第8話:恨み辛み

「お前のせいで、お前のせいで、父さんと母さんが、死ね」


 フリードリッヒ辺境伯家に父親を殺されたのも同然の少女、ガブリエレが足元に落ちている石を拾って殴りかかってきた。

 フリットが犯罪者ギルドの手先に色々な書類を書かせている間に、俺を殺して恨みを晴らしたいのだろう。

 俺にもその気持ちは分かるが、黙って殺されるわけにはいかない。

 俺にはやらなければいけない事があるのだ。


「俺を殺したいのは分かるが、ガブリエレの父親を殺したのも、母親のルイーザを寝たきりにしたのも、エリーザベトというクソ婆で俺じゃない。

 そうは言っても、フリードリッヒ辺境伯家の人間全員が憎いのも分かる。

 恨み続けるのは当然だが、賠償金を取る事も考えたらどうだ。

 賠償金が手に入ったら、母親を治せるかもしれないぞ」


 俺が言死を持って殴ってきたガブリエレの右手首を取って抑え、説得してみた。


「信じられない、フリードリッヒ辺境伯家の言う事なんて、何も信じられない」


「そうだよな、フリードリッヒ辺境伯家なんて信じられないよな。

 だけど、こうして犯罪者ギルドから借用証文を取り返した俺を信じてくれないか。

 中に入れてくれたら、取り返した証文を焼き捨てるよ。

 さらに、賠償金として、お母さんの治療費を渡すよ、どうかな」


「お母さんたちを傷つけない」


「傷つけないよ、俺の信じる神と両親に誓って傷つけない」


 神はともかく、両親に誓うと言ったのがよかったようだ。

 恨みに凝り固まっていたガブリエレの表情が少し変化した。


「分かった、入れてあげる」


 俺はガブリエレの許しを得て小屋に入った。

 基礎などない、本当に粗末な掘っ立て小屋だった。

 床は多少踏み固められているが、土がむき出しだ。

 壁は土に直接埋め込まれた生木で、屋根は大きな葉を重ね乗せしただけだ。

 ベッドなどあるはずもなく、大きな葉を重ねた上に藁が敷かれ、たった一枚の草布の上に母親が寝かされていて、その上にボロ布同然の古着がかけられている。


「おねえちゃん、よかった、もどってきてくれたの、もうどこにもいかない」


 ガブリエレの弟と妹だろうか、弟の方が明らかにホッとした表情を浮かべている。

 姉に寝たきりの母親を任されたのだろうか。

 

「まだわからないわ、このフリードリッヒ辺境伯家の男しだいよ」


 フリードリッヒ辺境伯家の男と聞いて、弟と妹まで増悪の目を向けてきた。

 こんな幼い子供達にまで、ここまで恨まれているのか。

 俺の責任ではないが、重いな、胸に石を詰め込まれたような感じだ。

 やれるだけの事をして、恨み辛みを軽くしたい。

 こんな怨念を向け続けられたら、小心者の俺は心が壊れてしまうよ。


「俺はエリーザベトというフリードリッヒ辺境伯家の女に、異世界から無理矢理この世界に連れてこられたのだ。

 向こうの世界では治療家をしていたから、多少は医術の心得がある。

 お母さんの症状を診させてもらっていいかな」


「なに訳の分からない事を言っているのよ。

 言い訳しても駄目よ、さっさと賠償金とやらを払ってよ」


「払う前にお母さんを診させてほしいんだよ。

 ガブリエレも貴族が魔術を使えるのは知っているだろ。

 お金を貰って医者に見せても、魔術は使えないぞ。

 ちゃんと賠償金は払うから、その前に俺に診察させてくれ。

 俺に治せるケガや病気なら、この場で治癒魔術を使うと約束する」


「……分かったわ、みてもいいわ」


 俺はガブリエレの許可を受けて、三姉弟に見張られながらルイーザを診察した。

 これだけ騒いでも起きないという事は、完全に意識を失っている。

 子供達に食べさせる為にろくに食べていなかったのか、ガリガリに痩せている。

 浅いが呼吸に乱れはないから、呼吸器系は大丈夫だと思う

 頭部には陥没も傷もないから、頭蓋骨は骨折しないと思う。

 身体の何処にも、骨折も傷もないのに、意識を失っているのか。


「お母さんはどこか痛いと言っていなかった」


「私達に心配かけないように、何も言わなかったわ。

 ても、倒れる前に頭を押さえていたし、飲んだ水を吐いていたわ」


 ガブリエレが恨み辛みの籠った口調で答えてくれた。

 専門のお医者さんもいないし、ろくな診察器具もないから、俺ごときが確定診断などできないが、一番怖いのは脳挫傷だろう。

 あるいは、徐々に脳内に出血したかだが、この世界の魔術はどこまで治せるんだ。

 フリットが教えてくれた治療系魔術は回復と中回復だけだ。

 ラノベやアニメの知識には、全てを治すパーフェクトヒールがあった。


(完璧回復)


 囁くような小声で、パーフェクトヒールのイメージで、この世界に合う呪文を唱えてみたが、効果はあるだろうか。

 結構な量の魔力を消費したから、なにがしかの効果はあると思うのだが。


「うっ、ううううう、う」


「「「「「おかあさん」」」」」


 よし、意識が回復したのなら完璧回復に効果があったという事だ。

 だがこれで全てが済んだ訳じゃなく、これからが大切だ。

 ケガや病気は治っても、根本的な問題は残ったままだ。

 栄養失調、カロリー不足を何とかしなければ、直ぐに病気に負けてしまう。


「フリット、おかあさんは中回復で治したが、栄養が足りない。

 宿に戻って食料を取って来てくれ、大至急だ。

 米があれば玄米、なければ大麦と牛乳、山羊乳でも構わない。

 砂糖があればいいのだが、無理だろうから、塩だけは絶対持ってきてくれ」


 俺は掘っ立て小屋を出てフリットに声をかけた。


「分かった、だが、こいつらはどうする」


 フリットは左腕と両足の関節が全てねじ曲がっている犯罪者ギルドの二人と、俺達の悪口を言っていた連中に冷たい視線を向けて聞く。


「「「「「ヒィイイイイイ」」」」」


「悪口を言っていた連中の半分は、荷物の運搬をやらせばいい。

 残る半分は、犯罪者ギルドの連中の見張りをさせればいい。

 よほどの回復魔術の使い手でなければ、この状態はどうにもできないだろう」


「確かにその通りだな、お前とお前とお前は俺についてこい。

 残りの三人は犯罪者ギルドの二人を見張っている。

 もし逃がしたら、不敬罪で家族もろとも恥辱刑にするぞ」


「「「「「ヒィイイイイイ」」」」」

「やります、やります、やらせていただきます」

「なんでも運びます、直ぐに運びます、だから恥辱刑は許してください」

「逃がしません、絶対に逃がしません」

「命に代えても必ず見張りますから、家族だけは処罰しないでください」


 ここまでお恐れるという事は、恥辱刑とはよほど酷い刑なのだな。

 金髪クソ婆達が、一か八かで暴れるのも当然の残虐な刑なのだろうな。

 だけで、恐らく、殺されてはいないだろうな。

 俺が国王に敵対した以上、保険に残しているだろう。

 国王は金髪クソ婆達に匹敵する血縁を確保したと言っていたが、そんな都合のいい人間がいたら、とうの昔に金髪クソ婆達を処刑していたはずだからな。


★★★★★★


「これを食べさせれば、お母さんは元気になるはずだ。

 宿に行けば、毎日新鮮な山羊乳とチーズとパンが食べられるようにしてある。

 ここにいるよりはお母さんが早く治ると約束する。

 半年分の宿泊費と食費を賠償金として支払ったから、安心して移動しな」


 俺はフリット達が宿から買ってきた材料でミルク粥を作った。

 本当は経口補水液に近い重湯を作りたかったのだが、玄米がなかった。

 しかたがないので大麦を山羊乳で煮て塩で味を調えた。

 これならば小腸で塩と水分を吸収できるだろう。

 料理を作っている間に、もう一度フリットに宿に走ってもらって、長期契約をしてもらった。


 もちろん、俺に家族四人を半年も宿に泊まらせる金などない。

 フリットに金を借りるのは、後々に事を考えれば悪手だ。

 だから、婚約話をしているシュレーダー子爵家の名前を利用させてもらって、フリットに宿屋と交渉してもらったのだ。

 俺に貸しを作りたいシュレーダー子爵なら事後承諾でも大丈夫だろう。

 忠誠を使っている王家の為に、シュレーダー子爵家との仲を少しででも改善したフリットは、頑張って話しをまとめてくれた。


「お前なんかに命令される覚えなんかない。

 賠償金さえ払ってくれたら、自分達で何とかするわ」


 だが俺は、 ガブリエレ達の安全を生活を優先するあまり、彼女達の気持ち、恨み辛みを軽く考えてしまっていた。

 ガブリエレ達からすれば、恨み骨髄の仇にお世話になり続けるなんて、最悪だ。

 宿屋に泊まり食事をするたびに、俺から施されている気がするのだろう。

 だったら、俺はどうすべきなのだろうか。


 最初から約束していたから、賠償金を払うこと自体は大丈夫だろう。

 辺境伯領にたどり着くのは少々遅れるが、金はシュレーダー子爵に借りればいい。

 シュレーダー子爵家に負い目のあるフリットは、何も文句を言えないだろう。

 だが、こんな村外れの掘っ立て小屋に大金を置いていて大丈夫だろうか。

 フリットから辺境には助け合いの精神があると聞いていたが、実際には、この家族は誰にも助けてもらえていないし、強欲な奴に襲われる可能性があるのではないか。


「ガブリエレ、率直に聞くが、強盗に襲われる心配はないか」


「……辺境にそんな悪い人はいないわ」


 返事するまでに時間がかかっている。

 絶対に悪人がいないとは言い切れないのだろう。

 無理矢理にでも宿の止まらせるようにした方がいいのだろうか。

 いや、待て、何か見落としている気がする。

 何か引っかかってしまうが、何なのか分からない。

 小心な俺は、昔から焦れば焦るほど大切な事が分からなくなってしまう。


(犯罪者ギルドだよ)


 不意に心の中に言葉が浮かんできた。

 そうだ、犯罪者ギルドの事を忘れてしまっていた。

 女衒役の二人は徹底的な制裁を加えて恐怖を埋め込んだが、他にも構成員がいる。

 こんな使い走りではなく、強面の戦闘要員もいるだろう。

 俺やフリットには手出ししなくても、ガブリエレ達には報復するかもしれない。


「ガブリエレ、犯罪者ギルドはこのまま黙っていると思うか」


「くっ」

「ヒィ、はんざいしゃぎるどがおそってくるの、こわいよぉ、おねえちゃん」

「おねえちゃんとおかあさんをつれていっちゃうの」


 ガブリエレは息を飲んでも弱音は吐かなかったが、弟妹は本気で怖がっている。

 こんな幼い子供達まで恐怖を感じるほど、恐ろしい組織なのだな。

 そんな組織にケンカを売ってしまって、俺は大丈夫なのだろうか。

 嫌がらせするみたいに、フリットの配下を王都や辺境伯領に行かせたが、こんな事なら全員護衛に残しておくべきだった。


「私もお母さんもどこにもいかないから大丈夫よ、心配ないわ。

 分かったわ、宿に泊まるから、宿まで護衛して。

 それと、宿に護衛もつけてもらうわよ。

 今までの事を賠償するというのなら、それくらいはしてくれるわよね」


 気丈に交渉してくるが、内心の恐怖心が手に取るように分かる。

 必死で震えないようにしているが、無意識に身体中が震えている。

 さっきの事もあるのだろうが、よほど犯罪者ギルドが怖いのだろう。

 売春宿に自分を売る決断をしたのも、犯罪者ギルドと関係がないと思っていたのだろうが、そのように思わせた人間がガブリエレの周りにいるかもしれない。

 これは今までの考えを大きく変えた方がいいな。


「いや、宿に泊まるのは危険だ。

 どれほど護衛をつけても、その護衛が犯罪者ギルドのメンバーかもしれない。

 ガブリエレは売春宿も女衒も犯罪者ギルドと関係ないと思っていたのではないか。

 誰かにそのように教えられたのではないか。

 犯罪者ギルドのメンバーが、身分を隠して辺境に入り込んでいるのではないか。

 ガブリエレの考えを教えてくれ」


「だって、だって、しかたがないじゃないか。

 父さんが辺境伯家に殺されて、母さんが倒れちゃって、誰を信じればいいか分からなくて、それでも母さんとユリアンとイルゼを護らないといけないんだよ。

 この村の人を信じるしかないじゃないかぁ」


 血を吐くような告白だった。

 泣くのを堪えようとしているのに、堪え切れずに泣いてしまう。

 魂の慟哭と言えるような姿だった

 まだ小学生程度だろう少女をこんな風に泣かせたのはフリードリッヒ辺境伯家だ。

 俺も犠牲者だと言って見て見ぬ振りなんかできない。

 不完全ではあるが、祖母から躾けられた良心が疼く。


「では、俺と契約しないか、ガブリエレ。

 信じるとか信じないとかではなく、正式に契約するんだ。

 犯罪者ギルドの糞共だって言っていたろ。

 貴族士族であろうと、契約書に書かれた事は破れないと。

 犯罪者ギルドの連中も、契約書に書かれた事は破れないんだよ」


「なにを契約するんだ、私を騙す気じゃないだろうな」


「騙すつもりなら、最初から助けたりはしないよ。

 それに、俺もフリードリッヒ辺境伯家の被害者だと言ったろ。

 だから、ガブリエレ達に同情したんだよ」


「いらない、フリードリッヒ辺境伯家の同情なんていらない。

 あんたが次のフリードリッヒ辺境伯なんだろ、同情なんて真っ平だ」


「だったら、最初から言っていたように契約しよう。

 ガブリエレ達は俺の使用人となって身の回りの世話をする。

 その代わり、俺はガブリエレ達の衣食住の責任を持つ。

 一日三度の食事を保証して、季節ごとに新しい制服を支給し、辺境伯城の中にある安全な部屋を与える。

 もっとも大切な契約は、ケガや病気をした時に魔術を使って治療する。

 お母さんのケガが再発した時にも、必ず治す、これでどうかな」


「……その契約書が嘘を書いていないと誰が保証するのさ」

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