【4】



 鎧領会がいりょうかい正義の世紀ジャスティスセンチュリー世界の日本における最大手の医療法人である。


 全国各地に数多の病院を抱え、ばく大な医師を組織に保持する、まさに最強の医療法人といって過言ではない。また、正義の世紀ジャスティスセンチュリー下の日本における最大手の医療機器メーカーYOROIよろい株式会社、同じく最大手の製薬会社であるエリアZゼット株式会社とも密接な関係を築いている……というより、実質的には傘下におさめているに等しい。


 日々ヴィランとの戦いに明け暮れるヒーロー達で、鎧領会にお世話にならなかった者は皆無。ヒーロー社会への貢献は計り知れないものとなっている。


 そんな鎧領会のトップに立つのは、鎧領悠仁がいりょうはるひとという老人である。日本最大の医療法人を率いる立場の人物なだけあって色々と凄まじい人物だ。医師として現役だったころには数多の論文や著書を書き上げ、いくつもの病院を経営しては軌道に乗せた。大物政治家複数人を患者として診てきた経験から政治にも顔が利き、なんなら、医師としての前線を退いた後は政治家として活動したこともある。規格外な人物であることはまず疑いようが無い。


 さて、この鎧領悠仁、表向きの功績もかなりのものだが、特筆すべきは表に出せないような功績だ。この老人、裏では様々な実験を企画しては、その過程でおびただしい血の量を流している。人体実験ならまだかわいい方だともいえるようなことを、何度も何度も繰り返してきた。倫理感なんて何のそのだ。言ってしまえば、極まった狂えし科学者マッドサイエンティストである。


 そんな彼が企画したものの中に、〈N-Zone,sネクストゾーンズ計画〉、および〈N-Zone,sSquadネクストゾーンズスクアッド構想〉というものがある。これは、【人類をあらたなステージへ導く】ことを最終的な目標として種々の実験を行い、その計画の過程で生まれた被検体達をとある仕事に従事させ、様々なデータを収集することをコンセプトとしたものだ。当然のように表向きにはなっていない、どのような方向性を持つ企画なのかが察せられようというものである。


 なお、このN-Zone,sSquad構想、重要人物の一人であるピーターから『言いづらい』『ダサい』という意見が出た過去がある。そして、その時より、そのピーターが、とある通称で呼び始めたのであった。


 その名を、〈怪人同盟かいじんどうめい〉という。



△△△



 あたりが闇夜に包まれる時間帯、街はずれにある山林の中で建てられた施設の前に、怪人同盟の三人がいた。表向きはアルビーペット株式会社が以前運営していた研究所で、現在は閉鎖されたことになっている。当然それは建前であり、今でもバッチリ運転されていることが、その施設からもれだす電気の光からうかがえる。


「みんな準備は良いかなぁ――――?」


 ピーターのやけにウキウキした声が、蒼澄の耳に響く。この男は仕事の前になるとやけにテンションが高い。蒼澄にとってはそれがどうしても理解できないし、ついていけなかった。


 何せ、いまから行うのは、人殺しに他ならない。血塗られた所業を遂げるに心を踊らせるほど、蒼澄の心は狂えなかった。


「……防御装甲外套アーマードクロスコート、動作チェック完了してます」


「同じく」


 蒼澄と猛が返答をする。憮然とした表情を見るに、猛もまたピーターのテンションについていけないらしい。


 ちなみに、防御装甲外套とは正義の世紀ジャスティスセンチュリーが生み出した傑作防具である。衣類としての軽さはそのままに、防弾チョッキよりも高い防御性能を誇る。加工、修繕、調整もしやすく、様々な種類の防御装甲外套が流通され人々の手に渡っていた。


 ただし、防御性能を発揮するためにはなんらかのエネルギー(種類によって異なる)を補充をする必要がある。そこらへんのチェックをおこたれば、防御性能のないただの服を着たまま修羅場に突入してしまうこともあり得てしまう。動作チェックは欠かせない。


 なお、彼等が装備している防御装甲外套の名称は、〈Dark-Knightダークナイト〉。見た目は完全に黒いビジネススーツである。軽くて機能性があり、また、闇夜に紛れやすい黒の色は夜間での隠密性も高い。この三名が好んで使用する防御装甲外套だ。


「んじゃま、んじゃま、作戦のおさらいね。まず正面は猛君が突っ込んで陽動、無理はしないでね。それと同時に僕と藤田君が施設内に侵入。んで、施設内の人間を一人残らず始末する。オッケー?」


 猛と蒼澄が無言でうなずく。


「よーし、よし。んじゃ、早速これ着けて、仕事といこうじゃないか」


 ピーターが銀色の仮面を三枚取り出す。その仮面はそれぞれ、飛蝗バッタ蝙蝠コウモリ蜘蛛クモかたどられているかのようであった。


「……前から聞きたかったんですが」


「おっ、何々??」


「その高次元多機能仮面アヴソリュートヴァリアブルマスク。なんでわざわざ特注の形にする必要があるんですか?」


 ピーターが持つ三枚の仮面に、蒼澄が疑問をはさむ。


 高次元多機能仮面アヴソリュートヴァリアブルマスクもまた、ヴィランとの戦い続くこの世界に産まれた名品だ。頭部という人体の急所を護るに足る防御力に加え、AIによる情報収集&情報処理、通信機能等々、様々な機能を高次元に兼ね備えた仮面マスクである。


 その形状であるが、ヘルメット、お面、髑髏、ペストマスク……数え切れないほど多種多様に揃っている。ヒーローの中でも、高次元多機能仮面アヴソリュートヴァリアブルマスクを愛用する者は、わざわざ自分専用にその外観を特注する者も珍しくない。


「色々事情があって、自分だけの個性を出しながら他と差別化したいヒーローのソレならともかく……どちらかというと、隠密行動が主体で目立つことを避けたい僕達に、わざわざ特注のものを使用する理由は無いのでは?」


「なるほど! なるほど! 良い質問だ! 理由ならあるよ! 大事な理由がね!!」


 蒼澄の質問に、ピーターが威勢よく返事を返す。


「それはね……カッコ良いからだ!!」


 そして、わざとらしく大げさに蒼澄を指差して言った台詞がこれだ。


「……はぁ」


「あ、その表情! 呆れてるね! でも大事な理由じゃないか!!」


 指摘せずとも明らかに分かる表情を見せた蒼澄に対して、ピーターは言葉を続ける。なお、猛は完全に無関心だ。


「僕等の存在も! 僕等の成すべきことも! 僕達が相手にする奴らも! 皆! 皆! 胸糞悪いじゃないかぁ! だったらさ、ほら! 見てくれだけでも格好良く! スタイリッシュに! 重要じゃない!?」


「さようですか……」


 もはや会話するのもおっくうになった蒼澄が、ピーターの手から銀色の高次元多機能仮面アヴソリュートヴァリアブルマスクを受け取る。彼の形は、蝙蝠。


「このおっさんにまともな答え期待しても無駄だぜ、藤田」


 猛もまた仮面を受け取る。彼の形は、飛蝗。



「むぅ……まともに答えたのに、かなちぃ、かなちぃ」


 ピーターが最後に残った仮面を寂しそうに見つめる。彼の形は、蜘蛛。


「――さて、さて、場もあったまったことだし、始めるとしようか」


 一瞬でピーターの声色が変わる。底冷えするかのような冷たさだ。その声を皮切りに、三人が仮面を装着する。


「それじゃ、お仕事開始だ」


 三人が一斉に駆け出す。夜の闇に紛れながら、その姿を隠し、溶けるように。


 その時の蒼澄がどんな表情をしていたのかは、蝙蝠の仮面が覆い隠して、分からなかった。



△△△



 当然な話ではあるが、正義の世紀ジャスティスセンチュリーの世界においてヴィランは公共の敵だ。ましてや、商取引など言語道断である。


 なのだが、ヴィランとの取り引きを行う企業は、正直に言えば、いる。しかも少ないとは決して言えない。


 理由は様々だが、一番大きな理由は美味しいからだ。


 ヴィランとの間で取り引きされるものは、金もあるがそれ以上に物だ。


 ヴィランが所持する独自の技術であったり、独自の資源であったり、兵力であったり、情報網であったり……場合によっては、人が取り引きされたりもする。


 それらからもたらされる旨味が、リスクをおかしてでも得るに値するリターンになると判断された時、企業はヴィランとの取り引きを行う。


 もちろんその場合、いかに表沙汰おもてざたとならないようにするかが重要である。


 直接取り引きを行う場合もあるが、その場合は足がつきやすいのでリスクが高い。大抵の場合は、間に何者かをはさんでの取り引きとなる。


 そして、間にはさむ仲介役として、フロント企業が存在するのだ。


「様子はどうだ?」


「お疲れ様です、今のところは異常ナシです」


 ガタイの良い大男が二人、施設の前でたむろしている。かなり威圧感がある風体の男達である。それもそのはず、この二人、武闘派ヤクザと呼ばれる男達であるからだ。


 この施設は、アルビーペットがヴィラン相手に取り引きするための商品、違法改造されたバイオペットを作るための施設である。こんな施設にまともな警備員など雇えるはずは無い。大概において、ヤクザやそれに類する者達が用心棒バウンサーとなっている。


「そいつぁ良かった。とはいえ油断は絶対するなよ。何があるかは分からんからな」


「うっす」


 タバコをふかしながら拳銃を片手に男達が会話を広げる。目には殺気をみなぎらせ、立ち振る舞いにも隙は全くない。優秀な用心棒と言えよう。


 だが、まぁ、今回に関しては相手が悪かった。


「ハギュ?!?!」


 男の一人が、いきなり、気の抜けた断末魔を上げながら吹っ飛んだ。顔が完全に潰れ、原型をとどめていなかった。


「何がっ……?! おぼぉ!?」


 もう片方の男が異変に気づくものの、次の瞬間には男が地に伏す。そして、そのまま頭を踏みつけられ頭蓋を潰された。


「じゃあ、行くか」


 またたく間に二人の男を絶命させた人影が、そう呟いて施設のドアを開く。その身体には漆黒のスーツをまとい、顔は飛蝗を模した仮面で覆われていた。



△△△



 飛蝗バッタ。バッタ目、バッタ亜目に分類される昆虫の総称である。


 最大の特徴はその脚力。体長の数十倍は飛躍することが出来るその脚力は、他の昆虫には無い特徴である。


 そんな飛蝗の脚力が人間に備わったとしたらどうなるのか?


 その答えが、今、村上猛を中心にして出されている。


「はがぁ?!」


 猛がキレのあるローキックを放つ。それを喰らった警備担当のヤクザは、足を見事に粉砕され地面に倒れ込む。ヤクザが着ていたスーツは、れっきとした防御装甲外套アーマードクロスコートである。猛の蹴りは、銃弾を容易に防ぐ防具の上を貫通してしまった。


「らぁっ!」


 猛が叫びながら、倒れたヤクザの頭を踏みつけてカチ割った。荒々しくも、流れるように鮮やかな手際だった。


「畜生テメェ!!」


 別のヤクザが拳銃を猛に向ける。それに気づいた猛は、すぐさま、その男の腕に向かって研ぎ澄まされたハイキックを放つ。


「いぎぃゃあ!?」


 腕が圧し折れたヤクザが、銃を落としながら呻く。防御装甲外套アーマードクロスコートを着てなければそのまま腕が吹き飛んでもおかしくはなかった。


「はぁッ!」


 それは、逆に言うと防御装甲外套アーマードクロスコートが無い部分はどうしようもないということでもある。猛が、裂帛の気合とともにヤクザの側頭部へ正確無比なハイキックを放つ。喰らった側は、頭蓋を粉砕されながら吹き飛ぶしかなかった。


「撃てぇ! 撃てぇ!」


 複数のヤクザ達が銃を放つ。防御装甲外套アーマードクロスコートがあるとはいえ、何発も何発も喰らえば負傷は免れない。また、武闘派ヤクザの所持する銃も決して威力は低くないものを使っていた。


 だが、それらは全て無意味だった。何故なら、猛に銃弾がそもそも当たらないからだ。


 飛蝗は、その跳躍力と飛翔力によって高い機動力を持つ昆虫である。ジグザグに飛び跳ねる飛蝗を捉えることはただでさえ難しい。ましてや、それが飛蝗の脚力を持つ人間なのだとしたら。


 猛が、縦横無尽に飛び跳ねる。床を、壁を、天井を使って立体的に飛び跳ね続ける。


 一見、その動きは闇雲に見えた。だが、猛の冷静な状況判断と高次元多機能仮面アヴソリュートヴァリアブルマスクによる的確な情報提供により、敵を効果的に撹乱するために最適なルートをなぞりながら行っていた。


 人間の知能と飛蝗の脚力が合わさったからこそなせる業だった。


「へぎゃ!」


 一人、猛の飛び膝蹴りを顔面に受けてヤクザが吹っ飛ぶ。


「パぎぃ!?」


 また一人、猛のローキックを受けてヤクザが倒れ込む。


 蹴りだけに限らないが、打撃の威力に必要なのは速さ、正確さ、重さ、瞬発力辺りである。自分の身体の何倍もの距離を飛ぶことが出来る飛蝗の脚から繰り出されるそれは、どれだけ凄まじい威力を誇るかが容易に想像出来るものであった。


 もっとも、猛の強力無比な蹴りは、それだけに頼ったものでは無い。彼自身が高度なレベルで身に着けた空手、それによる技の冴えがあるからこそ、その蹴りの威力は高い次元に存在するのだ。


「くそぉ! もっと人呼んでこい!」


「武器もだ! 休んでる奴もすぐ叩き起こせ!」


 混乱の極みにあるヤクザ達が口々に叫ぶ。それなりに修羅場を繰り広げたであろう彼等でも、焦りが隠せない状況であるようだ。


 だが、それこそがまさに狙い。


 飛蝗の力を持つ怪人――村上猛は、与えられた役割である『陽動』を完璧にこなしてみせたのだった。



△△△



 蜘蛛くも節足動物門鋏角亜門せっそくどうぶつもんきょうかくあもんクモガタこうクモもくである生物の総称である。


 蜘蛛は、どこにでもいる。


 入口、屋根、屋根裏、溝、隙間、天井、床、壁、庭、植木等々……その神出鬼没ぶりは半端ではない。

ゴキブリに並ぶ潜入のエキスパートといっても良いだろう。


「一体何が起こっている!?」


「分からない……とにかく、俺達は一旦避難しよう!」


 白衣を着た男達が数名、慌てた様子で会話を繰り広げている。


 猛が起こした陽動の影響は、すでに施設内全域に伝わった。施設には研究員のような非戦闘員もいる。彼等は荒事あらごとに対応出来ないので、そのような局面に陥ったら避難するしかない。もっとも、こんな施設に務めているだけあり、すねに傷があるような者達ばかりなのだが。


「とりあえず! 持ち出せるだけのデータを持ち出そう!」


「処分出来るものは処分だ! 急ごう!」


 慌ただしく男達が動く。経緯が経緯なだけに、この施設には外に出せないような情報が山ほどある。たとえ混乱下にあったとしても、それらの扱いを間違える訳にはいかないということだ。


 そんなことをする余裕など、実のところ、彼等にありはしないのだが。


「はあっ?! がっ!?」


 一人の男が、突然苦しみだした。まるで首を掻きむしるかのような動きをしている。


「お、おい?! 何が、かひゅ?!」


 また一人、男が同じように苦しみだす。声がかすれ、少しずつ呼吸が出来なくなっていく。


「がはっ!?」


「あひゅつ!?」


 他にいた男達もまた、一瞬にして同じような状態になった。まるで首を何かに締めあげられたかのように、息が出来ずにもがいていく。


 いや、実際に締め上げられていたのだ。細いながらも頑丈な糸をもって、キリキリと、首を締め上げられていたのだ。


「やぁ、やぁ。お忙しいとこ悪かったね。けどまぁ、死んでくれたまえ」


 男達の頭上から、蜘蛛の仮面を被ったピーターの声がする。その右手からは何本もの糸が繰り出されており、それらは全て男達の首を締め上げていた。


 ピーターの背中からは、蜘蛛の脚が左右に四本ずつ、合わせて八本生えていた。そして、その背後にあるのは、彼の身体ほどある大きさの蜘蛛の巣。その巣に脚を引っ掛けることで、ピーターは宙に浮いていた。


 蜘蛛はどこにでも現れる。それを可能としているのが糸と脚である。蜘蛛の糸は強靭であり、同じ太さであれば鋼鉄よりも硬いとされる。そんな糸を自由自在に操り、どこにだろうと網を張る。そして、そんな糸を操りながら、矮小で柔軟性のある無数の小毛に覆われた付着性の高い脚でもって、ありとあらゆる場所を移動する。


 虚空に蜘蛛の巣を張り、そこに脚を引っ掛ければ宙に浮くことだって出来る。それを、今まさにピーターが実践していた。巣を張るに最適な場所は、高次元多機能仮面アヴソリュートヴァリアブルマスクに内蔵されたマップデータが教えてくれる。


「あひゅ……!」


 蜘蛛の糸に締め上げられた男達が、息が出来ずに死んでいく。一人ずつ、順繰りに、窒息して死んでいく。


「じゃ、これで最後ね」


 トドメとばかりに、ピーターが右手の糸を引っ張る。最後の一人が、一際苦しみ悶えた後に動かなくなった。


「よっと」


 ピーターが蜘蛛の巣より飛び降りる。パンパンと手をはたき、今しがた自分達が殺した男達の遺体を見た。


「うん、上々、上々」


 何が楽しいのか、満足げにピーターがひとりごちる。遺体は皆、苦しみに苦しみぬいた末に作られる恐怖の表情がその顔に刻まれていた。


「あ、これもらっていきますよ」


 ピーターが遺体の一つから、社員証と思われるものを取り出す。カードキーを兼ねているようで、これがあれば施設内の様々な機能にアクセス出来る事が予想できた。要するに、施設内のコントロールを握れたということだ。


 そうして、蜘蛛の怪人――ピーターが、再び移動を始める。糸を手繰り、脚を絡ませ、次なる獲物を、次なる巣を求めて、音もなく、神出鬼没に。



△△△



 蝙蝠こうもり哺乳綱翼手目ほにゅうこうよくしゅもくに属する生物の総称だ。世界で二番目に種類の多い哺乳類であり、また、哺乳類で唯一飛行能力を持つ。


 最強の生物は何か? 


 この問いに関しては、様々な意見が出てしまって結論は出ないだろう。ライオン、トラ、チーター、クジラ、シャチ……それこそ、人間かもしれない。


 だが、最強の暗殺者である生物は何か?


 という問いになったら、答えは大分絞られるのではないだろうか。


 そして、その中に、蝙蝠という生物は間違いなく入ってくるのではと予想される。特に、膨大な数が存在する蝙蝠の中でわずかに三種類しかいない希少な種、吸血種であるチスイコウモリは最高級の暗殺者といっても過言ではないかもしれない。


「とにかく武器をありったけ持ってくぞ!!」


「敵は一人だ! 数で押し潰せる!」


 数にして五人のヤクザ達が怒号を飛ばしながら、施設内にある武器庫から武器を持ち出す。恐ろしい強さで暴れている飛蝗の怪人こと村上猛相手に拳銃程度の武器では不足とし、とにかく威力の高い武器を装備しようとしているのだ。


 結論としては至極真っ当だ。いくら猛が恐ろしい戦闘力があるとはいえど限度がある。火力の高い武器の数々で圧殺してしまえば、さしもの飛蝗の怪人も倒れてしまうというものだ。


 まぁ、そんな考えはすぐに無用のものとなってしまうのだが。


「あっ……? おい! なんだぁいきなりよぉ!?」


 突然、部屋の電気が消える。ヤクザの一人が驚きの声を粗暴にあげた。


 そして、次の瞬間、その男が瞬時のうちに床へと転がされた。


「あっ……??」


 仰向けに倒された男が、小さく困惑する。暗闇の中、突然に地へ伏せた己の身体に疑問が尽きないようだ。


「おいどうした!?」


 近くにいた男が声をかける。だが、声が返ってくることはなかった。


 何故なら、倒された男はすでに死んでいたからだ。床に横たわったその身体は、綺麗に頸動脈けいどうみゃくが寸断されていた。おびただしい血が床に流れている。


「ほぁ!?」


 また別の男が、暗がりの中で倒される。そして、また、倒されたと思ったら首を斬られていた。


「な、なんだ一体?!?!」


「とにかく明かりをつけろぉ!!」


 慌てふためくヤクザ達。恐慌に陥るのも無理はない。突然明かりが消えたと思ったら、瞬きする間もなく誰かが殺されるのだ。見えない驚異は怖くて恐ろしい。


「ひぃあ!」


 だが、暗がりに潜む暗殺者にとってはまさに好機。混乱の中で冷静な判断が出来ない男達を、一人一人ずつ、転がしては斬っていく。


「あひゅ!」


 やがて、最後の男が殺される。その男も、瞬時のうちに転倒して首をかっ斬られていた。


 ――バチンッ


 明かりがつく。蛍光灯の灯りに照らされ姿を現した暗殺者――藤田蒼澄が、遺体を見つめる。その背中には、一対の翼が、蝙蝠の翼が生えていた。右手には、鈍く光を放つ黒色の短刀を握っている。


 蒼澄がそれぞれの遺体に視線を動かし、それらの全てが息をしてないことを確認した。蒼澄の目を通して見えるサーモグラフィーも、遺体に体温が残っていないことを証明する。やがて、翼をたたみ、黒い短刀に着いた血を払うと、静かに、悠然として部屋を出ていった。


 蝙蝠の特徴といえば、翼による飛行能力、そして、音波による反響定位エコーロケーションを使用することである。


 エコーロケーションとは、音や超音波を発しその反響を利用することで様々な情報を得る能力のことだ。


 蝙蝠のエコーロケーションは恐ろしく優秀である。そこからから得られる情報は、場所、距離、形、大きさ等、様々であり、そして、それらは素晴らしい精度の正確性を誇るという。これほどのエコーロケーションを駆使するのは他ではイルカしかいないと言われている。


 さらに、蝙蝠の中でもチスイコウモリと呼ばれる種は、このエコーロケーションに加えサーモグラフィーのような温度感知が出来るとされる。このサーモグラフィーをもって、血液をもつ獲物を探し当てているのだ。


 極めつけは蝙蝠の翼と足だ。蝙蝠には、精密な作りから高い飛翔能力を有する翼に、わずかなとっかかりに引っ掛かってぶら下がることが出来る足がある。これらによって、普通では手の届かない高い場所にその身体を潜ませることが、蝙蝠は可能なのである。


 翼と足によって上空へ潜み、反響定位エコーロケーション温度感知サーモグラフィーによって敵の情報を把握しながら隙をうかがう。蝙蝠は、生物における最高峰の暗殺者だ。蝙蝠に襲われる獲物のほとんどが背後から襲われているという事実が、それを証左している。


 なお、蒼澄の高次元多機能仮面アヴソリュートヴァリアブルマスクはほとんどの機能をオミットして、余ったリソースを防御性能の底上げに回している。元々備わった能力だけで事足りると判断したがゆえのチューンナップであった。


 そんな暗殺者として最高の能力を持つ蝙蝠の特性に、蒼澄の技が加わる。


 蒼澄は、黒川流柔術道場にて、実践的古武術を修めている。先程彼が見せた技もその古武術の術理を利用したものだ。


 蝙蝠の能力をもって、敵の背後に回る。回ったが最後、掴み、崩し、投げ、抑えられ、その動きの中で斬られている。


 一人の男は、小手を取られた後、捻られ返されて、地に伏す途中で首を斬られた。


 また別の男は、腕をとられてめられた後、身体がぐるりと回転したかと思えば上から下に叩きつけられ、最後には首を斬られた。


 背後に回り、掴み、崩し、投げ、抑え、斬り、飛んで、ぶら下がり、隙をうかがう。


 また背後に回り、掴み、崩し、投げ、抑え、斬り、飛んで、ぶら下がり、隙をうかがう。


 それらの動きを精確に、着実に、迅速に行う。そのようにして、丁寧に、一人ずつ、蒼澄は標的を暗殺していった。流麗に流れる一つ一つの動きは、恐ろしくも、美しい技達だ。


 蝙蝠の怪人――藤田蒼澄がまた殺す。タイミングを待って、確実に、暗殺を繰り返していく。闇に紛れながら、翼を静かにはためかせて。



△△△



「あ、終わったあ? 藤田くぅん?」


 ピーターが糸を天井に貼り付け、ブラブラと宙空で揺れながら陽気な声を上げる。


「ええ、こちらで最後です」


 その声に対して、特に振り向くことなく蒼澄が黒刃こくじんを振り下ろす。


 振り下ろした先にいたのは、小さな猫だった。


 おそらくはこの研究所における実験動物なのだろう、いや、ある意味では商品と言えるかもしれない。こういった動物達を改造した上で、ヴィランに売っていたということなのか。


 もっとも、今蒼澄が斬り殺した猫はか弱くて小さな存在に間違いなかった。しかも、その猫はケージに入れられ拘束されていた。脱走防止のための措置だろうが、おかげで蒼澄が始末するのに苦労はしなかった。


 周りには、そのようにして殺された動物達がたくさんいた。犬、兎、狐、亀、鴉、モルモット……それらは全て狭いケージの中に拘束され、先程の猫と同じように蒼澄によって斬り殺されていた。


「すいませんね、改造済みの方は任せてしまって」


「なんの! こっちの子達もみんな拘束されてたからな~~んの苦労もしなかったよ!」


 改造済み、というのは要するに違法改造された後の動物達のことだ。後は売るだけだという状況なのに、脱走でもされたら大事である、ここの職員達が拘束をするのも当たり前だ。


「それに……この子達の相手はぜひ君にやってほしかったからね!!」


 仮面の下の無邪気な笑顔が伝わるほどに闊達かったつな声で、ピーターが蒼澄に言った。蒼澄は、彼の言葉の意図を理解してしまい、思わず鼻白んでしまった。


「ああ……なるほど、悪趣味も良いことで」


「趣味は良い方だよ、僕は! そんな訳でさ、藤田くん」


 気分はどうだい? と、ピーターがねばついた声色で蒼澄に問いかけた。


「別に」


 蒼澄の答えは簡素だった。


「人を初めて斬った時と同じですよ。意外と心揺さぶられませんでしたね」


「かわいいワンちゃんやネコちゃんなのに?」


「人も犬も猫も、斬ればみんなただの肉でしょう?」


 蒼澄はそう言いながら、短刀に着いた血を拭き取って鞘に納めた。


「うん、うん、良いねぇ。君もまた理想の怪人だねぇ」


「理想の怪人ねぇ……それがどこまで立派な存在なんだか」


 ピーターの嬉々とした言葉に、蒼澄はため息を交えた台詞で返した。


「何を! 何を言うかね! 僕達怪人は! 新しい人類誕生への礎となる存在だよ!!」


 ピーターが、大仰に両手を広げて叫ぶ。


「今はただの怪人程度の存在の僕達! だが、僕達の命は! 来たるべき新しい人類への糧となる! その為にも! 僕達は今! 世界に! 僕達の利用価値をしらしめなければならない!!」


 果たして、ピーターの言葉はどこに向けて放たれた言葉なのだろうか。少なくとも、蒼澄自身は彼の言葉に何の感慨も湧いていない。それを知ってか知らずか、感極まった風なピーターは言葉を紡ぎ続ける。


「僕達が何でこんな陽の当たらない汚れ仕事をしなければならないのか! 僕達は何故光を浴びることは無いのか! それは! 僕達の存在を世界が理解するには早すぎるからだ! 僕達を受け入れる土壌が世界にないからだ!」


 ピーターは叫び続ける、心の底から愉しそうに。蒼澄は、目の前にいる男の存在を、さらに遠く感じてしまった。


「世界が僕達の存在を受け入れ! 怪人が怪人でなくなった時! 人類は新たなステージに進む! ヒーローだのヴィランだのという下らない枠組みは消え去り! 宇宙人も異世界人も! み~~~~んなまとめて人類は純然たる進化の道を行くのだ!! それこそが鎧領がいりょう会長の真意!!」


 ピーターの独白が終わる。蒼澄は、それを、感情のない瞳で見つめるだけだった。


「何でも良いっすけど、そろそろ行きませんか」


 いつの間にやら合流していた猛が声をかける。


「早くしないと、後片付けする人達とバッティングしますよ」


「あっと、そうだね、そうだね。後は万事ばんじ然るべき人達に任せるとしよう」


 仮面の下で恍惚としていたのを、いつものうさんくさい態度に戻しながらピーターが猛の言葉に同意する。


 ふと、蒼澄が振り向く。視線の先には、先ほど自分が切り捨てた猫がいた。


「…………」


 なのだが、特に言葉をかけるでもなく、心を動かす訳でもなかった。振り向いたのは、それを確かめるためだったのか。やがて、無感情を浮かべた瞳のまま、蒼澄は、猛とピーターに続いてこの場を去っていった。




 この物語は、正義ヒーローヴィランのものだけではない。


 正義ヒーローヴィランの狭間で生きる者達の物語でもある。


 しかし、彼等の物語に光が当たることは、無い。

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