LI〇EのID送ったから、いまそれで連絡とってる」

「……いや、なんとなく分かってたけどさ。まあ、便利だよね」


ちょっと感動した分、謎の寂しさに苛まれる大樹。ちなみに大樹のケータイは母のおさがりのパカパカケータイなのでSNSなどはやったことがない。標準機能として最初から入っているものもあるようだが、大樹のケータイは三世代くらい前の奴なのでそんな便利なものはついていない。


「でもそっか、もう十年もたったのか……」


その小さな、ため息のような呟きが、妙に水菜達の耳に響いた。


再び、甲板に沈黙が訪れる。


二人の目は、どこか遠いところを眺めていた。まるで、なにかを思い出すかのように。


「……船に乗るのも、あれ以来か」

「……うん、そうだね」


二人の脳裏に映る、とある日々の記憶。


それは二人に暖かさを与え、


同時に、罪悪感をもたらした。


「……懐かしいな。俺も会いたくなってきた」

「一緒に行く? ケイちゃんがこっちにくる予定になってるから」


沈黙を断ち切るように、あるいは、その記憶から目を背けるようにして放った大樹の言葉に、水菜も続く。


「会ったら驚くと思うよ。ビデオ通話で見たけど、ケイちゃんすっごい美人さんになってるから」


そういう水菜の言葉に、大樹は思いっきり顔をしかめた。


「……何、その顔」

「いや、俺にはあの小学男児が美人さんになってるビジョンが全く思い浮かばないんだけど。っていうか、女子の『可愛い』ほど信用できないものはないってじっちゃんが言ってた」


その大樹の言い分に、今度は水菜がムっとする。


「ちゃんと可愛くなってますー! だいたい、男子の『かっこいい』もよく分からないよ」

「あん?」

「だって大樹、そこまでイケメンじゃないおっさんとかよくかっこいいとか言ってるし」


それを聞いて、大樹はハっと鼻で笑う。


「ったく、全くわかっちゃいねえなお前は」

「どういうこと?」

「いいか、『かっこいい』と『イケメン』は別のものだぞ」


頭に『?』を浮かべる水菜に、大樹はふふふと憎たらしい笑みを浮かべながら、


「『イケメン』は外見のことだが、『かっこいい』は生き様のことなんだよ」

「…なにかっこつけてんのよ」


ドヤ顔でそう言う大樹に冷たく言う水菜だが、案外的を射てるような気がするので、ムカつく大樹に対する苦し紛れの言葉だったりする。


「ふふ、じゃあな、俺的に最もかっこいいシチュエーションを教えてやろう」

「なによ」

「ズバリ、ピンチのヒロインをギリギリのところで助けるヒーロー!」

「……ベタすぎない?」

「王道と言うがいい」


ふふふとドヤ顔の大樹がうざいので、無視することにした。


結局王道が一番いいんだようんたらかんたら言う大樹の言葉を右から左に聞き流し、水菜は思い出す。


十年前、近場の公園で遊んでいた三人の子ども達。そして、小さな港で出会ったおじさん。


海を見ると、自然と思い出してしまう。


周りを見渡してもただっ広い海があるだけで、ここがどこかなど、見当もつかない。


ただ、もしかしたら、あの時と同じ海なんじゃないかと思ってしまう。そう思うだけで、あの時の記憶が脳内に再生され、ダメと分かっていても気分が悪くなり、目頭が熱くなる。


それでも、昔に比べればマシな方だ。当時は、思い出しただけで涙がボロボロと零れ落ち、いつまでも泣き続けていた。


これは、強くなったからなのだろうか。そうだと、良いなと思う。


(私は、強くなれたのかな……透さん)


「喋りすぎて咽喉乾いたな。ジュース賭けてジャンケンしようぜ」

「……アンタ、ほんと空気読まないよね」


ようやく語り終えた馬鹿だいきは、そんな水菜の呆れた台詞を無視し、拳を振って水菜を挑発している。


確か、この階の下に自動販売機があったことを水菜は思い出した。


「まあいいわ。ジャンケンね。オーケー叩き潰してやるわ」

「負け犬の台詞叩きやがって、財布の用意しとけ」


お互い睨み合い、火花をバチバチと散らしている。


こういうノリがいいところは傍から見るとお似合いに見えるのだが、そんなことには気が付かない二人。


「「さーいしょーはグー!」」


握り拳を振りかぶり、次の動作に備える。


「ジャーンケーン」と水菜がいつのも台詞を口ずさもうとしたところで、しかし、大樹はそんな水菜を見て不敵に笑い、


「ジャンケンポンッ!」

「ッ!?」


と突然早口で言いきったのだ。


慌てた水菜は、思わず一番単純なグーの握り拳を出してしまう。


(し、しまったー! こういうことするプライド無しのドクズ野郎だったこいつはーっ!)


ぐぎゃああ! と悲鳴を上げそうな表情で、プライド無しのドクズ野郎の手を恐る恐る見ると…


チョキだった。


「……」

「あ、あれぇ!?」


思いもよらぬ展開に、罠にかけた大樹自身が驚きの声を上げた。


アホを見る目で大樹を見る水菜。


声に出さずとも、大樹にはわかった。


「なにやってんのお前」と、そう言っている。


「いや、違うんだって! いつもの癖でついチョキを出しちゃったんだって!」


慌てて弁解をする大樹だが、正直喋れば喋るほど馬鹿が露見するのでやめたほうがいいと、水菜は真剣に考えていた。


正真正銘の馬鹿は、そんな水菜の目に耐え切れず、


「わ、ワンモア! ワンモアチャンス! 三回戦勝負で、もう一回やらせて!」


と苦し紛れにほざきだしたので、次負けたら二回言うこと聞くという約束で再度ジャンケン。


「はっはー! 今のはちょっとしたアレだ! 次こそ叩き潰してくれる!」


拳を握りしめて叫ぶ大樹を見て、


(あー、大樹がよく言ってるフラグってこれのことかー)


とちょっぴり水菜が賢くなり、「「ジャーンケーンポン!」」という掛け声が夜の船に響いた。


#  #  #  #


「金が……」と嘆きながらすごすご左右にある下へ続く階段へと向かっていく大樹の背中を、水菜は呆れを通り越し、哀れなものを見る目で見ていた。


騒がしかった馬鹿もいなくなり、沈黙が夜の船に訪れる。


美しい夜空を見上げ、再び、あの日のことを思い出す。


そう言えば、今朝海を見ていた時、ゆづるが何か言いたそうな様子だったのを思い出した。


もしかしたら、何かを察しられたのかもしれない。


気を遣わせてしまったかもしれない。そう考えると水菜の胸が痛んだ。


今度聞かれたとき、なんて答えようかな、と考えていた、その時だった。


コツ、と、足音が聞こえた。


音源は前方から、上のプールがある階へと続く階段からだ。


V字になっている二つの階段の左側から、誰かが下りてきたのだ。


ここに、照明は月明かりしかなく、丁度影になっていたので顔は見えなかった。


さっき、大樹が大声を出したので、それを聞いてきたのかも、と水菜が思っていると、足音の主が階段を下り終え、月光の下へと姿を見せた。


思いもよらぬ人だった。


肩まである茶髪に、Tシャツの上から半そでの上着、下は短パンの少女だった。


確か名前は、相羽愛。水菜達の、隣のクラスに最近転校して来た子だ。


奇妙な時期に転校してきたのと、名前が『あい』ば『あい』と覚えやすかったので記憶に残っていた。


だが、今、水菜にそんなことを考えている余裕など、微塵のなかった。


水菜の視線は、一点に集中させられていた。


その、相羽愛の右手にある、一本のナイフに。

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