【2】



 夕陽が茜色の陽光を差している。カラスの鳴き声が聞こえる中、アスファルトの道を二人がしばらく無言で歩いていた。


 蒼澄は比較的大人しい性格なのだが、朱音は明るく快活かいかつな性格である。無言の時間を作ることは珍しいということを、蒼澄はこれまでの付き合いから良く知っている。


(ってことはつまり、悩みがあるんだな)


 そして、こんな珍しいことが起きる時に、朱音に何があるのかということもまた蒼澄は良く分かっている。実際、道場における稽古でも心の乱れを指摘されていた。朱音が何かを抱え込んでしまっていることは明白だろう。


「あのさ、朱音ちゃん」


「……何?」


 立ち止まって声をかけた蒼澄に、朱音が振り向いて答える。


「僕は、ヒーローになることを諦めた男だ」


 蒼澄がゆっくりと語りだす。今、朱音が欲しいであろう言葉を考えながら、丁寧に、慎重に言葉を考えていく。


「そんな僕に、朱音ちゃんが背負っているものの重さなんて分からないだろう、って言われたらそれまでだ。だけど、僕は朱音ちゃんのことが大事だ、いつだって力になりたいと思っている」


 蒼澄の言葉を、朱音が真剣な表情で聞いている。夕陽に照らされた朱音の顔は、どこかアンニュイな表情であった。ただ、そんな表情をしていた彼女は、蒼澄が良く知る生命力に満ちた美しさとはまた違ったベクトルの美しさをかもし出していた。


「一緒に肩を並べて戦うことは出来なくても、疲れた時に隣にいることは出来る。辛いことを吐き出させて、受け止めることは出来る。楽しいと思えることを、一緒に共有することは出来る。先生も言っていたように、重荷を一緒に背負うことは出来る。だからさ……」


「あんたって、ほんとずるいよね」


 朱音がしおらしい声をふるわせながら、蒼澄の胸に顔をうずめた。


「ちゃんと欲しいときに欲しい言葉かけてくれるだもん、ずるい」


「良い加減付き合いも長いから」


「……生意気」


「ごめんね」


「……謝るな、馬鹿」


 蒼澄が朱音の頭を優しくなでる。朱音はそれを望んでいたかのように、静かに受け入れた。


「……この前の戦いでさ、ルカが負傷したじゃない」


 朱音がぽつりと語り始める。


「そうだね……本人は大したことないの一点張りだったけど、大分辛そうではあったよね」


「あの馬鹿、ほんと強がりばっかり……」


 蒼澄の胸の中で朱音が苦笑する。呆れが混じりつつも、どこか愛おしそうな声色だった。


 ルカは二人にとって共通の友人だ。蒼澄もその人となりを良く知っている。確かに朱音のいう通り強がりで勝ち気な人物だが、それは朱音も大概同じだと思っている蒼澄は、朱音と違った意味で苦笑してしまう。


「私のせいなのよ」


 朱音がより深く蒼澄の胸に顔をうずめる。


「私がしっかりしてなかったから、あいつは怪我したの」


 朱音の声が涙ぐんでいた。蒼澄は、何も言わずに彼女の言葉を受け止める。


「私がしっかりしなかったら、誰かが怪我しちゃう……次は誰が? リコ? 栗子さん? またルカ? それとも他の誰か? そう考えると怖かった。でも、私はヒーローだから、怖いなんて言ってられないから」


 朱音の涙が蒼澄の胸を濡らす。蒼澄は、朱音の頭をなで続けた。


 正義の世紀ジャスティスセンチュリーにおけるヒーローにとって、何を一番に求められるか? それは当然ながら【治安維持】である。


 各地で活動するヴィラン達から無辜むこの民を守る、これこそがヒーローの大前提である。そして、これもまた当然な話だが、それには危険も伴う。


 他の誰かを傷つけようとしている者達からその誰かを守るためには、自分達が傷つく可能性がある。ヒーローとは、身の安全から程遠い存在なのだ。自身の平穏を優先していては、世間がヒーローとして認めてくれない。


 だが、だからといってそのことを背負えるのか、背負うことを耐えられるかといえば……それはまた別の問題だ。


「それでも、朱音ちゃんは怖いんだよね」


「うん……」


「怖いってこと、我慢しなくて良いんじゃないかな?」


「でも、私はヒーローなのよ? 弱いところを見せたら……」


「だったら、僕には弱いところ見せても良いんじゃない?」


 蒼澄の言葉を受けて、朱音が彼の顔を見つめ始める。


「怖いことを否定してたら、自分を追い詰めることになる。だったら、怖いってことは僕の前にだけさらけ出せば良い。まぁ、僕以外の誰かでも良いんだけどさ」


 頬をかきながら蒼澄が言った。とても優しい言葉だが、それを受けてもなお、朱音は不安な表情を変えられないようだった。


「あんたは、迷惑じゃないの?」


「朱音ちゃんのこと、迷惑だなんて思ったこと一度も無いよ」


 屈託のない笑顔を、蒼澄が朱音に向ける。


「ホントにそう思ってる?」


「ホントだよ」


「ホントに?」


「ホントのホント」


「……ふふっ、どうなんだか」


 ここへ来て、ようやく朱音が笑顔を見せ始める。彼女は、蒼澄の胸の中で、陽の光を浴びて咲く花のような微笑みを作って、笑った。


「……ありがとうね、蒼澄。本当にありがとう」


「どういたしまして」


「でもさ、そう言ったからには……ちゃんと受け止めてよね!」


「もちろん」


「絶対よ? 絶対の絶対の絶対よ!!」


 朱音の涙が止まる。その時には、蒼澄が良く知る、輝く太陽のようにキラキラとまぶしい彼女に戻っていた。彼の心がじんじんと暖かくなった。


「でも……やっぱり残念」


 ふと、そんな台詞を寂しげにこぼしながら、朱音が歩き始める。


「蒼澄、まだヒーローになること諦めたままなんだ」


「……朱音ちゃん、それは」


「分かってる。蒼澄には蒼澄の意志があるんだってこと、でもね……」


 くるりと、朱音が振り返る。夕陽を背にした彼女は、それだけで一枚の絵になるほどの可憐さをたたえていた。


「私、まだやっぱり蒼澄がヒーローになってくれること、諦められないや。だから……見ててよ! ヒーローとしての私を!」


「……十分見てるよ」


「まだまだ、もっと見ててよ! 蒼澄がまたヒーローの道を志してくれるくらい、たくさんの勇気と希望を与えるヒーローになるから!」


 そう言った朱音は、一点の曇りのない、晴れ晴れとした笑顔をしていた。蒼澄は、何も言わずに彼女に微笑む。


 朱音と蒼澄が歩く。二人で、肩を並べて、帰り道をゆっくりと歩く。


(朱音ちゃん、君はね、もう僕にとって最高のヒーローなんだよ)


 どこか晴れ晴れとした朱音の隣で歩く蒼澄。彼もまた、表向きはどこか満足気な表情をしていた。


(けどね、朱音ちゃん……君がどれだけヒーローとして輝きを放とうとも、僕がヒーローを志すことだけは、永遠に無いんだ)


 果たして、蒼澄の側にいた朱音は気づいていただろうか。笑顔をはりつける蒼澄の瞳は、どこか深い深淵をのぞかせていたことを……果たして、彼女は、気づいていたのだろうか。



△△△



 この世界には正義ヒーローがいてヴィランがいる。


 だが、この物語は正義ヒーローヴィランだけの物語ではない。



「やぁやぁ、君の班の調子はどうかね? ピーター君」


 とある雑居ビルの一室に、老人の声が響き渡る。モニター越しに響くその声は、親しみがありつつもどこか不気味だった。


「なかなか、なかなかに順調ですよ鎧領がいりょう会長。ええ、ええ、まさに理想的です」


 部屋の主と思われる男――ピーターが、これまた愉快そうに老人へ答える。長い金の髪を後ろに結んでまとめた優男やさおとこだ。目も、口も、身体付きも、輪郭も、色んなところが細々としており、まるで狐を思わせるような姿だった。美麗な感じはあるのだが、それ以上にうさんくさいという言葉が先に出る、そんな風体の男だった。


「それは重畳ちょうじょう。最近入った彼も良くやっているかい?」


「ええ、ええ、もちろん。素晴らしい逸材でしたよ。色々と扱いが難しい珠羅じゅらちゃんと比べると、非常に扱いが易い」


 心底楽しそうに、二人の男が会話を紡ぐ。だが、その言葉の深いところに、得体の知れない何かが潜んでいた。


「良いねぇ、良いねぇ。僕の子供達、〈N-ZONE,sネクストゾーンズ〉が頑張ってくれてる。幸せな限りだよぉ、ほんとに」


「ええ、ええ、ほんとですねぇ。私も協力した甲斐がありますよ、ほんとに」


「君には感謝してもしきれないなぁ!」


「何をっ! 私に新しい人生を与えてくれた会長のためならばっ!」


 二人が笑い合う。楽しそうに、ただひたすら楽しそうに、狂ったように笑う。


「おっと、楽しい時間はあっという間に過ぎていくな! そろそろ僕も次の予定があるのでね」


「おやおやそうでしたか、まぁ、私もそろそろ次の仕事の準備をしなければ」


 二人がニタニタ笑い合う。


「ではまた」


「それでは、また」


 ピーターがモニターを切る。ブツンという音ともに鎧領会長と呼ばれた老人の姿がモニターから消えた。


「さぁ、さぁ。やるとしようか、お仕事に、楽しい楽しいお仕事に……」


 ピーターは、相も変わらず、にまにまとした笑顔をはりつけたままだ。


 ――――コンコン。


 ピーターが言い終わったタイミングで、ノックの音が聞こえた。


「どうぞどうぞ」


「どうも、失礼しますよ」


 中に入ってきた青年は、とても見目麗しい、すずやかな印象を与える美少年だった。彼を見た人ほとんどは、イケメン、という言葉が真っ先に出てくるのではないだろうか。それほどに端正な顔立ちだった。スポーティーにアレンジされた黒髪が、彼の爽やかさをさらに際立たせている。


 また、顔つきだけじゃない。身体つきもまた見事だった。身長はおよそ187cmの高身長、さらに腕まわりや肩幅は普通の人間のそれではない、鍛え上げられた筋肉がまとわりついていることが服を着ている状態でも判別出来る。筋肉の付き方からして、スポーツマンというよりは、格闘家でないかと予想され、現に、彼は空手をかなりのレベルに達するまでたしなんでいた。


「やぁやぁ、村上君、良く来たね。どうぞゆっくりしていってくれ」


 ピーターに声をかけられた青年――村上猛むらかみたけしは、ういっす、と短く答えて部屋の中央にあるソファーに腰掛けた。


「珠羅は、まだ時間かかりそうですか?」


 座るや否や、猛がピーターに聞く。


「もうちょっとってとこかなー。彼女はまぁ、まぁ、凄いんだけど色々手間かかるから」


「そうですか……」


 猛がため息をつきながらソファーの背にもたれかかる。ピーターは笑顔を未だに絶やさない。


「不安かい?」


「いや……」


「最近入った彼、珠羅ちゃんの穴を埋めてくれるくらいには良くやってくれてるじゃない?」


「……そうなんですけどね」


 楽しそうな笑顔のピーターとは対象的に、猛の表情はどこか複雑だ。


「あいつ、上手くやってけますかね……?」


「さぁねぇ? どうだろねぇ? 心配してくれるなんて、村上君、君は良い子だねぇ」


 くつくつとピーターが顔をほころばせる。猛は、その表情を見てちっと小さく舌打ちした。


 ――――コンコン。


 再び、部屋のドアがノックされる。


「どうぞ、どうぞ」


「失礼します」


 中に入ってきた青年は、藤田蒼澄だった。普段の、どこか小動物を思わせるような雰囲気とは打って変わって、静かながらも殺気をまとわせた雰囲気をにじませている。


「やぁ、やぁ、藤田君。くつろいでくれたまえ」


「……了解です」


 小さく呟いて、蒼澄もまたソファーに座る。猛とは向かい合わせだ。


「さてさて、良く来てくれたね。お茶とお菓子を出して雑談としゃれこもうかなぁ?」


「必要ないんで、さっさと本題入りましょうや」


 ピーターの提案を猛がバッサリ切る。ピーターはわざとらしく肩をすくめた。それに対して、蒼澄は特に反応を見せない。


「さぁて、さて。今回の仕事を説明するね」


 ピーターが机の上のPCを操作し始める。残りの二人はその様子を黙って見つめていた。


「今回のお仕事相手は、アルビーペット株式会社。正確にはそれをバックにつけたフロント企業だけどね」


 フロント企業とは、反社会的勢力が関係している企業のことである。この世界では暴力団等に加え、ヴィランが関わっている企業もフロント企業扱いされる。


「アルビーペットって、確か業界第一位のペット関連会社ですよね?」


「そう、そう。世界で初めて遺伝子操作されたバイオペットを産み出す技術を確立、その販売網を獲得してから押しも押されぬ大企業へと成長したのがここだね」


 蒼澄の言葉をピーターが補足する。


「そんな企業がフロント企業作んのかよ……」


「いーまどーき、珍しくないよー。それは君達も分かってるじゃない!」


 猛のやるせない言葉に、ピーターはハツラツとした声で茶化す。猛が舌打ちを返した。蒼澄は、とくに表情を変えずに見ているだけだった。


「話を続けようか。んで、んで、そんなアルビーペットさんなんだけど、近年競合他社の勢いに押されてね。巻き返しのために色々とお金が必要になったから、おこづかい稼ぎを始めたのさ」


「ああ、なんとくなく読めてきました」


 ピーターの言葉を遮った蒼澄が、面白くなさそうに頭をかく。


「そのおこづかい稼ぎって……ヴィラン組織に対する、動物を中心としたバイオ兵器の販売なんでしょう? フロント企業を通しての」


「ビンゴっ! ビンゴっ! その通りっ!!」


 蒼澄の考えに、ピーターが満点を与える。眉間にしわを寄せてより一層不機嫌をあらわにする猛に対して、蒼澄は感情を動かしたさまを一切見せない。


「最初は細々とやってたそれなんだけど、だんだんと規模が大きくなっちゃったのね。ついには本社の意向すら無視しかねないほどに」


 トン、トン、と指で机を叩きながらピーターが言った。


「警察はこのこと知ってるんですか?」


「多分まだかな? ただ、感づかれてはいるんだろうね」


「ああ、だからかよ……」


 蒼澄の疑問に答えたピーターの言葉に対して、猛が怒りを隠さずに呟く。


「警察にバレる前に、俺達が片付けろってことか……」


「ああ、ああ、君達は本当に利発だなぁ! その通り! アルビーペットほどの企業ともなれば、こんなスキャンダルがバレたら大惨事! 現在進行形でヒーロー社会に貢献しているからこれが表沙汰おもてざたになったらだーれも得しない! 倒産しちゃったらさぁ大変だ! でもこのままじゃ倒産まっしぐらだ!」


 大げさに腕を広げながらピーターが叫ぶ。


 ヒーロー社会に貢献している、と言ったピーターの言葉は嘘ではない。


 正義の世紀ジャスティスセンチュリーにおける大企業は、大なり小なり社会活動と称してヒーローへの支援を行っている。その一環として、アルビーペットはヒーロー活動に耐えうるほどの優秀さを誇るバイオペットを提供している。これらはサポートアニマルと呼ばれ、ヒーロー達の戦いにおいて現在進行形で役立っているのだ。これが無くなっては痛手をくらうヒーローも少なくない。


 そうでなくとも、業界一位の大企業が潰れたら何人もの人間が路頭に迷うことになる。そうやって路頭に迷った人間がヴィラン組織に合流してしまうことは、可能性としてあり得る話である。事実、似たような事例が何度も何度もこの世界では起こっていた。


 とにかく、もろもろのことをかんがみて、この件を表沙汰にせずに処理してしまった方が良いという考えがあるのも間違いではなかった。倫理的なことは、さておくとするが。


「まぁ、確かにアルビーペットが倒れたら色々と混乱するでしょうね」


「そう、そう。だから、そんな事態に陥る前に私達の手で始末をつけちゃおうってこと」


 蒼澄の言葉に追従するピーター。猛は憤りからか、握った拳を震わせていた。


「じゃ、概要は説明したから。いつも通り、やるならこれを受け取って」


 そう言ったピーターは、机の引き出しから三本の注射器を出し、うち二本を机の上に置いた。


「……まぁ、断る選択肢はないんですけどね」


 せせら笑いを浮かべ、蒼澄はそれを受け取る。


「ほんと、嫌になるわ」


 心に渦巻いているであろう激情を表情に出しながら、猛もまた注射器を受け取った。


「じゃあ、始めようか――怪人同盟かいじんどうめいのお仕事を、さ。いつも通りに、着実に」


 ピーターの掛け声を切っ掛けに、三人が注射器をそれぞれの腕に刺した。


 

 この物語は正義ヒーローヴィランだけの物語ではない。


 この物語は、正義ヒーローヴィラン、そして、その狭間に生きる者達の物語でもある。

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