最終話 そして少女は歴史に名を刻む

 勇者候補の一人が開会直前に逃亡するというトラブルはあったものの、エリシオン国王ラダマンテスの空気を読んだ短い挨拶を経て、無事に聖剣の儀が執り行なわれることとなった。


 コロシアムに集まった五万人の観客が見守る中、貴賓席の露台バルコニーに立つラダマンテスが、魔法によって拡声された声を張り上げる。


「聖剣よ! 出でよ!」


 その命に従い、円形闘技場の内周に沿う形で配置されていた魔法使いたちが、全く同時に呪文を唱え、魔法を発動する。

 直後、闘技場中央の地面が砂に変じ、蟻地獄のように地の底へと落ちていく。


 魔法使いがさらなる魔法を発動すると、蟻地獄の底から新たな地面がせり上がってくる。

 魔法ゆえか、新たな地面に積もっていた砂は粉雪のようにサラサラと溶け消えていき……封印の台座に突き刺さった聖剣が姿を現した瞬間、地を揺らさんばかりの歓声がコロシアムに轟いた。


 闘技場の入場口付近で、他の勇者候補たちと一緒に待機していたミニィは、そのあまりの迫力に「ひゃっ!?」と情けない悲鳴を漏らす。


「この最中さなかで聖剣に挑まなければならないのか。さすがに少々気が重いな」


 傍にいたユナの言葉に、ミニィはコクコクと全力で同意した。

 そうこうしている内に、聖剣の儀の進行を任された大臣が、ラダマンテスと同様、拡声魔法が施された声で叫ぶ。


「聖剣に挑む一番手はこの人! 世界屈指の戦士団を擁するアレスの国王! バルクゥウウゥウウゥ・ノォオォオウ・キンマァァアアァァアァンッ!!」


 名前を呼ばれるや否や、貴賓席にいた筋骨隆々の国王が「とうッ!」というかけ声とともに露台から跳躍。聖剣のすぐ傍に降り立った。

 一国の主ゆえに控え室にはいなかったというだけで、バルクもまた勇者候補に選ばれた強者の一人だった。


 大歓声が上がる中、バルクは封印の台座に突き刺さった聖剣の柄を、両手でガッチリと握り締める。

 

「制限時間は一分! それまでに聖剣を引き抜けなかった場合は、残念ですが勇者ではなかったということでご退場いただきます! それでは……」


 大臣は、ゆっくりと右手を持ち上げ、


「始めぇええぇええぇいッ!!」


 甲高く叫ぶながらも勢いよく振り下ろした。

 ほぼ同時に、コロシアムの鐘楼に設けられた大鐘が、王都の端にまで響くほどの大音を鳴らす。


「ぬぉおぉおぉおぉおおおぉおぉおおぉッ!!」


 その鐘の音をかき消さんばかりの気を吐きながら、バルクは力尽くで聖剣を引き抜こうとする。が、聖剣は微動だにともせず、


「ぬぉおぉおぉおぉおおおぉおぉおおぉッ!!」


 と叫んでいるうちに一分が経ち、再び鐘楼から大きな鐘の音が響き渡った。


「はぁ……はぁ……」


 肩で息をしながら退場していくバルクに、観客たちは暖かい拍手を送りながらも、その多くが頭の隅でこんなことを思う。



 ――聖剣の儀って、思ったよりも絵面が地味じゃね?



 その危惧のとおり、あらかじめ決められた順番どおりに勇者候補が現れては、


「うぉおおぉおッ!!」


 とか、


「きぇえぇえぇえぇッ!!」


 とか叫びながら聖剣を引き抜こうとする絵面は地味な上に単調で、観客席の空気が少しずつ盛り下がっていく。

 現状、誰一人として聖剣が抜けそうな気配がないものだから、なおさらだった。


「そもそも、一人につき一分もの時間を与えたのが誤りなのだ」


 聖剣を引き抜けなかった一二人目の勇者候補がトボトボとこちらに戻ってくる様子を眺めながら、ユナはため息まじりに言う。

 その言葉に、ミニィは小首を傾げた。


「それって、どういう意味です?」


「歴代の勇者は皆、聖剣が羽根のように軽いと証言している。だから、聖剣に選ばれた者ならば片手でも容易く抜けるから、あんな風に力尽くで抜こうとしている時点で勇者ではないことが確定しているというわけだ」


 そう言って、一三人目の勇者候補が顔を真っ赤にしながら聖剣を引き抜こうとする様を顎で示す。


「確かに、勇者にとって聖剣が羽根のように軽いのなら、一分は長すぎますね」


「おそらく、聖剣の儀の進行について話し合った際、大臣の誰かが挑戦する時間が長い方が盛り上がるとか何とか提案したのだろう。結果はご覧の有り様だが」


 とはいえ、儀式を進行している大臣も馬鹿ではないので、一五人目の勇者候補のチャレンジが終わったところで、一分だった持ち時間を三〇秒に減らすことを宣言する。

 観客だけではなく、他の勇者候補も一分は長いと思っていたらしく、異論を唱える者は一人もいなかった。


 これで進行速度が実質二倍になったわけだが、絵面の地味さだけは如何ともしがたく、聖剣にチャレンジした勇者候補が三〇人を超えた頃にはもう、観客席の空気はすっかり冷え切ってしまっていた。


 それゆえだろうか。

 運営エリシオンが、早々に〝切札〟をきることを決断したのは。



「こ、この次わたしになっちゃったんですかっ!?」



 悲鳴じみた声をあげるミニィに、順番の変更を報せにきた兵士が首肯を返す。


 先にも触れたとおり、勇者候補たちの聖剣チャレンジの順番は、運営エリシオンによってあらかじめ決められている。

 ユナは四一番目、本当はこの次にチャレンジするはずだったワグナは三二番目、どこかに消えたアルトーは一三番目といった具合に。


 そして、聖女で賢者で剣聖であるミニィの順番は後ろから二番目。

 バルクと同様、王の身でありながら優れた魔法使いとして知られるメーティス国王ゼーマンの一つ前だった。


 いくら史上初めて聖女と賢者と剣聖に選ばれたとはいっても、過去に聖女と賢者と剣聖の中から勇者に選ばれた者はいない。

 それゆえに大取りを任せられずに済み、最後の方であるがゆえに自分の番が回ってくる前に聖剣を引き抜いてくれる勇者が現れることを期待できる、ミニィにとっては絶好の順番だった。


 その順番が運営の鶴の一声で変更になってしまった。


 今この瞬間もこめかみに血管を浮き上がらせながら聖剣を引き抜こうとしている、勇者候補の中で最も体躯の大きい男の後に、勇者候補の中で二番目に体躯が小さいミニィが聖剣に挑むことになってしまった。

 その落差を利用した上で運営エリシオンは、聖剣の儀の最大の目玉であり、切札でもある、聖女で賢者で剣聖なミニィを投入することに決めたのだ。


「そういうわけですので、ワグナ様の順番はミニィ様の次ということになりますが、よろしいでしょうか?」


「委細構わぬ。もっとも剣聖殿が先に出る以上、次があるとは思えぬがな」


(そこは委細構って~~~~~~~~~~っ!!)


 と、心の中で悲鳴を上げるミニィ。

 色々と察したユナは、無言のまま優しくミニィの肩に手を添えた。


 やがて、聖剣を抜けなかった巨漢の勇者候補がトボトボと入場口に戻ってきたところで、


「それでは皆様お待たせしましたッ!! 次に挑戦する勇者候補は、聖女にして賢者。賢者にして剣聖。剣聖にして聖女の……ミニィイィイィィィイィィッ・アストレアァアァァァアアアァァアァッ!!」


 大臣がかつてないほどのハイテンションで叫んだ直後、冷え切っていた観客席から火山が爆発したような大歓声が上がる。


 その凄まじい迫力にビクリと震えながらも、ミニィは意を決して闘技場に足を踏み入れた。

 緊張しすぎるあまり、同じ側の手と足を一緒に前に送り出しながら。

 後ろで見送っていたユナが思わず苦笑し、観客席からはドッと笑い声が上がる。


「なにあれかわいい~」


「本当にアレで剣聖か~?」


「まあ、聖女と言えば聖女かもしれねぇな」


「賢者と呼ぶには、威厳が足りないんじゃないかぁ?」


「話に聞いていた以上にちんちくりんだな、おい」


 それだけ聖女で賢者で剣聖なミニィの登場が待ち望まれていたのか、つい先程まで場の空気が冷え切っていたとは思えないほどの盛り上がりようだった。


 狙いどおりに事が運んだせいか、進行を務める大臣の実況にも自然と熱が籠もる。


「皆様ッ!! 戸惑うのも無理はありませんが、彼女こそ正真正銘ッ!! 聖女でッ!! 賢者でッ!! 剣聖のッ!! ミニィ・アストレアその人ですッ!!」


 その実況を聞いて、観客たちがさらに盛り上がる中、ミニィはカラクリ仕掛けの人形のように、聖剣が突き刺さった封印の台座を目指してひたすらカックンカックンと手足を前へ送り出していた。


 この状況で「掴みはバッチリ!」などと喜べるほど、ミニィの神経は太くない。むしろ笑っちゃうくらいか細い。

 ゆえに余計に緊張してしまい、歩き方もカックンカックンになってしまっているのであった。


 やがてミニィは、封印の台座に到着する。

 自然、コロシアムに充ち満ちていた熱が引いていき……一転して静寂が場を支配する。

 誰も彼もが、固唾を呑んでミニィの挑戦を見守っているのは明白だった。


(……胃が痛くなってきたぁ……)


 なんだったら吐き気もしてきた。

 心臓もバックンバックンと暴れ回っている。

 かつて経験したことがないほどの重圧に苛まれながらも、ミニィは封印の台座に上がり、そこに突き刺さった聖剣と相対する。


 後光をそのまま祀ったような、独特な意匠が施された鍔。

 幅の広い刃身に目を凝らせば、神託の光にも似た輝きに包まれているのが見て取れた。

 封印の台座に突き刺さっているため断定はできないが、全長はおそらく一メートル弱といったところだろう。


 ミニィは先程までの緊張も、胃痛も、吐き気も忘れて聖剣に見入る。

 剣の良し悪しなど全くわからない。

 けれど、目の前にある剣が間違いなく聖剣だと、理屈抜きに確信することができた。

 仮にこの剣が聖剣だと事前に知らされてなくても、一目見ただけで同じ確信を得られると断言できるほどに。


「それでは……始めぇええぇええぇいッ!!」


 大臣の甲高い叫び声とともに、大鐘の大音が響き渡る。


 ミニィは恐る恐る聖剣に手を伸ばし……ふと、こんなことを考えてしまう。


(ユナさんが言うには、聖剣って羽根のように軽いらしいから……)


 もし聖剣を思い切り引っこ抜いた場合は、派手に後ろにすっ転んで皆に笑われてしまうかもしれない――そんな考えが脳裏をよぎってしまう。

 聖剣を引き抜いた後の心配をするのは傲慢な考え方かもしれないが、なまじ聖女と賢者と剣聖に選ばれてしまっている分、どうしても最悪の事態――あくまでもミニィにとっての――を想定せずにはいられなかった。


(そうだ! まずは引き抜けるかどうか軽く摘まんで確かめてからにすればいいかも!)


 名案だと思ったミニィは、意気揚々と聖剣の柄尻を人差し指と親指で摘まむ。

 その案が、どうしようもないほどの案だということにも気づかずに。


「……あ」


 思わず間の抜けた声を漏らしてしまう。

 抜けてしまったのだ。

 床に落としたスプーンを摘まみ上げるようなノリで、驚くほど軽々に、呆れるほど呆気なく、聖剣を引き抜いてしまったのだ。


 直後、世界すらも揺らさんばかりの大々々歓声がコロシアムを揺るがす。


「おい、見ろよ! あの子、聖剣をスプーンみたいに摘まみ上げてるぞ!」


「さっきのオークみたいなおっさんが引き抜こうとしても、ビクともしなかったのに!」


「あんなに体が小さいのに、とんでもない怪力だな!」


「誰だよ、ちんちくりんとか言った奴!」


 まさかの言われように、ミニィは「ふぇっ!?」と悲鳴じみた声を上げる。

 とはいえこれは、完全に身から出た錆だった。


 ミニィは迷案を閃いた際、二つの落とし穴を盛大に見落としていた。


 一つ目の落とし穴は、勇者にとって聖剣が羽根のように軽いこと。

 当のミニィは、むしろ羽根のように軽いからこその行動だと弁解するだろう。

 しかし、聖剣の見た目に惑わされ、羽根が摘まんで持ち上げることができるという当たり前の事実を忘れてしまっていた時点で、落とし穴を見落とすどころか自ら勢いよく飛び降りているのは火を見るよりも明らかだった。


 二つ目の落とし穴は、観客たちの多くが、聖剣が羽根のように軽いという話を知らないこと。

 事実ミニィも、ユナにその話を聞かされるまでは、聖剣が羽根のように軽いだなんて夢にも思っていなかった。

 今もなお怪力だとか剛力だとか女バルクだとか、不名誉極まりない称号が引っ切りなしにミニィの耳に届いているのも、それゆえのことだった。


「……帰りたい……」


 聖剣を引き抜いてしまった以上、すぐには帰れないことはわかりきっていたが、それでも口に出さずにはいられなかった。

 特に意味もなくプルプルと体が震えているせいか、摘まみ上げたままの状態になっている聖剣がプラプラと揺れていた。


 こうしてミニィは「史上初めて聖剣を勇者」として、歴史に名を刻むこととなった。

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聖女で賢者で剣聖で勇者です(震え声 亜逸 @assyukushoot

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