三日前-2

「あー、明々後日の修学旅行の件だが、ドライヤーは部屋にあるらしい。それと船だから酔い止めはもってこいよー。んじゃ、さっさと授業始めっか」


ぱぱっとHRを終わらせた担任の香川の言葉に、大樹が若干ビクリと肩を震わせた。


「えーっと確か課題があったよな。ノートの奴。さっさと集めろよー」


しかし香川がそう言うと、ホッと一安心し、頬を綻ばせる大樹。


だが、


「あ、そういやプリントもあったな、確か練習問題の奴」


その言葉に、大樹の笑顔がピシッと固まった。


「んじゃープリントも一緒に集めろー。ん、どうした桜木。なにプリント忘れた? んじゃーまた実験だ……もとい補習しねえとな」

「ひぎゃあああああああああああああああああああああああああ!!!?」


絶望した大樹の雄叫びが教室内に響き渡り、忘れ物常習犯の何人かが祈りを捧ぐかのように手を合わせていたのが目に入ったが、正直水菜はそれどころじゃなかった。


大樹が流してる汗の、数百倍は嫌な汗が水菜の全身を駆け巡っている。


顔も青ざめており、傍から見れば体調を心配する者もいただろう。


原因は明白。


(ま、まだ見られてる……)


水菜の三つ後ろの席。


そこに座る、髪を金髪に染めた少女から放たれる禍々しい突き刺さるような視線。それが絶え間なく水菜に注がれているのである。


(あの人は確か……佐藤……美咲、さん……だったっけ)


なんとかうろ覚えだった彼女の名前を引き出す水菜。


佐藤美咲。髪を金髪に染めており、耳には校則ガン無視の白銀のピアスも付けた、ザ・不良というのが水菜が抱く彼女の印象だ。


というのも、水菜は彼女とあまり喋ったことがない。


不良だから、というのも確かだが、そもそも彼女はあまり教室にいない。たまに顔を出すことはあるが、今日みたいに水菜が来る前から席に座っているなんてのは珍しい。


そのため、水菜は佐藤美咲の機嫌を損ねるようなことはしていないだろうし、ましてやこんな殺人的な視線を向けられる覚えもない。


(っていうか後ろの席の山本君挟んでるのにこの圧ってどういうこと!? 何もされてないはずなのに悪寒が止まらないんだけど!)


水菜が座った後に山本が後ろに座ったのは気配でわかったので、休みというのは無いはずだ。


そう思いつつ、チラリと後ろを見る。


後ろの席の山本は、自分の机にうつ伏せになって倒れていた。


気のせいか、なんか口から泡を吹いてる。


(やまもとおおおおおおおおおおおおおおおお!?)


流石にこれは先生に言わないとヤバいんじゃね!? と思った水菜だが、そこで視線を上げてしまう。


佐藤美咲と、目があってしまう。


ギロリと、殺人的な視線を直視してしまう。


グルンと光の速さで視線を前に戻し、犠牲になった山本に手を合わせ、祈った。


# # # #


「それもしかして、佐々木君が原因なんじゃないの?」


昼休み、食堂でゆづると昼食を食べていた水菜は、かけうどんをすすっているゆずるのそんな台詞を聞いていた。


HRの後も、あの突き刺さるような視線は絶え間なく注がれ、昼休みになり、佐藤美咲が席を立った時まで生きた心地がしなかった。


ちなみにその瞬間に後ろの山本も目を覚ましたようだった。「ここはどこ!? 私はだれ!?」とか言ってたけど多分無事なはずだ。多分。


「……なんでそこで佐々木君が出てくんの?」


そして今現在、水菜は食堂でそのことをゆづるに話していた。


弁当に綺麗に並べられた厚焼き玉子を箸でつまみながらゆづるの話を聞く。


「知らない? 佐藤美咲と言えば、あれだよ。SSK団」

「えすえすけーだん?」


聞きなれない単語に、水菜が首を傾げていると、


「ほらあれだよ。佐々木君のファンクブラ」

「あー……実在したんだ」


イケメン爽やかボーイの佐々木優一は、面白いくらいモテる。


成績優秀でスポーツも万能な、文武両道。人柄もよく、茶目っ気もある、男にも女にもモテるタイプの冗談みたいな男だ。


どれくらいモテるかというと、四股した挙句バレてもハーレムにしたとか、優一目当てで大物企業の社長令嬢が天候して来たとか、優一が原因で不良グループの抗争が起こったとか訳の分からない噂されるほどモテるのだ。


そんな佐々木には、当然のようにファンクラブが存在する。


それがSSK団(非公式)。佐々木ファンによる、佐々木の為の佐々木ファンの団。


「……あのいかにも不良な人が佐々木君のファンクラブに入ってるって想像ができないんだけど」

「入ってる、っていうかリーダーだけどね」

「……余計想像ができないよ」


佐々木君のファンクラブに入ってるってことは、佐々木君の事が好きなんだよね? と思いつつ、そんな様子を想像……が全くできずますます頭を悩ませる水菜。


「っていうか、だとしてもなんでSSK団の団長さんに殺人的な視線を向けられるの。 私佐々木君になにもしてないよ?」


言っちゃなんだが、水菜と佐々木は仲良しというほど、仲が良いわけではない。


会ったら普通に話すし、仲が悪いわけではない。ただ、どちらかと言えば大樹やゆづるの友人という印象で、優一と話すときはだいたい二人のどちらかがいる。


何かしたかと首をひねる水菜。


するとゆづるは、何気なしに言った。


「たぶんねー、なっちゃんが佐々木君のことたぶらかしてると思われてるんだと思うよ」

「あーなるほどね~……………………………………………………うん?」


予想外の返答に、数秒水菜の思考がスリップした。


落ち着いて深呼吸し、ゆづるのセリフを冷静に分析し超高校生級の頭の回転力を使い考え、


「……どゆこと?」

「落ち着いてなっちゃん、あくまでもそう思われてるかもしれないってだけだから」


頭がヒートを起こしそうな水菜を、ゆっくりなだめるゆづる。


「えーっとつまり、私はたぶらかしてるの? 佐々木君を」

「いやたぶらかしてないよ。ただ、最近なっちゃんが佐々木君と仲良さげなのはみんな知ってるからさ。もしかしたら思われてるかもしれないってだけ」


ますます困惑する水菜。


確かに最近優一と話すことが多くなったのは事実だが、先の通り、水菜としては大樹、ゆづるの友達という印象の方がまだ強いためいまいち納得がいかなかった。


しかしそこで、水菜は一つ違和感を覚えた。


「あれ、でも佐々木君ラブレターとかたくさん貰ってるよ。あれはいいの?」


噂だけの水菜を、あんな殺す気満々の目で見てくるのだから、ラブレターを渡した人はどうなるのか、想像しただけで恐ろしい物だが。


「あー、それは大丈夫だと思う。ラブレターを佐々木君に渡しても、佐々木君は断るってファンクラブでは総意の考えらしいよ」

「だから構う必要はないと……?」


そこだけ聞くとそこまで過激な集団じゃないようだが、教室での出来事を思い出し、ブンブンと首を横に振る。あんな視線を人に向けるような奴が率いる団体が過激じゃないわけがない。


「えーでもなんで私に……意味が分からんぞ。なんで私が佐々木君をたぶらかさにゃならんのだ」

「なっちゃんにはダイちゃんがいるもんねー」

「そうじゃなくて」


リンゴジュースを飲みながらケラケラ笑うゆづるに拳を減り込ませたい衝動を押さえつけ、水菜はため息を吐きながら机に突っ伏す。弁当はすでに食べ終わっており、突っ伏した顔の真横の、空になった弁当からソースの匂いがした。


「あーほんとどうしようか。このままじゃああの佐藤って人に殺されてしまう……」

「そんな大げさな……」

「いーっや、あれは殺す目だね。てめえを殺すって視線から伝わって来たもん!」


ぶつぶつ言う水菜は、ジロリとゆづるを見て、


「だいたい、私よりゆづるの方がお似合いでしょーが。なんで私なのホント」

「え、そ、そう、かな」


水菜の言葉に、若干顔を赤くして答えるゆづるに、水菜は訝し気に思いながらも続けた。


「そりゃあ、そこまで仲良くもない私なんかより、小学校からの付き合いのゆづるの方がお似合いでしょうが」

「いや、小学校からの付き合いって言っても、私が一回引っ越して高校生になって戻って来て、ここでたまたま再会しただけなんだけどね」

「それこそ運命みたいでロマンチックじゃん。憧れるよ」

「あ、えっと、私、器返してくるね!」


何故か慌てて退散しようとするゆづるを、うつ伏せになりながら上目遣いで見ていた水菜は、ふと、ゆづるのポケットから机に、何か落ちたのに気が付いた。


何の気なしに拾ってあげようとして、その落とし物に手を伸ばす。


「ゆづる、なんか落としたよ――――」


それを見て、固まる水菜。


それはカードだった。画用紙を薄いプラ板でラミネート加工された、手作り感があふれ出る仕様の、そのカード。


そこには、こう書かれていた。



『SSK団 団員No.45 沢口ゆづる』



スパアアァンッ! という音を響かせ、水菜の手からカードを奪いとる団員ナンバー四十五さん。


その顔は羞恥心によって真っ赤に染まっており、先ほどの水菜の十倍は混乱してた。


水菜も居たたまれない表情でゆづるを見ている。


しばらくして、深呼吸し落ち着いたゆづるが、どうしようかおろおろしている水菜の肩に手を置いた。


「………………………………………………………………………………なっちゃん」

「な、なんすか」


若干怯えながら聞き返す水菜に、ゆづるは笑顔で言った。


「ちょっと、お願いがあるんだけど」


# # # #


放課後、水菜は一人、昇降口で靴を履き替えていた。


大半の生徒は部活で、その他はすでに帰っているので、今靴箱には水菜以外いない。


何故帰宅部の水菜がこんな時間まで学校に居たかと言えば、いつも一緒に帰っている大樹を待っていたのだが、大樹は今日は補修(という名の実験台)だったことを思い出し、今帰ろうとしているからだ。


「にしても、ゆづるが佐々木君のことをねー。全然気づかなかった」


昼休みの時間に聞いた、ゆづるのお願いを思い出し、人知れずニヤニヤと笑う水菜。


特に、何の変哲もない、ただの放課後の一時。


まだ若干上の方にある太陽が昇降口のアスファルトを照らし、夏の到来を水菜にサブリミナルさせ、外からはグラウンドに鳴り響く運動部の掛け声が聞こえてきた。


本当に、何の変哲もない、ただの青春の一幕。


あまりにも唐突に、その〝異常〟は現れた。



「おい」



たった一言だった。


たった二文字だった。


たったそれだけで、水菜の全身が硬直し、嫌な汗がブワっと湧き出た。


振り向きたくなかったし、振り向かなくても分かった。


それでも、水菜は振り向く。まるで、無理やり振り向かされているように、ギチギチと後ろを振り向く。


そこに居たのは、一人の少女だった。


髪は金色に染められており、耳には校則ガン無視の、白銀のピアスがつけられている。そして、その目から放たれる、その視線。禍々しく、突き刺さるような視線。


佐藤美咲。彼女は、相も変わらず、その殺人的な視線で水菜のことを見ていた。


カタカタと、声を出すことも出来ないでいる水菜に、佐藤はゆっくりと、その口を動かした。


「飯田水菜……で、合ってるよな」


返事なんてできなかった。


コクリと、頷くことしかできなかった。


そんな水菜にかまわず、佐藤は続けていく。


「……佐々木とは、どんな仲だ」


ごくりと、無意識に唾を飲んだ水菜は、悟った。


どうやら、ゆづるの言葉は間違いじゃなかったようだ、と。


なんでこんなことになっているんだと、その理不尽さに憤慨したい感情は確かにあったが、そんなことよりもこの時は『否定する』という選択肢が、水菜の喉を震わせた。


「さ、佐々木、君とは、た、ただの、友達、です」


なんとか言いきった水菜は、しかし、佐藤の目を見て凍り付く。


佐藤のその目は、落ち着くどころか、さらに険しい表情を見せている。


ただでさえ殺人的なその視線は、さらに凶悪さを増している。


心臓が高スピードで脈を打っているのが分かる。


汗が止まるのを知らず、もはや制服が汗でぐしょぐしょだった。


しばらくした後、佐藤は「そうか……」と呟くと、ゆっくり、水菜の方へと歩き出した。


逃げることなんて、できなかった。余裕綽々と、佐藤は水菜のすぐそばまで近づき、耳元にささやいた。


「夜に……気ぃつけな」


それだけ言い佐藤は昇降口から去って行った。


残された水菜は、結局大樹が声をかけるまで動くことができなかった。

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