第3話 二人だけの飲み会

金曜日は、定時過ぎまで楓奈かなでは仕事をした後、約束の時間近くにチャットで連絡をしてからプロジェクトルームを出る。

待ち合わせ場所はプロジェクトルームのあるビルの玄関を出たところで、すぐに日向ひむかいも姿を現し、二人で揃って店に向かった。


日向は顧客打ち合わせがある日はジャケットを着て少し気を遣っているが、それ以外の日はシンプルな格好が多く、今日もシンプルなシャツにスカート姿だった。

肩より少し伸びた髪はいつもバレッタで留めてすっきり見せている。


店に到着し、4人がけのテーブル席に向かい合って座ると、とりあえずビールを二つ注文して一息つく。店内はまだ時間も早いせいか、そこまで人は入っていないようでさほど賑やかさもまだない。


芳野よしのさんっていつも可愛い格好してるよね。芳野さんの雰囲気にすごく合ってるなぁって思ってる」


「でも、いつも同じようなデザインや色ばかり選んじゃうんですよね」


「それは解る。ファッション誌とか見て可愛いとは思っても、いざ買うってなるとそこまで頑張るパワーがないというか、新しいものにはなかなかチャレンジできないよね」


「そうなんですよね。自分に似合うのかと思うと手は伸ばしづらいですね」


そこにビールが運ばれてきて、ついでにと日向が数品注文をする。

メニューを見る時間などなかったが、オーソドックスなチョイスで、楓奈に駄目なものがあったら言ってといいながら手早く選ぶ。


「とりあえずで適当に頼んだから、食べたいのはこれからじっくりメニュー見よう」


日向は手際が良さそうだという印象は仕事ぶりを見ていて楓奈にあったが、仕事を離れてもそこは変わらないらしい。


まずは乾杯しようとジョッキを合わせて一口めを口に含む。


楓奈はそこまで酒には強くはないが、社会人になってビールの味くらいは楽しめる程度にはなった。

一方で日向は三分の一程度を一気に飲み干すところを見ると、酒はそれなりに好きなようだった。


「最近家で一人で淋しく缶を開けるだったから、やっぱり飲みはいいね」


「プロジェクトメンバーと行ったりしてないんですか?」


行ってないなぁと日向は口元に手をあてて考え込む。


「日向さんなら誘いが結構ありそうなのに」


「プロ転で来てるから正直上の人がいまいちよく分かってなくて、下手に飲みに行けないっていうのはあるかな。立場上上の人と飲むって、ある程度そういうの分かってないと怒る人とかいるから」


それは確かに頷けるところはあった。酒の席で人格が変わる存在はいたし、無礼講だと言いつつそれを根に持つ人もいる。

仕事関係者との飲み会はそういう気を遣う必要があるのが面倒で、酒を純粋に楽しめない所はある。


もちろんそれは人の性格によるのだろうが、日向は軽そうに見えても気にするタイプということだろう。


「芳野さんは会社も違うし、年も同じくらいだろうし、気軽に飲みに行けそうだなって」


「まあそうですね」


年を確認すると日向は楓奈より1歳下なだけだった。


「飲みに行くの好きじゃなかったりする?」


「誘われれば行くくらいですね。お酒を飲まないと1日が終わらないタイプではないので、時々飲めればいいかなくらい」


「じゃあ、これからも時々一緒に飲みに行きましょう」


満足げに日向は笑顔を見せる。女性でもどこか日向には少年っぽい純粋さががある。それがその笑顔によく現れていた。


そこから先はお互いに経験してきたプロジェクトの話をしあって、あるあると肯き合いながら時間を過ごした。


いつの間にか時刻は22時近く、かなり日向と話し込んでいたことに気づく。


そろそろお開きにしようと話をして、会計を済ませて揃って店を出た。

オフィスビル街の路地は所々に飲みを楽しんだらしき集団が点在するだけで、昼間に比べると人通りは格段に少ない。


日向に帰る方向を尋ねると、偶然にも芳野と同じ路線で日向の方が少し遠いだけだった。


「プロジェクト転勤なのにわりと遠いところに部屋を借りているんですね」


「そうそう。わたしが選んだわけじゃなくて勝手に会社が借りた部屋なんだけど、狭いし遠いし勘弁してだよ」


「そういう所自分で選べないんですね」


「こっちに地理感もなかったから任せますって言っちゃったわたしも悪いのかもしれないけどね」


「じゃあプロジェクト終わるまでは我慢するしかないですね」


そうみたい、と日向は溜息を吐き、二人は駅までの道のりを並んで歩み始めた。


「ねぇ、芳野さん。芳野さんって今晩どうするの?」


不意に聞かれた言葉の意味が芳野には全く見当がつかなかった。二次会でまだ飲みに行こうという誘いなのかとも思ったが、それであれば駅に向かおうとする前に話が出るだろう。


「わかんないか。夜を一緒に過ごす人っていますか?」


恋人がいるかどうかの問いだとようやく理解して、今はいないことを告げる。


「それはよかった」


何が良かったのかと問い糾す前に、日向に接している方の手を握られる。驚いて歩みを止めて日向に視線をやると日向はにこにこと笑っている。


「わたしは男性でも、女性でもどっちでも気にしないタイプなんです。芳野さんって男性が駄目な人ですよね?」


「…………どうして分かったんですか?」


そんなことは日向にはもちろん、職場の誰にも楓奈は話をしていなかった。


「感じただけかな。芳野さんは普通に男性とは接してますけど、踏み込まれる前に壁を作ってるように感じたので」


無意識に好意を抱かれないようにしようという思いは楓奈には確かにあった。

あからさまに嫌うこともなく、仕事上のつきあいであれば男性を男性として見ないような癖もついた。だからこそ日向に言い当てられたことに驚きを感じていた。


「そんなに驚かなくても。わたしもちょっとはみ出してるから気づいただけです。別に言いふらす気はないので安心してください。」


「はい」


「で、ここからが本題ですけど、折角なので今晩このままわたしと気持ちいいことを愉しみませんか?」


言われた言葉がわからず二度目のフリーズが起こってしまった楓奈に、日向からのキスが重なる。


「可愛すぎてしちゃった。ちょっと人恋しいのかな、わたしは」


ずるい言葉だと楓奈は思う。


好きでも愛してるでもなく、淋しさを理由に体を求める。


それがわかってしまうほどには楓奈も社会人になり、仕事の辛さを知った。


「今晩だけでいいので、駄目ですか?」


「……今晩だけで、その後忘れるのであれば……」


無邪気な誘いを結局断り切れずに楓奈は承諾を返していた。


そのまま喜ぶ日向にぎゅっと抱きつかれ、互いの温もりを感じ合う。


仕事上のつきあいだけの関係のはずだった。


でも、日向の温もりに楓奈は確かに欲情の階を感じてしまっていた。

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