第2話 認定
この世界には、一〇〇年に一度発生する神託の光によって選ばれる、英雄的称号が三つ存在する。
一つは聖女。
一つは賢者。
一つは剣聖。
その三つを超える、聖剣に認められた者のみがなれる勇者という称号が存在することはさておき。
過去の歴史を紐解いても、聖女と賢者――二つの称号に選ばれた人間は、一人として存在しなかった。
しなかったから、えらい
「……………………」
ミニィは我が家である教会にいるにもかかわらず、借りてきた猫のようにプルプル震えて椅子に座っていた。
祭壇の前に座るミニィと、祭壇の後ろでふんぞり返っているエヴァの前には、名もなき小さな村の教会にあるまじき超大物たちが
祭壇から見て右手側の長椅子に座っているのは、ミニィたちシスターが所属している《
左手側の長椅子に座っているのは、魔法王国の呼び名で知られているメーティスの国王ゼーマン。
ミニィが聖女と賢者に選ばれなければ一生会うことはない超大物たちが、十数名の従者とともに、粗末な教会の長椅子を占拠していた。
(沈黙が重いよぉ……)
若干涙目になりながら、心の中で泣き言を言う。
教会の入口や窓に視線を巡らせると、先日ミニィが聖女と賢者に選ばれた瞬間に立ち会った子供たちを筆頭に、村の人たちが教会の中の様子を興味津々に覗き見していた。
そんな異様な雰囲気の中、カソックに身を包んだ司祭と思しき男が、掌大の聖女像を載せた台座を手に、ミニィの面前を右に左に歩いていく。
その一方で、黒いローブに身を包んだ魔法使いと思しき男が、掌大の賢者像を載せた台座を手に、ミニィの面前を右に左に歩いていく。
聖女像も賢者像も石でできているはずなのに、司祭と魔法使いがどう動こうが頑なにミニィを指し示し続けていた。
「どうせなら、像を後ろに向けてみたらどうだい」
と、茶々を入れるエヴァを無視し、どこをどう移動しても像がミニィを指差していることに間違いはないと確信した司祭と魔法使いは、それぞれの主のもとへ向かい、一つ頷いてみせる。
初老の
「見習いとはいえ、我らが《神教会》に属するシスターである以上、聖女に選ばれることは理解できますが……」
「まさか、そのシスターが賢者に選ばれるとはな……」
言いながら、ゼーマンは軽く頭を抱える。
聖女は、神秘の力――とりわけ治癒の力に長けている。
一方、賢者が長けている力は言うまでもなく魔法。
「ミニィくんと言ったね?」
「ひゃいっ!」
いきなりゼーマンに話しかけられ、ミニィの声が盛大に裏返る。
そんな小動物全開な反応に、覗き込んでいた村人たちが笑いを
「魔法を使ったことがないどころか、一冊の魔法書も読んだことがないという話は本当かね?」
「はいっ!」
今度はちゃんと呂律が回った。けど、声は裏返ったままだった。
「ならば、魔法を使っているところを見たことは?」
「あ、ありましぇん!」
今度は声は裏返らなかったが、呂律が回らなかったせいで盛大に噛んでしまった。
これにはさすがにゼーマンも苦笑を隠せず、彼の従者や《神教会》側からも
穴があったら今すぐにでも入りたいところだが、当然そんな穴はどこにもないため、ミニィはただ顔を真っ赤にして涙目になりながら、プルプル震えることしかできなかった。
「クヤクト卿。貴方を相手にあまりこういう言い回しはしたくないが、神は一体何を思って彼女を賢者と聖女に?」
「もとより我らが
「ならば、さらなる奇跡が起きる可能性もあるかもしれないということか」
「……そういえば、剣聖の神託が降りるのは今日でしたな」
「いくら神でも、あのようなか弱い少女を剣聖に選んだりはしないと思いたいところだが……」
「…………」
「…………」
(そこで黙らないでくださいよ~~~~~~~~~~!)
心の中で悲鳴を上げる、ミニィ。
聖女と賢者に選ばれただけでもミニィの
「いずれにせよ、ミニィくんに神託の光が差し込むのを目撃した者たちがいる上に、聖女像も彼女を指し示しているとなると、《神教会》としては認めないわけには参りませんな」
「それは、魔法王国たるメーティスとて同じこと」
先にクヤクトから立ち上がり、ミニィに向かって宣誓する。
「《神教会》枢機卿――クヤクト・ケイリオスの名のもとに、ミニィ・アストレアを聖女に認定する」
続けてゼーマンが立ち上がり、
「メーティス国王――ゼーマン・マギ・ウスラエルの名のもとに、ミニィ・アストレアを賢者に認――」
「お待ちくださいッ!!」
メーティス側から、怒気を孕んだ若い男の叫び声が聞こえてくる。
魔法使いにしては妙に華美な服装と、どことなく不自然な前髪が目を引く、ゼーマンのすぐ後ろの長椅子に座っていた男が発した声だった。
ゼーマンは一つ息をつくと、半顔だけを振り返らせ、男を見やる。
「アルトー。メーティス随一の魔法使いである
「無礼は重々承知しております。ですが、どうしても納得できないのです。魔法を見たことすらない小娘が賢者に選ばれたことが……!」
アルトーは憎々しげにミニィを睨みつける。
当然ミニィには睨み返したり言い返したりできるほどの胆力はないので、例によってプルプル震えながら涙目を逸らすことしかできなかった。
そんな彼女を見かねてか、ゼーマンはアルトーを宥めるように言う。
「賢者像が彼女を指し示している。それだけでは不足か?」
「不足です!」
「ならば、どうすれば納得できる?」
アルトーは我が意を得たりとばかりに口の
「彼女と魔法で勝負をさせてください」
「ふえっ!?」
まさかすぎる提案に、ミニィは思わず珍妙な悲鳴を上げてしまう。
そんな情けない反応を見たせいか、ゼーマンは小さくかぶりを振ってからアルトーに訊ねた。
「魔法を見たことすらない少女を相手にか?」
「ですが、神託によって選ばれた賢者でもあります」
《神教会》の人間がこの場にいなければ、「何かの間違いで」と付け加えていそうな物言いだった。
ゼーマンは数瞬アルトーを見つめた後、その背後にいる、他の従者たちにも視線を巡らせる。
アルトーのように直接抗議をしていないだけで、魔法使いですらない少女が賢者に選ばれたことを不服に思い、ありありと不満を顔に貼り付けている者も少なくなかった。
一方ミニィは、
(ゼーマンさまお願いですからダメって言ってぇ……)
シスターらしく、心の中で祈りに祈っていた。
だが、その祈りはどうやら届かなかったらしく、
「……わかった。許可しよう。但し、勝負の形式は私が指定する。それで異論はないな?」
(異論はありますぅ~~~~~~~~~~っ!!)
などと口に出せるわけもなく、猛獣の檻に放り込まれた子猫のようにますますプルプル震えるミニィを尻目に、アルトーは「勿論です」と、ますます口の端を吊り上げた。
「クヤクト卿も、よろしいか?」
「こちらで言えば、魔法使いが聖女に選ばれるようなものですからな。納得できないという声が上がるのは必然というもの。私の方も、異論はありま――」
「いーや、異論ありだね」
祭壇の後ろでふんぞり返っていたエヴァが、場の空気を無視して枢機卿と国王の会話に割って入る。
「これ以上、ウチのかわいい孫娘をいじめるのは見過ごせないねぇ」
「おばあちゃん……」
まさかの発言に感極まっていたミニィだったが、
「まあ、払うもん払ってくれたら、見過ごしてやるのも
「おばあちゃんっ!?」
悲鳴じみた声を上げる孫娘の後ろで、エヴァは親指と人差し指で円をつくってお金のジェスチャーを示した。
「金を払えだと!? 冗談ではない!」
「え~と、あんた……アルトーとか言ったかい? 冗談ではないのは、こっちの方さね。あんたが持ちかけた勝負、あんたには得だらけだけど、ウチのミニィには損しかない。なのに、払うもん払わないってのはあまりにも虫が良すぎるとは思わないかい?」
金を払う払わないはともかく、虫が良すぎることは自覚していたのか、アルトーは口ごもる。
そんなメーティス随一の魔法使いに代わって、国王であるゼーマンが応じた。
「わかった。そちらの言い値で応じ――」
「おぉっと国王さん。あんまり臣民を甘やかしちゃいけないよ。勝負をふっかけてきたのは、あの坊やだ。こういうのはちゃんと自分の懐を痛めさせないといけないさね」
「エヴァさん。国王を相手に、その言葉遣いはちょっと……」
「クヤクト坊やはお黙り」
「……はい」
国王に対する口の利き方がなってない点も大概だが、「お黙り」の一言で枢機卿を黙らせる祖母に、ミニィは頬を引きつらせながら思う。
(おばあちゃんって何者……!?)
そんな孫娘の驚愕と疑問を尻目に、アルトーは苦渋に満ちた表情でエヴァに訊ねた。
「いくら払えばいい」
「そうさねぇ……五〇〇〇ゴルってところだね」
「五〇〇〇ゴルだと!? 僕の一ヶ月の給金と同じ額じゃないか!?」
「おや? メーティス随一の魔法使いなだけあって、なかなかもらってるじゃないかい。こちとら月一〇〇〇ゴル儲けるのに、ひぃひぃ言ってるのに」
エヴァが金を儲ける際は「ひぃひぃ」よりも「えっひゃっひゃっ」と笑っているところしか見たことがないが、さすがにこの場でそれを指摘する度胸はミニィにはなかった。
「そんな額、承服できるわけがないだろう! いくらなんでも高すぎる!」
アルトーの抗議に、エヴァはニンマリとあくどい笑みを浮かべる。
「しょうがないねぇ。だったら、こういうのはどうだい。魔法勝負であんたがミニィに勝てたら五〇〇〇ゴルのところを一〇〇〇ゴルにオマケしてやろうじゃないか。どうせあんた、負けるつもりはないんだろう? 条件としては破格だと思わないかい?」
「確かに……そうだな……わかった。その条件でなら飲んでやろう」
(その条件って、どう足掻いてもおばあちゃんが得するだけなんですけど……)
と、心の中で思っても、やっぱりそれを口に出して指摘する度胸はないミニィだった。
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