第6話 立合い

「おばあちゃん……逃げたい……すごく逃げたい……」


 木剣ぼっけんを両手で握り締めながら、ミニィは涙目でエヴァに訊ねる。


「逃げるって、この状況でかい?」


 エヴァは応じながらも、視線を周囲に巡らせる。

 立合いの場として村の中央にある広場――ただ何もないだけとも言う――を選んだものだから、案の定周囲は野次馬に囲まれてしまっていた。


 みんなの期待には、できる限り応えてあげたい。

 みんなをガッカリさせるようなことはしたくない。

 そんな性分のミニィに、村人の期待の視線が集まった状況から逃げ出すことなどできるわけがなかった。


「そもそも、そこまで心配するほどのものでもないさね。聖女も賢者も剣聖も、言ってしまえば神様からの贈り物ギフト。凡人がどれだけ努力を重ねようが、鼻歌交じりで踏みにじるくらいの力を得ちまうってことは、こないだの魔法勝負で充分理解できたろう?」


「そうかもしれないけどもう少し言い方を考えて、おばあちゃん!」


「それにアレス戦士団は、見た目はあんなだけど剣聖像の管理を任される程度には理知的って話だ。ハムスターみたいにプルプル震えてるあんたを相手に、いきなり本気でかかってくるようなマネはしないさね……たぶん」


「またたぶんっ!?」


「けどまあ、魔法勝負の時もその〝たぶん〟のおかげでなんとかなったんだから、今回もきっとなんとかなるさね」


 言いながら背中を押され、ミニィは広場の中央にまろび出る。

 すでにもうその場にいた立合いの相手――ワグナに見下ろされ、「ひっ」と引きつるような悲鳴を漏らしながら後ずさった。


 その様子を見て、立合人を務めるアレス国王――バルクがおごそかに言う。


「双方ともに、準備は整ったようだな」


(心の準備がまだです~~~~~~~~~~っ!!)


 と、心の中で叫んでも伝わるわけがなく、


「それでは双方。構え……」


 ワグナが木剣を中段に構える。

 ミニィは半ば自棄やけになりながらも、ワグナの真似をして同じように構える。


 そして――


「始めぇいッ!!」


 ミニィが思わずビクリと震えるほどの大音声を合図に、立合いは開始した。



 ◇ ◇ ◇



 涙目でプルプル震えているミニィを見据えながら、ワグナは心の中で感嘆する。


(真の強者は相手に強さを悟らせないと言うが……それがしの目から見ても、この小さき剣聖殿はただの弱者にしか見えぬ。これほどの擬態、いったいどれほどの修練を積めば身につけられるというのだ……!)


 弱者が剣聖に選ばれるわけがない――そう信じてやまないワグナには、ミニィが素でビビりまくっているという発想自体がなかった。


(とはいえ、いくら強者といえども、斯様かような少女に全力で剣を振るうのは躊躇うものがある。剣聖殿の術中に嵌まっていることは承知の上だが、ここは寸止めでいかせてもらうとしよう)


 そう決めるや否や、ワグナは激烈な踏み込みで間合いを潰し、ミニィの脳天目がけて木剣を振り下ろした。


 アレス戦士団最速を誇る一閃に対し、ミニィは……ただ涙目でプルプルと震えたまま、微動だにともしなかった。

 ミニィの脳天に当たる一ミリ手前で、ワグナは木剣を止める。


「勝負あり……なのか?」


 あまりにも呆気ない幕切れに、立合人を務めるバルクも困惑を隠せなかった。


「なぜ何もせぬ? まさか、某如きは相手にする価値もないと申すつもりではあるまいな?」


「そそそそそんなことはないですぅ!!」


 滅相もないとばかりに、ミニィは全力で否定する。


「ならばなぜ、某の剣に応えなかった?」


「いや……だって……さっきのワグナさん、わたしに剣を当てる気……なかった……ですよね……?」


 ひどく自信なさげに、確認を求めてくる。

 だからこそ、ワグナは戦慄を禁じ得なかった。


(ああもう堂々と某の寸止めを見切っておきながらこの期に及んでまだ擬態を……! 獅子は兎を狩るにも一切手を抜かぬと言うが、ここまで徹底できる者を見たのは初めてだ。侮っていたのは某の方だったというわけか……!)


 ワグナは、バルクに視線を送る。

 皆まで言わずとも理解してくれたあるじは、無言で立合いの続行を促してくれた。


「非礼を詫びよう、剣聖殿。ここから先は、某も一切の容赦なくかからせてもらう」


 その言葉を聞いたミニィが、今にも魂が抜けそうな顔になる。

 擬態とわかっていてなお戦意が緩みそうになるその様は、もはや達人以外の何者でもないと心の中で唸る。


 当のミニィが、余計なこと言わずにあのまま負けて終わらせればよかったと、死ぬほど後悔しているとは夢にも思わずに。


(ゆくぞ、剣聖殿!)


 逸る心とは裏腹に、今度こそは見切らせまいと攻撃的な〝意〟を消し去りながら、ワグナははすの斬り上げを放つ。

 多少腕に覚えがある程度の輩ならば、反応すらできない一閃を、


「ひぃ……っ」


 ミニィは頭を抱えるようにして身を傾けながらも、紙一重でかわした。


(なんという見切り! ならば!)


 ワグナは空を舞う燕のように剣先を翻し、今度はミニィの鎖骨目がけて木剣をはすに振り下ろそうとする。


 だが、


「ふえぇ……っ」


 それよりも早くに、ミニィは頭を守るようにして両手を振り上げた。

 


 気づいた時にはもう全てが手遅れだった。

 ミニィが頭を守るようにして木剣を振り上げた結果、その剣先が、振り下ろしの一閃を放とうとしていたワグナの利き手の小指に直撃する。

 初動を狙われたため、木剣を振りきる手を止めることも、攻撃の軌道を変えることもできなかったワグナは、為す術もなく小指をへし折られてしまう。


(くッ! なんという業前わざまえ! だが、小指がやられた程度で――)


 思考が、途切れる。

 なぜならミニィが、恐ろしいほど自然に、容易く、木剣を取り落としながらもこちらの懐に潜り込んできたからだ。


「ごごごめんなさいっ! い、今治しますのでっ!」


 声を裏返らせて謝りながら、小指が折れたワグナの右手に掌をかざそうとする。

 目の前にいる少女は、剣聖である前に聖女で賢者だったことを思い出したワグナは、


「いや、治療の必要ない」


 右手を後ろに隠し、治療を受けることを固辞した。


「負けた上に施しまで受けては、恥の上塗りだからな」


「え? ……え?」


 まるで自身の勝利を理解していないように目を白黒させるミニィに、ワグナは心底敵わないなと思う。

 勝利してなお擬態を続ける徹底ぶりには、畏敬の念すら覚える。


 う。この立合いは、ミニィに懐に潜り込まれた時点で勝負が決していた。

 なぜなら、ワグナはミニィの踏み込みに全く反応ができなかったからだ。

 ミニィが木剣を取り落とすことなく追撃を仕掛けていたら、この立合い、小指をへし折られる程度の怪我では済まないところだったと、ワグナは思う。


 剣聖としてのミニィの凄まじい業前わざまえは、立合人を務めたバルクも理解しており、ワグナに向かって一つ頷くと、高らかに勝ち名乗りを上げた。


「勝者! ミニィ・アストレア!」


 直後、周囲から大歓声が上がる。

 やはりというべきか、擬態を続けることに一切の妥協がない小さき剣聖殿は、勝ち名乗りを聞いてなお自身の勝利が信じられないていを装っていた。



 ◇ ◇ ◇



 などというワグナの考えは、勿論ただの過大評価で。


(なんか勝っちゃったんですけど~~~~~~~~~~っ!?)


 なんで自分の勝ちになったのか、さっぱり理解できなかったミニィは、心の中で困惑を吐き出していた。


(ワグナさんって小指が折れてるのに普通に木剣握ってるよね!? まだ全然戦えるっぽいよね!? それとも実は物凄く小指が痛くて物凄く我慢してたりするの!?)


 ミニィが懐に潜り込んだ時点で、死に体になってしまったため、ワグナは潔く負けを認めた……などと、ミニィに理解できるわけがなかった。


 理解できないといえば、立合い中の一連の流れも大概に理解できなかった。


 最初にワグナが木剣を振り下ろしてきた際は、絶対に寸前で止めると確信できた。


 その後の攻撃は絶対に当たるから、かわさなければいけないことを確信し、どこに逃げればかわすことができるのかも確信できた。


 かわしれきれないと思った攻撃に対しては、体が勝手に頭を守り、その際握ったままになっていた木剣が意図せずしてワグナの小指に当たって、へし折ってしまった。


 最後に、このタイミングならば近づいても大丈夫だとなぜか確信できたので、折ってしまった小指に治癒の神秘を施すために近づいたら、ワグナが勝手に負けを認めた。


 もう何が何だかわけがわからなかった。

 けれど、この一連の流れが全て剣聖の〝力〟によって引き起こされたものだということは、本能的に理解することができた。


 その〝力〟とは相手の初動を見切り、相手の拍子や死角を見極める目であり、無意識の内に戦いにおける最適解を導き出し、自身の能力にあった手法をもって実行に移す本能になるわけだが、そんな物騒な理屈に馴染みのないミニィにはちんぷんかんぷんだった。


(でも……よくわからないことだらけだけど……剣聖の力これで勝つのは、なんだか凄くズルい気がする……)


 きっとワグナは、強くなるために物凄く努力をしてきたのだろう。

 でも自分は、強くなるための努力なんて一度もしたことがないのに、ただ剣聖に選ばれ、〝力〟をもらっただけで勝ててしまった。

 アルトーとの魔法勝負の時もそうだったが、正直後ろめたいことこの上なかった。


「勝ったんだから素直に喜びゃいいのに、景気の悪いツラしてるねぇ」


 立合いが終わったからか、いつの間にか傍にやってきたエヴァが呆れたように言う。


「だって……」


「ったく、しょうがない子だねぇ」


 ため息をついてから、エヴァはミニィに耳打ちする。


「こういう場合、勝った側にそんな顔をされちゃ、負けた側は立つ瀬がないさね。だから、今だけはおし」


「! うん!」


 元気に返事をすると、エヴァは、くしゃくしゃとミニィの頭を撫で回した。


「いい子だ」


 などと、良い感じで締めようとしているが、ミニィと、立合っていたワグナと、それを見届けたバルクの三人は、この時知る由もなかった。


 立合いの外でエヴァが村人とアレス戦士団に、ミニィとワグナのどちらが勝つか賭けを持ちかけていたことを。


 ミニィの見た目が小動物すぎて、剣聖というレッテルがあってなお賭けのオッズが二対八であったことを。

 

 ちゃっかりミニィに賭けていたエヴァと一部の村人が、ボロ儲けしたことを。


 ミニィは、ワグナは、バルクは、この時知る由もなかった……。



「まあ、かわいい孫娘を信じた、あたしの大勝利ってことさね」

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