静かな場所で。

上野 からり

第1話


ペンを走らせる音だけが聞こえる。

俺も目の前にノートを広げて同じように傍らの教科書に目を落として、ノートに答えを書き込む。


俺は今年高校三年生、つまり受験生だ。

家では集中出来ない俺は、こうして学校の図書室で勉強をしている。

三年生の為に、学校は一年中閉門近くまで図書室を解放してくれていた。


解放された窓からは、運動部が元気な声をあげているのが聞こえる。


季節は春。部活動に入っていない俺はこれから一年間、勉強漬けになる予定だ。


一心不乱にペンを走らせる俺のすぐ横の席を誰かが引いた。

ぎごっ、と音を立てて引いた椅子に見知った人物が腰を下ろした。


「あら、菊池きくち君。奇遇ね」


俺の名前を呼びながら勉強道具を出す女子生徒。


「何も俺の隣じゃなくても席は空いているぞ?葛城」


わざわざ俺の隣を陣取る事は無いだろう、この図書室は教室四つ分はある。空いてる席はいくらでもあった。


「ここが私の定位置なの。気にしないで?」


そう言って勉強を始める葛城かつらぎ。彼女とは同じクラスだ。

この学校は所謂進学校で、一年生から三年生まで同じクラスで同じ面子で同じ担任だ。

クラス全員の顔も名前もすっかり覚えてしまった。

三年間同じ面子なのだ、卒業式は皆んな泣くんだろうな。


「そうか、なら俺が移動するとするよ。気が散るだろ?」


立ちあがろうとする俺に彼女は、


「そんな事ないよ?それとも私が隣に居るの、嫌?」


ピタと動きを止める俺。そんな言い方されたら移動出来ないよね?


「……」


黙って腰を下ろして勉強を再開する。


「ところで菊池君、休日の過ごし方は?」

「勉強」


即答した。それしか無いから。


「そう、寂しいね」

「受験生なんだからこんなもんだろ?君は?」

「勉強」

「だろ?」


そしてまた、黙々と設問を解いて行く。

すぐ真横に人が居ても、案外気にならないもんだな。と、合間に思ったりもしたのだが、


「菊池君」

「ん?どした?」


カキーン!レフトレフトー!と、外から野球部の声がほぼダイレクト気味に図書室にも入って来る。

集中していると気にならないが、話し掛けられて気を抜くと、途端に外野の音が耳に入ってくるから不思議だ。


「高校生カップルが受験に差し掛かったら疎遠になるそうだけど、君がその立場だったらどうする?」


急におかしな質問が飛んできたな、ふむ。経験が無いから大した事は言えないが、


「そうだな、同じ学校ならはまず、彼女の言葉を聞くよ」

「どういう事?」


怪訝な面持ちでこちらへ目を向ける葛城。


「恐らくだけど、受験が近いともなれば気持ちに余裕が無くなると思うんだ。俺が何故ここで勉強しているのかと言うと、家で一人で勉強をしていると不安になるからだ。ここなら他の生徒もいる。勝手に戦友と一緒に勉強している気になるんだ。そういう自己管理が出来ない人は自分の事で頭が一杯になって彼氏彼女に構っていられなくなる、むしろ煩わしくなったりして距離を置く。そしてそのまま自然に消滅するんじゃないだろうか?どう?」


「饒舌ね」


「葛城、君は俺にケンカを売ってるのか?」


折角丁寧に答えてやれば、おしゃべりさんねと返されるとはどういう訳だ?


「ごめんね?そんなに真面目に答えてくれるなんて思わなかったから」

「どんな回答を求めてたんだよ。ふざければ良かったのか?」

「いいえ、ありがとう。それで君は彼女の話を聞いてあげられるくらいの余裕があるってことかな?」


頬杖を付いてこちらを見る葛城。口元は薄らと微笑んでいる。


「彼女がいた事が無いからわからないけど一応、勉強はちゃんとやってるつもりだ。俺の成績は大体知ってるだろう?二年間同じクラスなんだから」

「そうね、君なら大丈夫ね」


それで君の成績は?そう訊こうと口を開きかけるが、


「あの……先輩がた、もう少しお静かにお願いします」


振り向くと、図書委員と思われる後輩の女子が立っていた。メガネを掛けた真面目そうなそのはやや困り顔で、


「他の先輩方のご迷惑になりますので」

「あ、ああ、ごめん。静かにするよ」


そう言って周りを見ると、何人かの同級生がこちらをチラチラ見ていた。

わざとらしく咳払いをして前を向く。チラと横を見ると葛城は澄ました顔でノートを取っていた。

なんか俺だけが悪いみたいじゃないか、君も謝れよ。


「……ふ〜」


深呼吸を一つしてノートに向かおうとする、が、


「菊池君」

「……今度は何だ?」

「声が大きいから注意されるのよ?」

「君が話し掛けなければそもそも声を発せずに済むんだが?」


音量に気をつけて二人ともひそひそ話す。顔が近い。

いい匂いがするな葛城、なんて事を考えてしまう。


いけない、あまり喋っているとまた図書委員のメガネさんに怒られる。そう、彼女は暫定的にメガネさんという事にしておこう。


「とある調査によると」


俺の抗議を無視してひそひそと話し始める葛城。何故勉強しない?葛城?


「自分が相手に対して恋愛をしたいと思うのはどんな理由で?という質問に君はどう答える?菊池君」


だから何で今そんな質問に答えなければならないのか?

俺の勉強の邪魔をして蹴落とそうとしているのか?


「今その質問は必要なのか?」

「そうね、私にとっては」


何故か目が真剣だ。でもこれで真面目に答えてもまた茶化される気がするんだが。


「胸」

「最低ね!」


怒られた。どうしろと?

あ、そうか。葛城にバストの話は不味かったか。

でも気にするな、顔は十分美人だ。


「待て、真面目に答えても茶化してもダメなのか?」

「ふざけろとは言ってないでしょっ!」


「あの……先輩?」


メガネさんが引きつった顔で立っていた。


「「ごめんなさい」」


頭を下げる俺達。ヤバい、追い出されそうだ。

周りから舌打ちする音が聞こえる。

出禁になったら恨むぞ?葛城。


「あ〜、真面目に答えるとだな」


怒らせたままっていうのも後味悪いので、まともな意見も述べておこう。


「うん」

「直感、かな?」

「……ふぅん」


何だよ、不満なのか?また頬杖を付いて窓の外を見ている。

まあいいやと、俺も勉強に戻る事にする。

かりかりかり、とペンを走らせながらチラと隣を見ると、葛城は頬杖を着いたまま外を見ていた。


それからは二人無言で勉強を進める。

途中、隣の葛城がふぅ〜とため息を吐く。


「どうした葛城?集中出来ないか?」

「うーん、まあね」


気怠げな表情でこちらには目を向けない彼女。


「なんなら俺が移動するが?その方が集中出来るだろ?」

「なんで君が移動するの?」 


ふいっとこちらを見る葛城。


「え、だってそこが君の定位置なんだろ?」

「そんな事言った?私」

「言ったろ、自分の定位置だって」

「そうだっけ?忘れた」


斜め上を見ながら頬に人差し指を当てて、はて?とか言ってる葛城に俺は、


「あのな、ハンフリー•ボガートだってそんなに早く忘れないぞ?」

「(カサブランカ)ね、今ミニシアターでリバイバルやってるよ?」


そうじゃないんだよ!言った事に責任持てよ……って、


「驚いた、ボギーを知ってる同級生に初めて会ったよ」

「ふふ、映画ファンなの。私」


それにしても渋いな、葛城。すごく古い映画だぞ?


「いいの、君はそこで勉強していて?」


もやもやが残るが、取り敢えず勉強に集中する事にす……る、が、


「菊池君」

「……何だよ」

「そんなに怒らないでよ……」


しゅんとする葛城。ちょっと声にトゲがあったらしいけど、君は俺の勉強を邪魔してるんだからな?


「……悪いな、少しキツい言い方だったようだ」

「そうね、反省して?」

「したよっ!」


「あの、いい加減他の先輩方が……」


「「すみませんっ!」」


二人で立ち上がって図書室中に頭を下げる。

もうアレだ。勉強どころじゃないよ?


「菊池君、返事しなくていいから勉強しながら聞いて?」

「え?おぉ、それでいいなら」


ようやく勉強に戻れる。


「えーと、ある調査によると……」


ひそひそと語り始める葛城。俺はノートに目を落としたまま、彼女の語り掛けをBGMに勉強を続けた。

彼女の話題は終始恋愛。

愛に飢えてるのか?ってくらい話題は恋愛だ。

でも不思議だ。彼女の話を聞きながらでも設問を理解出来る。

へぇ、とかふぅん、とか返事しながらでも勉強が出来る。

これはもしかして俺は聖徳太子ばりにマルチタスクが消化出来るのか?!ってくらいに思ってしまっ……ちくっ


「イッ!」

「あ、ごめん。起きた?」


横を見るとシャープペンシルを構えた葛城がいた。


「……おい、葛城。その手に持ったモノで何をした?」

「うん?えとね?意識が戻るように突いてみたの」

「意識あるし痛いしやめてくれ!」


「せんば〜い、いい加減にしてもらえます?」


二人でお口にチャックのジェスチャーをする。

メガネさんの顔が一段と険しさを増していた。


「葛城、聞いてるだけでいいって言ったよね?」

「相槌とか無かったから意識が飛んでるのかと思って」

「集中してたんだよっ」


ひそひそ話で抗議するのはなかなか難しい。


「すっかりメガネさんに目をつけられちゃったね」


葛城の中でも彼女はメガネさんだった。まあ、そりゃそうだ。だって特徴がメガネなんだから。

帽子を被っていれば帽子の人になるし、ギターを持っていれば坂崎さんだ。


これ以上メガネさんを怒らせる訳には行かない、やはりここは葛城から離れるべきと判断した。


「……」


無言で机の上の物をまとめはじめる俺。


「菊池君、帰るの?」

「いや、移動する」

「何で?」

「説明が必要か?」


そう言って立ち上がり、席を移動した。

正面に窓があったさっきの席の方が良かったのだけど、勉強が出来ないのでは意味がない。

移動した場所はさっきまで居た窓際席の反対側、廊下側の端の方。

話し相手が欲しい葛城には悪いが、俺は図書室ここに勉強しに来ているのだ。と言うか、図書室に居るほとんどの生徒は勉強の為にここに居る。お喋りをしに図書室に来る葛城は、どう考えても間違っている。


快適に勉強は進んでいた。

誰もこちらへ注意を向けない。自分の学力に向き合っている。そうだ、この空気が俺を安心させるのと同時に向上心を刺激する。


「……ふ〜っ」


一通り設問を解いて一息吐く。

ふ、と葛城の事が気になった。あれからどうしたのか?

誰か他の生徒を捕まえて恋愛談義に華を咲かせているのか?それとも帰ったか?

俺は首を巡らせて彼女の「定位置」に目を向けた。


「っ?!」


葛城と目が合った。

彼女は椅子をこちらへ向けて俺をじっと見ていた。遠くて表情はよくわからないが、瞳が俺を捉えているのがわかった。

じっと、俺を、見ていた。


「…………クソ」


俺は荷物をまとめて立ち上がった。

そして、元居た席へ向かう。


「何してるんだ?葛城」


勉強には手をつけず、机とは反対を向いていた彼女に話しかけた。


「ある調査によると、交際相手に求めるものは?という問いに対して多かった回答は?菊池君」


「安らぎかな」


彼女はふっと笑って机に向き直る。

俺は元居た席に腰を下ろした。


「何故戻ってきたの?」


その問いに用意していた答えを述べる。


「俺の定位置だから」

「初耳ね」

「葛城」

「何?」


「明日、一緒に映画でもどうだ?」

「何故私に?」


「……直感だ」


                おわり。







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静かな場所で。 上野 からり @manamoe

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