第9話:犯罪者ギルド

 俺は、身体強化して信じられないくらい強くなった筋力で、回復したばかりのルイーザを背負い、長期契約をするはずだった宿屋に向かった。

 契約すると言ったその日に、全てなかった事にするのだから、誠心誠意謝らなければいけないのが俺の常識なのだが、フリットに強く止められてしまった。

 この世界の貴族が、平民に謝る事などないというのだ。

 だがもう俺はこの世界の常識に従う気などなくなっている。


 だから何があっても謝ると言ったのだが、フリットがしつこく止める。

 激しい口論になったのだが、最終的にはフリットが少しだけ譲歩した。

 俺ではなく、宿屋と交渉したフリットが事情を話して契約を解除するという。

 実害のない口約束など、貴族士族なら平気で破るのが普通だと言うのだ。

 俺には納得できなかったが、背中に背負ったルイーザが、それがこの世界の常識で、従った方がいいと弱った身体を押して助言してくれたので、飲み込んだ。


「事情が変わった、さっきの話は今晩だけにしてもらう」


 腹立たしい事に、フリットが上から目線で言い放つ。

 隠密行動中なのがバレた巡検士として、威厳を保たなければいけないのは分かるが、俺の常識からは腹が立ってしまう態度と言葉だ。


「承りました」


 だがそんな俺の気持ちなど関係なく、宿の主人は平然と受け入れている。

 常識が違うというのは、思っていた以上に精神をすり減らすのかもしれない。

 昔読んだ本に、偉そうにしない勘定奉行所の出役が、宿場町で宿賃を払おうとして、逆に偽物だと疑われて職場役人に捕まったという話があった。


 どれほど苦しくても、この世界の常識に従わなければ、俺も逮捕されるかもしれないし、無用な争いを起こしてしまうかもしれない。

 その無用な争いが俺の個人の喧嘩程度ならいい。

 だがこれまでの出来事を考えると、戦争になってしまう可能性もあると思う。

 精神的に苦しくても、我慢した方がいいのかもしれない。


「それと、明日の早朝に宿場町の代官と話がしたい。

 いや、はっきりと伝えておいた方がいいだろう。

 この村に逃げて来ているフリードリッヒ辺境伯家の元領民を、辺境伯閣下が使用人として雇われる事になったから、契約に立ち会ってもらう。

 そう代官に伝えてくれ、分かったな」


 巡検士として話すフリットには苛立ちを感じてしまう。

 王やシュレーダー子爵だったら、ここまでの苛立ちを感じなかっただろう。

 たぶんだが、俺の頭と心には御者のフリットのイメージが強すぎるのだ。

 最初の出会いが密偵のフリットではなくローレンツ騎士フェリックスなら、どれほど偉そうなことを口にしても、これほど腹を立てる事もなかったと思う。


「承りました、直ぐに使いを送らせていただきます」


 本当に何事もなかったように約束違反を受け入れている。

 やっぱり俺の方がこの世界の常識の合わせていかないといけないのだろうな。

 常識と違った事をすれば、俺はよい事をした心算でも、逆に相手をとても困らせる事になるのかもしれない。


「では、両閣下は今まで通りの部屋を使って頂くとして、使用人の方々には別の部屋を用意させていただきます」


 宿屋の親父の言う別の部屋とはどういう部屋なのだ。

 辺境伯家に仕える事になった元難民に与える部屋は、まともな部屋なのだろうか。


「そうか、我が使用人が使う部屋を検分させてもらおうか」


「待たれよ、フリードリッヒ辺境伯。

 辺境伯ともあろう方が、使用人が使う部屋を検分するなど体面が悪いですぞ。

 それに、この宿には既に辺境伯と私が泊っているのだ。

 大金を積んで貴族の部屋を使う事も許されないのだ。

 代官や町長の家に泊まるなら、控えの間に使用人を泊める事もできた。

 だが我々は隠密と言う事で、普通の宿屋に泊まっているのだ。

 普通の宿屋が雑魚寝なのは常識というものだ」


 まいったな、俺はこの世界の事をまったく分かっていないのだ。

 辺境伯領から王都に行くまでは、ボロボロの馬車の中で眠らされた。

 王都から辺境伯領への旅では、必ず個室に泊まれていた。

 だから、この世界の宿屋にはある程度の数の個室があると思い込んでいた。

 だがそうではなく、この世界の宿屋は江戸時代の旅籠ではなく、個室が一つか二つある木賃宿なのだろう。


「我が大切な使用人を他の者たちと一緒に寝かせる訳にはいかん。

 特に保護者がいない女性を雑魚寝などさせられん。

 検分が許されないというのなら、我が部屋で寝させる。

 いいな、ローレンツ騎士フェリックス」


 俺はわざと他人行儀に公式な呼び方をした。

 これで俺に全く譲る気がない事が分かったのだろう。


「分かりました、フリードリッヒ辺境伯。

 貴族が愛人の使用人と一緒の部屋に泊まる事はよくある事ですから」


 フリットも段々腹が立ってきたのだろう、嫌味を言ってきた。

 だが、俺の方がフリットや王には腹を立てているのだ。


「そうだな、愛人を同じ部屋に入れる事が許されるというのなら、この家族を俺の愛人扱いにすればいい事だ。

 正義感ぶる腐れ外道が勧める令嬢よりは、安心して眠れるだろう。

 自分の無能の尻拭いに、子種を盗もうとするバカ王と、正義も味方面する無能で性根の腐った騎士様と一緒に寝るよりは安全だ」


 ああ、ああ、これでまたフリットと完全な敵対関係になってしまうな。

 ガブリエレを一緒に助けた事で、多少は歩み寄れたと思ったのだがな。


★★★★★★


 宿屋の主人が俺達の予定まで代官に知らせてくれたのだろう。

 朝食が終わるのに合わせて、宿場町の代官が宿屋に来てくれた。

 代官とフリットには立会人となって署名してもらわなければいけないのだ。

 まだ栄養失調でガリガリに痩せたままだが、意識は取り戻したルイーザと子供達に同席してもらって、使用人としての契約書を交わした。


「今言った事がこの契約書に書かれている内容だ。

 この村の代官として、間違いないと保証するよ、ルイーザ、ガブリエレ。

 納得してくれたのなら、ここに署名してくれ。

 私とローレンツ卿が立ち合い保証人として署名する。

 これで君達は正式なフリードリッヒ辺境伯家の使用人だ。

 他の貴族や犯罪者ギルドであろうと、よほどの事がないと襲わない。

 安心していいぞ、大丈夫だ、今日までよく頑張ったな、偉いぞ」


 代官が宿に来た時に、不敬罪で捕らえた女衒二人を引き渡している。

 不敬罪として捕らえて拷問した経緯についても話している。

 だからこそ、ルイーザとガブリエレに丁寧に説明してくれているのだ。

 代官はシュレーダー子爵家に仕える騎士で、士族の地位を得ている。

 だが、王家に仕えている騎士のような、平民との身分差を感じさせない。

 王家に仕える騎士と貴族に使える騎士では、全然違うのだろうか。


「ありがとうございます、お代官様。

 ご領主様とお代官様のお陰で、フリードリッヒ辺境伯領から逃れてきた民は、野垂れ死にする事なく生き延びることができました。

 今日もまた、私達のような身分卑しい者のために、わざわざ来てくださいました。

 なんと御礼を申し上げていいのか分からないほど感謝しております」


「「「ありがとうございます、お代官様」」」


 契約を命じた俺でも段取りをしたフリットでもなく、契約書の立会証人に来た代官に一番に御礼を言うなんて、どれほど信頼されているのだろうか。

 ここまで信頼されるには、普段の言動が終始一貫しているのだろう。

 そしてその言動が、私利私欲を排した公明正大なモノなのだろう。

 俺と同じように思ったのか、フリットの表情が強張っている。


 ルイーザ達のこの言動は、意識はしていないだろうが、遠回しに王の失政を非難して、シュレーダー子爵家の善政を褒め称えているのだから。

 俺から見たら偏った忠誠心だが、フリットは王家に忠誠を誓っている。

 それでも、ルイーザ達に不敬だと言わないだけの分別はあるようだ。

 平民が遠回しでも王家を批判する言動をしたら、問答無用で斬るかもしれないと思ってしまったのだが、これはフリットに対して失礼だったな。


「お礼を言う相手を間違っているよ、ルイーザ。

 今回の件は、フリードリッヒ辺境伯閣下が助けてくださったのだ。

 閣下が女衒共を退治してくれなければ、ガブリエレは大変な事になっていた。

 ガブリエレを連れて行った後で、ユリアンとイルゼも連れて行かれていただろう。

 私でも、正式な契約書を盾に取られたら、助けてあげられなかった。

 閣下のお陰で助かったのだから、閣下に御礼を言いなさい」


 代官もなかなかやるな。

 主君のシュレーダー子爵が取り込みたいと思っている俺を立てつつ、敵対する予定の王家やフリットに対してはまったく触れない。

 家臣として最善の対応だと思うのだが、この世界の常識ではどうなのだろう。


「ありがとうございます、フリードリッヒ辺境伯閣下」

「「ありがとうございます」」

「……ありがとうございます」


 身分制度に慣れているのか諦めているのか、母親のルイーザは直ぐにお礼を言ってくれたし、弟妹二人は母親を見習って直ぐにお礼を言ってくれた。

 だがずっと母親を助けて来たであろうガブリエレは、御礼の言葉が遅れた。

 父親を殺され母親が死にかけた事情を考えれば、俺は当然の事だと思うが、代官とフリットが何か言いだす前に行こう。


「フリット、お前にはこの世界の事を色々聞かなければいけないと改めて分かった。

 今日から御者台の横に座らせてもらうからな。

 ルイーザ達は馬車の中に入っていてくれ、さあ、さっさと出発するぞ」


 俺でもこれは非常識だと思うから、強気で押し切る。


「……分かりました、魔術だけでなく、常識も伝えさせていただきます」


 できるだけ早く俺を辺境伯領に連れて行きたいフリットは、嫌々認めてくれた。

 フリットも、密偵中なら何のわだかまりもなくルイーザ達を馬車に乗せてくれただろうが、もう公然となってしまった辺境伯と巡検士の旅だ。

 身分から考えて、馬車にルイーザ達を乗せるのは非常識極まりない。

 常識から考えれば、ルイーザ達は歩いてついて来させることになると思う。


 だが俺がそんな危険な事を認める訳がなく、だったら俺も歩いていくと言われるのが嫌で、渋々認めてくれたようだ。

 可哀想なフリット、自分が正義だと自信を持って動ける状況だったら、平民を護るヒーローにもなれただろうに。

 今では極悪非道な王の手先の無能騎士扱いだな。


「代官殿、色々と世話になったな。

 俺に何ができるかまだ何も分かっていないが、できる限りの礼はさせてもらうよ」


「過分なお言葉感謝に堪えませんが、シュレーダー子爵家の家臣として当然の事をしただけでございます。

 もし御礼がしたいと言ってくださるのなら、主君にしていただきたく思います」


 主君に疑われないようにするためか、それとも本当に忠誠心が厚いのか、俺から見ても最善だと思える返事をしてくる。


「分かった、そうさせてもらうよ」


★★★★★★


 シュレーダー子爵領からフリードリッヒ辺境伯領に入った事は、誰に教えられなくても直ぐに分かった。

 それくらい明白に景色が一変していた。

 シュレーダー子爵領なら必ず耕作されているような平地が、俺の背よりも高い草に覆われてしまっているのだ。

 それどころか、人っ子一人いないのだ。


 金髪クソ婆達に辺境伯領から連れ出された時に、逃げだそうと考えて注意深く周囲を観察していた心算だったが、あの時はまだ気が動転していたようだ。

 ここまで酷い状態だとは思ってもいなかった。

 よく手入れをされた耕作地を見た後だからかもしれないが、逃げ込むには危険なただの野原だと思っていた場所が、元耕作地だと分かってしまった。


「フリット、この元耕作地を元通りの畑にするには何年かかる」


「そうですね、私の農民ではないので断言できませんが、大きくなりだした木を倒して根を引き抜き、草を刈って畑を焼いて肥料としつつ地中の虫も殺す。

 最低でも一年は収穫できないでしょう」


「やれ、やれ、これは困ったな。

 領内の耕作地が全てこんな状態だと、竜と絆を結んでもろくな生活ができないな」


「その点に関しては、王都に向かわせた家臣達が、国王陛下からのお言葉を預かって来るはずですので、お待ち願えませんでしょうか」


 俺はフリット相手に言葉遊びをしていた。

 一番は魔術を教えてもらう事だし、二番目はこの世界の常識を教えてもらう事だが、それだけでは息が詰まってしまう。

 だから、言質を取られないようにしながら、フリットに条件闘争を吹っかけた。

 フリットは自分の言動が王の足を引っ張らないように返事をしていたが、最初会った時のようなしたたかさがない。


 だからこそ、時間稼ぎに話す事ができた。

 そこで思ったのは、何故この世界の言葉を俺が話し理解できるかだ。

 俺はこの世界の言葉を習ったことが全くないのに、不思議な事だと思ったのだ。

 などとのんきな事を考えられていたのは、五日間だけだった。

 辺境伯の居城にたどり着いた途端、とんでもない状況に陥ってしまった。


「なんだ、てめぇら、ここが犯罪者ギルドのフリードリッヒ辺境伯支部だと分かって勝手に入ってきやがったのか。

 さっさと出て行かねぇと殺すぞ、ボケ」

 

 領都に入って辺境伯の居城の門の前にまで馬車を進めたら、犯罪者ギルドの見張りに脅かされてしまったのだ。

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