第6話 先輩と後輩 - KANADE -
飲みに行った日、同棲している恋人がめちゃくちゃ淋しがったという話を田町先輩にすると、それは申し訳なかった。今度からはお昼にしようとそれ以降はランチ会を開催することになった。
ランチであれば言うほどのことでもないだろうし、これからは
右星の焼きもちは可愛いと思うところはあるものの、それに伴うフォローでいろいろ体への負担が大きいのが困りものだった。
あれだけ毎日触りまくっていて、何を不安になるのかと思うところもあるけど、今まで他人には固執しなくてやれればいいだけだった右星が、わたしだけを求めてくれることには嬉しさはあった。
その日は猛暑が続くとニュースで頻繁に言っていた通り、外を見ると絶望的な太陽の日差しが照りつけていた。
ビル内は全館空調のお陰で暑さなど感じず快適そのものだったものの、仕事の方までは順調というわけに行かなかった。問題があるらしき機能の動作検証に私は疲れて、気分転換がてらビル内のコンビニに向かう。
煙草を吸う人はそのタイミングで休憩ができるけど、そうでなければこういう形でしか息抜きはできない。何かを買いたいというよりも歩ければそれでよくて、目に入ったチョコを買ってコンビニを出る。
呼び止められたのはその帰り道で、エレベーターホールでエレベータが来るのを待っていた時だった。
どこに視線をやるでもなくビルの外の空を眺めていたところに、女性の声で名を呼ばれて視線を近くに戻す。
どこかで聞いた声だという記憶があるものの、ぱっと顔と名前が浮かばなかったのでまずは姿を確かめる。
そこに立っていたのは、今私が担当しているシステムの業務部門の女性だった。
田町先輩にとっては会社の後輩になる存在で、はっきり言って人目を惹く美人だった。
肩に掛かる髪はピンクがかった茶色で、少しパーマを掛けているのか、女性らしい柔らかさを感じさせる。お洒落にも気を遣うタイプのようで、いつも派手すぎない範囲で可愛い系の格好をしているという印象があった。
「お疲れ様です。
名前は確か相阪だったはずだと応答を返す。
今までに接点があったのは打ち合わせの場で話をしただけだったので、呼び止められたことに違和感があった。
少しお時間をいただけないでしょうかと聞かれ、用件に心当たりがなかったものの、職場のビル内でおまけに同じ女性相手に警戒を抱かないといけないことなどないだろうと、肯きを返した。
そのまま同じフロア内のレストスペースに誘われて、先導する相阪さんについて行く。ユーザに誘われたのだから、これはサボりにはならないよな、と私はそんなことを思いながら可愛らしい後ろ姿を追って行っていた。
田町先輩はどちらかと言えば和の美人で、相阪さんは洋の美人とタイプは違うけど、今の業務部門の美人率は顔で選んだのかと思う程だった。
レストスペースは夕暮れが近い時間のせいか人もまばらで、ビルの外が眺められるカウンター席に相阪さんは座り、その隣に私も並んで座った。
「すみません、急にお声がけしまして」
「大丈夫ですよ。そこまで急ぎの仕事もないので。相阪さんとちゃんとお話するの初めてですよね?」
「はい。今日お声を掛けたのは仕事のことではなくて、個人的にお伺いしたいことがあったからなんです」
その言葉に接点もほとんどなく思い当たることがなさすぎて、相阪さんが続けるのを待つしかなかった。
「……田町さんとはどういう関係なのでしょうか? その、最近よくランチに行かれてるようなので……」
どこかで田町先輩とランチに行くのを見かけたのか、あるいは本人から聞いたのだろう。とはいえ、それをわざわざ私に聞かなくても身近な田町先輩に聞けばよいだけのはずで、もしかしてという思いが私の中に浮かんだ。
「田町さんは高校時代の先輩なんです。高校の頃に仲良くしていただいていたんですが、ここに来させてもらうようになって再会したのがきっかけで、時々ご飯に誘ってもらっています」
「高校時代の先輩と後輩、ですか」
「そうです。田町さんが私の一つ上なんです」
「えと、その……本当に先輩と後輩なだけなのでしょうか?」
やっぱりだ、と私は自分の推測が正しいことを確信する。
ある意味相阪さんと私は同類なのだ。
自覚症状がないくせに、あの人にはどうして女性を惹きつけるものがあるのかと内心で溜息を吐く。
「相阪さん、田町さんのことが好きなんですね」
横目で見た相阪さんの頬は一瞬にして染まるのが分かって、白磁のようなの肌理の細かな肌が変わる様は可愛いなと、つい余計なことをしたくなってしまう。
「はい。内緒にしておいていただけますか? 入社してからずっと田町さんのことが気になっています。田町さん、すごくワタシに優しくて……」
わかる、わかると自身の過去を思わず振り返る。
無防備な優しさが田町先輩にはある。女性同士なのだから警戒などしなくて普通だと言われそうだけど、それでも女性を惹きつける色気のようなものが田町先輩にはあった。
「田町さんに言ったりはしないので、安心してください。一つだけ私が提供できる情報があるとすれば、田町さんは今恋人はいないそうですよ」
照れながらの笑みはどうやら相阪さんにとって重要な情報だったようで、有り難うございますと礼を言われてしまう。
時々純粋なものほどかき乱したくなると右星が言う気持ちが、少しだけ分かった気がした。
相阪さんにあるのは純粋な田町先輩への恋心だ。
相阪さんはもしかすると田町先輩に告白をするかもしれないと思いながらも、その道は多難だろう。
それでも言わない後悔よりも言って失恋した方がまだ吹っ切れていい気がしていた。
もちろん吹っ切れなかったままの私の気持ちは、右星が奪ってはくれたけど、それまでに十年かかったのだ。
別れ際、相阪さんはどうするか考えますと、真面目な顔で伝えてくれて、頑張ってとだけ私は返していた。
私は恋はしてもいつも自分で心を伝えられた試しがないので、それを思い切るのはどれだけ決心がいるかは、悩んだ分良く分かっていた。
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