冴えない彼女の誕生日
園田智
冴えない彼女の誕生日
夏の残り香を感じさせる残暑もなくなり、いよいよ秋を迎える九月下旬。
俺たちは某ショッピングモールへと来ていた。
「わぁ、すごい人だね。でも、誰もマスクしてないけど大丈夫かな」
「なんだよその言い方。まるでこの世界でパンデミックでも起こっているような口ぶりだな」
「パンデミックかはわからないけど、この季節ってインフルエンザが流行するよね?」
こことは関係のない世界で起こっている社会問題は別として、俺たちの来ているショッピングモールには平日にもかかわらず、多くの人々が足を運んでいた。
「それにしても、本当に人が多いね。これだと当分は潰れそうにないね」
「そりゃ、この辺りで一番大きなショッピングモールだし、数年で潰れるようなら最初からここに建ててないだろ」
「それもそうだね。それに、ここが潰れたら少し不吉だもんね」
「不吉? なんでだよ?」
「だって、ここがオープンしたのって私たちが出逢った時くらいだよね」
「そうだな」
「ということは、ここが潰れるっていう描写って私たちの関係の破綻を意味してないかな?」
「そんな意味ないから。ここが潰れるのはただの経営破綻で、俺たちの関係にはなんの関係性はないから」
今までならこんなことを言うようなやつじゃなかったのに、ここ数年
「でも、今日ここに来たってことにはしっかりと私たちの関係と意味があるんだよね。倫也君」
「それはまぁ、大いにあるというか、それしかないというか……」
初めにも言ったが今日は九月下旬。ここまで読んでくれた読者ならすでにお気づきかもしれないが、今日は俺の隣にいる女の子の誕生日である。
「め、恵だって意識してんじゃん。というか、恵の方が意識してるだろ」
「えぇ、そんなことないよ」
「だったら、その服装なんだよ。数年前と一緒じゃん!」
そう、俺の隣に立つ女の子、もとい女性は数年前俺と訪れた時の学生時と同じ格好をしていた。
「まぁ、勝手にキャラ変すると倫也君怒ると思って」
「怒らないから。もう怒らないから!」
「じゃあ、嫌だった?」
「そ、それは……」
隣に立つ女性は少女と呼ぶには年を重ねすぎている。けれど、まだ三十路には到達してなくて、彼女の歳を知っていれば厳しいかもしれないが、見た目もどちらかというと童顔で、知らない者からすれば全く違和感がないわけで。
そして、俺はというと彼女の全てを知っているが、根っからの二次オタ。そんな俺が隣に立つ、白いベレー帽に白いワンピース。そして、それらの白さを際立たせる赤い服を身にまとった女の子を嫌いなはずがなかった。
「そんなことない……」
「よかった──」
俺の右手が今までよりも強い感触に襲われ、痛みすら感じ始めるがそれすらも心地よかったりする。
長年こうやって関わって来た中でわかってきたことの一つ。
フラットな彼女のフラットじゃない部分。
「それじゃあ、まずは──」
恵に引っ張られる形で歩き出すが、それもすぐに停止する。
そして、
「どこから行こうか。倫也くん」
慣れた手つきで俺は恵の出したマップにルートを引いていくのだった。
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「ねぇ、これどう思う?」
「ん? あぁ、いいんじゃないか」
俺と恵がいるところは女性服専門店。以前の俺ならば決して立ち入ることができなかった聖域。男一人で入ることはもちろんのこと、俺の場合ガールフレンドがいようが入ることができなかった領域。
しかし、数年も男女の関係が続き、何度もそういう場に訪れれば人は慣れるものである。
そして、男女でさえいれば決して周りからの目は痛くはない。見られることはあっても、彼氏かと思われるだけでジロジロと見られることはほぼない。
あるとすれば、俺と同じ男が俺の隣に立つ恵を見ることくらいだ。
「なんだかなぁ」
「ど、どうしたんだよ……」
今までは一緒にショッピングをすることさえなかった俺が一緒になって恵のショッピングに付き合っているというのにも関わらず、俺の彼女は不機嫌になっていた。
「もっと、何かいうことがあるんじゃないかな」
「えっと、どうしたんだ恵。俺、またなんかしたか?」
「そのネタ、もう古いよ」
「いや、ネタじゃないんだけど……」
確かにたまに二次ネタを言ったりするが、今の俺にそんな気持ちは一切なく、ただどうして恵が不機嫌になっているのか知りたかった。
一緒に恵とショッピングできるまで成長はしたが、いまだ女心というものは勉強の身であった。
「ゲームでこういう時どうしてるの。倫也くん」
「ゲーム? どうしてゲームが出て──」
「いいから」
恵にまくし立てられ、俺はギャルゲーにおけるデートシチュエーションをイメージする。
主人公とヒロインの女の子が一緒に買い物を楽しむ。その時、ヒロインは一つの洋服を手に取り、主人公に問いかける。
“これ、どうかな?”
ヒロインの問いに、主人公はこう答えた。
“まぁ、いいんじゃないか”
ヒロインは主人公のどっちつかずの反応に少し機嫌を損ねるのだった。
「あっ……」
「わかった?」
「はっきりと」
「じゃあ、もう一回」
恵は先ほど俺に見せて来た洋服を自分の体に引きつけて問いかけてくる。
「これ、どう思う?」
今度こそ間違えないように俺は言葉を選んで彼女の問いかけに答える。
「よく似合ってる、……かな」
「かな?」
「いや、だってさ、俺、今だにファッションとかあまりわからないし……」
「あぁ、そうだね。倫也君だもんね。しょうがないよね」
恵は持っていた服を元の場所に戻して、その場から移動してしまう。
「ご、ごめん恵。その似合ってると思うけど、他にもっといいのがあるかもしれないと思って……」
なんとか彼女の機嫌を回復させんと声をかけていると、恵の足が止まる。
「じゃあ、選んで」
「え?」
白いベレー帽が見えなくなり、恵の顔がこちらを向いて呟く。
「
ファッションについて分からないと先ほど言ったにも関わらず告げられる彼女の難題。
この数多の洋服から目の前の恵に合うものを選ぶなんてできるのだろうか。
いや、違う。
恵は今
オタクとして早十数年。その道の業界人として数年。俺はその世界でここに陳列してある洋服を凌駕するヒロインたちを見てきた。であるならば、彼女の難題を解くことも可能ではないか。
「わかった。誰よりも似合ってる服を選ぶよ」
「んっ」
それから、俺と恵は一時間近くそのお店に滞在することとなったのだった。
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「ほんと倫也くんは変わらないね」
「左様ですか……」
かれこれ数時間にも及ぶショッピングもひと段落がつき、片手に持っていた彼女の買い物袋を床の上に置いて、俺たちはショッピングモール内にあるカフェテリアで休息を取っていた。
なお、その買い物袋の中には俺が選んだ洋服はなかった。
「今の私にあれを着ろだなんて、いくらなんでも頭おかしいよ。倫也くん」
「おかしくないもん。あれが最適解だったもん」
「最適解だったかもしれないけど、正解じゃないよ。もっとメインヒロインに寄り添おうよ。まぁ、今日は服買うつもりなかったんだけど」
「それ、正解なくない??」
今になって衝撃の事実が恵の口から告げられ、今までの疲れがどっと噴き出してくる。
それは、連日に及ぶ仕事の疲れに匹敵するほどに。
「それにしても、ここ潰れてたんだね……」
「そう、だな……」
実は、ここのカフェテリアで休息を取ることは予定外だった。
恵が用意していたモール内マップでルートを決めたわけだったが、彼女の用意したモール内マップは一ヶ月前にネットで公開されていたものをコピーしたもの。つまり、かつてここにあったメガネ店はここ一ヶ月内で閉まり、新しい店であるこのカフェテリアが開店していたというわけである。
「どうしてなくなっちゃったのかな……」
「こういう所じゃ、普通にお店を出すよりも競争率が高そうだからな。どこの世界も弱者が淘汰されるんだよ」
俺たちが休息を取っているこのカフェテリアは全国的に有名なチェーン店であり、幅広い年齢層に人気のあるお店であった。今日も、ここに来ているお客の人数に比例するように店内は多くのお客で賑わっていた。
「あっちもなくなっちゃうのかな」
恵の見つめる視線の先にあるのは、この店の向かい側。かつて、彼女に今被っているベレー帽をプレゼントするためにベレー帽を購入したお店。
俺たちのいるお店と比べると、ほとんどお客さんがいない。数人、店内の帽子を物色しているが、大半の人間は店の前を素通りする。
「そうかもな」
他の人にとっては何気ないお店の一つかもしれないが、俺たちにとってはかけがえのないお店であり、お店はなくなろうが俺たちの心の中からは決してなくならないもの。
あの時恵が買ってくれたメガネを俺は今かけてないけど、恵はあの時買ったベレー帽を今被ってくれている。あと数年もすれば恵もこのベレー帽を被ってくれなくなってしまうかもしれないのかと思うと、俺も突然猛烈な焦燥感に駆られる。
「なぁ、恵」
「なに、倫也くん?」
「あの店行かないか」
「──うん。いいよ」
恵の返事はすぐに返って来た。しかも、俺から申し出たにも関わらず、俺よりも先に席を立ち上がり、すぐに会計へと向かってしまう。
そんな恵の後を追って、俺たちは向かいにあった帽子屋へと入っていった。
相変わらず、店内には数多くの帽子が置いてあり、春夏秋冬どの季節にも向いていそうな帽子もあれば、これからの寒い時期に向けたような帽子も置いてあった。
「あっ」
そして、そんな帽子の中には当然、ここで買ったベレー帽もあるわけで。
「人気だったりするのかな」
「かもしれないな」
どんな人にでも買ってもらえるためだろうか、一色だけでなく、茶色や赤色、はたまた黄色のベレー帽もあるが、やはり、その中には今恵が被っている白のベレー帽も置いてあった。
「さすがに二個もいらないかな」
「そうだよな!」
あの日のことをつい思い出してしまい、このまま俺たちにとって思い出深い白いベレー帽を買いそうになるが、流石に恵の待ったが入る。
家に置いてあるならまだしも、恵は今白のベレー帽を被っている。そんな人が全く同じ帽子を買うなど意味不明すぎる。
「でも、せっかくだし何か買わないか?」
「それはいいけど……」
恵は今までとは違い、自らの意志で帽子を選んだりはしなかった。それどころか、帽子ではなく、俺の方ばかり見ていた。
ここは俺たちにとって思い出の地。そして、その思い出とは俺が彼女に白いベレー帽をプレゼントしたこと。すなわち、ここで買う帽子を選ぶ役は恵ではなく、俺なのだ。
それに、先ほどの服屋のリベンジもある。今回こそ、恵にとっての正解を当ててみせる。そう意気込みながら、俺は店内に置いてある帽子を一通り見渡す。
(うっ、わ、わからん……)
だが、そんな簡単なものではなかった。
そもそも、ファッションさえわからないような人間が帽子の良さなどわかるはずもなかった。それに、二次元においても帽子というアイテムはあまり出てくるものでもない。それだけに、俺の長年のデータベースにもこれといった情報源がない。
(黄色とかは避けたほうがいいよな。恵はあまり派手な色は好まないだろうし。あと、あれも恵らしくないし、そうなると残るは……)
俺のこれまでの二十数年間に及ぶ人生の経験と、数年に及ぶ恵という女性の情報を算出した結果、一つの帽子を導き出すことに成功した。
「これなんかどうだ?」
苦労の末選び抜いた帽子を恵に手渡すと、最初驚いたような表情をしたかと思えば、すぐにいつものフラットな恵に戻る。
「これが、いいの?」
「あぁ、それがいい」
「でも、これって今の季節じゃないよね?」
「まぁ、そうだな。俺の知ってる情報だとその帽子をかぶるのは大抵夏だな」
「だよね。今秋だよ? これから冬だってことわかってる倫也くん?」
俺が選んだ帽子というのは、白の大きなつばの麦わら帽子であった。さすが帽子の専門店だけあって、こんな時期にも関わらずこんな帽子まで置いていた。
「わかってる。でも、これ以外恵に合いそうな帽子がわからないんだ……」
結局、今の俺では少ない二次オタの情報と恵という
「ほんと、なんだかなぁだよね」
俺の選択に呆れた口調で答えているにも関わらず、恵は被っていた白のベレー帽をとって、俺の選んだ白のつばの大きな麦わら帽子をかぶって近くにあった鏡で自分の姿を見つめる。
「倫也くんはやっぱり、こういう女の子が好きなんだってことがよくわかったよ」
「しょ、しょうがないだろ! 何十年も好きだったんだ。簡単にそれを超えられるものなんて出てくるはずないだろ!」
「ということは、これをかぶってる私なら、何十年も好きでいてくれるってことなんだ」
「……え?」
咄嗟の恵の言葉に、思わず力無い声が漏れてしまう。俺の声が聞こえてなかったのか、それとも無視したのかわからないが、恵は俺の方など見ずに、今だに白いつばの大きなベレー帽をかぶった自分とにらめっこしていた。
「うん。これでいいや。ちょうど季節外れで安くもなってるし、買ってくるね」
「えっ、あ、おい!」
「倫也くんは先に外に出てていいよ」
俺の待ったの声も虚しく、恵は一人会計の方へと俺の選んだ帽子を持って行ってしまった。
「なんだよ、たくっ……」
恵の突然の発言にも驚かされたが、俺の選んだ帽子をかぶった時の恵の新たな
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「流石に疲れたね」
「そうだな。俺は現在進行形で疲れてるよ」
「そんなこと言う主人公は私見たことないけどな」
「そういう返しの担当は恵じゃないから。他の人だから」
「もう私だと思うけどな。あぁ、でもこと一人においては専門分野だからありえるかもね」
「だーかーらー、そう言う返しはいらないから。もっと日常的な会話しようよ恵さん」
両手に恵の買った商品を持ち、流石にこの状態じゃ手を繋ぐこともできなかったので、俺たちは隣になって歩くだけという妥協をしていた。
「私も一つ持つよ?」
「いや、いい」
「すごく男らしいけど、倫也くんらしくないよ?」
「素直に褒められないの、うちの彼女は?!」
口ではこんなことをいうものの、そっと左手に恵の暖かさを感じる。
「持つよ」
「いや、いい。今はこのままの方がいいんだ」
「そう」
恵の優しさはこれ以上なく嬉しかったが、俺は断固として彼女の優しさを拒絶した。
そうでもしないと、俺の手汗が彼女にバレてしまうから。恵のことだからなんやかんやいいつつハンカチで拭いてくれるなり、そのまま握ってくれるなりしてくれるのかもしれないが、この手汗はきっとすぐに止まることはない。
なぜなら、今日の中で最大の山場がこれからあるのだから。
「ところで、一つ聞きたいことがあるんだけどさ」
「なんだよ……」
「私たちが車を止めた駐車場ってあっちだよね?」
「そうだな……」
「ならどうして、違う方向に向かってるの?」
「に、荷物持って俺も疲れたから最初にルート決めたところで休みたいんだよ」
「そっか。それで、その後ろのポケットの膨らみは何?」
「聞きたいこと一つじゃなかったの!?」
完全にこちらの意図を読まれていることに俺は降参し、勘の鋭すぎる恵に白状することにした。
「もう隠しても仕方ないから言うけど、恵への誕生日プレゼントだよ」
「へぇ、そうなんだ」
「いつも通りの反応ありがとう」
いつになくフラットな反応だったようにも思えたが、この際関係ない。毎年のようにプレゼント送っているのだから、今更サプライズにもならない。
今日二人でルートを決めたところにつき、荷物を置き、周りの人々が帰路につく中俺たち二人はそれぞれ席に座る。
「いつのまに買ってたのかな?」
「二ヶ月前」
「それは、それは用意周到だね。倫也くん」
「当たり前だろ。恵の誕生日は知ってるんだ。準備の大切さは社会人になって身をもって感じてる」
「さすが社長だね。言葉の重みが違うよ」
「今はそんなことどうでもいい。恵」
「なに、倫也くん」
俺はポケットからネックレスの入った長方形の箱を恵に差し出す。俺が一ヶ月にも及ぶリサーチの結果、今女性の中で人気急上昇しているブランドのネックレスであった。
「誕生日おめでとう。恵」
「……今までの倫也君らしくないね」
「俺も成長したからな」
「ほんと、成長してるね。倫也くんも」
俺が恵のために選んだネックレスを手にとって、恵は自らの首元につけてくれる。
「どう、かな?」
「似合ってるよ……。すごく……」
今までプレゼントして来た中でもトップ3に入るほどの高価で大人なものだったが、恵にはしっかりと似合っていた。
「嬉しいけどさ、こういうのはもっと渡す場所を選んでほしかったなぁ」
「い、いいだろここ! 俺が恵に初めてプレゼントした場所だし、それにここは俺たちにとって聖地なわけだし──」
「えっと、そういうことじゃなくて」
夕陽が辺りを照らし、日中ほどではないもののまだあたりには人がいる中、恵は俺の顔のすぐ近くまで自らの顔を近づけてくる。
「ちょ、め、恵!?」
慌てふためく俺をよそに、恵はさらに自らの顔を近づけて、彼女の唇が俺の頬のすぐそばまで近づき、そして頬を超え、俺の耳元まで近づいてくる。
帰路につく家族連れやカップルの喧騒ではっきりとは聞こえないものの、俺の知っている恵からは出てこないような言葉が聞こえた気がした。
「め、恵、何言って……!」
「あー。そういうのはもういいから、早く帰ろ」
俺のもっていた荷物を半分恵が持ち、空いたもう片方の手で俺の左手を握り、俺も急いで残った右手で残りの荷物を持って、駆け足気味で帰る恵の手に引き連れられて帰路へとつくのだった。
あの日の煌めきを決して忘れずに。
冴えない彼女の誕生日 園田智 @MegUmi0309
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