【15】
大和朱音の相談から始まった、怒涛のように押し寄せた出来事の連続は、藤田蒼澄の短い人生においても忘れられないことばかりだった。
二代目ティアエレメンタルの誕生を目の当たりにして、大規模のテロに巻き込まれ、生死の境をさまよった。どれもこれも
しかしながら、蒼澄自身に、どの出来事が一番に記憶へ刻まれているかを問おうとするなら……上記のどれでもないだろう。
藤田蒼澄という男の記憶に一番深く刻まれた出来事、それは、ある男との出会い。
それこそが、蒼澄の生き方を大きく変える切っ掛けとなった。少なくとも、彼は後になってもそう思ってる。
さて。
ここからは、その時の話だ。
「……あってるよな?」
村上猛(その時の蒼澄にそんな認識はなかったが)から半ば強引に渡された紙を見ながら、蒼澄が呟く。そこに書いてあった住所に足を向けながら。
外観自体は何の変哲もないビルだった。
しかし、だからと言って蒼澄はここが普通じゃない場所だと感じている。
事前に色々と調べても、ろくな情報はなかった。調べた限り違法ではないようだが、それを断定するための根拠もない。
不気味。そんな風にしか蒼澄は思えなかった。
狭い階段をゆっくり上がる、ドアの前に来たのだが、インターホンがなかった。迷いつつ、蒼澄が恐る恐るノックをする。
「待ってたよ、入ってどうぞ」
ドアの向こうから声が響く。親しみある声だが、なんだか微妙にいらだちを覚えてしまった。本当に何故か分からないが。
「やぁ、やあ、よく来てくれたね。歓迎するよ」
妙に古めかしい椅子をきしませながら、細見の男が言った。妖しい……それが、蒼澄が抱いた第一印象だった。
「何はともあれ、自己紹介だ。僕の名前はピーター。名字はあるが……まぁ、覚える必要ないんで、名前だけで良いよ。んで、そこのソファーに座っているのが村上猛君、昨日会ったんだっけ?」
ええ、まぁ、と蒼澄が返す。いつでも逃げられるよう、ドアの側からは離れない。今のところ危害を加える気配は見えないが、用心をするに越したことはない。
「はは、はは、警戒してるねぇ、藤田蒼澄君。まぁ、それが正解だね」
「何故……僕の名を?」
「あはははは、なんでだろうねえ?」
蒼澄の疑問を、ピーターはニタニタと不気味に笑いながらはぐらかす。薄気味悪いことこの上ない反応に、蒼澄は背筋が震えた。思わず、険しい目つきでピーターをにらんでしまう。
「……藤田、そのおっさんとまともに取り合うな」
ソファーに腰掛けている猛が横合いから口を挟む。
「とりあえずこっちこいよ」
「それは……」
「警戒すんのも分かるが、別にどうこうするつもりはねぇよ。それをするつもりなら、昨日の時点でやってる」
少々ぶっきらぼうな口調であるが、猛の言葉は、少なくともピーターよりは真摯だ。蒼澄が静かにうなずく。向かい合うようにソファーが二つあったので、猛がいない方のソファーに腰掛けた。
「ごめんねぇ、ごめんねぇ、藤田君。本当はもっと早く接触したかったんだけど、流石に君の家庭環境では色々と慎重にならざるを得なくてねぇ」
「僕のこと、どこまで知ってるんですか?」
「……どこまでだろ? どこまでだと思う?」
またしてもピーターが煙に巻く。顔つきがまるで狐のようであるのも相まって、人と話している気分になれなかった。妖怪とか、その
「良い加減にしろ、ピーターのおっさん」
猛がいら立たしさを隠しもせずに言い放つ。
「こいつはこいつなりに覚悟して来てんだよ。いつまでもふざけた態度とってんじゃねぇ」
「ごめんて、ごめんて、ちょっとしたジョークで場を和まそうとしたんだよぉ」
「笑えないジョークは最悪なんだよ」
「分かった、分かったって」
猛の凄みにピーターは反省の言葉を述べる。もっとも、人を食ったような態度は一切変わらなかったが。
「さて、さて、猛君にも怒られたことだし、本題に入るとしよう。まず、藤田蒼澄君」
「……なんでしょう?」
「おめでとう、君は選ばれた」
突然の祝福。当然ながら、蒼澄には意味が理解できない。
「はぁ、あの、何に?」
「来たるべき人類の進化の時。その時のための、大事な礎に、さ」
要領を得ない話に、蒼澄は言葉が追いつかなくなる。
ただ、先程までのピーターからにじみ出ていた怪しい空気は鳴りを潜め、その振る舞いにどこか重厚で圧迫感のようなものを感じられた。嘘ではない、蒼澄は本能で悟った。薄っぺらだったはずの言葉が、とたんに重みを増していく。
ちらと、蒼澄は猛を盗み見てみた。ピーターの言葉を聞く猛の表情は何とも複雑そうだ。だが、少なくとも先程のようにいら立ちを
「人類の、進化……?」
「君はもう、普通の人間じゃないのさ」
「超能力者になったとか、そういう話ですか?」
「当たらずとも遠からずかな」
「……詳しい説明を聞いても?」
「もちろん」
そこまで言ったところで、ピーターは少しだけ間を作る。
「藤田君、突然だが、君自身に何か才能はあると思うかい?」
「唐突ですね……いえ、特には」
「だろうね、君には生まれもっての特異体質とか、特化した才能がある訳じゃない」
「それがどうしたんですか?」
「不合理だと思わないかい?」
はぁ? と蒼澄は聞き返してしまう。相変わらず話が突飛に過ぎて訳が分からない。そんな蒼澄の様子に構わず、ピーターは続ける。
「とんでもない力をもつヴィランがいて、それと戦うためにヒーローとなる者がいる。だけどさ、わざわざヒーローに頼るのって、面倒じゃない?」
「一理ありますが、じゃあどうするんですか?」
「それはね……みんながヒーローになれば良いのさ」
「は?」
「人類が、皆、超人的な
理屈自体は分からないでもない。ヴィランが驚異となっているのは、ヴィランの力に普通の人は対抗出来ないからだ。
「難しい理屈は置いておくよ、解りづらいから。鍵となるのは、ナノマシンと細胞だ」
ピーターが指を二本立てた。
「ナノマシンで人間のもつ遺伝子を強制的に書き換え、細胞をもってその遺伝子がもつ特性に合わせて、身体を作り変える。僕等はこれを【G.S.ナノマシン】と【S.C.細胞】と呼んでいる」
「身体を……作り変える?」
「そそ、そそ、生まれ持った遺伝子を後から書き換えるから、超人、鉄人、何でもありさ」
荒唐無稽な話に、しかして、蒼澄は心当たりがあった。病院から目覚めたときのあの身体中がかきまわされるような感覚……あれは、ひょっとすると、身体を作り変えられたからなのか? 蒼澄は、思わず口を押さえてしまった。
「思い当たる節、あるだろう?」
「いつから……いつからこんなことに、僕を?」
「君が例のテロに巻き込まれてからだよ」
「そんなっ! 勝手に!!」
「そりゃ悪かったけどさ、じゃなきゃ、君死んでたよ?」
「……は?」
しれっと述べたピーターに蒼澄が眼を開く。
「被験体に選んでるの、基本的には死にかけの人間なんだよ。五体満足の人間に【G.S.ナノマシン】と【S.C.細胞】投与しても、拒否反応強く出ちゃうんだよね。だけど、死にかけの人間はね、身体のダメージを補うためにありとあらゆる手段を取ろうとする。外から来るナノマシンも細胞も受け入れちゃうんだよね、これが。ああ、ちなみに、老衰による死にかけは駄目ね、身体のほとんどが老いてるから入れたところで焼け石に水、寿命には逆らえない」
流水のごとくなめらかにしゃべるピーターの言葉を、蒼澄はなんとか噛み砕こうとした。したのだが、やはり頭がついていかない。
自分は死んでいた、だが生きている。それを、はいそうですかと受け流せるほどの精神を残念ながら蒼澄は持ち合わせていなかった。
「ああ、いや、言いたいことわかるよ? 死にかけの人間にしか使えないとか不便過ぎるでしょ? って、だからこそ、僕等はデータを……」
「医者は……」
「うん?」
「医者は……健康だと、何も問題ないと、言ってました」
「そりゃ、そうだよ。だってあの病院、最初からグルだし」
またしても理解が追いつかない言葉だった。ひょっとすると、目の前の男の言葉は全て嘘なんじゃないか、蒼澄はそう思いたくなった。
「この計画ね、
冷静に考えて、確かに、蒼澄に良く分からないものをぶち込む機会があって、その手段もあるのは、鎧領中央総合病院に入院していた、あの時しかない。
理屈は通っている。あまりにも無茶苦茶であるが、理解出来ないということではない。
だが、受け入れられない、というか、追いつかない。良いとか、悪いとか、そういうところを全て超越してて、蒼澄自身、自分が今どんな感情を持っているのかさっぱり分からなかった。
「さて、ここからが本題」
「……本題?」
今までのは前座だったのか、蒼澄はもう何もかも投げ出したくなった。だが、ここで投げ出したら何も事態が進まない、それだけは嫌だった。
「そんな訳で、栄えある
「協力、ですか? 一体何に?」
「
蒼澄は、その時のピーターが浮かべた表情を、一生忘れないだろう。全身を絡みとるような、どろりとしたねばつく視線。蜘蛛の巣に囚われたような心地だった。
「人殺し」
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