聖女で賢者で剣聖で勇者です(震え声

亜逸

第1話 聖女に選ばれたと思ったら

「別にいいって、これくらい」


「何言ってんの! 血が出てるでしょ!」


「これ絶対、ミニィお姉ちゃんに治してもらった方がいいって」


 子供たちが、わいわいがやがや言いながら、決して大きいとは言えない教会に足を踏み入れる。


 数は男の子が二人、女の子が一人の計三人。

 赤ん坊を除けば、この名もなき小さな村にいる一〇歳以下の子供全員が、こぞって教会に押しかけてきた形だった。


 ちょうど祭壇まわりの掃除をしていた見習いシスター、ミニィ・アストレアは、絞ったばかりの雑巾を拡げながら、小さな参拝客たちを見やる。

 とはいっても、小さいという点ではミニィも子供たちに負けておらず、名は体を表すと言わんばかりに小柄な体型をしていた。


 修道服の下に隠された女性的な曲線に関しても、ついこないだ一五歳になったばかりであることを差し引いても憐れみたくなる程のなだらかっぷりで、当のミニィもそれなり以上に気にしている。


 銀色の髪が肩にかかる程度の長さしかないせいか、クリッとした金色の瞳のせいか、かわいらしい顔立ちのせいか、入口にいる子供たちに混じってもあまり違和感のない小動物系シスターだった。


 ミニィは、入ってきたのが見知った子供たち三人であることを認め、続けて男の子の膝小僧に血が滲んでいるのを認めた瞬間、


「ど、ど、どうしたのっ!? その怪我っ!?」


 持っていた雑巾を放り投げ、大慌てで子供たちのもとへ駆け寄った。


「すみませんミニィさん。このバカ、転んで怪我したんです」


「バカって言う奴がバカなんです~」


「なんてバカなこと言ってないで、早くミニィお姉ちゃんに看てもらえって」


 そんな賑やかすぎる子供たちを前に、ミニィは慌てることなく、怪我をした男の子を長椅子に座らせる。

 腰を落とし、血が滲む膝小僧を注視するその姿は真剣そのものだが、


(なんか、体の力が抜けてきたぁ……)


 心の中では盛大にヘタレていた。


 修行を経て聖職に就いた者たちの多くが、治癒や結界の術法を主体とした〝神秘〟と呼ばれる力を行使することができる。

 そのため、こと外傷に関しては、教会のシスターは医者よりも頼りにされており、見習いであろうが、シスターならば血を見る場面は幾度となく経験しているはずなのだが、どうにもミニィは血を見るのが苦手らしく、見ているだけで血の気が引いて体に力が入らなくなる体たらくだった。


(でも、以前と違って血を見ても卒倒しなくったし!)


 子供たちに聞かれようものなら馬鹿にされること請け合いの言葉で己を叱咤し、血に塗れた男の子の膝小僧に、そっと掌をかざす。


 直後、ミニィの掌から発せられた太陽の輝きにも暖かい光が、ゆっくりと膝の傷を癒していく。

 魔法使いが使っている魔法とは違い、呪文の詠唱を必要とせずに奇跡を起こせる力――それが神秘だった。


 もっとも、


「ミニィ姉ちゃんまだかよ~」


「もうちょっと……もうちょっとだけ待って……」


 起こせる奇跡は基本的に小さなもので、擦り傷一つ治すのにも三〇秒から一分という時間を要する。

 神託によって選ばれる英雄――聖女ならば、これくらいの傷など一瞬で治せるという話らしいが、小さな村の教会で見習いシスターやっているミニィにそんな力は勿論ない。


(そういえば、聖女を選ぶ神託が降りるのは今日だって、おばあちゃんが言ってたような……)


 ふと思い出すも、どうせ自分には縁の無い話なので、見習いシスターらしく、せっせと時間をかけて男の子の傷を癒した。


「はいっ。終わり」


「相変わらず、おっせ~な」


 と、ケチをつける男の子の頭を、女の子がスパーンとはたく。


「いってぇなッ!! 何すんだよッ!!」


「あんたが失礼なこと言うからでしょっ!!」


「ていうか、生意気なことを言う前に、ミニィお姉ちゃんに言うことあるよな~」


 二人がかりで責められた男の子は唇を尖らせながらも、素直に礼を言った。


「治してくれてありがとう。ミニィ姉ちゃん」


「ふふふ、どういたしまし――」



「おわぁ――――――――――っ!?」



 突然、教会の裏手から老婆の豪快な悲鳴が聞こえてきて、ミニィは思わずビクリと震えてしまう。

 続けて何かが派手に倒れる音まで聞こえてきて、ミニィは思わず目を閉じてしまう。


「今の声って……」


 顔を見合わせる子供たちをよそに、ミニィは慌てて教会の外に飛び出した。

 ミニィの祖母であり、シスターの先生であり、この教会の主でもあるエヴァ・アストレアが、雨漏りを直すために屋根の上にあがっていたことを知っているからだ。


 教会の裏手へ向かうと、案の定梯子はしごと一緒に倒れている老シスター、エヴァ・アストレアの姿が。

 どこか怪我をしたのか、脂汗によって、色褪せた髪が皺まむれの顔に貼り付いていた。


「お、おばあちゃんっ!!」


 エヴァはどうにか上体を起こし、血相を変えて駆け寄ってきた孫に憎まれ口を叩く。


「これくらいで、ピーピー騒ぐんじゃないよ。ったく、梯子から下りようとしたら一緒に落っこちまうとは、あたしも耄碌もうろくしたもんだね」


「だから、大工さんに頼もうって言ったのに!」


「自分で直せるもんに金を出すことほど、勿体ない話があるかい」


「お金は充分貯め込んでるんだから、別に使ったっていいじゃない!」


「貯めてるからって、無駄遣いしていいもんじゃないさね」


「おばあちゃんが怪我するくらいなら、無駄遣いしてた方が絶対よかったっ!!」


 声を荒げる、ミニィ。

 クリッとした金眼は、少しだけ涙ぐんでいた。


 ミニィの両親は、物心ついて間もなかった彼女をエヴァに預けたきり、行方知れずになっている。

 そのため、今のミニィにとって家族はエヴァただ一人のみ。それゆえの剣幕だった。


 遅れてやってきた子供たちが、状況がわからず勝手にオロオロする中、エヴァはめんどくさそうにため息をつく。


「ったく、誰に似たんだが」


「わかんないよ……わたしには……」


「……そうだったね」


 ミニィは目元を袖で拭ってから、エヴァに言う。


「怪我してるところあるでしょ。見せて」


 エヴァは口では答えず、修道服に隠れた右足に視線を送る。

 ミニィはエヴァの修道服の裾を、ゆっくりと捲り上げ……青ざめた。


 エヴァの右足が、曲がってはいけない方向に少しだけ曲がっていたのだ。

 後ろで見ていた子供たちが引きつった悲鳴を上げるほどに、右足の骨が折れているのは明白だった。


「まあ、腰や背骨じゃなかっただけマシさね」


 エヴァはそう言っているが、顔に滲んでいる脂汗が「マシ」程度では済んでいないことを雄弁に物語っている。


「い、今! 治癒の神秘をかけてあげるから!」


「頼むよ。ったく、神秘なんて大層な名前をしてるくせに、自分の怪我も治せないなんて不便な力さね」


 まさしくそれが、シスターでありながらエヴァが自分の怪我を治そうとしなかった理由であることはさておき。

 ミニィはすぐさまエヴァの右足に両掌をかざし、治癒の神秘を発動した。


 これほどの大怪我となると、ミニィの力では治すのに何時間かかるかわかったものではない。

 だけど、他ならぬおばあちゃんのためなので、必死になって治癒を続ける。


(こんな時、聖女の力があったら……)


 などという、ミニィの懇願が天に届いたのかどうかはわからないが。


 天から差し込んだきた光がミニィを照らしたのは、まさしくその直後のことだった。


「え? ……えっ?」


 治癒を続けながらも、自身に降り注いだ光に目を白黒させる。

 傍でその様子を見ていた子供たちも、


「うおッ!?」


「きれい……」


「なんだろう、この光……」


 ミニィと同じように目を白黒させていた。


「こいつは驚いたね」


 そんな言葉とは裏腹に、この場において唯一、天からの光に動じなかったエヴァが、得心の声を漏らす。


「お、おばあちゃん……この光のこと、知ってるの?」


「まあ、あたしも《神教会しんきょうかい》の文献で見ただけだから断定はできないけど」


 またしてもそんな言葉とは裏腹に、エヴァは断定するように言う。


「神託の光ってやつさね」


「神託の……」


 反芻するようにミニィが呟いているうちに、天から降り注いできた光が、ゆっくりと収束していく。

 完全に消え去ったところでようやく得心したミニィは、素っ頓狂な声を上げた。


「もしかして聖女のっ!?」


「間違いなくね。実際あたしの足、もうとっくに治ってるし」


 言いながらエヴァは立ち上がり、つい先程まで折れていたはずの右足で元気に片足立ちをしてみせる。

 骨が折れていることはミニィ自身の目でしっかりと確認していたため、なおさら開いた口が塞がらない思いだった。


「てゆうことは、わたし……聖女に選ばれたのっ!?」


「えッ!? マジでッ!?」


「凄いですっ! ミニィさんっ!」


「うちの村から聖女が現れるなんて!」


 我が事のように喜ぶ子供たちに向かって、ミニィはブンブンとかぶりを振り、恐れ多いと言わんばかりに否定する。


「何かの間違いっ! 絶対に何かの間違いっ!」


「おれのしょぼいケガ治すのにあんだけ時間かかったのに、エヴァばあちゃんのひでえケガはあっという間に治したんだから、間違いなんてことはねえだろ」


 擦り傷を治してあげた男の子に正論を言われ、ミニィは「ぅぅ……」と口ごもる。


「近いうちに、神託の導きってやつで《神教会》のお偉方が押しかけてくるだろうから……えっひゃっひゃっ! 儲け話の匂いがプンプンするねぇ」


「おばあちゃんっ!?」


 などと、ミニィがますます素っ頓狂な声を上げた直後のことだった。



 再び、天から差し込んできた光がミニィを照らした。



 ミニィはおとがいを上げ、不思議と眩しくない光を見つめた後、錆びた扉にも似たぎこちなく挙動で首を曲げ、エヴァを見やる。


「何? これ?」


「文献でも、聖女に選ばれた人間に、二度も神託の光が差し込んだという記述はなかったね……」


 顎に手を当てて考え込んでいたエヴァだったが、


「あぁ、そういえば」


 急に得心した声を上げ、ミニィは意味もなくビクリと震えてしまう。


「な、何が、そういえば……なの?」


「いやさ、ちょっと思い出しただけさね。今日、神託によって選ばれるのは聖女だけではないことを」


 エヴァの言葉の意味を理解したミニィは、青い顔しながらも、を想起する。



「そ、それって……」


 エヴァはあくどい笑みを浮かべると、ミニィが想起した称号を言葉にした。



「賢者さね」



「おぉおおぉ~っ! 聞いたか? 賢者だってよ!」


「聖女で賢者なんて本当に凄いです! ミニィさん!」


「ぼ、ぼくは今、伝説に立ち会ってる……!」


 と、大盛り上がりの子供たちをよそに、ミニィはいやに遠い目をしながら、魂の抜けた声音で呟いた。


「聖女で賢者? わたしが? なんで?」

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