一章 始まりの物語
三日前-1
ジリリリリリリリリリリリリリリリリッッッ‼‼‼
朝、恐らくこの世のほとんどの学生が不快に感じている音を鳴らす目覚まし時計という名の鬼の道具を静めさせ、飯田水菜は目を覚ました。
時計を見ると、時刻は五時半頃。高校生にしては早い時間である。二度寝を促す睡魔を叩きのめして、寝ぼけ眼を擦りゆっくり布団から這い出る。
青色のパジャマ姿の水菜は部屋の近くの洗面所へ行き、クシャクシャになった長い黒色の髪を整え、朝の用意をあらかた終えると、洗濯機から洗濯物を取り出し、洗濯籠に入れて、ベランダへ行くため、いったん洗面所からでて、隣の物置を通る。
そこそこ広い庭の屋根付きのベランダに洗濯物を干す水菜。昨日は雨が降ったため庭は濡れていたが、今日は六月らしかぬ晴天だった。首からかけられた、胸元の青い六角柱の水晶体のペンダントが、太陽光を反射して輝いていた。
洗濯物を干し終えると、さっき入った扉とは別の窓を開け、室内に入る。
その部屋は居間になっており、教室の三分の二ほどの長方形の部屋に、手前に茶色のソファ、奥に六人ほど座れそうな長机があり、そしてさらに奥に長机に垂直になる形でキッチンが設置されていた。
長机から台所が見える形のキッチンに入り、朝食の準備に取り掛かる。食パンに、マーガリンの代わりにケチャップを塗り、チーズや輪切りにしたソーセージを振りかけたものを三つほど作り、トースタ―にそれぞれ焼いていく。
三つ目を入れたトースターがチンと鳴ったタイミングで、水菜が入ってきた窓とは別にある居間の扉が開いた。
「はよーっす」
「……おはよー」
「ん、おはよう二人とも」
気だるげな様子で居間に入ってきた、高身長の男、
「いただきます」
「「いただきまーす」」
そう言いながら手を合わせ、三人はパンを食べ始める。とろりと溶けたチーズに猫舌の奈乃葉ははふはふと熱がりながら、一樹は半分寝ながらそれぞれ食べていく。
朝食も食べ終わり、水菜が食器を洗っていると、スーツに着替えた一樹が欠伸をしながら「いってきまーす」と家を出て行った。
水菜も片付けを終えると、自分の部屋に戻り制服に着替える。今日の授業の用意を確認し部屋を出て、パジャマから着替えた、ピンク色のランドセルを背負った奈乃葉と共に家を出た。
# # # #
飯田家の家事は、基本的に全て高校生の水菜がやっている。
理由は、彼らの家には両親がいないからだ。
一年ほど前、水菜達の両親は突然失踪した。
残された置手紙には、『ちょっと海外に遊びにいってくるねー☆』とだけ書かれていた。その手紙は読んだ直後に水菜が引き裂いた。
そんな感じで三人の生活が始まったわけだが、一樹は出版関係の仕事で忙しく、奈乃葉に至ってはまだ小学生だったため、仕方なく水菜が家事を切り盛りすることになった。
最初こそは戸惑い、両親に殺意を覚えたものの、元々帰宅部で、料理も好きだったため数週間で慣れた。飯田兄妹は順応性が高かった。
そんなこんなではや一年、高校二年生になった水菜は、いまや下校中に今日の夕飯なににしよっかなーそういえば醤油切れてたっけと自然に考え出すほど主婦力が上がっていた。現役女子高校生としては何も嬉しくないことだった。
「おーっす水菜」
分かれ道で小学校へ向かう奈乃葉と別れ、所々に水溜りがある、濡れたアスファルトの上を歩き、高校があるほうへと向かっていると、後ろからそんな声をかけられた。
「んー、大樹。おはよう」
振り向くと、水菜と同じ高校の、男性用の制服着た少年が、眠たそうな顔で水菜を見ていた。
水菜より少し高めの身長の少年、水菜の幼馴染である
「ふぁぁ、ねっむ」
「……また夜更かししたの?」
だらしなく欠伸をする大樹に、ジトーっとにらみを効かせる水菜。あちらこちらに寝ぐせがそのままになっているのが見える。
「仕方ねえだろうが。寝ようと思ったんだけど邪魔されたんだよ」
「邪魔されたって、誰に?」
大樹には、確か奈乃葉の一個上の弟がいるが、(兄とは違って)大人しく礼儀正しい子なため、大樹の睡眠を邪魔するようには思えない。
とそんなことを考えていると、
「ああそうだ。なにもかも『三丁目の八百屋さん』が面白すぎるのがいけないんだ」
「……アンタそれずっと漫画読んでただけじゃん。イッッッッチミリも仕方なくないよ」
グっと拳を握って悔しそうに歯ぎしりをする大樹だがまったくもって同情する気になれない。
「お前、『三丁目の八百屋さん』を知らないからそんなことが言えるんだ!」
「いやタイトルからして面白くなさそうなんだけど…」
「三丁目の八百屋の兄ちゃんと、商店街の愉快な仲間が織りなす、異世界系バトルホラーアクションラブコメSFファンタジーなんだぞ!」
「ラーメン全部乗せ!? 八百屋さんがバトルする描写が全く想像つかないんだけど」
そう水菜がツッコミを入れた途端、大樹は三丁目の八百屋さんの魅力について長々と語りだした。
桜木大樹は、いわゆるオタクである。とにかく漫画やアニメといったものが大好きで、よく水菜に勧めてくる。水菜曰く、「休日に古本屋行ったら必ずいる。んで立ち読みしてる」だそう。
そんな大樹の八百屋さんプレゼンは学校に着くまで続いた。
水菜は右から左に聞き流した。
# # # #
「あ、飯田くん。おはよう」
学校に着き、下駄箱から上靴を取り出していた水菜に、茶髪のイケメン爽やかボーイがそう話しかけた。
「おはよう、佐々木くん」
「よう佐々木」
イケメン爽やかボーイ、もとい佐々木優一は花も見惚れるイケメン爽やかスマイルを維持したまま、
「今日はいい天気だね。この様子なら三日後の修学旅行も大丈夫かな?」
「おいこら俺は無視かてめえ」
大樹の言葉に、しかし無視を続行する優一に大樹がヘッドロックを決めた。
「ちょ、ギブギブ! ごめんごめんやってみただけだって!」
「イケメンがんなことやってんじゃねえ嫌味に見えるんだこの野郎!」
なにやってんだ、と思って水菜が呆れた目で見ていると、バシバシと大樹に手を叩く優一の、もう片方の手に、紙袋がぶら下げてあるのに気が付いた。
水菜の視線に気づいたのか、ようやく拘束が解けた優一は「ああ」と言って、
「これね、また貰っちゃってさ」
「えー、確か昨日も貰ってたよね」
照れくさそうにそう言う優一の紙袋の中には、手紙がぎっしり詰まっていた。
どれもこれもハートのシールがついており、可愛らしい文字で『佐々木さんへ』と書かれている。
「……いつも思うんだけどさ。今時ラブレターなんて渡す人いるんだね。しかもこんなにも」
その量の多さにもはや呆れる水菜に、優一もそこが不思議なようで、
「まあ、なんやかんやでこういうのは無くならないんじゃないかな。ロマンって奴でしょ」
「恋する乙女がロマンか……」
古き良きなんとやらと言う奴かもしれん、と水菜が思っていると、横に居た大樹が荒んだ目で紙袋を眺めていた。
「なあ水菜」
「なに」
「昇降口でラブレター大量に持ってるやつとかどう思う嫌味にしか見えなくない滅んでほしいと思わない?」
「それはアンタの性根が腐ってるからじゃないの?」
爽やかイケメンと違いアホなぐらいモテない幼馴染のアホな言動を水菜が軽く流すと優一がきょとんとした顔をした。
「あれ、桜木は貰ったことないの? ラブレター」
「よしこれは嫌味だな確定だ死ねっ‼」
今度はコブラツイストをかけられた優一の「ええなんで怒ってんのちょギブギブギブギブギブ‼」という叫び声が「うるせえてめえみたいなのが一番ムカつくんだよお!」と大樹の怒声と共に校内に響いている。
「へーいちょーっと落ち着こうかダイちゃーん!」
そんな大樹の背中を誰かが叩いた。
「ん? ああ、沢口か」
背中を叩かれた拍子に、優一話す大樹。後ろから来たその少女、水菜より一回り背の低い、白いカチューシャがトレードマークの沢口ゆづるはそんな大樹を見ながらニヤニヤと笑っていた。
「大丈夫、自分がモテないからって佐々木君をシメる必要はないよ」
「てめえは喧嘩を止めに来たのか売りに来たのかどっちなんだおい」
ピクピク額に血管を浮かばせる大樹に、ゆづるは手でなだめながら言った。
「なぜなら、君にはなっちゃんという良妻がいるじゃーないかっ!」
大声で叫び、まだ朝方だが、おそらく今日一番になるだろう笑顔でグっ! とサムズアップするゆづる。
「やー、水菜はねーわ。ガキの頃からの付き合いの奴をそういう目で見れねーだろ」
「以下同文。弟みたいな奴だし」
「おいこら誰が弟だ」
しかし意外にも冷めた調子で大樹が言うと、同調するように水菜が言った。幼馴染なだけあって、こういうことは言われなれているのかもしれない。
予想外の反応をする二人を見て、ゆづるはつまらなさそうに口をすぼめた。
「えー絶対お似合いなんだけどなあ」
「うん、僕もそう思う。桜木、飯田くんがいるんだし、モテなくても心配ないよ!」
「よしぶっ殺す!」
「いいから早く教室行くよ!」
時計を見た水菜にまくし立てられ、歯をむき出しにして唸っていた大樹や優一達も教室へと向かった。
# # # #
「だあああああああああしまったあああああああああ‼」
「さっきからうるさい!」
朝の騒がしい教室に入るなり、予定黒板を見た大樹が叫び声をあげた。何かと思い水菜が予定黒板に目を向けると、一限目のところに、水菜達の担任である香川が担当する化学が来ており、その下には『課題あり』とだけ書かれていた。
それだけで、なんとなく察した。
横で汗だくだくの大樹をジトーっと見つめる。
視線に気づいた大樹は、音速で顔の前に手を合わせ、光速で腰を直角にまげ、
「ノートみせ
「やだ」
「ケチっ!」
冷たい目の水菜に、それでも涙目ですがる大樹。
「頼むよおおおお! あの人課題忘れたら補習とか言って謎の実験台にされるんだよお! この前なんか謎の薬飲まされて気づいたら謎の民族衣装来たおっさんたちに囲まれていたんだぞ!?」
「そんな謎すぎるマッドな体験をしておいて課題を忘れるアンタの自業自得でしょうが!」
逆にそんな体験をしておいてまた忘れ物をするなんて懲りていないどころか色々思考回路がどうかなっているとしか思えない。
「だいだい、アンタ毎回のように課題忘れては誰かにノート借りに行ってるじゃない。そんなんだから忘れ物が無くならないんじゃないの?」
ド正論を言われてぐうの音もでない大樹かと思いきや、大樹は拳を握って、
「それにはな、理由があるんだよ。仕方のないことだったんだよ‼」
と悔しそうに歯ぎしりする大樹に、しかし水菜は白けた目で、
「で、その理由ってのは?」
「三丁目の八百屋さん見ていつの間にか深夜になっててんでめっちゃ眠くて適当に今日の準備したらこんな目に、ってちょっと待ってほんとに待ってええええ!?」
泣き叫び水菜にすがる大樹に「次はないからね」とため息をついて、カバンから化学の課題用ノートを取り出し、「あざまっす! ほんとありがとうございまーっす!」と拝み倒す大樹に呆れながらノートを渡した、なんだかんだで甘い水菜は、ニヤニヤと笑うゆづるの視線を無視し、自分の机へと向かう。
窓際の、後ろから三番目の机にカバンを置き、今日の一限目、化学の授業の用意を取り出そうとした、その時だった。
「ッ!?」
唐突に、背筋に冷たいものが走る。水菜が感じたのは、視線だった。
チラリと、後ろを振り返る。
水菜の三つ後ろの席、最後列に座る少女がいた。水菜と同じ制服を着たその少女の髪は、金髪に染められており、耳には白銀の真珠を模したピアスが見えた。
そしてその印象の全てを上塗りするほどの衝撃的なその視線。禍々しく、突き刺さるような視線を水菜に向けて、さらにどす黒いオーラを放っていた。
向けただけで人一人殺せそうなその視線を向けられた水菜は、
(な、なななななななになになにえちょマジでなんですの‼!?)
あまりの混乱に口調がおかしくなった。
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