第8話 冬の夜空
辛うじてその日の宿を見つけた
泣き疲れて月曜日がやってきて、日常の忙しなさに楓奈は呑み込まれていく。
2次開発は1次開発ほどのトラブル続きではなかったが、それでも慌ただしさの中でなんとか開発工程が終わろうとしていた。
2次開発では楓奈はリーダー的な立ち位置になり、1次開発の時よりも責任は重い。
日向と一緒に並んでプログラムを直した日々はもう過去のことで、今の楓奈は後輩に指示をする立場になった。
立ち止まることなど人には許されなく、過去はすぐに色あせて行く。
いい思い出だったのかどうか、まだそれを判断できるほど楓奈は日向のことを整理できていなかった。
旅行から戻って、年末の忙しなさがやってきて、気づけばその日はクリスマスイブだった。
普段は残業が当たり前のメンバーも、その日だけは遅くまで残業をする存在はなく、人気がほぼなくなったプロジェクトルームの様に19時前には楓奈も退社を決意し、まっすぐに家に向かっていた。
昨年は日向がほぼ同棲に近い形で入り浸っていたため二人で過ごした。
プレゼントのようなものはなく、ただ帰り道でクリスマス向けの総菜と2切れ入ったケーキだけを買ってその日を楽しんだ。
そう思ってしまっていたのは、その時には既に楓奈が日向を好きになっていたからだろう。
報われないと知っていたのに楓奈は日向を好きになった。それでも認められなかったのは認めれば壊れる関係だと分かっていたからだ。
帰り道を一人で歩きながら目に入ってくるのは、街並みで目映い光を放っているLEDのイルミネーションだった。温もりを感じるために人は光を求める。
多分楓奈にとって日向はそんな存在なのだ。暖かさを求めて近づけば、ただ目映いだけの存在で温もりはない。
また思い出してしまったと楓奈は後悔をしながらマンションに戻り、オートロックの玄関を解錠してエレベータに乗り込む。
自分の部屋がある階で降り、廊下を歩き始めてすぐに楓奈の部屋の扉に背をつけて立っている存在がいることに気づいた。
あれは……
「なんでいるの」
それはもう楓奈が二度と会うことがないと思っていた存在だった。鍵は転勤が解除になった時に返してもらっていたが、どうやらオートロックは上手くすり抜けて入り込んだらしい。
「少し話があって。部屋に入れてくれると嬉しいけど……」
「部屋に入れる理由がないから。話があるなら向かいの公園とかなら聞くけど」
「この寒空に……まあ仕方ないか」
楓奈が拒否をする理由も理解はしているようで、日向はエレベーターホールに向かって歩き出し、楓奈もそれに続いた。
マンションの向かいにはブランコと砂場だけがある小さな公園があり、夜に訪れると外灯が二つ申し訳程度に点る淋しい場所だった。
クリスマスイブの夜、当然ながらそんな場所に人気があるがはずがなく二人きりの空間だった。
「この間はごめん」
ブランコの一方に腰掛けて、正面に立ったまま動かない楓奈に日向は謝りを口にする。
「謝る理由がないってあの時も言ったでしょう。多少マナー違反だとは思うけど、日向さんはそういう人だって知ってるから」
もう自分たちの距離は離れてしまったことを示すように楓奈は名前では呼ばずに敢えて姓で日向を呼ぶ。
「向こうに帰ってから楓奈以外の人とセックスしたことは誤魔化す気はないよ。男性と女性、一人ずついる」
それは僅か3ヶ月の間のことで、日向はもてるだろうと楓奈が思っていたことを裏付けるものだった。
「日向さんは日向さんが思うように生きてくれればいいです。私はもう関わらないと決めたので、わざわざそんなこと話す必要ないでしょう」
もう関わる気はないのだと、日向を突き放す。この関係を絆されてずるずる長引かせたくなかった。
「楓奈、聞いて。怖かったんだ、わたし。ほとんど楓奈の部屋に入り浸って、一緒に生活して、セックスもして、それを1年近くも続けてた。
そんなに長く続いたことなかったんだ、わたし。せいぜい3ヶ月続けばいい方で、わたしか相手かのどっちかが飽きるか浮気をして離れるだった。でも、楓奈とはちっとも一緒にいるのしんどくなかったし、楓奈がいればそれで満足できた。
あのままずっとだって続けられたかもしれない。でも向こうに帰るになって、自分がどうだったのかわからなくなったんだ。適当に相手を選んでしてみたけど、ちっとも気持ちがよくなくて、何のための行為なんだろうって思ったくらいだったんだ。
どうしようって思ってた時に楓奈が来てくれるって連絡くれたから、すごく嬉しかった。楓奈に触れるとすぐ楓奈といたころの自分に戻れた」
「それは日向さんの都合ですよね? あの時にも言いましたけど、以前の関係をもう続けるつもりは私にはないです。少しリハビリすればまた感覚掴めるんじゃないですか?」
「楓奈、そうじゃなくて、ちゃんとわたしとつきあって欲しい」
ブランコから立ち上がって、日向ははっきりと告げる。本気で恋愛をする気はないと過去に楓奈に告げた声と同じ声で。
右星の言葉の意味がわからない。
この人がそれで満足するわけがない。
「日向さんの言葉は信じられません」
「じゃあ前みたいに転がり込んでいい? そしたら示せる気がするから」
「何言ってるんですか。転勤解除になったばかりでしょう」
「会社辞めて、こっちに来て就職活動すればいいだけの話でしょう」
あっさりそんなことを言う人に怒りが湧く。
「大手SIerの社員のくせに、そんなことで人生棒に振らないでください」
「食べて行ければ別にそういうのに拘ってないし、わたし」
「却下です」
「じゃあどうしたらつきあってくれる?」
「つきあわないです」
「じゃあ結婚する?」
「寝言は寝て言ってください」
「困ったな~」
「寒いのでもう帰っていいですか?」
「駄目だよ。第一家に入れてくれないの楓奈だし」
「襲われるのがわかっているなら狼は家にはいれません」
「楓奈とエッチしたいし、愛し合いたいだけだよ」
「……日向さん、私はもう流されて何かをする気はありません。私だけを愛してくれる人を今度は探そうと思っています。私は女性しか愛せないけど、それでも私にだって幸せになりたいって思いはあります」
「だから、わたしが楓奈を幸せにする。これからは楓奈だけを愛して行くから」
一度目の言葉は深い意味はないかもしれないと聞き流した。でも二度目のそれは確実に意味を違えようがないものだった。
「どこに信じられる要素があるの」
「体でくらいしか示せないなぁ。信じられないかもしれないけど、わたしはもう楓奈としか駄目なんだってわかったから、これから先は他の人とは一切しない。気になるならGPSつけてもカメラつけてもいいから信じて欲しい」
「………………」
「楓奈、体からの関係だったけど、楓奈のことがいつの間にか好きになってました。愛しています。浮気とかしないようにするので、わたしの彼女になってください」
「…………バカ」
何もかもわからなくて、自らの感情が整理しきれずにしゃがみこみ自らを抱え込んで、楓奈は声だけで感情をぶつける。
「知ってる。楓奈、そろそろ本気で体冷えるから部屋に帰ろう?」
日向も楓奈に倣って屈み込み、横並びで楓奈の背に腕を回す。
「入っていいって言ってない」
「じゃあ入れてくれるまで玄関で待つしかないかな。帰りの切符もホテルも取ってないんだ」
「漫喫にでも行けばいいじゃない」
「クリスマスイブに漫喫ってちょっとなぁ。今日は楓奈と同じ屋根の下で過ごすって決めてきたから、入れて貰えないのなら一晩中玄関で立ってるよ」
「ほんとバカじゃない。死にたいの?」
「だから楓奈が面倒見て?」
日向の顔が近づき、そのまま唇を塞がれる。
凍える手で互いの顔も硬直に近い状態なのに、そこだけに感覚があった。
楓奈の背を抱えたままの日向に促されて共に立ち上がり、そのまま日向に手を引かれて楓奈は部屋に戻る。
怖さはある。それでも日向のことを信じたいと楓奈は期待してしまった。
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