第2話 きっかけ
社会人になって5年、システムエンジニアとしての仕事にも多少なりとも自信が出てきた楓奈は、自社のメンバーと共に大手のシステム会社から請け負った仕事をするために、そのシステム会社が用意したプロジェクトルームで作業をすることになった。
日向はそこで先行で作業をしていたメンバーの一人で、その会社の社員の一人であることだけは入った時点から知っていた。
プロジェクトルームにはその時点で20名強メンバーがいたが50代もいればまだ新人レベルのエンジニアもいる状態で、比較的年が近そうな女性は日向だけだった。
とはいえ楓奈は自社メンバーとの作業が中心で、途中までは日向のことは顔と名前を知っている程度でしかなかった。
親しくなるきっかけは、要件定義という工程の打ち上げの場で話をしたことに始まる。
積み残し課題は山積しているものの、何とか要件定義工程を終え、中締めの意味でその打ち上げの場は催されていた。
プロジェクトの中心を担うシステム会社と楓奈の所属する会社、あともう1社のシステム会社を中心に今回のプロジェクトメンバーは構成されていて、その大部分がその日の打ち上げには参加していた。
楓奈も要件定義を通じて一通りのメンバーの顔と名前くらいは一致するようになっていたが、話したことがあるかどうかはまた別で、そうなると近づき難さはある。
4人がけの掘りごたつ式のテーブルが複数繋げられて作られた宴会席の角で、楓奈は同じ会社のメンバーで集まって乾杯をする。
だが宴会の常で、中盤にもなってくると、そのメンバーも徐々に入れ替わって行く。
宴会の場では動くメンバーと動かないメンバーは決まっていて、楓奈は動かない方で、飲みかけのビールのグラスだけを持って移動してきたのが日向だった。
「日向さんってプロジェクト転勤で来てるんですね」
そこで日向のしゃべり方のイントネーションが時々違うという話になり、日向は別拠点の所属でこのプロジェクトのために集められたと経緯を話す。
「そのせいで全然知り合いがいないんですよ。同期もわりと少ない年で、このプロジェクトには当然いませんし、ほんとに仕事して帰って寝るだけの生活です」
「じゃあ
同じ女性で年が近ければ話が合うなどといった短絡的思考に溜息が出そうだったが、言い出したのは仮にも先輩で、ここで拒否をして角を立てるのも嫌だった。
「そうですね、日向さん今度仕事終わりに二人で飲みにでも行きませんか?」
この時点ではあくまで社交辞令として楓奈は日向にそう伝えたつもりだった。
楓奈の恋愛対象は初めから男性ではなく女性だった。男性が苦手なわけではないが、つきあうことを考えられない存在で、今更無理にチャレンジしようという気もない。
女性にしか興味を持てないことに気づいたのは高校生の頃だったが、その時はまだ何をする力もなく楓奈の初恋は想うだけで終わりを告げた。
大学に入ってから楓奈には女性の恋人ができ、それなりには上手く行っていたつもりだったが、楓奈が社会人になって会う時間が減ったことがきっかけで別れることになった。
1年程度はそのことを引きずっていたものの、流石に4年も経てばその傷は見えなくなっている。
一方で同期から誰とつきあい始めたという話を聞く度に、自分には縁遠いことだと楓奈は感じるようになっていた。
出会いの場に積極的に行くことも楓奈はしない方で、2度めの恋が終わってしまい、どうすれば人をもう一度愛せるようになるのか迷子になってしまっている気はしていた。
それは人恋しさはあるが、仕事を理由にまた駄目になるかもしれないという恐れなのかもしれなかった。
女性にしか興味がないとはいえ、日向が魅力がある女性であっても楓奈の好みでもなかったため、ただの会社の同僚として接することができるだろうと楓奈は考えていた。
日向はフランクで、男性にも女性にも好かれるタイプで、美人という程ではなかったが話しかけやすさがあり、誘いは恐らく多いだろう。
仕事上でつき合うならまだしも、プライベートではインドアで、できるならば恋人とずっと一緒にいたい楓奈にとっては、恐らく方向性が全く違う存在だと考えていた。
要件定義の打ち上げから10日が経ち、楓奈は日向との飲み会の約束を有耶無耶にしようという魂胆で、一度も声を掛けないまま淡々と自分の作業をこなしていた。
日向ならば楓奈でなくても誰かが飲みに誘うだろうという思いもあり気にしないはずだと思っていたところに、日向からのチャットが飛んで来る。
いつ飲みに行きますか? とだけ書かれたそれに仕方なく返信し、その週の金曜日に行く約束をした。
他にも誰か誘うおうと提案したものの、女子会もいいんじゃないですか、と結局二人だけの飲み会となっていた。
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