大海原の恋路-1

クジラの遠吠えが、港に響き渡る。


それと共にこの船、『ただし号』はゆっくりと動き出した。


大型トラック八台分ほどの大きさをしたこの旅客船は甲板も広く、多くの生徒が各々遊んでいる中、水菜は手すりにもたれ海を眺めていた。


透き通るように綺麗な海と対照的に、水菜のその顔は、薄汚く青ざめていた。


別に、体調が悪いわけではない。


理由は至極簡単。


「へーいなっちゃーん!」


黄昏ていた水菜に、横から声をかける者がいた。見ると、短パンに白いパーカーを着た、白いカチューシャがトレードマークのゆづるが、両手にペットボトルを持って、水菜と同じように手すりにもたれていた。


「はいこれ、りんごジュース」

「ありがと……これどこで買ってきたの?」


ひんやりと冷えたペットボトルを手に取り、水菜はそう言った。船に乗る前は持っていなかっただろうし、この冷え具合から見て、カバンの中に入れていたというわけではなさそうだが。


「船の裏っかわに自販機があったの。他にもプールがあったよ。面積三〇メートルもなさそうだけど」

「……ほんとこの船って豪華さが微妙だね」


苦笑い気味にそう言う水菜。


水菜達の高校は、私立の為か理事長の権限が漫画並みに強く、修学旅行先も理事長の気分によって左右される。去年は理事長がお孫さんのぬいぐるみを誤って海に落としてしまい「おじいちゃん大っ嫌い!」と言われ、修学旅行先は隣の県に一泊二日になったらしい。完全にどうかしている。


だが今年は当たり年だったらしく、一カ月間かけて、船でハワイを往復するそうだ。なぜ船なのかと言えば、子供達に大人気の『航海戦隊シーレンジャー』という特撮に絶賛ドハマり中のお孫さんが放った「船に乗りたい!」という一言が理由らしい。


理事長のポケットマネーで買ったこの船は、お孫さんにたいそう気に入られたらしく、今年の旅行先を決める会議で「ハワイでいんじゃね?」と言い放ったと聞く(ゆづる談)。


どうやら、水菜の周りにまともな大人はいないようだ。


ちなみに船の名前はお孫さんから取ったらしい。


「で、なっちゃんどうしたの? 顔色悪いけど」


となりで、水菜と同じりんごジュースを飲んでいるゆづるは、水菜の顔を覗きながらそう言った。


「……わかってるでしょ。ほら、後ろ」

「おお、なるほどあれね」


チラリと後ろを見て、わざとらしく頷くゆづる。


水菜は水菜で、チラリとだけしか見ていないのに、背筋に悪寒が走った。


水菜の後ろ、甲板の向かい側に、白いベンチが設けられていた。木でできた、公園にあるようなベンチだ。


そこに、彼女は座っていた。


禍々しさすら感じる、突き刺さるような刺々しい視線に、どす黒いオーラを醸し出している、佐藤美咲だ。


彼女は、ベンチに座りながら、ジ――――――――――っとこちらを見ている。この三日間と同じように。


結局、あの下駄箱の出来事の後、佐藤美咲に直接なにかされるようなことはなかった。


出来る限り誰かと一緒にいたり、下校時は暗くなる前に帰るようにしたりと、一応対策はしたのだが、特にこれといったことは起きず、佐藤美咲はただ水菜を見ているだけだった(見ているだけでも相当のダメージを水菜に与えていたが)。


ただ、それでなら大丈夫だと安心できるほど、水菜は馬鹿じゃない。


むしろ、今日と言う日を考えたら、この三日間なにも起こらなかったのも頷ける。


そう、今日から修学旅行、ということを考えたら。


今日から一カ月間、水菜達は同じ場所で生活し、同じところで寝るのだ。高校の修学旅行で一カ月間という頭の悪い日数にどう考えてもおかしいを思っても一カ月間共に生活するのだ。


それはつまり、朝から夜まで佐藤美咲と共に生活することを意味する。佐藤美咲にとって、これほどのチャンスはないだろう。


この一カ月間、修学旅行中に必ずなにかが起こる。水菜とゆづるはそう結論づけた。


「ねえねえなっちゃん」

「なに?」


これからの事を考え、深々とため息をついている水菜に、ゆづるは心配そうに問いかけた。


「この事さ、やっぱりダイちゃん達に言ったほうが良かったんじゃないの?」


ゆづるのその言葉に、水菜はほんの少しだが、口を閉ざした。


甲板に上がってきた山本の、「ウっ……さ、寒気が……俺の記憶が、警鐘を鳴らしている……だと!?」とか言う声を耳にしながら、目の前の綺麗な海を見る。


「今のところ、脅されただけで特に何かされたってわけでもないし、二人には関係ないし、それに……」


確かに、優一とはかなり関係があると言える。そもそも、優一のファンの逆恨みによるものなのだから、むしろ当事者と言っても過言ではなかろう。


だが、それでもこれは、水菜に降りかかってきた問題なのだから、水菜が振り払うべきだ。そう胸に秘め、だがそれよりも、強く思う。


「あの二人に……大樹に、心配はかけたく、ない」


水菜は、海を見ている。


なにかを思い出すように。


本当に綺麗な、澄み切った海。それをまるで、決して手の届かぬ幻想でも見るかのように。


「まあ、そんなこと言って、ゆづるは巻き込んじゃったね。悪いとは思ってるけど、ありがとう、相談に乗ってくれて」

「なっちゃん……」


ゆづるは、その顔の意味を知らない。その目の意味を知らない。だけど、目の前の親友の顔を見て、何か言ってあげなければならないという衝動に駆られた。


しかし、ゆづるが口を開く前に水菜は、その綺麗な海から目を離し、ゆづるに顔を向けた。


「そ・れ・よ・り・も・さあ?」


その顔に、先ほどの面影は微塵もなく、ニヤニヤと効果音が聞こえてきそうな不敵な笑みを浮かべていた。


「な、なにかなあ?」

「ふっ、今とぼけたってなーんの意味もないでしょーが!」


その突然の変わりように若干引き気味になるゆづるに、「なにって言われても~」と言いながら、水菜は指をわさわささせながら思いっきり顔を近づけ、


「佐っ々木くんに告白することに決まってんジャーン!」

「ッ――――――! (声ッ! 声大きい!)」


小声のつもりらしいが、そこそこ音量の出ているその言葉に、ゆづるの顔が一瞬で茹で上がる。


傍から見ると、ゆづるが友達の少女に顔を近づけられ耳まで真っ赤にしているので、辺りにユリの花が見えそうになっている。


微妙に注目を集めていることに気付かず、水菜は話を進める。


とどのつまり、ゆづるの告白の件である。


「いやー、にしてもゆづるが佐々木くんのこと好きだったとはねえ。あのカード見た時はほんとビビったよ」

「そのことは言わないで!」


先日、あらぬことから優一に対するゆづるの思いを知ってしまった水菜は、ゆずるに告白の手伝いをして欲しいと(脅迫紛いに)頼まれた。


二年生ながらにしてサッカー部副部長兼エースを務め、学年順位トップレベルの成績を誇る佐々木優一は、容姿端麗文武両道才色兼備という、高校生が欲しい三大四字熟語の全てを手にしてしまっている、超がつくほどの完璧ボーイだ。多くの女子生徒が彼に好意を抱いており、ゆづるが彼にそういう感情を持っていたとしても、なんら不思議ではなかろう。


その冗談みたいなスペックを思い出し、改めて優一の完璧さに驚きながら、この前のテストの時、学年で下から七番目の点数で「よっしゃあ! 前より10点も上がったぜ!」とかほざいていたどっかの馬鹿とは大違いだと水菜は呆れてしまう。


「でさ、告白はいいとして、実際どうすんの?」

「ど、どうすんのって、その、なんというか、こ……はく、する、シチュエーションを整えてほしいというかなんというかごにょごにょ……」


普段あっけらかんとして他人の恋愛に必要以上にニヤニヤしながら首突っ込んで来るくせして、自分のことになると顔を真っ赤にして内気になっているゆづるを呆れた目で見る水菜。


「いや、それはいいんだけどさ、SSK団はどうすんの?」


そう言いながら、水菜は後ろに目を向ける。そこには、いまだ禍々しいオーラを出しながらドギツイ睨みを利かせてくるSSK団の団長さんがいる。


優一と別段仲がいいという訳ではない水菜がここまで危険視されているのだから、告白なんて、それもSSK団の団員がしてしまったら、どんな目に合うか想像しただけでも恐ろしい。


「あー、それに関してはねー……」


するとゆづるは、何か言い淀むようにして目を逸らし始めた。


不審な態度をとる友人に、水菜は怪訝な顔をすると、


「今佐藤さんはなっちゃんの監視に夢中になってるわけだから、なっちゃんに裏側のプールとかに行って貰えればあの人もそっちに着いて行くだろうからその間に終わらせちゃおうと思ったりしてたりなんて…ひぃっ!」


ゆづるが突然奇声を上げた理由は至極単純で、佐藤美咲に負けず劣らぬどす黒いオーラを水菜が放っているからだ。なんか後ろに怒りの炎が見える気がする。


「へー、つまりなんだ。あんたは私を囮にしようと、物凄い怖い人に目を付けられて悩みまくってる私を囮にしようと、そう言いたいのね。へー」


ものすごーい冷たい目で水菜はゆづるを見ている。


ゆづるは冷や汗と言い訳が止まらない。


「いやその囮にしようと言うかまあそうなんだけどいやでもまあ今のなっちゃんもその怖い人に負けないくらい怖いから大丈夫というかなんというかそのごめんなさーいっ!」


さわぐちゆづるは にげだした!


#  #  #  #


そして、


「あ、ちょ、待てコラぁぁぁああッ!」と叫びながら逃げ出したゆづるを追いかける水菜を眺めながら、白いベンチに座っていた金髪の少女、佐藤美咲は、スッと立ち上がる。


耳の真珠を模した白銀のピアスを光らせ、風に金髪に染められた長い髪をなびかせながら、彼女は呟いた。


「プール、か……」

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