大海原の恋路-2
「ダウトぉぉぉおおおおおおおッ!」
そう叫んだ大樹が指さした先には、乱雑に積まれたトランプの山があった。三〇枚以上はあろうそのトランプは全て裏返されており、そこに今まさに「4」と言いながら裏返したトランプを置こうとした直輝は、その言葉にピタリと手を止める。
その場に緊張が走り、直輝以外の三人、特に大樹が大きく息を飲んだ。
そして大樹は見た。
手元を指さされた直輝のその口が、ニヤリと歪められるところを、
大樹は何か言おうと動いたが、もう遅い。圧倒的に、手遅れだった。
直輝の手首が反転し、トランプの表が露わになる。
そこにはスペードのマークが描かれており、端には、無慈悲に「4」の数字が書かれていた。
「ぎゃあぁぁあああああああああああああッ!」
「あーっはっはっはぁ! 残念だったなぁアホウめぇ!」
肘をついて打ちひしがれる大樹の前で、彼と同室である
「じゃ、ドベの桜木は全員分のジュース奢って来てね。僕はオレンジで」
「んじゃ、俺はリンゴジュースで」
「炭酸系のもん頼む」
「くそぉぉぉ」
トランプを片付けながら優一がそういうと直輝と、もう一人の同室である
「今金欠なのに…」と嘆きながら部屋を出て行く大樹を、ニヤニヤと笑いながら見送る三人。
時刻は午後九時半。夕食もとっくに食べ終わり、四人一部屋に割り振られた客室でくつろいでいたところ、大樹が自分のリュックサックからトランプを取り出し、第一回チキチキトランプ大会を開催した次第である。
そしてボロ負けした次第である。
「次、なにしようか」
当然のように一位だった優一は、整理し終えたトランプを置きながら、他の二人のそういった。
「まあ、それは桜木が帰ってきてからでもいいだろう」
「俺は他のゲームやりてえな。さっき大樹のリュック覗いたら、なんか色々入ってたし」
優一のその言葉に、将治はひらひらと手を振りながら、直輝はチャックが開きっぱなしになっている大樹のリュックを見ながら、それぞれ答える。
なにをするにせよ、泣く泣くジュースを買いに行った大樹が帰って来るまでは何も出来なさそうなので、それまで談笑することにした優一達。
話題の漫画だの、最近見たテレビ番組だの、あいつがあいつのことが好きだの、また女子が優一に告白しただの、それをまた優一が振っただの、優一コロスだの話していると、ふと、直輝が思い出したように言った。
「あ、そういえば佐藤美咲さ、なんかすげえオーラ出てたよな」
その言葉に一瞬反応したのは、優一だった。ピクリと硬直し、しかし優一は何も言わなかった。
「ああ、あの金髪美女か。なんつうかどす黒いというか禍々しいというか、ただもんじゃねえオーラ醸し出してたよな」
「山本も『な、何か、俺の何かが叫んでる……あいつに関わるなと……』とか言ってたぜ」
同じように、将治も思い出すように頷き、直輝に同意している。
優一は、ただそれを静かに聞いていた。
「なんかすげえ飯田の事睨んでたよなあ」
「あー言われてみれば。なんというか、その、ご愁傷様だな……」
「……佐藤さんが、飯田くんのことを……?」
初めて、この話題に対し優一が声をあげた時、
「えぇい、買ってきてやったぞクソ野郎どもー」
部屋の扉が開き、手に四つの缶ジュースを抱えた大樹が入って来た。
「うぉーい遅いぞこの野郎」
「うるせえ、自販機がプールの近くの奴しかなかったんだよ!」
「ほんと豪華さが微妙だな、この船……」
そんな風に言い合う大樹達に対し、優一は一人考え込むように俯いていた。
「佐々木」
「……えっ、わっ」
突然名前を呼ばれた優一は顔をあげると、眼前のオレンジ色のアルミ缶が迫っており、慌ててキャッチする。
手にひんやりとした感覚が広がり、優一を思考の底から引き上げる。
「なにぼーっとしてんだ? お前」
大樹が怪訝に聞いてきたので、「いや、なんでもない」と首を振る優一。
「うぉおいっ! 炭酸系って言ったけどこれはねえだろう?!」と叫びながら『味噌ーダ』と書かれた色々と絶望的な缶ジュースを掲げる将治に、「炭酸系とかアバウトな注文したお前が悪いんだよ! ちゃんと全部飲めよ」と言いながら、大樹は缶コーヒーのプルタブを開けている。
「あ、そうだそうだ。佐々木」
「ん、なに?」
缶コーヒーを飲み、その苦さに顔をしかめた大樹は、「飲めないんだから見栄張ってんじゃねえよ」という直輝の言葉を無視し、キョトンとしている優一に、ニヤリと不敵に笑った。
「ちょっと、星見にいこーぜ」
# # # #
夜空に浮かぶ、蛍のように煌びやかに光る星々の、一際大きく光る月光に照らされる甲板の上で、水菜達は夜空を見上げていた。
「――綺麗だね」
水菜の口から、そんな言葉が自然と漏れた。
ちょっとした教室ほどの広さの甲板には、今は水菜達しかいない。消灯時間を過ぎているとは言え、誰もこの美しい夜空を見に来ないところを見ると、今時の少年少女達に星空は興味の対象にならないようだ。と言っても、水菜達と入れ違いで 一組のカップルがイチャイチャしていたので、一概には言えないだろう。
どちらにしても、今、ここに誰もいないのは、水菜達にとって好都合である。
大樹が、水菜からゆづるの告白の件について聞いたのは、つい昨日のことだ。
告白のセッティングをするには、優一と同じ男の協力も必要だと考えた水菜が、嫌がるゆづるを説得しながら、大樹に協力をお願いしたのである。
それを聞いた時、大樹は盛大にニヤついた。
それはもう、盛大に。
「いやあ、こんな星空初めて見るよ」
「前に熊本のばあちゃんの家に言った時より星あるな」
「どれがなんの星座か全くわからない……」
他の三人も、思い思いの気持ちを呟いている。
夜空にびっしりと敷き詰められている星々は、普段街中で見ている寂しい夜空と比べると、余りにも幻想的だった。
思わず、そんな綺麗な夜空に見惚れていたが、水菜達にはやるべきことがあるのだ。本題を思い出した水菜は、ゆづるにアイコンタクトをとる。
水菜の視線に気が付いたゆづるが頷き、大樹の方を向くと、すでにこちらを見ていた大樹が、親指を立てた。
それを確認すると、水菜は段取りを確認する。
段取りと言っても、なにか特別なことをする訳ではない。適当な理由をつけて、水菜と大樹がここから退出すればいいだけの話だ。
それら全てを確認し終え、水菜はゆっくりと息を吐く。
チラリと、いまだ星空に見惚れている優一の方を見て、そして、
「あーそういえばセンセーにヨバレテルンダッター」
思わず大樹とゆづるがズッコケた。
優一の脳内がクエスチョンマークに支配された。
(なっちゃああああああああんんッ?! なにその棒読み、わざとやってんの!?)
心の中で絶叫するゆづるだが、そんなことお構いなしに水菜の芝居という名の棒読みはまだ続く。
「ゴメンネーササキクン、わたしたちイカナキャだかラー」
「え、あ、えっと、うん?」
唐突すぎる出来事に、何が起こっているのか分からなくなり首を傾げている優一。
「あー、佐々木」
見ていられなくなった大樹が、大根と化した水菜を横にどけて、
「俺達、ちょっと香川に呼ばれてるからさ。先行くわ」
「ああ、そういうこと。でもこんな時間にか?」
「あーちょっとな。色々手伝って欲しいんだとよ」
「ふぅん」
大樹のアシストによって、なんとか流れを掴むことができ、内心ホッとするゆづる。
少し訝し気に思った様子の優一だったが、すぐに「オーケー、行ってらしゃい」と了承した。
「すまんな、ほら、さっさと行くぞ」
「ゴメンネーササキクンカガワセンセーニヨバレテテネー」
「お前はもうしゃべんな」
いつまでも大根になっている水菜に手刀を打ち込みながら、大樹達は室内へと入っていった。
「……どしたの飯田君、危ない薬でもやったのか?」
「……あの子はあの子なりに頑張ったんですよ……」
優一のかなり失礼な発言に、でもまあそう思っても無理はないと思ってしまうゆづる。
(じ、順調とはかなり言い難い感じだけど……なにはともあれ、これでようやく二人きりに…………二人きり?)
と、そこまで考えて、思考が停止する。
(……ふたりきり…………フタリキリ………………二人きり!?)
改めて今の状況を確認。
美しい星空の下、夜の甲板に、男女が、二人きり。
まさに絶好のシチュエーションではあるまいか。
そう考えただけで、一瞬で耳まで赤くなるゆづる。
「いやぁ、これだけで修学旅行に来れてよかったって思えるね」
「えっあっ、そ、そっすねえ」
「どうしたその喋り方」
そんなゆづるの様子に気付かず、いまだに星を眺めていた優一のセリフに、思わず変な喋り方になってしまい、恥ずかしさで死にそうになるゆづる。
「な、なんでもないなんでもない!」
慌てて手を振って誤魔化すゆづるに、優一は思わず、笑ってしまった。
「……なんで笑ってんの?」
失笑する優一をジト目で睨みながら頬を膨らませるゆづるを見て、その姿にまたも優一は笑っていた。
「ごめんごめん。昔の知り合いに似ていたから、つい……ね」
そう言って、静かに笑みを浮かべる優一に、ゆづるは動悸が早まるのを感じつつも、
「昔の、知り合い……?」
「うん。まあ、中学の時だから、昔というほどでもないんだけど……」
優一は、美しい空の蛍を見上げがら、物思いにふけっていた。
そんな彼を見て、息を呑む。
彼は、『知り合い』と言った。『友達』ではなく、『知り合い』。
この違いに、なにか意味があるのかは分からない。ただ、無視してはいけない〝何か〟がそこにはあると、ゆづるの直感が言っていた。
もちろん、本当にただの知り合いなのかもしれないが、優一が『知り合い』と語ったその表情は――――あの、何かを悲しむような表情は、ただの知り合いに対する顔ではなかった。
『友達』ではない『知り合い』。それはもしかすると、優一にとって特別な『知り合い』だったのかもしれない。
ゆづるは、彼の中学時代を知らない。どんな様子だったのかも、どんな事をしたのかも、人づて以上のことは知らない。
だから、彼と親密な、特別な『知り合い』が居たのかも、その人との間になにがあったのかも、ゆづるは何も知らない。
ゆづるは、昼間の事を思い出していた。
あの綺麗な海を眺めていた、水菜の事を。
ゆづるは知らない。水菜や大樹の過去に、なにがあったのかを。ゆづるは、なにも知らない。好きな人の事も、友人のことも、なにも。
だからか、思ってしまう。
自分は、彼に告白する資格なんて、あるのだろうか。
彼の心の中に入る資格なんて、あるのだろうか?
「何も知らないな、私……」
「え……?」
そんな思いから洩れてしまった呟きが、彼に聞こえてしまったようだ。
淡い天空のイルミネーションから目を離し、優一はゆづるの方を向いた。
「あ、いやなんでもないよ。ちょっと、思っただけで、なんでも……」
自分の失言に気付いたゆづるが慌てて誤魔化す。優一はそんなゆづるをしばらく見つめ、小さく微笑んだかと思うと、再び夜空を見上げた。
「……楽しみだね。ハワイ」
そしてしばらくした後、おもむろにそう言った。突然の言葉に、どう返せばいいのか判断に困ったゆづるを、夜空から目を離した優一がまた見つめ、続けて口を開いた。
「僕も知らないよ。桜木のことや、飯田くんのことや、沢口のことも」
その目はとても穏やかで、ゆづるの不安を優しく包み込んでくれるような暖かさがあった。
「言っても、桜木達とはまだ二か月くらいの付き合いだしね。あの二人がどんなだったかなんて、知る機会もないし」
優しく微笑みながら、優一は続ける。
「でもさ、僕は桜木達との旅行、楽しみだよ。もちろん沢口との旅行も。今は、それだけでいいんじゃないかな」
それだけ言うと、優一はまた夜空に目を向けた。優一が、なにを思ってそう言ったのかは分からない。
でも、それだけで胸のつっかえはとれたような気がした。
そうだ、確かにゆづるは彼のことを知らない。彼の心の中に入っていいかなど、わからない。
でも、それはここで立ち止まる理由になるのだろうか。それすらもゆづるにはわからない。
わからないが、それを
彼を見つめる。夜空に心を奪われ、口元に笑みを浮かべている彼を見て、ゆづるは思う。
私は、彼が好きだ。ならば、今はそれで充分だろう。
「さ、佐々木、くん」
ゆづるの声に、彼は視線を下げた。
その瞳に、尻込みしそうになる。
でも、もうここに立ち止まっていたくない。
「わ、私、佐々木くんのこと」
息を飲み、決心する。
やわらかい、ピンク色の唇をすぼめ、その言葉を口から出す。
しかし、それなのに、その言葉が彼に届くことはなかった。
「きゃぁぁぁぁああああああああああああああああああ!!」
その悲鳴が夜の船上に響きわたり、ゆづるの決死の告白はかき消された。
「…………え?」
突然の悲鳴にゆづるはもちろん、優一も目を見開き固まっていた。
しかし、ゆづるはそんなこと気にしてはいられなかった。
聞き覚えのある声の、その叫び声を、聞いてしまったから。
「な……なっちゃん……?」
ゆづるの呼びかけに、つい先ほど分かれた友人が答えることはなかった。
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