第5話 暗中

日向ひむかいとは曖昧な関係が続いていたが、一方で7月から始まった設計工程は多忙を極めていた。


顧客との打ち合わせの度に新たな要望が増え、設計を担当するメンバーの顔色はどんどん疲弊して行く。

勿論楓奈かなでもその内の一人で、顧客打ち合わせ後の緊急ミーティングは既に常態化していてその日が来る度に鬱になった。


「お疲れ様です。今日の打ち合わせどうだった?」


朝から顧客打ち合わせに行っていたはずの日向の姿を廊下で見つけ、楓奈は声を掛ける。


「いつも通り。終わらないねぇこれは」


担当機能は日向と楓奈では違うものの、状況はどこもここも似たり寄ったりで、プロジェクト全体の稼働が高いことくらいは楓奈も気づいていた。


「詳細設計も始まるのにどうするんだろうね」


システムリリースまでの全体スケジュールは予め立てられている。

7月~8月が基本設計で顧客と設計内容を詰める工程、9月~10月が詳細設計でプログラムを作るにあたっての細かな設計をする工程の予定だったが、8月が終わろうとしている今もまだ基本設計が終わる目処すら立っていないのが現状だった。


二人とも進捗を管理する立場ではなかったが、状況が良くない上に出口が見えないことには流石に気づいていた。


「まあ基本設計を9月もやるにはなると思う。人を増やすって話を楓奈の会社の人にPM(プロジェクトマネージャ)が相談してたよ。詳細設計と並行でやり続けるんじゃない?」


「そうなんだ。うち人出せるのかな。1年目、2年目とかしかいないんじゃないかな」


楓奈の会社は人を投入すれば投入するほど売り上げが上がる契約で、それは会社的にはいい話だったが、必ずしも求めてる人材がその時にいるとは限らないのだ。


「可愛い子なら大歓迎だけどね」


「そうなったら日向さんは危険人物だから近づかないようにって言っておきます」


日向は男性も女性も拘りがない。楓奈は既に関係を持ってしまってはいるが、後輩たちは男女ともに楓奈が守るべきだろう。


「ひどいなぁ。気持ちいいことを教えてあげるだけなのに」


同じプロジェクトの中で楓奈以外にも日向が関係を持っている存在がいるのではないかと楓奈が思うことはあるものの、休日はほとんど楓奈の家に入り浸っているし、平日はそもそも残業続きで遊ぶ時間などない現状を鑑みると、恐らく今の所そういった相手はいなさそうだとは思っていた。


とはいえ、機会があれば手を出す性格であることも楓奈は知っている。


日向を自分に引き留めたいのか、離したいのか楓奈自身まだ分からぬまま関係を続けている。

ただ、他の相手が見えた時点で楓奈は日向を受け入れられなくなるだろうとは感じていた。


「不審者が言うことと同じよ、それ」


「楓奈だって気持ちいいくせに」


「出禁にするよ」


ひどいと声を上げる日向はその場に残して、楓奈は本来の目的を果たすために歩みを始めた。





結局開発が始まった時点でもまだ顧客要望は残り続け、未対応分については2次開発で対応することで顧客調整がついたと、楓奈はチームのリーダから聞いていた。


新たな仕様追加が今の開発分としてなくなることは喜ばしいことだったが、仕様が二転三転したことによる設計の変更はまだ残っていて、今その対応をしているのは日向ともう一人のメンバーだった。


そのせいか最近の日向は毎晩帰りが終電に近く、借りている部屋まで帰るのも時間が掛かりすぎると、途中下車して楓奈の部屋に毎晩のようにやってくるようになった。


シングルのベッドで二人で寝るのは余計疲れるだけだろうと思うが、ただ寝るだけなのに日向は楓奈の元にやってくる。


右星あきらって、人と一緒に暮らすの慣れてる?」


右に星と書いてあきらと読む。当て字すぎて読めない日向の名は、メールアドレスで読みを知った。


最近ではプライベートでいる時だけその名を呼ぶように楓奈はなっていた。


「なんで?」


「普通家族でもない人と一緒に住むのってストレスあると思うから」


「短期間なら人の家に転がり込んだことはあったけど、多分わたしが何も考えない性格だからじゃないかな。楓奈はストレス?」


「もう慣れたけど」


「サービスしようか?」


「間に合ってます」


それが何を示すかは流石に楓奈でもわかり、断りを入れておく。正直多忙な中で平日に日向と体を重ねるのは後に響き過ぎる。


「でも、残念ながらわたしが甘えたいので駄目です」


断ったのに敢えなく楓奈は日向にベッドに押し倒される。


「…………まあ仕方ないか。右星今頑張ってるから」


「そうそう。だから癒して」


被さってきた日向を拒否することなく、楓奈はそのままキスを受け入れていた。

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