第7話:脅迫

「ここで我が家の秘伝魔術を披露させていただきましょう」


 街道沿いの宿場町の中にある耕作地。

 敵軍や盗賊に襲われて籠城した時に、少しでも食糧を自給するための場所。

 大量の難民や援軍が宿場町に入った時の野営地にもなる場所だ。

 そこに俺とシュレーダー子爵だけがいる。

 王の密偵であるフリットは入る事を許されなかった。


「さて、フリードリッヒ辺境伯、今が種蒔きの時期ではない事をご存じかな」


「いえ、向こうの世界では治療家でしたので、農家の事は分かりません」


「ほう、治療かでしたのか、その技はこの世界に来ても使えますのか」


「さて、まだ試す機会がなかったので分かりかねます。

 それよりも、先ずは家伝の魔術を見せていただきませんか」


「そうでしたな、我が家がフリードリッヒ辺境伯の役に立つ証明でしたな。

 では、先ずは見ていただきましょうか」


 シュレーダー子爵はそう言うと、口元を隠して囁くような声で呪文を唱えた。

 すると見る見る間に小麦が芽を出しすくすくと成長していく。

 ラノベやアニメで見た事のある、植物促成魔術のようだ。

 物語の世界ではありふれた魔術だが、家伝の秘匿魔術と言う事は、この世界ではとても貴重な魔術のようだ。


 耕作面積はそれほど広くないのだが、魔力で穀物を促成栽培できるのは大きい。

 問題はどれくらいの魔力でどれだけの収穫量があるかだ。

 魔獣や獣を狩っても、長期保存するには魔力が必要になる。

 だが穀物なら、魔力を使わなくても長期保存が可能だ。

 糒のようにアルファ化すれば、自然な状態でも長期保存できる。

 糒なら三十年くらい保存できたはずだ。


「ほう、素晴らしい魔術ですね。

 ただ直ぐに決断できませんので、辺境伯領から戻るまでお待ち願いたい。

 伝説の竜と絆を結ぶかどうか決断する前に、必ずシュレーダー子爵の城を訊ねさせて頂きますので」


「左様ですか、貴族が縁を結ぶのはとても重要な事ですからな。

 性急に勧めようとしたら、国王陛下のように信頼を失ってしまいかねない。

 いいでしょう、フリードリッヒ辺境伯が戻られるまで待ちましょう」


★★★★★★


 ありがたい事に、シュレーダー子爵はあっさりと引いてくれた。

 王家と比較して自分を清廉潔白に見せようとしているのか、それとも本当に清廉潔白な人間なのか、できれば注意深く観察したいのだが、残念ながら時間がない。

 俺に本心を読まさない用心深いシュレーダー子爵だが、俺の大食いを目の前にして、流石に取り繕う事ができずに驚きの表情を浮かべていた。


「フリードリッヒ辺境伯が戻られるのを楽しみにしていますよ」


「見送りありがとうございます、シュレーダー子爵」


 シュレーダー子爵は平民用の安宿に泊まってまで俺を見送ってくれた。

 欲得づくの演技だとしても、国王とは大違いだ。

 心証がとてもよくなったのは間違いない。

 しかも俺のために多くの食料を用意してくれた。

 飲み物は大樽に入れたリンゴ酒、食べ物は大量の全粒粉の小麦パンとライ麦パンにチーズ、ハム、ソーセージと、俺の希望通り質よりも量を優先してくれた。


「念のために護衛の兵士を領境に集結させていただきます」


「ありがとうございます、シュレーダー子爵」


 俺はフリットが御者を務めるオンボロ馬車でフリードリッヒ辺境伯領に向かう。

 十人いたフリットの従士達は、全員あちらこちらに派遣されていた。

 前日の俺とシュレーダー子爵の会話は、絶対に王に伝えなければいけない、最重要な出来事なのだろう。

 護衛を一人も残さない決断をするくらいだからな。

 まあ、フリット自身が一騎当千の騎士だからできる決断だろうが。


「ザーシャ、すまない、全部俺が悪いのだ。

 俺がちゃんと報告していれば、陛下が判断を誤られることはなかった。

 俺が責任をとるから、陛下と和解してくれ、頼む、この通りだ」


 フリットは本気で謝っているようだが、それは完全な間違いだ。


「フリット、シュレーダー子爵が口にしていたが、責任は上位者が取るべき事だ。

 どのような情報を得ていても、いや、そもそもそのような情報を得るような体制を作っていた時点で、上位者に責任があるんだ。

 今回の件では、全ての責任は国王にある。

 フリットが庇えば庇うほど、王は自分の失敗を配下に押し付ける卑怯者になる。

 王の失敗は王に取らせなければいけないのだ、分かるな。

 分かったら黙って馬を操れ」


 厳しい事を言っているのは分かっているが、今回の件はフリットが口出しすればするほど王の評判が落ちてしまうのだ。

 シュレーダー子爵との件も、フリットが余計な事を口にしなければ、シュレーダー子爵は本心を口にする事なく裏で動いていただろう。

 裏で動いている間なら、王が大幅に譲歩して莫大な利益を与えたら、この国に引き留める事もできただろう。


 だがフリットが、シュレーダー子爵家の代々に渡る我慢を踏みにじる言葉を吐いてしまった事で、長年の恨み辛みが噴出してしまった。

 もうこうなってしまっては、王もシュレーダー子爵も後には引けない。

 他国の密偵も真実を母国に伝えるだろう。

 国内に有力貴族も、この国から離脱する覚悟を決めるかもしれない。

 これ以上悪化させたくないのなら、何も言わず何もしない事だ。


★★★★★★


「はん、何処かの国王陛下とお貴族様のせいで、民は地獄の苦しみだぜ」

「そうだよなぁあ、フリードリッヒ辺境伯領にいた頃には、巡検士が来るたびに賄賂の分以上に臨時税を課せられたぜ」

「それなのに、正義も味方面して偉そうにする巡検士がまた恥知らずにやって来て、俺たちを保護してくれたご領主様に好き放題言ったそうじゃないか」

「けっ、恥知らずにもほどがあるぜ」

「そりゃ仕方がないさ、恥知らずの王の騎士は恥知らずだと決まっているぜ」

「そりゃあ違いねぇ」

「「「「「ワッハッハッハッハッ」」」」」


 飯屋の客が聞こえよがしに王とフリットの悪口を言っている。

 昨日の今日でここまで噂が広まっているのは、普通では考えられない。

 シュレーダー子爵が意識して王とフリットの悪口を広めているのだろうな。

 俺の性分から言えば、そんなやり口は大嫌いなのだが、王家から分離する覚悟を定めたシュレーダー子爵としては、領民に自分の正義を広めたかったのだろう。


「だが、誰よりも許せないのがフリードリッヒ辺境伯だぜ」

「そうだな、あいつが悪政を敷いたから、こんな事になっちまっているんだ」

「農民が自分の畑を捨てて他領に逃げるのがどれほど辛かったか……」

「慣れない斧を振るって森を切り開いて一から畑を作るのが、どれほど辛く苦しかったか、お貴族様に分かるモノかよ」

「おうよ、シュレーダー子爵閣下はフリードリッヒ辺境伯も被害者だと言うが、そもそも姉妹に騙されるのが悪いんだよ」


 今度は俺に対する苦情だな。

 シュレーダー子爵はかばってくれたようだが、領民としては納得できないよな。

 聞こえよがしに悪口を言うだけで、直接暴力を振るう気はないようだから、ここは黙って聞いておくしかないな。


「俺達はまだいいさ、苦しくても飯屋に来られるくらいには稼げるようになった」

「ああ、そうだな、獣を狩ることができれば、少しは美味しいものが喰える」

「可哀想なのは、ルイーザとガブリエレだぜ」

「ああ、そうだな、ルイーザは腐れ外道のフリードリッヒ辺境伯に魔術を叩きつけられて、寝たきりになっているって話じゃないか」

「可哀想によう、娘のガブリエレは、ルイーザの治療費がなくて、売春宿に身を売るそうじゃないか」

「そもそも父親のダニエルも、フリードリッヒ辺境伯の無理な命令で狩りに行かされて死んじまったんだよな」

「ああ、多くの人を不幸にしておいて、美味そうに飯なんか喰いやがって、フリードリッヒ辺境伯は人の心がない最低の屑だぜ」


 これは流石に聞き捨てならないな。


「おい、今の話は本当か」


「なんでぇ、やるっていうのなら相手になってやるぜ」


「俺は貴族だ、お前達を一瞬で皆殺しにする魔術が使える。

 俺の悪口を言うのは構わないが、邪魔をする事は許さない。

 家族を残して死にたいのなら殺してやるが、どうする」


「「「「「ヒィイイイイイ」」」」」


「今話していたルイーザとガブリエレの家に案内しろ。

 フリット、こいつらが少しでもおかしな動きをしたら、拷問魔術を使え。

 殺すことなく、地獄の苦しみを与えてやれ。

 アルブレヒト王家に仕える拷問官の仕事を真っ当しろ


「「「「「ヒィイイイイイ」」」」」


 これ以上シュレーダー子爵と争えないフリットは、必死で屈辱に耐えていた。

 だが俺が激怒したのを見て、何が何だか分からないという表情をしている。

 国王の腹心を務めるくらい優秀だったフリットは、どこに行った。

 ずっと順風満帆に任務を果たしてきたから、失敗に対する耐性がないのか。


「しっかりしろ、フリット。

 金髪クソ婆にケガさせられた女性を忘れたのか。

 あの場で見て見ぬ振りした責任を取る時が来たのだぞ。

 惚けていないで性根を入れろ、それでも男か」


★★★★★★


「待て、その娘を連れていく事は許さんぞ」


 飯屋で俺たちの悪口を言っていた連中を脅して案内させたのは正解だった。

 今まさに人買い、女衒が少女を連れ去ろうとしている現場に出くわせた。

 少しでも遅れていたら、手遅れになっていたかもしれない。

 そういう意味では、よく悪口を言ってくれた、ありがとう。


「何だとてめえ、俺様達を犯罪者ギルドのメンバーだと分かって言っているのか」

「素人は黙ってな、余計な正義感を出すと死ぬことになるぞ」

「「「「「ヒィイイイイイ」」」」」


 悪口連中が一斉に恐怖にひきつった。

 俺達が脅した時以上に怖がっていると言う事は、犯罪者ギルドと言うのはとても強力な組織なのだろうが、何の心配もいらないだろう。

 今まで意気消沈していたフリットの瞳に力が蘇っている。

 正義の剣を振るえる状況になったのだな。


「俺は新たにフリードリッヒ辺境伯となった貴族だ。

 隣にいるのは王家が派遣した巡検士のローレンツ卿だ。

 俺たちにケンカを売るという事は、犯罪者ギルドはフリードリッヒ辺境伯家と王家に宣戦布告するというのだな。

 分かった、その宣戦布告を受けてやろうじゃないか、さあ、かかってこい」


「いや、いや、いや、いや、滅相もない事でございますよ、両閣下。

 犯罪者ギルドは王侯貴族様にケンカを売ったりはしませんよ。

 犯罪者ギルドは昔から王侯貴族様とは持ちつ持たれつの関係を築いておりました。

 これからも長く仲良くお付き合いさせていただく心算なのですよ」


「だったらその娘を置いて帰れ」


「そうは申されましても、この娘には大金をかけていますので」


「だったらその金を持って帰れ。

 それとも今渡した金に高額の利子でもつけるつもりか。

 俺とシュレーダー子爵は婚姻話が出るくらい昵懇なのだ。

 何なら辺境と王家直轄領にいる犯罪者ギルドを討伐してもいいのだぞ。

 その争いになった原因がお前達だとなったら、犯罪者ギルドはどんな制裁をお前達に加えるのか、とても楽しみだな」


「分かりました、分かりましたよ、両閣下。

 お金を持って帰らせていただきますよ」


「その前にこれまでの証文を置いていけ。

 そして俺とローレンツ卿に今の約束を証文として残せ。

 そうしなければ、ローレンツ卿にお前達を殺させる。

 国王の腹心であるローレンツ卿が犯罪者ギルドのメンバーを殺すのだ。

 王家も犯罪者ギルドも、面目を護るために全面戦争になるだろうな」


「ちっ、これまでの証文はこれだ、だが、この証文と今回の借金は関係ねぇぞ。

 今回この娘を買った代金と、今までの借金は別だからな」


「そんな、母さんの薬代とこれまでの借金を帳消しにする約束だったわ」


「へん、まともに字が読めないおめえが悪いんだよ。

 契約書には今回の治療費でお前を買い取る契約になっているんだよ」


「噓つき、私達を騙したのね」


「はん、騙される馬鹿が悪いんだよ。

 そうですよね、両閣下、契約書が全てですよね、両閣下。

 公明正大な王家とフリードリッヒ辺境伯家が契約書を無効にしたりしませんよね」


「ああ、そうだな、犯罪者ギルドの代表殿。

 騙されて書かされても、脅かされて書かされても、死んだ後で血判を押されたとしても、契約書があるのならその通りにすべきだな。

 なあ、そうだよな、ローレンツ卿」


「そうですね、フリードリッヒ辺境伯閣下。

 私が全力を持って正当な契約書を書かせてみせますとも」


「「ヒィイイイイイ」」

「やめろ、やめろ、それでも王家の騎士か」

「ギャアアアアア、腕が、俺の腕が、ねじ曲がっている」


「利き腕さえあれば署名も血判もできるだろう。

 残った手足を関節ごとに捻じ曲げてやるよ。

 いつまで耐えられるか、犯罪者ギルドの根性を見せてもらうよ」

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