【16】




「――は?」


 人殺し。その短い言葉を聞いて、蒼澄は不快な表情を全面にむきだした。


「ふざけてるんですか?」


「ふざけてないよ。至極真面目」


「だとしたら、なおさらふざけてる。第一、何故そんなことをする必要があるんですか」


「何故か? まず第一の理由としてはデータ収集かな?」


 蒼澄が静かに怒りを煮えたぎらせるも、ピーターはどこ吹く風だ。


「まぁ、N-Zone,sネクストゾーンズ計画の被験体達もさ、結局のところどれくらいやれるのか? っていうデータが欲しいんだよね。現状だと、まだまだ不完全だし」


「そのために人殺し? 馬鹿げてます」


「まぁ、まぁ、人殺しっていっても無実の人を殺す訳じゃぁない。なんていうかな……ヒーロー正義でも、警察でも裁けないやつらを殺すお仕事に従事する感じ」


「……話にならない。警察に行きます」


 蒼澄が勢い良くソファーから立ち上がったところで、ピーターが顔をうつむかせて、くつくつと笑い声を上げた。猛は無反応を貫いている。


「……何がおかしいんです?」


「いや、いや、困っちゃうなぁってさ」


「……からかうのも大概にしてくれませんか」


「からかってないよ、大真面目さ」


 良い加減、ピーターのにやけた横顔を張り倒したくなる。それでも、冷静さを欠いてはいけないと蒼澄は自身に言い聞かせる。ピーターは一切余裕を崩さない。


「真面目にさ、困っちゃうなぁ、残念だなぁと思うんだよ」


「残念?」


「せっかく君と会えたのに、ここでお別れなんだからね」


「……脅しているんですか?」


「いんや、いや、まさか、だって君のような行動をとった人達がどうなったかなんて、僕知らないんだもん」


 残念だ、などとうそぶきつつ、その態度も表情もどこまでも愉快で仕方ないといった感じだ。何も本心が見えない、分からない。蒼澄は、目の前にいる男がいよいよ人間なのか理解出来なくなってきた。


「君は今まで、こんなことが世に起こってたなんて知ってた?」


「……」


「知らなかったよね? つまりそういうこと。警察にでも、マスコミにでも、なんならヒーローである君のお父さんにでも言って構わないよ。その後どうなるかは、僕の管轄外だから知らないけどさ」


 蒼澄の足が止まる。下らない、と一笑に付すことが出来なかった。


「それでも……」


「うん?」


「それでも、僕は、人殺しなんて出来ません」


 唇を噛んで、ピーターをねめつけながら、苦々しく蒼澄がつぶやく。この何もかもが意味不明な男に対する、精一杯の抵抗だった。


「殺す理由がないと、殺せない感じ?」


「そういうことじゃ……ありません」


「ふーん、じゃあ、君を殺した者達を殺す、って言っても駄目ってことかぁ」


 残念、残念、と腕を組んでピーターがため息をついた。蒼澄が、驚愕の眼差しで彼を見つめる。


「今、何を?」


「ん? ああ、君を殺した者達を殺す、ってこと? 次の仕事なんだよね、これ。要するに、あの事件の犯人達ね」


 そんな馬鹿な! と蒼澄が食ってかかる。


「あの時の犯人は、ティアエレメンタルの活躍でっ!」


「いや、だから、他に関わってるやつがいたってことでしょ?」


「報道では単独犯だとっ! 組織での犯罪じゃないって!」


「組織じゃなくったって、協力者くらいいてもおかしくない? あれほどの規模の犯罪よ?」


「それならヒーローも警察も見逃してないはずです!」


「見逃してもらわなきゃ困るやつらだった、ってことでしょ?」


 蒼澄の動きが瞬時に止まる。ピーターの言葉によって、彼の中に恐ろしい考えが浮かんだ。


「つまり、次の僕等の標的はね、なのよ。あの事件に協力した、ね」


 幸か不幸か、その言葉の意図が分からないほど、蒼澄は愚かではなかった。


 正義の世紀ジャスティスセンチュリーは、ヒーローが中心の世界である。


 では、そのヒーローになるための門戸もんこは狭いのかというと、実はそんなことはない。


 ヒーローになるだけだったら、ある程度の身体能力と面倒な手続きを経るだけで、簡単になれてしまう。それですら、場合によっては必要ではない。ティアエレメンタルがその一例だ。


 何故そうなったのか、理由は単純。ヒーローになってもらわないと困るからだ。


 ヒーロー中心の世界としては、そもそもヒーローの数を少なくしたくない。世界各地で跳梁跋扈ちょうりょうばっこするヴィラン達の驚異に立ち向かう者達は一人でも多い方が良い。


 また、ヒーローには様々には様々な特権が認められている。税制度、社会福祉制度、教育支援制度等、様々な方面において優遇措置が取られている。俗な理由ではあるが、これらの特権目当てでヒーローになる者も少ないとは言いづらい現状があった。


 ただ、難しいのは、むしろヒーローになってからである。


 ヒーローになるための門戸は広く、なったらなったで様々な特権が認められている。しかしながら、これらは逆も真なりなのである。


 すなわち、ヒーローとして認められるに足る実績を残せなかった者は、すぐさまヒーローとしての資格を剥奪され、各種特権も当然のように失ってしまう。


 正義の世紀ジャスティスセンチュリーにおけるヒーローとは、なってからが本番なのである。そこから、色んな人に認められるほどの実績を積み上げていかなければ、この世界はヒーローをヒーローとして認めないのだ。


 だからこそ、幼き日の蒼澄と朱音はこう夢見たのだ。


ヒーローになりたい】、と。


 ところで、ヒーローとして認められるためには実績を積み上げていかなければならない。ただ、その積み上げ方は正味な話、人それぞれだ。


 それこそ、真っ当でない手段を使う者も、いる。


八百長やおちょう


 蒼澄が、震える声でポツリと呟いた。


「ヒーローの中には、あえてヴィランと組んだ上で、不当な実績を積み重ねる人達もいる……そういうことですか?」


「そういうことだね」


「確かに、そんな話はを聞いたことはあります……けど、全部噂話で、ニュースとかでも全然聞いたことなくて……」


「そりゃ、そりゃ、ヒーローがヴィランと組んで悪いことしてます、なんて言えないからじゃない?」


「僕が巻き込まれたあれも……そうだって言うんですか?」


「信じる、信じないは君次第だけどね」


 地面が崩れ落ちるような感覚を蒼澄は覚えた。目の前にいる男の言葉を全力で否定して、すぐに逃げ出したかった。


 だが、こんなあやふやな男の言動に、一つだけ、こうだろうという確信が蒼澄にはあった。


 ピーターは、嘘を言っていない。


 先程から煙に巻くような言動ばかりで惑わされてしまうが、話の内容に嘘があるとは思えなかった。ただ、突拍子もない、というだけだ。それを信じる、信じないは蒼澄次第なのだ、それこそ、他ならぬピーターが言ったように。


「まぁ、つまるところ……今回の件にはヴィランと関わってるヒーローがいました、このことを表沙汰にはしたくありません。けど、そのままにはしたくありません。なので、僕達の出番ってことなのよ」


「そいつらを……殺すってことですか?」


「そそ、そそ、秘密裏にね。まぁ、僕等は基本的に実行部隊だから、殺し以外のことは担当しないけどねぇ」


 相も変わらずにまついた笑みを浮かべながら、ピーターがどこか楽しそうに述べる。


「おっさん、そろそろ良いだろ」


 ここまで無言を貫いていた猛が唐突に横槍を入れる。


「とりあえず、今この場で藤田に色々決めてもらうのは無理がある。一旦帰ってもらって、後日聞こうぜ」


「うん、うん、そうだねぇ。あ、これ、お土産に受け取ってよ」


 そうして、ピーターが机の上に、一本の注射器を置く。


「これは……」


「昨日村上君が打ってくれたやつね。君の中にある細胞も、ナノマシンも、定期的なメンテナンスが必要なのよ。それをやってくれるのが、これ。これがなければ身体のあちこちでその二つが悪さしちゃう。いずれはこれに頼らないようにしたいんだけどね」


 茫然自失としていた蒼澄だったが、不思議と、それを受け取るのに抵抗はなかった。


「当然、僕等に協力してくれるなら、それは定期的に提供されるよ。あとはまぁ金銭的な報酬も。少なくとも、そんじょそこらのサラリーマンよりはお金もらえるよん」


「拒否したら……どうなるんですか?」


「さっきも言ったじゃない。知らないよ、ってさ」


 ああ、きっとこの言葉も嘘じゃないのだろう。蒼澄はそう感じ取った。


「とりあえず、今日はもう帰って休め」


 猛に促されながら、蒼澄は部屋のドアに向かった。気を使ってくれた猛だが今の蒼澄に礼を言えるほどの心理的余裕はなかった。


「あ、協力してくれるなら三日後にまた来てねぇ。時間は」


「もうそこまでで良いだろ。その時になったら俺が迎えに行くからよ」


 部屋を出る後ろで、ピーターと猛の声が聞こえたものの、蒼澄の耳には届かなかった。その日はこれ以後、蒼澄は、どうやって帰ったのかさえ分からないくらいに気が抜けてしまっていた。

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