第9話 聖剣の儀、当日

 三日後――


 いよいよというか、イヤイヤというか、ミニィは聖剣の儀当日を迎えることとなった。


 聖剣の儀が執り行なわれる場所は、王都の観光名所にもなっているコロシアム。

 観客席は円形の闘技場を囲う形で設けられており、収容可能人数は実に五万人。

 全世界が注目する、一〇〇年に一度のイベントを執り行なうにふさわしい巨大施設だった。


 だったから、ミニィは控え室で待機している段階で、緊張のあまりカチンコチンになっていた。


(無理……あんな人がいっぱいいるところに出るなんて絶対に無理……!)


 室内に設けられたベンチに座ったまま、この三日の間にエヴァに買ってもらったかわいらしいドレスワンピースを涙で濡らさないよう、心の中だけで泣き言を漏らす。

 、実際に声に出して泣き言を漏らしていたところだった。


 う。

 控え室は大部屋だった。

 その大部屋に、五〇人を超える勇者候補が一堂に会していた。


「おい、あの娘が噂の……」


「ああ。聖女で賢者な剣聖らしいな」


「いや、俺は賢者で剣聖な聖女だと聞いたぞ」


「いやいや、俺は剣聖で聖女な賢者だと聞いたぞ」


 もういい加減誰か呼び方を統一して……と思いながらも、檻に囚われたハムスターのように縮こまる。

 こういう状況を良くも悪くもどうにかしてくれるエヴァが、今は関係者用の客席にいるため、なおさら縮こまった肩は小さかった。

 

 そのエヴァが、この三日の間に馬車三台分の聖水を全て売りさばき、人を雇ってまで大急ぎで井戸水を汲んで注いだ瓶を増産していることや、聖剣の儀が終わった後はその水瓶すいびょうに御利益を込める作業が待っていることはさておき。


 正直、もう帰りたかった。

 今すぐ帰りたかった。

 話は変わるけど、コロシアムの外はお祭り騒ぎで、露店がたくさん出ているという話だった。

 正直、そっちの方に興味があった。

 というか、今すぐそっちに行きたかった。


「なんか、余裕があるのかないのかよくわからない顔をしているな」


 不横合いから聞き覚えのあるの声が聞こえてきて、ミニィはつい先程までカチンコチンに固まっていたとは思えないほどの勢いで、そちらに顔を向ける。


「隣いいか?」


 と訊ねてくる、白銀の鎧を纏った小さな聖騎士――ユナ・パルトス(一八歳)を認めた瞬間、ミニィはコクコクと頷いて返した。

 顔見知り程度とはいえ、安心して話せる相手――見た目によるところが大きいが――が現れたことにミニィは、三日前に王城で迷子になった時と同じように地獄に天使を見た思いだった。


 それに、その時は迷子になってしまった申し訳なさが先に立ってしまったせいで、エヴァの待つ客室に案内してもらうまでの間ずっと、ユナとはろくに話すことができなかったが、実のところ色々と話がしてみたい相手――これまた見た目によるところが大きいが――だったので、向こうから話しかけてくれたことは二重の意味で嬉しかった。


 そんなミニィの心中を知ってか知らずか、ユナは身の丈を超える槍を鎧の肩当てに立てかけながらベンチに腰を下ろす。


「おい、アレ……」


「ああ。聖騎士史上最強と名高い、ユナ・パルトスだ」


「しかし、噂には聞いていたが本当に小さいな」


「剣聖で聖女な賢者が大きく見えるぞ」


「小さい」という単語を聞いた途端、ユナの目がジットリと据わったことはさておき。

 彼女が勇者候補に選ばれたのは、まさしく聖騎士史上最強とまで謳われたその実力にあった。

 そんな周囲の声を聞いて、ミニィはキラキラと目を輝かせる。


「ユナさんって凄いんですね……!」


 そんなミニィに対し、ユナはげんなりと応じる。


「こんな見た目をしてるから騒がれやすいだけだ。それより、敬語は不要だと言ったはずだが?」


「いや……だって……ユナさんのこと、本当に凄いと思ったから……」


 ユナはミニィからそれとなく視線を外す。

 どうやら少し照れているらしい。


「君がそれで構わないのなら、好きにするといい。というか、君に凄いと言われてもイヤミにしか聞こえないぞ」


「わ、わたしなんて全然凄くないですよ……。今だって、緊張しすぎて口から心臓が飛び出そうだし……」


「そういう話をしているわけではないのだが……」


 そう言って、ユナは小さくため息をつく。


「まあいい。緊張しているのなら、聖剣の儀が始まるまでの間、私が話し相手になってあげようか? 少しは気が紛れるだろうしな」


「ユナさぁん……」


 あまりにも頼りになる小さな聖騎士に感極まったミニィは、思わず縋りついてしまう。


「こ、こらっ! くっつくな――って、あ~もう!」


 口では嫌がりながらもなんだかんだで頼りにされることが嬉しいのか、ユナは今にも緩みそうな頬を引き締めながらも、縋りついてきたミニィの頭を「よしよし」と撫でてあげた。


 なんとも微笑ましい光景だが、だからこそこの場にいる勇者候補たちは困惑していた。

 今のミニィからは、聖女の凜々しさも、賢者の威厳も、剣聖の風格も感じられなかったがゆえに。



「皆が困惑している。擬態も程々にした方がよろしいかと。剣聖殿」



 不意に、聞き覚えがある男の人の声が聞こえてきて、ユナに縋りつきっぱなしだったミニィはビクリと震え上がる。

 恐る恐る身を起こし、恐る恐る声の主を見やると、そこには予想したとおりの人物――アレス戦士団最強の剣士ワグナの姿があった。


 途端、先程ユナが現れた時に負けないほどのどよめきが場を満たす。

 ワグナという剣士が、ミニィが思っている以上に凄い人であることを確信させるには充分すぎる反応だった。


「ぎ、擬態とはどういう意味だ?」


 顔見知りなのか、ミニィが思わず「ひっ」と引きつった悲鳴を上げるほどに凶悪な顔立ちをした大男が、ワグナに訊ねる。


「言葉どおりの意味だ。この小さき剣聖殿は、相対する者の気勢を削ぐために弱者を演じている。それも、それがしと立合って完勝を収めた後も一切手抜かりなくな」


 その言葉に、今日一番のどよめきが控え室に充ち満ちる。


「ワグナに勝ったという噂は本当だったのか!?」


「それも完勝だと!?」


「ということは、あの情けない姿も……」


「ワグナの言うとおり、擬態ということになるわけか」


 ユナが視線だけで「そうなのか?」と訊ねてきたので、ミニィは全力でブンブンとかぶりを振る。

 それだけで察してくれた年上聖騎士は、同情するようにポンポンと頭を撫でてくれた。


「歴史上、聖女と賢者と剣聖の中にから勇者に選ばれた者は一人もいないという話は、某も耳にしている。同時に、一人の人間が聖女と賢者と剣聖に選ばれたという話もな。此度の儀式で剣聖殿がどのような奇跡を見せてくれるのか……一人の未熟者として楽しみにさせていただく」


 それだけ言うと、ワグナは「これにて」と小さく頭を下げ、ミニィのもとから去っていった。


「ワグナが未熟者……だと!?」


「あの聖女で賢者な剣聖は、いったいどれだけ強いのだ!?」


「見ろ……ワグナにあそこまで言わせているのに、賢者で剣聖な聖女はまだあんな情けない顔をしているぞ」


「擬態に一切の手抜かりがないとは、こういうことか。なんと恐ろしい剣聖で聖女な賢者なんだ……」


 周囲の者たちが軒並み自分に畏怖する状況に畏怖したミニィは、もはや涙目になっていた。

 例によって察してくれたユナが、同情するようにポンポンと頭を撫でる。


(ほんと……誰かどうにかしてぇ……)


 ついでに、いい加減くどくなってきた呼び名もどうにかしてほしいと、心の底から思う。


 そんなミニィに追い打ちをかけるように、入口の扉を無駄にド派手に開け放ちながら、が控え室に入ってくる。

 まるで、主役のご登場だと言わんばかりに。


 無駄にド派手に現れたのは、魔法王国メーティス随一の魔法使いとして知られるアルトー。

 聖剣の儀にあわせてか、ただでさえ華美だった服装は、さらに無駄にド派手になっていた。

 

 空気という字を読ませたら「風属性魔法なら得意だよ」と明後日の返答をかえしてきそうな男の登場に、勇者候補の誰も彼もが呆気にとられる。


「ふっ……さすがは勇者候補。一目見ただけで僕の凄さを看破し、言葉を失うとは」


 そんなことをほざきながらも、今となっては不自然にしか見えない前髪を「これは正真正銘本物の髪ですよ~」と誇示するようにフワサァと掻き上げ、勇者候補たちに視線を巡らせていく。


 そして、アルトーの双眸がミニィを捉えた瞬間、


「ヒぃイいいィイいイいぃイィいィぃイッ!! 賢者が……賢者がいるゥうウぅウウぅうゥうううウゥウうゥッ!!」


 魔法やら何やらで固定しているはずの前髪がド派手に捲り上がるほどの勢いで、控え室から逃げ去っていった。


 そのあまりの怯えっぷりに、勇者候補たちは言葉を失ってしまう。

 さしものユナも、今のアルトーの怯えっぷりにはドン引きだった。

 この場において唯一の理解者を失いたくなかったミニィは、ユナに向かって涙目で全力でブンブンとかぶりを振るしかなかった。

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