【17】




【立派なヒーローになりたい】。


 それは、間違いなく、藤田蒼澄の生き方における確固たる指針だった。


 そして、それがゆらいだ時、彼は生き方を見失った。


 次に進むべき道が分からず、どのように生きれば良いか判然としない。暗中模索あんちゅうもさくとはこのことだろう。


 そんな中、蒼澄はピーターと出会ってしまった。


 ピーターが一つの道を教えてしまった。



 殺そうよ。


 一緒に、やつらを殺そうよ。



 踏み出したらもう戻れない。だが、他の生き方が見えない。


「蒼澄、大丈夫か?」


「え、ああ、うん。大丈夫」


 どこか心ここにあらずな様子の蒼澄に、小五郎が心配の声をかける。それを聞き、あわてて蒼澄は意識を戻した。


 藤田家のリビングにて小五郎と蒼澄が一緒に夕食を食べている。リコとノザーテは外出していた。三者とも忙しいは忙しいのだが、ピークは越えており、なんとか時間を見つけては蒼澄の側にいることにしているのだ。ちなみに、学校は休学中である。


 夕食を作ったのは小五郎だ。野菜と肉がゴロゴロしている甘口のカレーである。蒼澄も小五郎も甘口のカレーが好きだった。ノザーテとリコが家に来る前までは、二人でよく食べていたものだった。


 蒼澄が、スプーンでカレーを口に運びながら現状に思いを馳せる。ピーターと出会ったあの日から、ぴったり三日が経っていた。もう間もなく、約束の時が来てしまう。恐らくは猛も近くに来ている頃合いだろう。


 しかし、未だ蒼澄の中で結論は出ていない。相談しようにも、相談出来るような内容でもないし、それをしたら何が起こるから分からない。誰にも話さない方が良いという猛の助言も頭に引っかかっていた。


 結果、蒼澄の中で抱え込むという選択肢しかとれず、普段の態度にもそれが出ていることが多かった。


「やっぱり、まだ本調子じゃないか? またお医者さんに診てもらおうか?」


「大丈夫だって、本当になんでもないよ」


 小五郎の心配を蒼澄が微笑んでにごす。医者に診せても無駄だよ、とは言えなかった。


「そうか……何かあったら、すぐに相談してくれよ」


「はいはい、分かってるよ」


「父さん、本気で心配してるんだからな」


「それも分かってるから」


 一人息子かつ、前妻の忘れ形見なだけあって、小五郎は蒼澄のことを本当に大切に思っている。以前、小五郎は朱音に対して「自分は蒼澄の側にいてやれなかった」と言っていた。たしかにそれも事実ではあるのだが、それがあってなお、息子の蒼澄には愛情が伝わっている。


 蒼澄があの事件に巻き込まれてからは、特に過保護な部分をのぞかせていた。もっとも、過保護になるに当然なことばかりがあったのではあるが。


「相談、か……」


「どうした? 何か聞きたいことでもあるのか?」


「あのさ、父さん。父さんはどうしてヒーローになろうと思ったの?」


 ふと、蒼澄が小五郎に聞いた。唐突な質問ではあったが、特に何も聞かずに受け入れ、ふむ、と顎に手を当てて小五郎は考え込んだ。


「まぁ、俺の場合は親父……お爺ちゃんの影響もあったあったからかなぁ」


「でも、他の道だってあったわけじゃない?」


「だろうな。ただ、後悔すると思ったんだ」


「後悔?」


「ヒーロー以外の道を選んだら、きっと俺は後悔するってな」


 小五郎が、満面の笑みで蒼澄に言った。朱音といい、この父といい、どうしてこうも自分の周りには笑顔がまぶしい人が多いのか、蒼澄はそんな風に思ってしまった。父ですら、遠い人のように感じる。


「結局、どんな生き方が正解かなんて自分で決めるしかない」


 蒼澄も小五郎も、夕飯のカレーはほとんど食べ終わって野菜のスープをすすっていた。


「……なぁ、蒼澄、俺は正直、お前にヒーローとしての道をあきらめてほしくない。これは俺のわがままでもあるし、お前のためでもあると思っている」


「それは……」


「お前、自分の中に抱え込んで解決しようと思っているだろう?」


 小五郎がまたしても笑って蒼澄に言った。ただ、今度の笑顔は少し寂しそうであった。


「確かに、最終的に決めるのは自分だ。だがな蒼澄、自分だけで全てを決めることは美徳じゃないぞ。時に、人と相談し、協力しあって決めた方が良いこともある。俺はまだお前から何も聞いていない。父さんにだって、出来ることがあるはずだぞ」


 小五郎の言っていることはもっともだ、まさに正論だろう。蒼澄だって、それは分かっている。


 蒼澄が敬愛する父はどこまでも正しい。まさに、ヒーローだ、ヒーローの理屈なのだ。


「それでも……僕は、自分で決めるしかないと思ってる」


 だが、蒼澄に必要な言葉は果たして、そんな正論だったのだろうか。ヒーローとしての言葉が、彼を導くのだろうか。


 違うのだ。


 結局、蒼澄に必要なのは意志。目の前にある道へ、踏み出そうとする意志だ。


「父さんの言うことも分かるし、正しいと思う。けど、やっぱり、それだと僕が後悔する」


「父さんは、頼りないか?」


「そうじゃない、僕が後悔するかしないか、それだけの話。そこから先の正解は自分で決めるしかない」


「そうか……」


 蒼澄の言葉を聞いた小五郎の笑顔は、やはり寂しいままだった。


「まぁ、ノザーテも言っていたが、聡明なお前が決めたことなら信頼は出来る。何かあったら助けるさ、それだって俺の役目だ」


「ありがとう、父さん」


「正直、残念ではある。でも、嬉しくもある。なんだろうな、親が心配なんてしなくても、子は育つんだな」


 そう言った小五郎の姿は、どこか弱々しかった。誰よりも強くて、誰よりも雄々しい、そんな父を間近で見続けてきた蒼澄にとって、それは、初めて見る父の姿だった。


 もしかしたら、藤田小五郎という男の本質は、強いだけではないのかもしれない。心の根底にある弱い部分と向き合いながら、ずっとずっと、平和のために戦い続けてたのかもしれない。


 いや、きっとそうなのだ。今まで、蒼澄は、それに目を向けてこなかっただけだ。


「父さん……色々とごめんね。でも、僕、父さんのこと誰よりも尊敬してるよ」


「俺もな、お前のこと、誰よりも誇りに思ってるよ」


 直球の表現を交わしたからか、二人が照れくさそうに笑う。蒼澄にとって、藤田小五郎という父は、ヒーローは、いつまでもたっとい存在であった。


 蒼澄は、ピーターと出会い、彼の話を聞いてから、ずっと思っていたことがある。


 自分は、何故生きているのだろう。


 ピーターの話が本当なら本来自分は死んでいるはずだ。それなのに、自分は生きている。頼んでもいないのに好き勝手やられて生かされたことに、思うところはないわけではないが。


 あの男は、人殺しをしよう、と言った。


 許されることではない、人の道に外れた行為だ。それを受け入れたくはない。


 だが、彼とともに殺しに行くのは、同じく人の道に外れたやつらだ。


 そいつらは、ヒーローでもない、ヴィランでもない。正義の世紀ジャスティスセンチュリーという世界が産んだ歪みの中に潜んでいる、ただだけなやつらだ。


 警察の、法の裁きを待つべきなのだろう。


 だが、正義の世紀ジャスティスセンチュリーにおける警察はその能力のキャパシティを大きくオーバーしながら働いている。なんせ、この世界にはヴィランなる存在がいるのだ。ヴィランが出る前からただでさえ激務であった人達なのだ。今やヒーローの力を借りなくては組織が成り立たなくなるほどにやることが多い。なのに、法の裁きを待てと言うのか。


 ヒーローによる、ヒーローのための世界、正義の世紀ジャスティスセンチュリーが産んだ歪み。


 正義ヒーローヴィランの狭間で生きる者達。


 そいつらを、一体、誰が裁けば良いのだ?


 朱音も、ルカも、リコも、栗子も、小五郎も、善良なヒーロー達は自らを犠牲にして戦っている。それなのに、そいつらは、彼等の後ろでのうのうと私利私欲のために動いている。


「だからこそ、なのか」


 蒼澄がつぶやく。


「父さん、あのさ、ちょっと外出していっても良い?」


「うん? もう夜中じゃないか、何でまた?」


「あー、外の空気吸いたいんだよ。大丈夫、ちゃんと帰ってくるから」


「……分かった」


 何か言いたそうな小五郎の表情に申し訳なさを感じるが、蒼澄の足はもう止まらなかった。


「父さん」


「おう?」


「ちゃんと、帰ってくるから」


「……分かった、待ってるぞ」


 父の信頼を背に受けて、蒼澄が家を出る。街灯が道を照らすくらいに、辺りは暗くなっていた。


 少し歩いて人気のない道に潜む。すると、彼はすぐに来た。


「よう」


 いつの間にか蒼澄の後ろに、猛が立っていた。近くにいるだろうとは思っていたのだが、気配は感じなかった。いずれは自分も彼のように、夜の闇に紛れることを覚えよう、蒼澄はそう決めた。


「村上さんでしたよね?」


「ああ」


「行きましょうか」


「良いのか?」


「良いも何も、そうした方が良いでしょう」


「それはそうだが……」


「気づかってくれるんですか? 前から思ってましたが、優しい方ですね」


 蒼澄の言葉に、猛が舌打ちをする。


「それだけの口がたたけるなら十分か」


「そんな感じです」


「もう一度聞くが、良いんだな」


「ええ」


 蒼澄が、猛の目をまっすぐに見つめる。身長差があるので、蒼澄が見上げる形になった。


「このまま、何もしないで過ごしても、きっと後悔する。この選択が正解かどうかは、そのうち自分で判断します」


「なるほどな」


 その時の猛は、蒼澄の瞳に何を感じたのだろうか。彼の語気には、喜びも怒りもなかった。


「行こうぜ」


 猛が蒼澄に背を向けて歩く。なんとも恵まれた体格だ。その背を見て、蒼澄はそんなことを思った。


「よろしくお願いします」


 それだけ言って、蒼澄も歩き出す。迷いはあった、だが、不思議と、怖れはなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る